二章・災禍の記憶(3)
──三度映像が切り替わり、十代後半と思しき少女の姿が浮かび上がりました。桜色の長髪。翡翠色の瞳。何の感情も見当たらない彫像のような美貌。豪奢な白いドレスを身に纏い、異形の獣達を引き連れながら崩壊した都市を悠然と歩いています。
「この人が……」
ロウバイ先生のその呟きに、頷き返すアイビー社長。
「そう、魔王ナデシコよ。元は中央大陸全体を統べていた巨大な国の王女だった」
「始まりの国ニホンのことですか?」
「その通り。だから私達の使う言語は“ニホン語”と呼ばれているわね。もっとも、本当は別の理由があるのだけれど」
「初耳です。それはいったいどのような?」
「後で説明するわ。まずはナデシコのことからよ」
「はい」
言われた通り一旦引き下がるロウバイ先生。アカンサス様が聞き分けの良い子供を見るような優しい目で先生を見つめます。
シクラメン様は……ひょっとして寝てません? 構わず社長は説明を再開。
「ニホン国の王女だったナデシコは、ある時ユニによって拉致され、忌まわしい物を体内に埋め込まれた」
「忌まわしい物?」
「“竜の心臓”よ。二重の意味でね」
そしてまた映像が切り替わります。一頭の、黒く艶光りする鱗で全身を覆った雄々しいドラゴンの勇姿に。
「彼はオニキス。この世界で最強と謳われていたドラゴン。膨大な魔力と闇の精霊をその身に宿し、神々にすら拮抗する力を持つと言われていた。若い頃は気性が荒かったらしい。でも晩年は穏やかでね、その強大な力を弱者を守ることに使っていたから、多くの者達に慕われていた」
けれど、オクノキリスとユニ・オーリによって捕らえられ心臓を抜き取られてしまった。そう呟くと社長は一瞬、悼むように目を伏せました。
そしてまたすぐに顔を上げ、言葉を続けます。
「奴等は彼の心臓を触媒にして儀式を行い、決して開いてはいけない門を開いてしまった。別の世界に繋がる門を強引にこじ開け、その結果、魔素が初めてこの世界に流れ込んだ」
「あっ……」
そうか、それで私達の世界は魔素に汚染されてしまったのですね。
以前聞いた説明では“竜の心臓”が過去に数回開かれたことで世界全体の魔素量が増加してしまったという話でした。けれど、その“心臓”を生み出すためにもやはり膨大な量の魔素が必要になるとも社長は言っていたのです。なら最初の分はどこから調達したのかと思っていましたが、別の手段でこの世界と異世界を繋げてしまったんですね。
「だから高密度魔素結晶体は“竜の心臓”と呼ばれるのよ。そして奴等は、その偶然生み出した結晶を人体に埋め込むという別の狂気を発想する。その被験体に選ばれてしまったのがナデシコ」
理由はただ“美しかった”から。
それだけだったそうです。
「オクノキリスは嫉妬深い女でね、自分より美しい彼女のことを妬んでいた。だから魔素の影響でナデシコが醜い怪物になることを期待した。
逆にユニは、自分の実験が成功した場合のことを考えていた。彼は自らが生み出す作品に美を求めていた。だからこの世で最も美しい少女を生贄に選んだ」
そして彼女は、両者の予想を超える“美しい怪物”になった。
「単純な戦闘力だけでも“魔王”となったナデシコはオクノキリス以上の強敵よ。魔素により変異し強化された肉体。さらに“生物の在り方を歪める力”で彼女は次々に手駒を増やしていった。本来この世界には存在しなかった異形で異能の怪物達を」
しかも彼女はユニ・オーリの手で精神支配を受けていた。一人と一柱の元凶は自ら表に立つことはせず、彼女と彼女の軍勢を操り、まずはこの世界の支配を目論んだ。
「まずは?」
「どうして異世界への入口を開いたと思う? 奴らは三柱が他にも数多く世界を創造したことを知っていた。やがてはそれらにも侵攻するつもりだったの」
そのためにはまずこの世界を掌握してさらに大きな力を手に入れる必要があった。九百六十年前の戦争は、そうして引き起こされた。
「私達が黒幕の存在に気が付いたのは終戦の間際だった。そのせいでユニを取り逃がしてしまったけれど、結果的に奴は消え、オクノキリスも倒すことが出来た。その時点でナデシコの精神支配も解けたの。
でも……生き残った者達は彼女を許さなかった。いや、誰よりも彼女自身が自分を許そうとしなかった」
次々に映像が切り替わります。勇敢に戦ったドラゴン達は絶滅。いくつかの種族は異界に兵を送り込むための実験に使われ、この世界から放逐されてしまった。残ったエルフも、ドワーフも、ウンディーネも、人間も傷付き、疲れ果て、それぞれの数を大きく減らされていた。
元凶はユニとオクノキリスだと判明しても、犠牲者達を実際にその手にかけたのは魔王ナデシコと彼女の軍勢。だから遺された者達の怒りが容易に鎮まるわけはなかった。
すると、彼女自身が社長達“古の魔法使い”に提案したのだそうです。映像が再び切り替わり、おそらく社長の視点から見た当時の彼女の顔が映し出されました。
そこには、やはり傷付き、疲れ、薄汚れた一人の少女がいるだけでした。
『アイビー、私を北の大陸があった場所に封じてくれ』
『え……? ど、どうして? 今はまだダメでも、いつかきっとみんなわかってくれるよ。ナデシコはなんにもわるくないんだって、ぜったいわかってもらえるから。わたしもてつだうよ。だから、そんなこと言わないで』
『いいんだ、優しき神子。私が多くの命を殺めてしまったことは事実その通り。この罪は必ず贖わなければならない。だから考えた。魔素が流入したことによりこの世界の守りは薄くなっている。それを私が補おう。この身のせいで絶えてしまった竜族の代わりに私と魔物達を使ってくれ。界壁を強化し、奴の再来や魔素のさらなる流入に備えるんだ。
それに君達は“竜の心臓”が埋め込まれた災厄そのものと言える私の命を救ってくれた。嬉しかったが、世界のためを思うならそれでは駄目だ。いつかまたこの胸の結晶が世界に災いをもたらすだろう。だから私を殺すつもりが無いのなら、せめて人々から遠く離れた場所に隔離しておいてくれ』
再び映像が切り替わります。西の大陸にエルフが、東の大陸にドワーフが、南の大陸にウンディーネが移住し、社長を含む四人の魔法使いが北の海上で呪文を唱えている場面に。
今度のこれは“彼女”の視点。
膨大な量の海水が凍り付き、次第に範囲を広げ、厚みを増し、やがて“大陸”と呼ぶにふさわしい巨大な氷の大地へと変わりました。
そこに降り立った彼女は、宙に浮かぶ小さな小さなアイビー社長を見上げる。
『ありがとう。いつかアルトラインの予言した救世主が現れるまで、決してこの地に人は踏み入れさせないでくれ』
『うん。でも、わたしは来るよ。ぜったいナデシコをさみしくなんかさせないんだから』
『ああ、いつでも来てくれ。君なら手放しで歓迎しよう、小さき友』
空からぽつぽつと水滴が落ちて来て彼女の目にも涙が溜まり、それが溢れ出す前に視界の端に氷の大陸全体を覆っていく霧の姿が写りました。おそらくは霧の障壁。北の大陸を外界から隔絶するための結界。
映像はそこで途切れます。魔素が再び霊廟の中心へ集まり、球形の“竜の心臓”に。
現在の──映像の中とは違う、九百六十歳のアイビー社長は魔素使いの皆さんに「もういいわ」と告げました。
「悪いけれど、ここから先は二人の神子とロウバイ、ナスベリにしか話せない。あなた達は霊廟から出て」
「はい」
言われた通り素直に外へ出て行く魔素使いさん達。
再び私達だけになった空間で社長は深くため息をつきます。
「最後は恥ずかしいところを見られたわね」
「いえ……」
可愛らしかったです、という言葉を危ういところで飲み込みました。迂闊に発言したらどんな目に遭わされていたやら。
「社長、あんなことが……」
「やめなさいナスベリ、次にそんな目を向けたら解雇するわよ」
「すいません……」
慌ててゴーグルで目を隠すナスベリさん。さっきの“労わるような目”を再び向けずに済む自信が無いようです。
逆にロウバイ先生は流石というか、いつも通りの平静さを保っています。おそらく内心では動揺しているのでしょうけれど。今まで常識として語られてきた歴史と本当の歴史が大きくかけ離れていることを知りましたものね。
そして、社長が私達に教えたかったことも、おぼろげにですが見えてきました。
「魔素、なんですね?」
私の問いかけに彼女は探るような視線を返した後、肯定します。
「ご名答」
そう、そうだったんですね、やっぱり。やっと繋がりました。かつてアルトラインから聞いた“崩壊の呪いは現れる度に姿を変える”“だから探すことはできない”という言葉の意味と霧の障壁の発光現象の謎とが。
ナスベリさんとロウバイ先生も察して頷きます。
「魔素は記憶を保存する。そして、その記憶がなんらかのきっかけで再現されてしまうと“記憶災害”が起こる……そうか、つまりは──」
「魔素こそが“崩壊の呪い”ということ」
世界を崩壊させる“呪い”の正体。それはユニ・オーリとオクノキリスの狂気が原因で流入してしまった大量の魔素。すでに世界に満ちてしまったそれに何かのキッカケで火が点いてしまえば、場合によっては世界そのものが“記憶災害”によって破壊されてしまう。おそらくはそういうことでしょう?
「ただ、それでは完全に正解とは言えない」
「えっ?」
自信を持って出した答えだったのですが、アイビー社長は驚く私達の顔を順に見つめて「まだ半分よ」と言いました。
次に私の隣のモモハルを見つめ、くすりと微笑みます。
「喋り疲れたわ、次は貴方にお願いしていい? アルトライン」
『引き受けよう』
「なっ……」
今までずっと静かにしていると思ったら、いったいいつからだったのかモモハルの瞳が普段より透明感を増し、ガラス玉のようになっていました。
その口から流れ出たのは、聴き覚えのある奇妙な響きの声。
「アルトライン!?」
『一年ぶりだな、スズラン』
そう言って彼は、モモハルの顔でニヤリと笑ったのです。