1-19.【挿話】イアンの独白1 -ヘドファン伯爵家-
この季節は、少し憂鬱だ。
アリーが 小ぶりのナスビを フォークで 突き刺した。
この小さな梵天丸ナスを見ると、あの人を 思い出す。
[美容師の娘] 【 1-19. 失った居場所 】
私の名前は、デターネ=イアン=ヘドファン。
ヘドファン伯爵家の 次男として 生まれた。
私が 生まれた時、一番喜んだのは 母であった。
母は ヘドファン伯爵家の 飛翔竜の紋章が 刺繍された産着に
くるまれた私を 離そうとせず、周りを 困らせたという。
私は 次男と 述べたが、そうなると 当然 兄がいる。
兄ムサマは、隻眼であった。
流行した 疱瘡の病が 彼の片方の目を 奪ったのだ。
おそらく、ムサマ兄に とっても、
そして 私にとっても 不幸で あったのであろう。
母は、私を溺愛した。
私を 甘やかし、私に お金を使い、私に 時間を使った。
「その 醜い顔を 見せないでっ」
母の言葉を 何度 聞いたことだろう。
兄は そのたびに 悲しそうな顔をして 部屋から 出て行った。
ムサマ兄は、片目こそ なかったが、
それほど 醜い顔を しているわけでは なかった。
普通に していれば、かわいい 子供だったのでは なかろうか。
ただ、ムサマは、いつも 暗い翳を 帯びており、
その性質は 卑屈で 鬱鬱としたもの であった。
母が 嫌ったのは、顔よりも、むしろ そちらで あったのかもしれない。
ガネッセは、私が 子供の時から 老執事であった。
彼は、伯爵家の 離れの庭で 野菜や果物を 育てていた。
いつ見ても ガネッセは 仕事をしているようには 見えなかった。
「若いころは 馬に乗って 旦那様の横で 戦場を駆けましたが
大きな戦争も 無くなり、私も白髪が 増えました。
神に与えられた余生は、楽しませて いただきましょう。」
不思議なことに ガネッセの ひょうひょうとした言葉と、
責任感のなさそうな 仕事ぶりを とがめる者は 館の中にいなかった。
- 春はあけぼの -
桜の花びらが 舞う頃、私は 15歳になった。
恐らく 周りから見れば 天狗になっていたと 思う。
私の 剣技に敵うものは、伯爵家の中で 父や ガネッセなど 数名で、
さらに 私の魔法は、伯爵家中どころか 教師として呼び寄せた
宮廷魔術師よりも 強力であった。
伯爵家を 継ごうなどとは、さらさら 思っていなかったが、
卑屈な兄と比べ、私の方が 優れている。そう思い 自信を持っていた。
事実、家中の者も そう思っていただろう。
ガネッセは、相変わらず 仕事をしているようには 見えなかった。
そんな彼が、草原の遊牧民の所に 馬を仕入れに行ったと 聞いた。
私は、馬が好きだ。
騎乗で 風を切る爽快感は、なんとも 言えない。
後ろに飛んでゆく 木々や人、何もかも 簡単にできるような 気がする。
私は、仕入れた馬に 良いものがないか、見に行くことにした。
向かった厩舎には、空きが多かった。
どの馬も、悪いものではないが、昔からいる 馬ばかり。
ガネッセは、どこだろう?
ヘドファン伯爵家の 離れの庭には、ガネッセの 菜園がある。
私は、彼を探して そこに向かうことにした。
菜園には、いろいろな野菜が 植えられている。
そして、その端のほうで、ガネッセの姿をし、ガネッセの顔をした、
ガネッセという名前の 酔っ払いが、赤い顔で うつらうつら としていた。
「おいおいおい・・・」
伯爵家とはいえ、ヘドファン家は 武系の貴族家で、領地は 辺境だ。
格式ばった作法に こだわったり、様式に こだわったりすることは ない。
それでも、執事が 昼間から離れの中庭といってよい場所で 酔っ払って
寝ているのは いただけない。
無理やり 叩き起こし、庭の小屋の中に 連れていく。
どうやら馬は、ほとんど 買ってこなかったらしい。
聞くと、遊牧民の 酒が気に入って、馬用に用意した買い付け金の ほとんどを使い、馬乳酒を買ってきたという。
どうりで小屋の周りにも、よくわからない 樽が 積みあがっていた。
ガネッセに 勧められるままに 馬乳酒の杯に口を付け、一気に 飲み干す。
「うっ・・・」
発酵し 腐った ヨーグルトと、酸っぱいとろけた チーズが混ざった味。
コレは・・・ダメだ。飲めない。
それでも、伯爵家の 金を使い 購入した 酒である。
日の当たる場所で 酒がダメにならぬよう、せめて日陰に 移動させなければ
ならない。
酔ったのか 足が少しふらつく。
近くに 従士たちを 見つけ、樽を 倉庫に運ぶように 指示した。
馬乳酒は、あまり 好きになれないと 思った。
新たな馬は、3頭 増えただけであった。
しかし、この馬が 良かった。
私は、このうちの 1頭を自らのものに することができた。
気性は荒いが、よく走り、疲れを 見せない。
走る際に、流す汗が、まるで 血液が流れているように 見える
素晴らしい馬であった。
私は、この馬を 駆って 領地を見回ることを覚えた。
これは 非常に 楽しいものであった。
ヘドファン伯爵領は、辺境にある。
辺境まで やってくる人間には、おもしろいものが 多くいる。
いつものように、気性が荒い この馬を駆って 伯爵領を 巡る。
と、その時、馬の前足が 突然 跳ね上がった。
この馬は、気性が荒い。
時々、このように 馬から 跳ね飛ばされるのだ。
空中を 舞いながら、風魔法を使い 地面への着地を 緩やかにする。
あぁ しまった。人がいる。
すでに 回避不能である。
なるべく 衝撃が 少ないよう、背中から 人にぶつかった。
「おぅ・・・」
ドンッばしっ。
革鎧のの男に ガッチリと 受け止められる。
この日、私は、初めて 冒険者と 出会うこと と なった。
冒険者というものは、博識である。
私は、自分の馬が よく走る素晴らしい馬だと 思っていたが、
彼に言わせると 欠陥馬である という。
「馬を 選ぶ時は、その皮膚に 寄生虫が居ないことを 確認する。
寄生虫による 皮膚表面の吸血がある場合、痛みや 痒みの
刺激によって、狂ったかのように 暴れる。
吸血で 滲んだ血が 馬が 疾走したときに したたり、
血の汗を 流しているように 見えるため、汗血馬と 呼ばれる。
このような馬は、暴れ馬であるため、選んでは ならない。」
足の故障を 歩行から 見つける方法 などは、辺境の 武系伯爵である
ヘドファン家にも 伝わるものがある。
しかし、このような知識は、初めて 知るものであった。
まぁ、私のように 気性の荒い馬を 選ぶものは、そもそも 少ないのだが。
なににせよ、冒険者というものは、面白い 生き物だ。
私は、しばらく 彼の探索に ついていくことにした。
彼が 滞在した2か月間、私は、冒険者の 心構えや知識を 学んだ。
このことは、その後の 私の進路に 大きく 関わってゆくこととなる。
- 夏は夜 -
馬乳酒の樽が なくなるころ、うだるような 夏の暑さが やってきた。
酒は、従士たちに 褒賞として 与えられたものも あったが、評判が悪く、
結局、ガネッセが ほとんど 飲んでしまったと 聞く。
窓からは、太陽の光が 差し込む。
夏の日は 憂鬱だ。
漬けると 色鮮やかな青色となる 梵天丸ナスは、
ガネッセが、菜園で 作ったものだ。
「ご馳走とは 旬の品を さり気なく出して、もてなすことだ」と
彼は よく口にする。
夏には、このナスビの漬物が 食卓にのぼる。
私は、目の前に 置かれた 青いナスビの浅漬けに フォークを 突き刺した。
そのまま ガブリと かぶりつく。
うまいっ
一口サイズで コリっとした 歯ごたえ。
ナスビの 程よい塩味に 舌鼓をうつ。
みずみずしい味わいの ナスの風味が 口の中に 広がる。
同時に、ドスン という音とともに 私は椅子ごと 後ろに 倒れた。
黒いシミが 天井に 広がっていくように、
目の前が じわりと暗くなり、意識を 失うのが 分かった。
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ぼんやりと、シミ一つない 天井が 見える。
いつ 目覚めたのか・・・目を開けて 眠っている 自分に 気づいた。
そう、知らない天井の夢を 見ていると 思ったのだ。
母は、泣きながら 私を 抱きしめた。
私は、4日間、眠り続けた らしい。
抱きしめる 母の大きな胸に 押しつぶされ 息苦しかったのを 覚えている。
それでも 私は、母の愛を感じ ホッとした 気分になった。
父は ガネッセを 呼ぶようにメイドに 伝えた。
毒を入れたとは 思われていないが 責任をとって 謹慎していたようだ。
ガネッセと そりが合わない母は、そっと 部屋から 出された。
医師が 父に 目配せをする。
私の症状は、貴族家では、良く知られた 毒の症状であった らしい。
医師は 一通りの説明を 父と ガネッセの前で行い、気の毒そうに
ベッドの私を見つめた。
毒は 私の命を 奪うことは しなかった。
まぁ 何かは 奪っていったのだが。
はじめて 部屋を 出ると、広間の むこうに ムサマ兄がいた。
ムサマ兄が、卑屈そうな目で 私を見る。
その右の瞳は 白濁しており、奥には、何もなかった。
伯爵領に 薬師が 来ていたことや、隻眼の少年が 彼らに 接触していた
という噂話は、後に 私が 冒険者になってから 知った話だ。
夏は 憂鬱だ。
やがて 秋が そろりと やって来る だろう。
- 秋は夕暮れ -
木々の葉が 色づく頃、ヘドファン伯爵家は、大きな嵐で 荒れていた。
私は、その台風の目に、渦の真ん中に 立つことになった。
母が、兄を廃嫡し、私を嫡子とするよう 動き始めたのだ。
家臣、警備の兵士たち、従士たちの中でも、
伯爵家に仕えてから 間のないものほど、これに 賛同した。
長子相続の利よりも、この時の 私の才能のほうが、
光り輝いて 見えただろうと 自分でも思う。
そのまま、母は、武系の貴族家の派閥中で、多数派工作を はじめた。
これも、新興の貴族家の多くが、私を 支持したという。
彼らは、武系の新興の 貴族家である。
自らの能力で、武功を上げ、這い上がってきたものが多く、
能力の高い 私を 支持したのであろう。
もっとも、新興の家のため、権力を持つ 古い家柄の 貴族家の壁を前に、
既得権に 食い込めておらず、ヘドファン伯爵家の 新たな力となるであろう
弟を擁立し、権力・権益を 得ようとしたことは、否定できないが。
ガネッセと母の間に緊張感が走ったのは、このころだ。
母が 実家の貴族家に、私の後ろ盾となるよう 要請したのだ。
ガネッセは、日ごろの 怠惰な動きが 嘘のように 素早く動いた。
自ら 母の実家に乗り込み、ヘドファン伯爵家の 跡継ぎ問題について、
口を出さぬことを 確約させたらしい。
母は、荒れ狂い、戻ってきた ガネッセが 館に入ることを 許さなかった。
ガネッセは、閑職に、窓際に、追いやられたといえるのだが、
そもそもが 仕事をしていなかったので、実際は、痛くも かゆくも
なかったのではないだろうか。
当時の私は、この嵐が 煩わしくて 仕方なかった。
伯爵家を 継ごうなどと、思っていなかったのは、前にも述べた。
だが、それ以上に 冒険者に なってみたかったのだ。
冒険者と 一緒に過ごした 2か月は、私を その道の 魅力へ引き込んだ。
ガネッセの介入により、嵐が 一時的にでも 収まったことは、
ありがたかった。
機を見て、私が、冒険者の道へ 飛び込めば 波風は収まるであろう。
風も 冷たくなってきたころ、ガネッセは、
冬になる前に、また、馬を仕入れに行くという。
あの馬乳酒が 欲しくなったのだろう。
- 冬はつとめて -
窓から 少し冷たい風が 吹き込んだ。
紅葉は 散り、もうすぐ 雪の季節がやってくる。
ハルサ族は、屈強な 騎馬民族である。
辺境にあるヘドファン伯爵家は、この異民族を 抑える役目を 担っていた。
この民族は、馬の上で 取り回しがよい カムハル短槍と呼ばれる 槍を使う。
また、騎射を善くすると言われ、騎乗でも 正確な弓さばきを 見せる。
伯爵家の 歩兵が 長槍と 弓を持つのは これに対抗するためである。
伯爵領民から、戦において 動員できるのは、総人口の せいぜい5%だ。
農業や工業などの 産業を維持するためには、
それ以上の 人数を 兵士として さくことはできない。
また、伯爵家の従士は 熟練であるが、未熟な農兵を 多く抱える。
それに対し、ハルサ族は、その人口の割に、大きな軍事力をもつ。
ハルサ族は、成人した男が 全て熟練した騎兵だ。
遊牧民で、馬での移動生活を行っているため、老人や女性といった
非戦闘員が 後方の補給部隊となる。
要は、本当に 小さな子供以外は 全て、戦に 投入できるのだ。
しかし、彼らが、冬に街や村を 襲うことは めずらしい。
雪が その一番の軍事的特徴の 機動力を奪ってしまう からだ。
その冬、父と母、そして私が 村へ視察に向かった時に それは起こった。
村が この騎馬民族に 襲われたのだ。
血液を流すように見える馬を、難なく操り、彼らは、仕掛けてきた。
不思議なことに、騎射を得意とする 彼らから、弓を使った攻撃はない。
このことは、人数の少ない 我らにとって 助けとなった。
村の境界の 柵と壁を 防衛線とし、侵入を防ぐことに 集中する。
破られたっ。
やはり 人数の差は、大きい。
「御屋形様、槍です。投擲で ございます。」
叫びながら 騎乗のガネッセが 駆けて来る。
ザシュ・・・
嫌な音がする。
振り向くと ハルサ族のカムハル短槍が、母に 刺さっていた。
私は、白い服に 赤いバラの大輪が じわりと広がるのを ただ見せられた。
父は 母を抱き 馬に飛び乗っると、伯爵家の従士に 撤退を命じた。
村の人を守り、収穫後の作物など 財産は 放棄する道を 選んだのだ。
従士と 私は、村人を 誘導しながら 村から離れる。
しばらくして、村の方角から 煙が上がるのが見えた。
ハルサ族は、去ったのだろう。
村人を村人を 彼らの村へ返す。
私たちは、棺をひいて 館に帰ることとなった。
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ハルサ族の 襲撃は、少しの命と、少なくない作物を 奪っていった。
母を 失った悲しさで、しばらく 私が 笑うことは なかったように思う。
領民の顔から 笑顔が消えたことを、自分の顔を 鏡で見ているように
感じたのを 覚えている。
父も、ガネッセも、悲しみの姿を 見せず、領内を 巡回した。
ガネッセが、手回し良く、無償で配布した 穀物で 領民は 命をつないだ。
ムサマ兄は、笑顔が 増えた。
私を 愛した母は 去り、同時に ヘドファン伯爵家の お家騒動の種も
枯れたのであろう。
山の雪は 溶け、悲しみと共に 川に 流れ込んだ。
- ふたたびの春 -
その春、ヘドファン伯爵家は、長子デターネ=ムサマ=ヘドファンを
継嗣とすることを 公に 発した。
ガネッセが「独眼竜、飛翔す」と宣言した。
飛翔竜の紋章が 刺繍された 大きな旗は、風にはためき、
館は、従士たちの歓声に包まれた。
ムサマ兄の顔は、明るかった。
ガネッセは、警告を 発したのであろう。
警告は、私の母まで 届かなかった。
彼は、いくつかの 簡単な仕事を したのだと思う。
狂いかけた 伯爵家の歯車は、正しく 回りはじめ、
そこに 私の居場所は なかった。
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街道の ソメイヨシノは、すでに 葉桜となっていた。
「それでは、戻らぬと 申すのじゃな」
旅装を 整えた私に、父が たずねる。
「母は、私の後ろに 立っていました。
短槍は、私の心も 貫きましたので・・・」
私の体には、見えない 孔が、ぽっかりと 明いているはずだ。
あの時、短槍は、私の すぐ後ろにいた 母の胸を 確かに 貫いていた。
私の 右隣には、父が立っていたのだ。
父の 右手には 長剣があり、左手は何も、そう、何も 持っていなかった。
おそらく、父は、仕事の 大切な仕上げは、ガネッセに 任せず
自ら 行ったのだろう。
「そうか」
父は 小さく つぶやき、風に揺れる ソメイヨシノを 見上げた。
こうして、私は ヘドファン伯爵家を 離れることと なった。
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この季節は、少し憂鬱だ。
目を上げると 私の皿にも、ナスビはない。
目の前に アリーもいない。
私には、予想もできない動きを、娘はする。
たいていは 小さなイタズラだが、時に困った問題を 起こす。
まるで 小さな台風だ。
しかし、この嵐の中は、意外と 心地がよい。
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少しくらいの 憂鬱は、娘が 吹き飛ばして しまうだろう。
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[誤字報告]
目覚めた時の「知らない天井」を「知らない天丼」に 報告し終わった人は
高評価を押して次の話へ⇒
「天井の夢」は、三谷幸喜さんって人が、何かで
このような感じの話を 言っていたような、言っていなかったような。
うろ覚えで真似しました。
「知らない天井」の方は、目覚めた時の お約束らしいです。
とりあえず 無理やり使ってみました。
真冬に、夏の季節の短編に なってしまったことが、残念ですが、
ここに挿入しないと、後で困りそうな気がしたので しぶしぶ書くことに。
気温が低く、とっても寒くて、気分がのらなかったですが、
季節を夏に決定しまった アイテムがナスビであったことに 書き終わって、
先ほど 気づきました。
そうか、冬の食べ物にすれば よかったんだ・・・って。
どうも 梵天丸ちゃんを 入れたいって 気持ちに
引っ張られすぎた ようです。