第四章
自分に向けられた視線を感じ取り、崇はそちらに眼を向ける。
剣道部の部員ではなく、見学者と何やら話し込んでいる勇一の姿を見とがめ、崇は僅かに片眉を上に上げた。
―高橋……あいつは……。
尋常な気ではなかった。
自分が初めて本気になれるほどの気を持った者を相手にしたのだ。崇としては内心で笑みを漏らしてしまう程、嬉しさを感じられずにはいられない。
だからこそ、小さな笑みが口元に刻まれ、崇は思わずといったように呟いていた。
「……面白しれぇな」
「何が?」
突如かけられた声に、崇はまずったと言わんばかりの表情を浮かべる。
それに頓着することなく、崇の背後に現れためぐみは身体を折り曲げてその顔を覗き込んできた。
「ねぇねぇ、何が?」
ニコニコと笑っているのだが、その瞳と顔一杯に広がっているのは好奇心だ。めぐみの性格がひねくれているのは分かってはいるが、これはたちが悪いとしか言い様がない行動でしかない。
溜息をつきたくなったが、そんな事をすれば答えを聞き出すためにめぐみが手段を選んでこなくなるのは、崇は実体験で分かりきっている。そのため、素っ気ない声音で崇はめぐみの疑問を切り捨てた。
「うるせぇな。お前には関係ねぇよ」
「あー、ひっどーい。
何で崇ちゃんはそう酷いこと言えるのかな」
傷ついた、という表情だが、それが演技だと分かっている崇は、ぱしん、とめぐみの頭を叩きつけた。
そんな崇の行動に、ぶぅ、と膨れっ面になっためぐみの腕を引っ張りながら、崇は人気の少ない場所へと移動する。
いくら幼なじみとはいえども、公衆の面前で臆面も無く『崇ちゃん』と呼ばれてしまうのは、はっきり言わずとも恥ずかしい。
それを何度も言い聞かせてはいるのだが、めぐみはそんな崇の言葉に耳を貸す事など全く無いどころか、一向に呼び方を変えることなどない。それどころか、あっけらかんとした顔でめぐみは自分のことを『崇ちゃん』と平気で人前で呼ぶのだから、崇にとってはこの事は頭痛の種にしかならない事柄と断言できる事態だ。
「いったーいなー。崇ちゃん乱暴だよ」
「おーまーえーなぁー、人前で崇ちゃんは止めろって言ってるだろうが!」
「何で?崇ちゃんは崇ちゃんでしょ」
「恥ずかしいんだよ!そう言われるのは!」
「えっ!崇ちゃんがそんなもの感じるの!」
初めて知ったとばかりにのけぞっためぐみの様子に、崇の口の端が引きつったように動く。
この幼なじみの口の悪さと性格の悪さは知っているつもりだったが、どうやら再度認識を改める必要がある。
年を重ねていくごとに、めぐみの中のそれら全ては磨きがかかっているとしか言い様がない。
無論、崇も同じ事を言えるのだが、それらは今は棚に置いておいて、崇は幾分かきつい口調でめぐみの名を呼んだ。
「めーぐーみー」
「だって、何時も傍若無人、唯我独尊のような崇ちゃんが、そんなみみっちいこと言うとは思わなかったもん」
「……お前、意味分かって言ってんのか?」
「たぶん!」
ふんぞり返ってそう答えためぐみを見てしまうと、崇は疲れたように肩から力が抜けていくのを感じざるえない。
大きく息を吐き出し、崇はじとりとした目線をめぐみに向けた。
「どっちが傍若無人で、唯我独尊だよ」
「ん?なんか言った?」
「いいや……」
どうせ何を言ったところで、自分の説教など右から左に聞き流すのは眼に見えている。
自分と対等に皮肉の舌戦が出来るのはめぐみだけだったと思い返し、崇は再度特大級の溜息を吐き出した。
「それより、何が面白いの?」
好奇心を押さえつけるどころか、めぐみは更に眼を煌めかせながらそう問いかける。
事を濁せば、後々まで尾を引くのを知っている崇は、呆れたように肩をすくめて一応は注意をするように言葉をかけた。
「何でもかんでも首っつこむなよ」
「だって、崇ちゃんが面白い、なんて言うの久しぶりだもん。
ここの所、崇ちゃんに喧嘩ふっかけるバカもいないし、退屈で退屈で」
「あのなぁ……」
「そういえば、さっきの試合、かなり本気だったでしょ。
珍しいといおうか、初めてというべきなのか」
「気付いたのか?」
「もっちろん!」
上機嫌でそれを肯定し、めぐみは指先を形の良い唇に当て、うーん、と考え込むこと数秒。
それから、答えを見つけたように、崇に疑問の形で確認の言葉をかけた。
「面白いって、高橋先輩のこと?」
「……あぁ。マジでやり合って、互角に戦えるかどうか、だな」
「へぇー、すごいんだー」
崇の口から感嘆に近い感想を聞くのは、これが初めてではなかろうか。
それを言わせた高橋勇一という存在に、めぐみは悪戯を思いついたように無邪気なことを口にした。
「今度は、真剣かなんかでやり合ってみれば?
面白いことになるかもよ」
「お前なぁ、んな恐ろしいこと口にするんじゃねぇよ」
「そうかなー?だって、崇ちゃん、どこか楽しそうなんだもん」
しれっとしためぐみにそんなことを言われて、崇は二、三度瞬きを繰り返す。
確かに勇一との試合は、崇にとって初めての高揚感を感じた。
もしも次があるのならば、今度こそは勇一の実力の全てをひきだしたい。そう思ったのは、崇にとって初めてのことかもしれない。
めぐみに指摘されるのは悔しいが、本音を言えばその通りなのだから、この場合はわざと苦虫を噛み潰したような表情を崇は作る。
「戻るぞ」
「はーい」
足早に歩く崇の後をめぐみは小走りにその隣にやって来ると、当然のように並んでその歩調に合わせた。