二章・災禍の記憶(2)
納得した私の横で、ロウバイ先生が新たな質問を投げかけます。
「その方が恐れる必要の無い人物であることは承知しました。しかし、アイビー様は先程彼女が“操られていた”と仰られましたね?」
「ええ」
「それはシクラメン様が仰られた“敵”と同一の存在ですか?」
「そう、でも──」
シクラメン様が目配せして社長が頷き、手をパンパンと叩きました。すると霊廟の奥にあったもう一枚の扉が開き、数人の男女が入って来ます。どういうことでしょう?
「言葉だけで説明すると日が暮れてしまう。彼等の力を借りましょう」
「あの、この方々は……?」
「オトギリと同じ一族。つまり“魔素使い”よ」
「えっ!?」
驚く私の目の前で、彼等は“竜の心臓”に触れました。するとそれはドラゴンを倒したあの時のように姿を変え、私達全員を覆う壁になったのです。
「魔素から記憶を取り出せることは知っていた。私は、そうやってこの森の中の出来事を把握しているの。そこで今度は、この間のあれを見た後に思いついてね、彼等に協力してもらって記憶を映像化する方法を探っておいたのよ」
「アイビー様、準備が整いました。いつでもどうぞ」
「ありがとう。それじゃあ皆、ご覧なさい。これがあの戦争の記憶よ」
アイビー社長が魔素の壁に自分の左手を当てると、その手の平は何の抵抗も無く手首のあたりまで沈み込みました。そして壁全体に映像が浮かび上がります。
まず現れたのは獣のような、けれども歪な形をしたもの達の姿。
背中から翼を生やした狼。多頭の大蛇。全身に複眼を持つ猿のような何か。群れを成し津波のように都市へ押し寄せて来る異形の虫達。
思い出しました。伝説ではこう語られていたはずです。魔王は生物の在り方を歪める力を持っていたと。
そして、それらに対抗するのは古の時代の魔法使い達と──えっ?
「これが……」
「太古の戦争……人間と魔王の戦い……」
「太古とか言わないで」
「あの、社長……? なんだか人間の側にもドラゴンとか、見慣れない生き物がたくさんいるんですけど」
ナスベリさんの質問に、唇を尖らせていた社長は気を取り直して答えてくれます。
「それはそうよ。あの頃は人間以外にも様々な知性体がこの地上で暮らしていたのだもの。今も知られているドラゴン、エルフ、ドワーフ、ウンディーネ以外にも色々ね」
「では彼等は今、別の大陸に?」
「一部はそうだ。でも、ほとんどはこの戦いで滅んでしまった」
「ドラゴンも絶滅した。エルフとドワーフとウンディーネは、三つの大陸に住んで界壁を補強してくれている……」
アカンサス様とシクラメン様の説明によると、先ほど見た外の結界と同じように特定の精霊と相性の良い種族を中央大陸と北の大陸以外の三ヵ所に配置。それによって世界そのものを包む“界壁”に強化を施しているのだそうです。
理由はもちろん、世界を蝕む“崩壊の呪い”の侵入を阻むため。
「滅んだとは、何故……? やはり魔王に?」
「ある意味ではそう。でも彼女は利用されただけ。大半は、あの二人に囚われ魔獣を造るための材料に使われたか、異世界へ渡る実験として世界の外へ放逐された」
「あの二人?」
次の瞬間、映像が切り替わって一組の男女の姿が映し出されました。服装から見て男性の方は魔法使いのようですが、もう一人は全身が光り輝いている? いえ、というより光が女性の形をしているかのような存在。
「この二人が戦争の元凶。神々から直接教えを受けた“始まりの魔法使い”の一人であるユニ・オーリと、アルトライン達と同じ下位神の一柱オクノキリス」
意外な名前が出て来たため、私達は再び目を見開くことに。
「えっ!? 最初の魔法使いと神様!? オクノキリスってオクノキアの名前の由来になった嵐の神じゃ……?」
「でも、伝説では」
いきなり現れた魔王が魔物の軍勢を率いて人類を滅ぼそうとしたことになっていたはず。この二人の名前なんかどこにも出て来ません。
いえ、オクノキリスの名前はありましたね。たしか魔王によって最初に滅ぼされた悲劇の女神として……。
「あの伝承は後世に三柱教が広めたもの。彼等の立場としては創世の三柱以外の、それもたった一柱とはいえ、神が人間の魔法使いと手を組んで世界を滅茶苦茶にしたなんて事実を明らかにしたくなかったのよ。当時も表向きは魔王が元凶ということになっていたから、その状況を都合良く利用したの」
「そんな……」
「では、彼等はどうなったのです?」
ロウバイ先生の質問に答え、再び映像が切り替わります。
胸に剣を突き立てられ倒れ伏した女神オクノキリスと、巨大な銀色の球体、おそらくは“竜の心臓”の中に飛び込んで姿を消すユニ・オーリに。
「オクノキリスは皆で力を合わせてどうにか倒せた。でも、あの男には後一歩のところで逃げられてしまったわ。どこか別の世界にね」
そういえば“竜の心臓”は異世界に繋がっているという話でした。それを逃亡の手段に利用するなんて、なかなか大胆なことを考えます。向こう側がどうなっているかもわからないのに。
──いや、そういえばさっき、異世界へ渡る実験のためにいくつかの種族が放逐されたと言ってましたね。つまり多くの命を犠牲にして逃走ルートも確保しておいたということですか。なんて非道で用意周到な男。
「奴に関しては生きているかどうかも不明よ。案外、この向こうの魔素の海で干からびて死んだのかもしれない。どのみち帰って来ることはないでしょうから、あのクズのことはどうでもいい」
そう言いつつ、映像を見つめるアイビー社長の双眸には隠し切れない憎悪の炎が燃えています。これまでの映像ではあえて省かれていたようですが、若干五歳で神と融合して神子となり、始まりの魔法使いや邪悪な女神との戦いに身を投じた彼女にも、余人には計り知れない想いがあるのでしょう。
「彼等は何故そんなことを……?」
「オクノキリスの動機は単純。この世界を去った三柱に成り代わり支配者になろうとしただけ。あれは神とは思えないほどの俗物でね、下らない権力欲の塊だった。自分が一番でなければ気が済まないの。
ユニ・オーリは……逆に人間離れしすぎていた。狂人か天才か、そのどちらかよ。両方だったのかもね。理解しようとするだけ無駄な精神構造をしていた。
それでも強引に解釈するなら“楽しんでいた”と考えるのが妥当でしょう。世界を滅茶苦茶にして、悲喜こもごもの様子を観察することに喜びを見出したみたい。権力にも名誉にも興味の無い男だけれど、好奇心を満たすことには貪欲だった。自分が楽しめれば他はどうなってもいいのよ。二人が手を組んだのは互いの不利益にならないから。それだけの理由」
そんな無茶苦茶な……不快感を感じて、でも──直後に私は気が付きます。以前の私も、自由だけを追い求めていた頃のヒメツルも似たようなものだったのではないかと。
「……」
「もういなくなった連中のことはここまででいい。それよりも重要なのは奴らがこの世界に遺していった置き土産の方よ」