八章・災悪の戦い(2)
「ぶあっ!!」
一瞬だけ意識が飛んだ。遠ざかりかけたそれを掴んで強引に引き戻し、ブレた視界の焦点を合わせる。ガーベイラは少し離れた位置に倒れていた。ホウキが折れてしまっている。彼はピクリとも動かない。死んだのかと思ったが、まだ魔力を感じる。
(生きてはいるな)
良かった、こんなことに巻き込んだ挙句死なれてしまったら寝覚めが悪い。スズランの狙いは自分。距離を取れば彼の安全は確保できるだろう。彼女が周囲への被害を考慮できないほど怒っていたら話は別だが。
ゆっくり起き上がると、ちょうどその時、頭上で光が消えた。今の反応──魔力障壁か。さっきのはとてつもなく大きな障壁で叩き落とされたのだ。ハエ叩きの要領で。
(炎の剣は下に意識を向けさせるためのフェイント……)
派手に大陸をカチ割ってやれば、当然注目はそちらに集まる。その間に魔力障壁を展開して本命の攻撃を仕掛けた。
相変わらず悪知恵が働く。苦笑しながら動かなくなった右足を引きずり、ガーベイラとの距離を取った。
「まったく……誰に似たのかな? やっぱり、師匠のあーしかな……」
「クルクマ……」
スズランも地面に降りて来ていた。その目に宿っているのは明確な敵意。悲しいけれど仕方が無い。自分はそんな目で見られて当然のことをしたし、してきたのだから。
「一応言っとくね。あそこで転がってるヒゲ男はガーベイラ。あーしが脅して協力させていただけだから殺さないでやって。ただの研究馬鹿だよ」
「わかりました」
こちらに向けられた右手の平に魔力が収束していく。到底自分の魔力で防御できる威力ではない。この距離なら避けることも不可能。
「……ごめんね」
「ッ……!!」
最後にそれだけは言っておきたかった。諦めて瞼を閉じたクルクマの目の前で、さらに魔力が高まる。
が──
パンッという乾いた音がしてスズランの目の前を礫が掠めた。
次の瞬間、収束していた魔力がかき乱され拡散する。
「くっ……こ、これは……!?」
「なんとか……」
「間に合いましたね」
ホッとした表情で現れるナスベリとロウバイ。ロウバイの背中から伸びた魔力糸がスズランの右腕に絡まっていた。ナスベリの宝石弾で魔力障壁に穴を空け、そこから魔力糸を通して魔法を封じたのだ。
「先、生……!!」
「無駄ですスズランさん。ご存知のように貴女の魔力がどれだけ強くとも、この糸はその流れを乱して術の発動を阻害できる。絡まっている限り、魔法は使わせません」
「なら、素手で……!!」
スズランは怒りに満ちた眼差しのままクルクマへ詰め寄ろうとする。右腕に絡まった糸が防寒着に食い込み、それを切り裂き始めた。
「よしなさいスズランさん! そんなことをしても、この糸は切れません! 知っているはずですよ!?」
「スズちゃん一旦落ち着いて! とにかく冷静になって話し合おう!」
「スズッ!!」
ロウバイに、ナスベリに、モモハルに制止されても彼女は止まろうとしない。とうとう防寒着の袖が破れ中綿が飛び出した。ロウバイはさらに糸を繰り出し、今度は全身を拘束する。
地面に倒されて、それでもなお彼女はクルクマを睨みつける。
両の瞳から涙が零れ落ちた。歯を食い縛り、立ち上がろうと必死にもがく。
「どうして……どうしてそこまで?」
スズランのことは自分が一番理解している。そう思っていたクルクマにさえ、今の彼女の行動は理解し難い。たしかに憎まれるに値することをしたと思う。けれど、スズランはそれだけで動いているようには見えない。
「なら、戦ってみればいい」
「えっ……?」
信じられない声を聴いて振り返ると、すぐ近くにいつの間にかナデシコが立っていた。
「あ、あれでも死ななかった……?」
「素晴らしい一撃だった。深度という点では今のところ君が最も優れている。だが、それでもほんの少しだけ私の命には届かなかった」
「そんな……」
思わずへたり込む。じゃあ、自分は何のためにこんなことをしたんだ? 親友の信頼を裏切り、他の仲間達の信用も投げ捨てて決死の覚悟で行動したのに。
ところが、そんな彼女の肩に手を置いて優しく励ましたのは、他ならぬ自分が殺そうとした相手だった。
「相互理解には、時としてぶつかり合うことも大切だ。友人同士の喧嘩なんてありふれた話だろう。気の済むまでやってみたらいい。君の能力については聞いているよ。おそらく私の眷属の子孫だ。なら、この子達とも相性が良いはず」
「この子……達?」
「今はまだ単体だがな……サルビア!」
ナデシコが名を呼ぶと氷の大地が割れ、凄まじく巨大なミミズのような生き物が現れた。赤い肌で全身から熱気を放出している。
「すまない。すぐに戻してやるから、少しだけ分けてやってくれ」
『……』
ナデシコの言葉に頷くようにして身をくねらせる、サルビアなる魔物。その体に彼女が髪を伸ばして突き刺すと、巨体の表面が泡立ち、その泡から無数の虫が飛び出した。
「いいっ!?」
「これが例の力、ですか……」
「ちっちゃくなってく」
モモハルのその言葉通り、生まれた虫の分だけサルビアの巨体が縮小する。やがて山のように大きかった体は三分の一程度まで縮小した。
「ありがとう。戻ってまた島を暖めてくれ」
『……』
やはり頷いて、再び地中に潜る巨獣。その魔力反応がナデシコの居住地の方に移動して行く。スズランが感じた地下の反応の正体はあれだったのだ。
「あの子が地熱の発生源……」
「そうだ、この大陸では二番目に付き合いの長い子だよ。最初に生んだ子は、あの島そのものになったからね」
それはさておきと、彼女は再びクルクマを見つめる。足元の夥しい虫を示しながら。
「君なら動かせるはずだ。解剖せずともね」
「……」
解剖して構造を見た生物でなければ操れない──その事実を知っている。ということは自分がナデシコの眷属の子孫だという話は本当らしい。試してみると、たしかにその虫型の魔物達は即座に操ることができた。
「なんでこんな力があるのかと思ってましたが……なるほど、私の先祖は魔物ですか」
「あの時代、私一人で全ての魔物を操ることはできなかった。だから司令を作ったんだよ、何人もの人を犠牲にして。能力のせいで辛い目に遭わせたのだとしたら謝罪させて欲しい。本当にすまない。この胸の傷も気にする必要は無い。君には私を殺す権利がある」
「いえ、能力のこととは関係無く殺そうとしましたから、そちらこそ余計な気遣いは無用です」
「そうか……」
苦笑したナデシコに、寄り添うようにして立つアイビーが問う。
「止めるんじゃ、なかったの……?」
「ここへ来るまではそう思っていた。けれど、さっきも言ったように時には本音を晒してぶつかってみることも大切だと思う。私達だってこれまで千年近く、何度も喧嘩してきたじゃないか」
「だからといって命がけで戦わせる必要がありますか?」
険しい表情のロウバイに対しては、頭を左右に振る。
「わからない。けれど、彼女達の場合はそれが正しいんじゃないかと思う。その証に彼も止めようとしていないだろう」
ナデシコの視線はモモハルに向けられた。たしかに、アルトラインの神子でスズランを深く想っている彼が異を唱えていない。
ならばそれは、アルトラインが同意しているのと同じだ。
「アイビー様……」
「解いてあげて」
師のその一言に、しばし黙考してから応えるロウバイ。スズランを縛っていた魔力糸が消え、彼女は自由を取り戻す。
(思えば、わたくしも似たようなことをしましたね……)
スズランと愛弟子の一戦を思い出した。納得したい──その気持ちはたしかに、容易に抑え込めるものではない。
そう、きっとあの二人も、そして師とナデシコもそれを欲しているのだ。自分達の葛藤に折り合いをつけるための答えを。前に進むに足るなんらかの結果を。
「私は、危ないと思ったら止めに入りますよ」
ナスベリはいつでも小型砲を抜けるように身構える。ナデシコは「好きにしなさい」と微笑み、それからその優しい眼差しを傍らの少女に向けた。
「友達想いの子ばかり集めたんだな、アイビー」
「集めたんじゃなく、勝手に集まったのよ……同病相憐れむ、かしらね」
「そういうのは、類は友を呼ぶと言うんだ」
彼女達の見守る先でクルクマとスズランが同時に前へ出る。無数の虫が黒い波と化してクルクマの周囲に弧を描いた。スズランは全身を魔力障壁で覆う。
直後、スズランが先制して放った魔力弾を虫達に乗って避けるクルクマ。すかさず彼女が投げ放った宝石を超高密度の魔力障壁で受け止め、蓄積された魔力による爆発ごと握り潰し、即座に追撃をかけるスズラン。
かくしてこの極北の大地で、災呈と最悪の戦いが始まった。




