知らぬ間に未来のお料理番組にゲスト出演して、T汁を作る羽目になった男の話
寝間着姿の彼は困惑していた。無理も無い。何台ものテレビカメラが彼にレンズを向け、百人程の観客も彼の居るステージを見ていたのだから。沢山の照明がステージを照らし、やたらと眩しい。彼の居る所が不自然に明るい分、観客席が余計暗く見える。隣にはやけに若作りをして、化粧の濃い眼鏡をかけた細身のおばさんがおり、目の前には調理台や様々な具材が整然と並べられていた。彼は知らない間にこのような状況に立たされていたのである。安っぽいスーパーで流れてきそうな、明るさが空回りしたようなメロディがスタジオに流れた。
「はいっ!今週もやって参りました。過去の人を召喚してその時代の料理を作る『ノスタルジッククッキング』の時間です」
口笛や拍手が鳴り響く。うさんくさい。どれくらいうさんくさいかというと、実質負担額無料くらいうさんくさい。召喚されたらしい彼は首を左右に振り、パチパチと不安げに瞬きしている。
「心配なさらなくても平気ですよ。あなたは寝ている間に意識だけ未来に来ているのです。『意識だけ』と言いましたが、私達の時代の最新技術で普通に話したり触ったりも出来ますよ。試してみます?」
おばさんが彼に人参を差し出す。不安感も不信感も拭えないが、触らないと話が前に進まなそうだからとりあえず手渡された人参を握った。根菜独特の固さと、ひやりとした冷たさが彼の手に伝わる。
「ね?」
ね?と言われた所で、彼にとっては何が凄いのかも分からない。オレンジ色の、発色の良い人参を触っただけである。温度差と言うか、時代差を感じる。ただおばさんの要求には答えた。こちらから質問しても良いだろう。彼はそう判断した。
「あの……」
「なあに?」
「俺が寝ているって、これは夢ってことですか?」
「あはは!良い質問ですね!あなたにとっては夢です。でも私達はあなたが生きている時代よりもずっと未来の人間なんです。つまり私達にとってここは現実です!」
あははは!と観客が笑う。いやいや、そこは笑う所じゃないだろ。過去の人間を馬鹿にしてんのか、と彼は思う。未来人に対する嫌悪が下っ腹の辺りからじわりと染みでて来た。
「じゃあ私はこれを夢と解釈しても良いんですね?」
「好きにして下さい!でも実際に放送される番組ですので、あまり羽目を外すと黒歴史になってしまいますね!」
また観客が手を叩いて笑う。大げさな演出は今とそんなに変わらず腹が立つ。そして自分達が未来に居ると言うだけで、未来を基準に自身の行いが黒歴史になるという勝手な決めつけにも、彼は怒りを感じた。本来歴史は過去に起きた事なのに、未来で黒歴史はおかしい。しいていえば黒時限爆弾だろうか。思春期に書いた暗黒ノートが、十年後くらいに白日の下に晒される感覚に近そうだ。
「分かりました。気をつけます」
「ありがとうございます〜!以前いきなりアカペラで好きな歌を熱唱し始めた女性や、裸になってお客さんに抱きつこうとした男性、開始早々脱糞しようとしたおじいさんがいて困ったんですよ〜」
それはもう立派な放送事故だ。よくそんな番組が今まで続いているものだ。もしかしたら未来の方が放送コードは緩いのかもしれない。それより、みんな夢の中では結構好き勝手やっているらしい。最後のおじいさんは少しボケていたのかもしれないが、彼は眠りの中でさえ放送コードを気にしている面白みの無い自分が、少しだけ嫌になった。せいぜい彼が見る非現実的な夢は、階段を永遠に下り続けたり、空から落下し続けたり、その程度である。
「じゃあ早速進めていきたいと思います!ええっと、あなたのお名前は田部村さんでお間違いないでしょうか?」
「はい、そうです」
「あ、良かった!たまにオードリー・ヘップバーンとか、ジョニー・デップとか、往年の名優の名前をおっしゃる方もいらっしゃるので…毎回どう対応しようか悩むんですよ〜」
「……はあ、そうですか」
「そうなんです。それでこのノスタルジッククッキングは、ゲストさんが食べたい料理を私達の時代でも作ってみよう、というコーナーです。こちらで色々献立の資料は用意しているのですが、田部村さん、何か今食べたいもの、ありますか?」
目をぱちくりさせ、おばさんが聞いて来る。田部村は困った。いきなり夢で何を食いたいかたずねられても、そうそう出て来ない。いっそヌンチャクリン炒めヴェロガース風とか言ってみようかとも考えたが、彼はそんな勇気を持ち合わせてなどいない。
「じゃあ、豚汁で」
予定調和的な答えに落ちつく。きっとこの番組で何百回も作っているだろう。
「へえ、豚汁!聞いた事ありませんね。ヌンチャクリン炒めヴェロガース風とおっしゃったゲストの方はいらしたんですけど、それは現在でも一般的な家庭料理ですので。実は一発で作る物が決まるのって凄く珍しいんです!じゃあ豚汁にしましょう!」
まず未来にヌンチャクリン炒めヴェロガース風があった事実に驚きだ。しかも家庭料理らしい。ヌンチャクリンが肉なのか野菜なのか、それ以外の何かなのかも分からないし、ヴェロガースも人物名なのか地名なのかもはっきりしない。恐らくその時のゲストは適当に言ったに違いないが。
おばさんが手をパンと鳴らす。すると彼女の前に青く半透明の画面が現れた。中空で静止している。田部村は初めて未来の道具を目の当たりにし、その画面の表と裏を交互に覗き込んだ。
「あ、これですか?過去の人は皆さん興味もつんですよ。ただ画面が浮いているだけなのにねぇ」
会場がどっと笑いに包まれる。一回も未来に召喚された事が無いからこんな身勝手な反応が出来るのだろう。例え田部村の時代になんちゃら原人や、なんちゃらデルタール人が召喚されたとしても、田部村は決して彼らを嘲笑しないと心に誓った。おばさんは画面を出したり引っ込めたりを繰り返しながら、豚汁のレシピを探している。
「あ、これですね。ありました。ふむふむ、へえ、美味しそうですね」
ふぅ〜ん、と数人の観客が感心したとでも言いたげな声を上げる。どこまで過去の人間を馬鹿にすれば気が済むのだろう。昔の人間が食っていた物は不味いと思い込んだ結果がこのざまだ。田部村は、なんちゃらマニョン人が飯を作ってくれたら、文句を言わずに美味い美味いと舌鼓を打ちながら完食してやろうと思った。自分の部屋に招いて、我々人類の精神的な進歩の無さを肴に酒でも飲み交わしたい心持ちさえした。どうせこの未来人達は三時のおやつに、赤子が母の乳を吸うように、絵の具のチューブみたいなものから出て来るよく分からない液体を、チューチュー口を尖らせて啜っているに違いない。そんな無様な奴らに笑い者にされるのはひどく心外である。
「じゃあ早速、根菜類の皮をむいてから切っていきましょう。それから長ネギ、しいたけ、豚バラも切っちゃいましょう。田部村さん、少し手伝ってもらっていいですか?この人参を一口大に切ってもらえると助かります」
「はい」
渡された皮むきでスルスルと人参の皮をむき、ステンレス製の包丁で切る。よく研いであって、少し摩擦の力を加えるだけで切れる。気持ちがいい。隣を見るとおばさんは慣れた手つきで皮をむき、手際よく切っている。ゴボウはもう水にさらしてある。この番組を長い事やっているのか、動きに無駄が無い。
「じゃあ早速炒めましょう。ちなみにこの油は田沼さんのです」
浮いた画面に油の入ったボトルを通してからおばさんが言った。詳しい産地や作った人の顔写真がのっている野菜がよくあるが、油までとはなかなか珍しい。流石は未来だ。同じように他の野菜も次々スキャンしていく。
「人参が宮崎さん、ゴボウが田村さん、里芋がジャンさんのです」
「へえ、外国の方もいらっしゃるんですね」
「はい、グローバル化が進んでおりますし、地球を一つの星と考えれば些細な事ですよ。様々な生き物が住み、生きているのだから普通です」
「なるほど」
「あっ大根を忘れてました!これはリュウグウノツカイのです」
「……はい?」
田部村は自分の耳を疑った。人間のみならず深海魚まで農業に従事しているとは想像だにしなかった。
「リュウグウノツカイですよ」
「リュウグウノツカイが大根を栽培するんですか?」
「リュウグウノツカイは深海魚ですよ?そんな事出来る訳ないじゃないですか、あはは!」
会場もおばさんにつられて大声で笑う。こういう理不尽な勘違いから生まれる揶揄には憤りを感じずにはいられないが、ここで感情的になってわめき散らしては元も子もない。この低俗未来人どもと同レベルの人間性になってしまう。過去人の田部村は憤怒の情を深呼吸で鎮め、冷静に質問した。
「いや、今までは人間の名前だったので。作った人の名前をおっしゃっているのかなと思ったんです」
「ああなるほど!まあ作った人というのはあながち間違いではありません。昔リュウグウノツカイだったものの一部がこの大根の一部を構成している、という事です。私達の体も様々な物を食べてそれを吸収しているでしょう?吸収して形は変わっているけれど、間違いなく私達の体を形作ってくれている。それと同じです」
「……つまり……人間の方々の名前が出て来たという事は……?」
「はい!元を辿ればその人達に行き着く訳です。詳しく言うと、田沼さんの大腸の一部、宮崎さんの耳あか、田村さんの鼻毛、ジャンさんのイボ痔だったものが巡り巡ってこの野菜達を構成しています。自分の前世とか前前前世が気になる方もいらっしゃるでしょう?似たようなもんです。それに出所が不明の食物ってなんか嫌ですしね」
観客もオーバーなリアクションで頷いた。
確かに我々の普段の生活でも似たような事象はままある。人の糞を肥に野菜を作る場合もあるし、水死体に群がった事のあるシャコを寿司にして、図らずしも食ってしまう場合、焼いて灰になった遺骸が空を舞い、誰かの肺に入る場合だってあり得るのだ。
「ほら、このシイタケは昔チャバネゴキブリだった事があるそうです!それにこの豚肉は織田信長の髭の一部だったものが入っていますね!かなりレアですよ!こうやって詳細が分かるとスッキリしますよね!」
おばさんが嬉々として野菜と肉を炒め、相変わらずの手際の良さで炒めた野菜の入っている鍋の中に水を入れ、沸騰してから出て来た灰汁を丁寧に取り除く。料理が出来上がっていくにつれて田部村の顔色がどんどん白くなっていく。
「じゃあ最後に味噌を…あっこれは…!」
「……どうかしましたか?」
彼の唇は気温の低い日にプールに入らされた子供のそれと同じ色をしていて、体も小刻みに震えている。
「このお味噌、田部村さんの脳だった物の一部が入っていますよ!田部村さん過去の方ですもんね!でも凄い奇跡!なかなか引きが強いですね、自分で自分を引いちゃうなんて!」
観客も「おお〜」と歓声を上げる。おばさんはおたまで味噌を溶かし始めた。
「田部村さん、味見してみます?はい、これおたまです。すくって少し食べてみて下さい」
緊張で冷たくなった手でお玉を持ち、言われるがままに鍋を覗き込む。見た目も匂いも豚汁そのものだ。しかしこの中に入っている具材は、昔深海魚や人間の一部だったのだ。無論、味噌を構成している田部村の脳だった物も例外ではない。一回大きく瞬きをしてみる。そこにはつやつやとしたピンク色で青い血管の浮き出た大腸、赤いとさかの付いた青光りした大きな目の深海魚の頭、そして迷路のような溝のついた自分の脳みそが紫色の液体の中に放り込まれていた。形容し難い生臭いにおいも漂って来た。言うまでもなくそんな事はあり得ない。田部村の想像力が、彼の視覚と聴覚を刹那的に惑わせ、この幻覚をみせたのだ。もう一度瞬きをすると、そこには美味そうな豚汁がくつくつと音を立てていた。しかしあの尋常ならざる毒々しい汁物が脳裏から焼き付いてはなれない。猛烈な吐き気が彼を襲う。胃液が逆流して食道を上って来る。肩がこわばり、般若のように、蒼白になった顔が歪む。
「あっ田部村さん大丈夫ですか?誰かエチケット袋!あれ、彼の意識が不安定になって来てます?現実に戻されちゃうかなあ……じゃあ私だけで食べて……」
田部村は沢山の汗をかき、暗い部屋の中、布団で仰向けになっていた。何が起きたのか思い出す前に、激烈な酸味と不快感が彼の口腔内を襲った。どうやら寝ながら吐いたらしい。気分は最悪である。夢も最悪だった気がするが、最早どんなものだったのか覚えていない。具体的な映像はもう彼の記憶には残っておらず、消えそびれた生理的嫌悪感のみが彼の胸に残留している。ひとまず洗面所に行ってうがいと洗顔をしようと思い、起き上がろうとするが、右手に何か持っている事に気づいた。左手でかけ布団をはがして見てみると、彼の右手には見覚えの無いおたまが握りしめられていた。