三章・神々の願い(2)
『では続けよう……灰色の炎、それを始原の神々は“滅火”と呼んでいた。いつ、どこで、どうやって発生したのかはわからない。しかし確実にそれは存在していて、そして触れたもの全てを消滅させながら広がり続けた』
「ッ!?」
──そう、あれに触れたものは例外無く消滅する。
現在と未来だけでなく、過去からも消し去られて“無かった”ことになる。
そうして生まれた歴史の矛盾が世界にヒビ割れを生み出し、その隙間からさらに滅火が浸食してきた──
(ううっ……情報量が多くて気分が悪い……)
私でない誰かの声。それがアルトラインの説明を捕捉するように、ずっと頭の中で喋り続けています。これが、この声がウィンゲイトの記憶なんですの?
そしてまた次々と脳裏に映像が浮かんで来ました。
『世界の構造はかつて“木”に喩えられた。種が芽吹き、成長して、可能性による分岐を繰り返しながら枝分かれしていく様が樹木のようだからと。だが、あまりにも大きく広く成長しすぎてしまったため、どこまで分岐を遡れば最初の種まで辿り着けるのかは誰にもわからない。それはさっき君達が言った通りだ』
そう、けれどあの日──“新たな種”が芽吹いてしまった。
『滅火によって消滅したものは歴史からも消える。無かったことになってしまう。だから、もしかするとそれは世界の、かつては宇宙と呼ばれていたものの誕生よりも以前から存在していたのかもしれない。しかし誰にもそれを認識できない。そのため長い間、対抗策を見付けることも敵わなかった。当然だ、考えようとする者すらいなかったのだから。
それでも無限に分岐を繰り返していた世界は、やがて奇跡を起こした。いくつかの世界で滅火を認識することに成功したのだ。隣り合う別の世界がそれに飲み込まれて行く様を観測したことによって。
異世界だからだろう。滅火によって消滅させられた隣人の末路を観測した側の世界では、すぐにその事実が忘れられることはなかった。タイムラグが生じたおかげでやっと気付くことができた。世界を消し去る災禍があることに。我々の世界を崩壊させようとしている“魔素”のように、圧倒的な脅威が目の前にまで迫りつつあるのだと。
必然、彼等は探し始めた、対抗策を。もしも滅火が自分達の世界を飲み込み始めたなら、その危機を乗り越え、どうにかして生き延びられるようにと』
でも研究は難航した。仕方無い、まったくの手探りだったのだから。詳しく調べようにも滅火に触れることはできない。滅火によって消滅させられたものの記憶は異なる世界のそれであったとしてもやがて消える。宇宙で目隠しされ、僅かな酸素の残りだけであるかどうかもわからない宇宙船へ辿り着けと言われるようなもの。
あの世界も消滅した。別の世界も消え去った。複数の並行世界と連絡を取り合い、情報を共有しながら研究を進めてもどうにもならなかった。大半の人間は諦観し、いつか確実に来る消滅の時を受け入れることにした。どうせ遠い未来のことだと笑う者達も少なくはなかった。
不可能なことにしか思えなかった。
なのに投げ出せない人達もいた。
彼も、その一人だった。
『ある時、一つの世界でさらなる奇跡が起こった。一人の男が“数式”を発見したことだ。それは理論上、滅火による消滅を免れて生き延びるための唯一の手段だった。
だが、発見できたのは彼の世界が今まさに滅火によって終焉を迎えようとしている瞬間だった。だから彼は、咄嗟にその“数式”で身近にいた者達だけを守った。自分の家族と親しい者達を』
そう、そして“私達”は──
「スズランさん?」
「私のでは、ありません」
先生に手の平を向け、もう一方の手で涙を拭います。これは私のものではない。ウィンゲイトの記憶が流した涙。
たしかに“数式”は彼女達を救ったのです。
けれど、新たな絶望も与えた。
『……彼は自ら新しい世界になった。それが“数式”の正体だ。滅火への抵抗力を持った新世界を創造する計算式。それを知る彼の“脳”が、我々のいる世界と我々が認識できる全ての並行世界や異世界の根源。つまり、全ては彼の見ている夢だと言っていい。
そして以前の世界からその夢の中に取り込まれ、彼の代わりに“神”として新たな世界を開拓する権能を与えられてしまった始まりの七人。それが始原七柱。一人の男の選択により人間から神にされた存在。我々全員の共通の創造主だ』
ええ、やっとわかりました。
だからだったんですね。
「だから彼等は、絶望した」
『そういうことだ』
アルトラインの肯定の言葉にロウバイ先生とナスベリさんの表情が青ざめます。彼女達にもどういうことだかわかったのでしょう。
「彼等は“人間”の意識を保ったまま、不老不死の“神”にされてしまった」
緊急避難的な措置だったから、そんな惨いことになってしまったのでしょう。新世界を創造した当人は自我を喪失し、世界そのものに、夢を見続けるだけの器になった。なのに取り込まれた七人は意識の面ではずっと人間のままだった。
──何十年も経った。
子供達は大人になり、ある程度成長すると老化が止まった。
──何百年も経った。
いくつもの世界を創り上げ、数え切れない命を生み出し、彼等との出会いと別れを繰り返すうち、最初の頃にあった神としての喜びは次第に損なわれていった。
──何千年も経って、それでもやはり死ねなかった。
狂うことさえ許されない。私達が神として在り続けられるようにシステムがそれを阻み続ける。限りなく精神が摩耗して、もはや擦り切れる寸前なのに、私達を救った男の愛がどうしても最後の一線を越えさせてくれない。
あまりにも優しくて、とてつもなく残酷な仕打ちだった。
どれだけの時が経ったのでしょう?
長い長い歳月の果てに彼等は結論を下しました。
全てを無に帰してしまおうと。
『無限に続く生に絶望した始原七柱は自分達の生み出した全てと、そして男が“数式”で構築した彼そのものとも言える“始まりの世界”を消滅させる方法を探った。その過程で生まれたのが──』
「崩壊の呪い……」
「始原の神々の“絶望”に汚染された魔素、というわけですね?」
『そうだ』
けれど、その考えに異を唱える神が一人だけいた。
それがウィンゲイト。私の祖先だという女性。
『ウィンゲイト様だけは全ての世界の存続を願った。それによって他の六柱達と対立することになってしまい、始原の神々同士の争いが始まった。
この世界が生み出されたのは、そのためだ……ここは、ウィンゲイト様の陣営が勝利を掴むために創造された“実験場”の一つ』
「なっ!?」
「実験、場……?」
「……」
私はウィンゲイトの記憶によって一足先に知っていました。だからアルトラインの説明に対し、ナスベリさんやロウバイ先生ほどの衝撃は受けずに済んだようです。
──彼女は圧倒的に不利な状況に追い込まれました。自分と同格の神々を六人も同時に相手しなければならないのです。その上で敵が“全ての世界を滅ぼす方法”を探している間に“全ての世界を守り抜く方法”を見つけなければならなかった。
この世界はそのために創られた無数の実験場の一つ。始原の神々同士の戦いに耐え得る強度の“戦場”と、始原の神に届き得る“魔法”を生み出すための世界です。
だから彼等はある程度の成果を見届けた後、ここから去った。明らかな結果が出るまでの間、他の実験場を見に行ったのです。三柱教の教えでは神々は人の成長を見届けたので後を託して去ったということになっていますが、正しくはその成長を待つ間の時を有効に使おうとしただけ。
(でも、それ以上の情報は流れ込んで来ない……)
私はすぐ傍の“竜の心臓”を見つめました。さっきアカンサス様が推測した通り、私の中にウィンゲイトの記憶が流れ込んで来たのはこれの影響でしょう。世界を創造した時に使われた魔素の一部がどこかに残留していて、保存されていた記憶が彼女の血を引く私に流入した。そう考えるのが自然だと思います。