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2-56.負けないでピクシノビッチさん

東ハルサ連合と呼ばれる騎馬民族は、「スロヴモニム」「フルヴチア」「ボジナ」「スルプース」「ボスナヘルナ」「ツルコラナ」「マケドスコピニア」「クロウターヴァ」という8つの地域の連合。


この騎馬民族の領域で、内戦が始まったのは、ホゥスボール対抗戦のすぐ後。


ヘドファン伯爵、デターネ・ムサマ・ヘドファンの策略によって、指導者シプ・ヨ・テト氏が殺されたのだ。


彼が死んだ日に、東ハルサ連合の崩壊が始まったと言われる。




[美容師の娘]  【 2-56.東ハルサ連合の内戦 】




「みんなとは、もう会えないんだ。

 東ハルサでは、内戦が始まってる。」


えっ?

内戦? 今、戦争してるの?


ピクシノビッチさんの口から出た言葉は、予想外のものだった。



「テトさんが死んでから、おかしくなっちゃったの。」


温厚で、全ての 地域が 姉妹として まとまろうと 呼び掛けていた、テトさんの死で、東ハルサ連合のまとまりが緩んだのだ。



そういえば、ミラドールも言っていた。


  8つの 地域の連合 だからね。

  本来は、使節団も、選手も、1枚岩 じゃない。

  前回は、その弱点を 突いて 勝てたのだけど、

  今回の 選手は、まとまりが いい。

  困ったね。 やっかいだわ。


うん。強かった。対抗戦の東ハルサのチーム。



「テトの後を継いだのは、シェロ。

 対抗戦で、私たちと、一緒に来てたでしょ?」


テト氏の後継者は、ボダン・ミ・シェロ。


あぁ。シェロさんって、自分の地域だけの選手を 応援してた人だね。



「内戦の始まりは、カスタネトの地域。

 スロヴモニムの独立ね。」


カスタネトさんは、あの対抗戦のメンバー。守備の選手だ。

「スロヴモニム」という地域の出身らしい。


「スロヴモニムの記者が、スルプースで捕まったの。

 そこから、戦争が始まったわ。」


テト氏の後継者となった、スルプース人、ボダン・ミ・シェロを批判した、「スロヴモニム」の新聞記者、ヤシン・ヤスニャが、無実の罪で捕まった。


昔から、経済的に豊かな「スロヴモニム」は、貧しい南の地域「マケドスコピニア」や「クロウターヴァ」のために、「スロヴモニム」が東ハルサ連合に支払う負担金が使われることに、不満を持っていた。


そこに「スロヴモニム」の記者、ヤスニャの逮捕。


ヤスニャ事件により、世論は沸騰した。

そして、ついには、国境のホグラ村で、シェロ率いる「スルプース」系東ハルサ軍と、「スロヴモニム」軍が、ぶつかった。


「ホグラの7日間戦争って呼ばれてる。

 スロヴモニムの勝ちね。1週間で終わったわ。」


「スロヴモニム」と同時に、「フルヴチア」と「ボスナヘルナ」が、独立を宣言したせいで、シェロ率いる「スルプース」系軍が、「スロヴモニム」に、軍の力を割けなくなり撤退したのだ。


小規模な7日間戦争を経て「スロヴモニム」は、東ハルサ連合から完全独立を果たした。


そして、そのまま「シェロ・スルプース系東ハルサ軍」は、「フルヴチア」や、「ボスナヘルナ」との戦争に入った。



「イブコブや、プロキシーチは、フルヴチアね。

 スシネターチは、ボスナヘルナ。

 シム監督も、ボスナヘルナの人よ。」


じゃぁ、今も、ピクシノビッチさんの地域は、イブコブさんや、シム監督の地域と戦争をしているのね。



「私たちは、争いたくない。

 でも、周りがこうなってしまうとね。

 一緒にプレーするのは、もう無理かもしれない。」


シム監督は、自ら代表監督を退任。


ピクシノビッチさんは引退し、シム監督の後を継いだ。


内戦状態の今の東ハルサ連合は「スルプース」と「ボジナ」の選手だけになってしまったらしい。



「ごめんね、せっかく用意してもらったお土産。

 今は、みんなに届けることは、できないの。」


悲しそうな目で、「缶詰」を詰め込んだ「取り置きバッグ」を見るピクシノビッチさん。


「ううん。缶詰にしてよかった。

 取り置きバッグは、中の食べ物の時間を止める。

 その上、缶詰は、長持ちする。

 なかなか、腐ったりしないからね。

 だから、ピクシノビッチさんが帰った時に、缶詰を渡して。

 その地域に、持っていけそうな人に。

 きっと、みんなの手に渡るから。

 みんなで笑える日が、絶対来るはずだから。」


「アリー・・・。」


「私、今回の、東ハルサ連合と王都代表の試合見に行く。

 応援するから、頑張ってね。

 政治なんかに、戦争なんかに負けないで。」


環境が変わろうと、内戦が起ころうと、ホゥスボールは、ホゥスボールで、ピクシノビッチさんは、ピクシノビッチさん。何も変わらない。


ただ、素晴らしいホゥスボールの試合をするだけ。


ん-。私も、選手として、出場したくなっちゃったよ。


馬車で、東ハルサ連合の宿営地に向かう。

缶詰に詰め切れずに残ったフルーツを、現・東ハルサ連合への差し入れ。


「みんなで食べてもらってね。」


かご盛りにした果物を、ピクシノビッチさんに、渡す。


「ははっ。

 フルーツに、唐辛子、入れてなかったよね?」


「ミラドールじゃあるまいし。

 そんなことしませんよーだ。」


ピクシノビッチさんと別れ、馬車で一人、寮に帰る。

日が暮れ、空も暗くなってきた。

りんごを一口かじる。


空に、小さな星が瞬いた。

うん、明日は、晴れそうね。


お星さまにお願いをしよう。



=== ===== === ===== ===



明日の東ハルサ連合と王都代表の試合が、素晴らしいものでありますように。



=== ===== === ===== ===

アタリヤ商会の、3つの魔道具の名前を憶えている人は、

高評価を押して次の話へ⇒



蛇足1.


えーと、「春秋缶詰」と、「取り置きバッグ」と、・・・


ちなみに、私は、途中まで、この話がもともと、フルーツの缶詰の話だったのを覚えていませんでした。



蛇足2.



 「イブコブや、プロキシーチは、フルヴチアね。

  スシネターチは、ボスナヘルナ。

  シム監督も、ボスナヘルナの人よ。」



1998年FIFAワールドカップ、フランス大会。


日本は、この大会で初出場で、3戦全敗。


決勝戦は、地元フランスと前回優勝ブラジル。

フランスがジダン選手の2得点などでブラジルを3-0と下し、初優勝を果たしました。


そういえば、ジダンさん、レアル・マドリーの監督を5月27日に、退任しましたね。


得点王はクロアチアのシューケルさんが受賞。

日本も、彼に、1点献上しています。


内戦、ユーゴ連邦崩壊後、初出場のクロアチアは、3位と躍進しました。


プロシネチキさん

クロアチア代表のプロシネチキさんは、ジャマイカ戦と、オランダ戦で1得点ずつ計2得点しています。


イブコヴィッチさん

90年のユーゴ代表、GKイヴコヴィッチさんは、ユーゴ連邦崩壊後、クロアチア国籍を選択しましたが、クロアチア代表のユニフォームを着ることはなく、1998年に引退されたみたいですね。ですので、この大会にも出ていません。



連邦崩壊後、W杯に復帰したユーゴスラビア(セルビア・モンテネグロ)は、ベスト16。


ストイコビッチさん

ストイコビッチさんの ユーゴスラビア(セルビア・モンテネグロ)は、ベスト16で、オランダに2-1で敗れました。ストイコビッチさん自身は、ドイツ戦で1得点していますね。



蛇足3.



 「テトさんが死んでから、おかしくなっちゃったの。」

 温厚で、全ての 地域が 姉妹として まとまろうと 呼び掛けていた、テトさんの死で、東ハルサ連合のまとまりが緩んだのだ。



1980年にユーゴスラビア統一の象徴、ヨシップ・ブロズ・チトーが死去。


抑えられていた、各地域のナショナリズムが衝突。


セルビアではセルビア民族主義を掲げるスロボダン・ミロシェヴィッチが台頭。


経済的に豊かなスロベニアは、ユーゴスラビアからの脱退を主張。


セルビア民族主義に反発したクロアチアでも、反ユーゴ・セルビアの動きが加速。


ユーゴは、代表チームを編成すること自体が困難に。


各地域の新聞は、他の地域のの選手を「今の選手より、自分の地域の選手が良い」と書きたて、代表監督を批判。


その、旧ユーゴスラビア代表。監督は、イビチャ・オシム。


オシムさんは、毅然とした態度で、記者をあしらい、自らが選んだ選手たちの結束を守ったそうです。


1990年FIFAワールドカップ、イタリア大会。


ベスト8で、ストイコビッチ有するオシムの旧ユーゴスラビア代表を待っていたのが、ディエゴ・マラドーナ率いるアルゼンチン代表。


ユーゴは、中盤の守備の要となるスレチコ・カタネッツが怪我で出られなかったものの、結果はPK戦に。


このときユーゴチームでPKを蹴ることを申し出たのは、2人だけ。

失敗して、民族主義者に、自分や家族の命を狙われるのを恐れたためと言われています。


オシムさんが、PK戦を見たくないのも分かる気がしますね。



蛇足4.



そんな、「セルビア」代表と、今日6月11日、日本代表が対戦。


あっ、旧ユーゴスラビア代表は、「セルビア」「クロアチア」「スロベニア」「モンテネグロ」「ボスニア・ヘルツェゴビナ」「マケドニア」「コソボ」により構成されていたナショナルチームです。


セルビア代表は、今回のEURO2020こそ参加していないものの直近に日本と対戦する国で言えば一番の強豪国。


監督は、ストイコヴィッチさん。


「私は、※ベンチから、ゴールを狙っている。」とコメントしてくれたみたいですね。


今日のセルビア代表と日本代表の試合が、素晴らしいものでありますように。


※ストイコヴィッチさんは、2009年10月のマリノス戦、

 ベンチに飛んできたボールを革靴で蹴り返し、

 相手ゴールにダイレクトボレーシュートを決めた。

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