三章・神々の願い(1)
「おやおや、これは珍しい」
「久しぶり……」
アカンサス様が苦笑し、シクラメン様はモモハルに向かって片手をひょこっと持ち上げます。神様相手でも友達感覚なんですね、この方々。私も人のことは言えませんけれど。
「モモ君、どうしたの……?」
「今の声、それに、この気配は以前にも……」
何が起きているかわからない二人には、私から説明することにしました。
「アルトラインです。眼神アルトライン。モモハルの体を借りて出て来ました。まったく、いつから入れ替わっていたんですか?」
『入れ替わったわけではない。単に本人の了承を得て口を借りているだけだ。先程までの説明はちゃんと聞かせてあるし、わからないというところは私が解説しておいた』
「ならいいですけど……」
私からまたあの長い説明をすることになるのかと、ちょっと心配になりましたわ。
「ア、アルトライン様って……例の、モモ君に加護を与えてるっていう……?」
『そうだ。ナスベリ、君とも一年ぶりの再会だな』
「え?」
『去年のカタバミとの決闘を見せてもらった』
「あれ見てたんですか!?」
畏まって、でもどうしたらいいのかわからずあたふたするナスベリさん。私は頭を振りながら近寄って行き、その腕を掴んで声をかけます。
「大丈夫、あの神様、ちょっと意地は悪いけど人間贔屓ですし、あんまり礼儀なども気にしませんので」
「そうなの?」
「普通にしていれば問題ありません」
「わ、わかった」
腹を括ったナスベリさんは、キリッと表情を引き締めてモモハルを見つめます。すると彼は照れ臭そうにモジモジしてはにかみました。あ、本当に口を借りてるだけなんですね。それ以外はいつものモモハルですわ。
「モモハル君……」
ナスベリさんも察したらしく、とほほと肩を落とします。ロウバイ先生は表情こそ固いものの相変わらず冷静。
「話の続きを」
『うむ』
私が促すと、アルトライン入りモモハルは頷いて再び奇妙な声を発しました。ガラス板を振動させているようなノイズが混じるんですよね。
『では説明しよう。魔素とはそもそも創世に使われた最も原始的な物質だ。あらゆる他の物質に変化して瞬間的に“万物”を再現できる。しかし、その状態で固定する権限を持つ者が扱わなければ一定時間で元に戻ってしまう。扱いを間違えた場合の危険性こそあるが、魔素自体はけして悪しきものではない』
そういえば、以前アイビー社長も魔素のことを“ただの記録媒体”だと言っていました。思い出した私は問いかけてみます。
「うちの店にも映像を記録して保存する防犯用の水晶がありますけど、ようするにあれと同じ、単なる道具の一つに過ぎないということでしょうか?」
『その理解で間違っていない。どんな道具にも正しい使い方と、そうでない使い方があるものだ。そして、かつて魔素に誤った記憶を、というより意志を保存してしまった方々がいた』
「方々?」
それは普通、相手を敬っている時に使う言葉のはず。では、魔素に意志を吹き込んだ者達とは、まさか──
「始原七柱」
突然、そう言って話に割り込んで来たのはアカンサス様でした。彼はモモハルと社長を順に見つめて確認します。
「本当にいいのかい? 新たな神子達はともかく、そちらの二人」
と、今度はナスベリさんとロウバイさんを見つめました。
「彼女達にまで秘密を明かしても。ムスカリのように、それを知った歴代の教皇の大半は熱意を失うか狂気に走ってしまったじゃないか」
その質問に対し、アイビー社長は確信に満ちた表情で断言します。
「大丈夫。少し前までのナスベリならそこまで信用できなかったけれど、幸い心の問題はココノ村の子達が解決してくれた。ロウバイも今だったら受け止められるはずよ。以前は頭が固かったけど、一年前から色々あったおかげで多少柔らかくなったようだし」
「恐縮です」
微笑み返すロウバイ先生。意外ですね、先生はもうずっと前から今の人格で完成されているものと思っていました。
私の視線に気が付くと、微笑を苦笑に変え、片目を瞑る先生。
「大人もちょっとしたきっかけで変わることはあるのです。たとえば、恋などで」
「なるほど」
でしたら納得ですわ。ノコンさんといる時だけは、いつも別人のように臆病になりますものね。
「ふむ、なら僕も認めよう。どのみち“呪い”に立ち向かうには覚悟が必要だ。この程度で折れるような者達なら必要無いだろうしね。シクラメンはどうだい?」
「元から反対してない……」
「だそうだ。すまなかったねアルトライン、説明を続けてあげて」
『君の懸念はもっともだ、謝罪の必要は無いアカンサス。ともあれ、それなら話すことにしよう。彼等の、始原七柱の物語を。今在る全ての世界の始まりを』
アルトラインは私達新参者の三人を順に見つめました。
『スズラン、ロウバイ、ナスベリ。君達はこう考えたことはあるか? この世界の創造主が創造の三柱だとして、その彼等を創ったのは誰か──と』
「ええ」
「もちろん、あります」
「まあ、誰でも考えるよね」
迷わず頷く私達三人。誰でもかはわかりませんが、少なくとも私達魔法使いなら一度は考えたことがあるでしょう。
魔法とは精霊や神々の力を借りて行使する術。その根源について考察してみるのは当然のこと。戦闘にしか興味の無い一部の変わり者は例外として、多くの魔法使いは研究者や開発者としての側面を併せ持つものです。
そして必ず同じ結論に辿り着きます。
考えても無駄であると。
「いくら考えたってキリがありませんわ」
だって神様を創ったさらに上位の存在がいるとして、その上位存在にもやはり創造主がいるはずでしょう? だったらどこまで遡ったって明確に“ここが最初”だなんて言える答えに到達するはずもありません。
私がそう答えると、ロウバイ先生も、ナスベリさんも同意しました。当然です、それが真理というものです。
けれど、モモハルの口を借りたアルトラインは否定しました。
『違う』
「えっ」
「どういうことですか?」
「まさか、本当に“それ”があると……」
『そうだ。君達は少なくともそのうちの一柱を知っている。それがスズラン、君の祖先であり、この世界の創造主でもある≪世界≫神ウィンゲイト様の真の姿』
世界、神……?
『先程アカンサスが言ったな。始原七柱。それが始まりの七人の神々の呼び名だ。ウィンゲイト様は元々そのうちの一柱だった。≪創造≫≪破壊≫≪均衡≫≪生命≫≪情報≫≪時空≫と、彼等はそれぞれに異なる役割を担っていた。ウィンゲイト様は≪世界≫といって、君達魔法使いも知るように万物の魂、個々の意識や集合的無意識を司っており──』
「ま、待って下さい」
つらつらと続く説明を遮り、今度はナスベリさんが割り込みます。
「矛盾しています。さっきスズちゃんも言ったじゃないですか、存在している者の上には必ずそれを創造した者がいるはずだって。その始原七柱という神々が“最初”だと言うんだったら、彼等自身はどうやって生まれて来たんですか?」
すると、それに対して答えたのはシクラメン様。
「矛盾は無い……」
「え?」
「元は存在していた……たしかに、始まりの神々の上の次元にも、より上位の存在がいた。でも滅んでしまった……灰色の炎に焼き尽くされた」
灰色の炎。
シクラメン様の唇がその言葉を紡いだ途端、私の脳内には知らない光景が次々と浮かび上がって来ました。
「なに……これ……!?」
「スズちゃん?」
揺らめく灰色で覆われた空。見たこともない高い建築物の群れ。人間を、大地を、海を、世界の全てを飲み込みながら静かに迫って来る破滅の炎。その色はやはり灰色で──
「スズちゃん!? スズちゃんっ!!」
「……あっ」
──ナスベリさんに肩を掴まれ、揺さぶられてやっと我に返ります。数秒のことだったと思うのですが全身にどっと汗をかいていました。あんな光景、全く知らないはずなのに今もなお心臓が早鐘の如く打ち鳴らされている。あまりの恐怖で膝まで震え始めました。
「アルトライン、今のは貴方が……?」
『違う。私は何も見せていない。おそらくそれは』
「ウィンゲイトの記憶ね」
「ウィンゲイトの?」
「君の血に宿っているそれが引き出されたのかもしれない。あるいは、そこにある“竜の心臓”の影響を受けてしまったか。やはり彼女をここに長居させるべきじゃないらしいよアイビー」
私に対して案じるような眼差しを向けて来るアカンサス様。その言葉にアイビー社長は小さく頷きます。
「わかっている。でも、もう少しで終わる。我慢できそう?」
「は、はい……」
自分でも何が起こったのか良くわかっていないのですが、とにかく話の続きを聞きたい。そう思ったので私も頷き返しました。
「続けて、アルトライン」
『ああ……』
モモハルも私を心配そうに見つめています。大丈夫よ、今度は全部聞き終わるまで絶対に正気を保ってみせるから。