二章・災禍の記憶(1)
私達四人が霊廟へ入ると、すぐさま扉が閉ざされました。目の前に浮かんでいる“竜の心臓”のおかげで、その気持ちはよくわかります。これから放出される魔素が漏れ出してしまったらと考えると気が気じゃありません。
あまりにも巨大なそれを警戒する私達に、先に中にいた三人のうち一人が気さくな調子で右手を上げました。
「はじめまして新人さん達。僕はアカンサス。鍛神ストナタリオの神子だ」
「えっ!?」
柔らかそうな赤毛に赤い瞳。日焼けした褐色の肌。年の頃は十五歳くらいの骨太な美形です。聖域の住民だと思っていた私はまたしても驚かされました。社長とモモハル以外の神子を見るのは初めてのことですもの。
「その反応、どうやら僕のことは知らなかったようだね」
「そうなのスズちゃん!?」
って、なんで貴女まで驚くんですかナスベリさん。
「アカンサス様は凄く有名だよ。本当に知らないの?」
「え、ええ、すいません、不勉強で」
(鍛神……ということは、体を鍛える神様か何かでしょうか?)
なんて思った私。それを口に出して質問しなくて良かったです。後々知りましたが鍛神ストナタリオとは鍛冶の神様で、ナスベリさんのような物作りを生業とする方々にとても敬われている存在でした。
(ということは、あちらの方も神子?)
私はもう一人、アイビー社長の背後に隠れるようにしてこちらを覗き込んでいる十二歳前後に見える少女へ視線を移しました。腰まで届く長い紫色の髪で、何故か白い寝間着を着ています。こちらを見つめる瞳はなんと白色。ただし完全に白一色なわけではなく、瞳孔に向かってグラデーションが描かれており、正確には薄い水色の瞳という感じ。
ところで、あの? 貴女の方が社長より大きいので隠れられていませんよ?
すると社長は浮かび上がり、彼女の首根っこを掴んで強引に前へ押し出しました。
「ほら、貴女もちゃんと自己紹介なさい」
「……シクラメン」
「よろしくお願いします。スズランです」
「モモハルだよっ!!」
そんな私達の対応を見て、やはり無知を嘆くように深く嘆息するロウバイ先生とナスベリさん。あ~……やっぱりそうなんですのね?
「スズランさん、あの方は知神ケナセネリカ様の神子です……」
「別にいい……私、アイビーやアカンサスと違って、あんまり外に出ないから……」
彼女は聖王国シブヤの図書館にある特別室がねぐらで、神子になってからの時の大半をそこでの読書に費やしているそうです。時折ケナセネリカの加護で古い稀覯本の正確無比な写本を作ったり、助言を求めて来る人間に気分次第で知恵を授けたりもするとのこと。
「あっ、シブヤ大図書館の……お、お話を聞いたことはありました。本が安く買えるのはシクラメン様のおかげなんですよね。以前から一度会えたらお礼を申し上げようと」
取ってつけたようなフォローをする私。シクラメン様は眉をひそめます。
「お礼?」
「うちは一家揃って本好きなんです。特に父が」
「なるほど」
「ふふ」
無表情で頷く彼女を見て、アカンサス様は穏やかに微笑。次に視線を向けた先にはロウバイ先生。
「だそうだ、お嬢さん。あまり責めないでやってほしい。僕もここのところ忙しくて人前に出る機会は少なかったし、若い子が知らなくても無理は無い」
ずっと年下の子供にしか見えない相手に“お嬢さん”と呼ばれた先生は、私から視線を外してお二人の方へ向き直りました。
「お久しぶりです、アカンサス様、シクラメン様」
「うん、久しぶり。たしかロウバイ君だったね、前に会ったのは二十年前だったか、三十年前だったか……」
「二十二年前です」
「一度死んだって、本当?」
「はい」
お二人とも、社長から先生の身に起きた出来事は聞いているようです。
「本来なら死後の裁きに身を委ねるべきところ、浅ましくも蘇って参りました。お二方の前にこのような姿で現れたこと、どうかお許しください」
「たしかに自然の摂理を捻じ曲げるべきではないけど、今は君のような優秀な人材は喉から手が出るほど欲しい。僕は許そう。そもそもアイビーの発案だそうだしね」
「私は元々気にしていない……悪いのはゲッケイだし……」
「そうだ、彼女のせいだったな。ならやっぱり仕方ない。まったく困ったものだよ彼女も。年々意地が悪くなる。昔はもっと可愛げがあったのに」
「そうなの……?」
「若い頃にはね。まあ二百歳の君が生まれた頃には、彼女も年寄りになってたか。百歳かそこらなら、僕やアイビーにとっては子供みたいなものだったけれど」
「私から見れば貴方も子供よ、アカンサス」
「はは、大先輩には敵わないな。四百二十歳の僕でも千歳の君から見たら、たしかに幼子と同じだ」
「九百六十歳」
目をスゥッと細めて訂正するアイビー社長。怖い怖い。その表情怖いですわ。
(しかし、なんとも不思議な光景ですね)
一番年上に見えるアカンサス様が四百二十歳。その次に若く見えるシクラメン様が実際には最年少の二百歳。そして最も幼い容姿のアイビー社長が、二人の年齢を足してもまだ遥かに届かない九百六十歳超。年齢を固定した魔法使いも見かけで判断出来ませんけれど、神子の実年齢はそれ以上にわかりにくいです。
「ナスベリ、貴女も」
「あっ、は、はい!! ビーナスベリー工房副社長のナスベリです!」
アイビー社長に促され、ようやく緊張した面持ちで名乗りを上げるナスベリさん。技術者であり研究者でもある彼女にとって、鍛冶と知識を司る目の前の二人の神子は文字通り神様のような存在なのだと思います。
「そうか君が……ふむ、なるほど興味深いね。その腰の武器や額のゴーグル、後で見せてもらっていいかな?」
「も、もちろんです! アカンサス様に見て頂けるなら光栄です!!」
「さて、自己紹介が済んだところで本題に入りましょう」
話が横道に逸れてしまわないよう、早速アイビー社長が切り出しました。
が、申し訳なくも私はそれを遮ります。
「待って下さい」
「何?」
「クル……師匠が先にここへ来てるって聞いたんですけど?」
「ああ、彼女か……」
何故か申し訳なさそうな顔をするアカンサス様。
「彼女はちょっと、アイビーとケンカしてしまってね」
「アカンサス」
余計なことを言うなと睨みつける社長。
私は動揺します。
「ケンカ……? クルクマが社長と?」
どうして? 以前ビーナスベリー工房で一緒に働いた時には普通に仲良くしていましたのに。その後も彼女は頻繁に工房へ足を運んでいたと聞きましたよ?
そんな私を見つめ、アイビー社長は苦笑しながら頭を振ります。
「心配しなくていい。少し意見が衝突しただけ。彼女にはもう必要な情報を与えた。わざわざ呼び戻す必要も無い」
「そう……ですか」
社長はどうして、そしてどんな意見が衝突したのかは意図的にぼかしているようでした。問い質すべきなのかもしれませんけれど、迷った私の視線は再び目の前の“竜の心臓”を捉えます。これを見る度、自分の心臓をギュッと掴まれたような感覚に陥るのは何故なんでしょう? そのせいか、この場所に長居したいとは思えません。
「すみませんでした、お話を続けてください」
とりあえず、黙って説明を聞くことを選びました。社長は「そう」と頷いて他の二人の神子と共に語り始めます。長年秘匿され続けて来た真実を。
私達の想像を遥かに上回る、壮大な物語を。
「まずは何から話そうか……」
「最初から?」
「もちろん、その話はするつもりよ。けれど、先にこの子達が一番知りたいはずの情報を伝えておきましょう。待ち遠しかったでしょうしね。
スズラン、貴女がウィンゲイトの力を使った時に霧の障壁が発光していた理由。それは北の大陸に封印されている存在が、その力に反応したからよ」
「北の大陸にって……まさか」
「そう、そのまさか。伝説では“魔王”として語られている彼女」
社長の言葉にロウバイ先生とナスベリさんは息を呑みます。
「魔王……」
「実在するんですか。しかも、まだ生きていると?」
二人の怯えを含んだ声色に、三人の神子は揃って悲し気に目を伏せます。どういうことでしょう?
「仕方ないことではあるけれど、そう怖がらないであげて欲しいな」
「ナデシコは何も悪くない……」
「そう、彼女もまた被害者。九百と六十年ほど前に起きた大戦のね」
ナデシコ? 話の流れからすると、それが魔王の名前?
それに九百六十年って、もしかして……私の視線から質問の内容を察した社長は、問われる前に答えました。
「貴女達の考えている通り。その戦いの初期、当時五歳だった私はこの世界で最初の神子になった」
「アイビーの場合、僕やシクラメン。モモハル君、そしてスズラン君とも少しばかり事情が異なるんだけどね」
「アイビーは敵との戦いで瀕死の状態に陥ったテムガミルズと出会い……お互いを助けるために、その場で融合した」
「融合?」
「そういうこと。私は契約して神子になったわけではなく、傷付いたテムガミルズが存在を維持するための依代として身を差し出した。だからゲッケイが年齢固定化の技術を生み出す前に不老になったのよ」
あっ、そういえばゲッケイが年齢固定化技術を生み出したのは二百年ほど前だと聞いた覚えがあります。
でも、そうすると彼は? 私はアカンサス様を見つめました。御年四百二十歳だという大先輩は穏やかな微笑を浮かべて柔らかい声音で答えます。
「僕の場合、ストナタリオの加護の一つが不老の力なんだ。劣化防止と言った方が正しいかもしれないな。造った物を保護する機能の一つだよ」
「私はゲッケイの技術で不老化した……二人はずるい」
羨ましそうに先輩方を見つめるシクラメン様。そういえば、年齢固定化処置の方法ってまだ知りません。社長達を妬むということは……。
「あれ痛いんですよね」
「ええ……」
経験者のナスベリさんとロウバイ先生は、シクラメン様の言葉に深々と同意。なるほど痛いんですね。じゃあやっぱり、私はやらなくてもいいですわ。
「結局話が逸れたわね。ともかく彼女、魔王ナデシコに関してはそれほど心配する必要は無い。あの大戦で暴れたのは精神支配を受けて操られていたから。今は本来の人格を取り戻している。むしろ彼女は誰よりも優しくて分別のある人間よ」
「了解です」
この言い分や先程の態度から察するに、どうやら社長達は北の大陸を何度か訪れているようです。でなければ現在の様子などわからないでしょう。
それから魔王さんとは親しいご様子。