六章・暴かれるもの(2)
「ひッ……グ、うッ……」
「クルクマ……」
「触んないで! 放っといてよ!!」
「すまない……」
隠れ家に戻ってからずっと蹲って泣き続けている。あまりに不憫で、思わず声をかけてしまった。しかしにべもなく拒絶され、ガーベイラは素直に距離を取る。
大切な友達だったんだな。予想以上の嘆きように、改めて彼はクルクマの中のヒメツルという存在の大きさを知る。
だから彼女は決意した。
親友と決別することを。
「最悪だ……罠だったんだ、あの情報。多分ハナズ王は白だ……アイビー社長があーしを誘き出すために偽情報を流してたんだ」
「そうだったのか……謝って済むことではないかもしれないが、すまなかった。あの男は信頼できる情報屋だと思っていたんだが……」
「いいよ、さっきはごめん……」
どのみちもう誤魔化すのは限界だった──そう言って、鼻を啜りながら立ち上がる彼女。こんな時だが、その横顔にガーベイラは胸を打たれる。やはり強い女性だ。早くもこの目は“次”を見据えている。
「それに社長にこちらの狙いがバレたのは、あーしのせいだよ……あの時、聖域に行ったから。この世界の秘密や社長の計画を知るには必要なことだったけど、やっぱ迂闊な行動だった」
しばらく前からアイビーに監視されていた。元々友好的な関係ではなかったが、互いの利害が一致している間は協力できた。ところがオトギリの件以降あからさまに警戒されるようになってしまった。
(アレを入手したからだよね……)
オトギリが捕縛された直後、あらかじめ探り当てておいた彼女の研究室でアイビー達に先んじて資料の一部を回収した。魔素吸収変換装置の改良に使えるデータが得られるかもと思ったのだ。
しかし、それがアイビーの逆鱗に触れた。
聖域に行った時、警告された。これ以上勝手なことをするなら次は無いぞと。向こうはクルクマが一年前から独自の基準で悪と断じた者達を裁き始めたことも、スズランの敵になりそうな連中を密かに排除していることも知っていた。
例の資料についてもカマをかけられたが、あの場では白を切り通すことが出来た。とはいえ、確証を持っていないだけでほとんど黒だとは思われているだろう。
でも、あの時点で彼女はまだ知らなかったようだ。こちらがとっくにその“次”に手を出していたことは。知られていたら生きて聖域を出ることは叶わなかったはず。
クルクマは、キョウトの前王ラベンダーを殺した。
あの男は女のような見た目とは裏腹にとんでもない野心家だった。世界の崩壊のことを知り、それを利用してさらに成り上がろうとしたのだ。七王の座では満足できず、全てをその手中に収めようと夢見てしまった。
そのために今日というお披露目の日、数十名の魔法使いを率いてメイジ大聖堂を襲撃し、アイビー達を打倒してスズランの身柄を奪う計画を立てていた。世界を救える唯一の希望を手中に収めれば絶対的支配者になれると考えたのである。
アイビー達が負ける可能性は低いし、スズランがそんな野望に自主的に協力することもありえない。だが両親やココノ村の人間を人質に取られたら従わざるを得なくなる可能性も考えられる。
だから潰してやった。万が一の未来に到らないように、その下らない野望を、あの男の命ごと。
キョウトにはこちらの意図が伝わるようメッセージを残してやった。まだ大それたことを考えているなら“災呈の魔女”が黙っていないと。望んで得た悪名ではないが、これが予想以上の効力を発揮した。次の王として選ばれたのはラベンダーの計画を知らず、全く関わってもいなかった男。祖先には偉大な王がいたらしいが、本人は野心も何も無く多少強い魔力以外、凡庸の一言に尽きる。それはクルクマにとって彼等の降伏を意味する回答だった。
ストレプトがキョウト王に選ばれるまでどんなことがあったのかも、おおよそ把握している。実につまらない話だ。ラベンダー派と敵対派閥の馬鹿共が馬鹿丸出しの権力闘争を繰り広げた結果、たまたま中立の彼の手に玉座が転がり込んで来たに過ぎない。
一応、勝者は反ラベンダー派。けれど下手なことをして災呈の魔女の標的にはなりたくない。だから適当な人材を王に祭り上げた。何かあっても痛手にならない人間を。つまりそれだけの話。
クルクマにも無害なストレプトを狩る理由は無い。もうキョウトは放っておいても良いだろう。
でも、標的はもう一人いた。
(ハナビシ……あの爺さんも、今回のことで懲りただろうさ)
オサカの商業組合理事長。あの男も夢を見てしまった。本来ならオサカの顔役は自分のはず。なのにオサカにはビーナスベリー工房の本社があり、その長であるアイビーの方がずっとそれらしく扱われてきた。
そのことに内心不満を抱いていたせいでラベンダーに付け込まれた。革命のための資金提供や式典会場への潜入の手引きを頼まれ、協力すると約束した。クルクマが虫を通じて話を聞いていることも知らずに。
だから殺したかったのだが、狙いが彼だと確定してしまった以上、身辺はアイビー達によって厳重に守られるだろう。突破する手立てはあるが、そこまで無理して殺さなければならない相手でもない。ラベンダーという後ろ盾を失った以上、今はただの小物。
そんな小物では自分を誘き出すのに不足だと思ったので、アイビーは偽の情報を流した。ハナズ王も実はラベンダーの協力者で、彼に代わって計画を実行しようとしているという噂を。
しかし彼女の目論見は失敗した。こちらも暗殺には失敗したが、結果的には殺す必要の無い二人を取り逃しただけ。成果のみを見れば互いに痛み分けということになる。
こちらが、スズランに正体を知られるという最悪の被害を被ったことを除けば。
胸が痛む。
あの時、自分を見上げていた彼女の表情。
信頼を裏切られたとわかった顔。
あんな顔、絶対にさせたくなかった。
(でも、覚悟はしていた)
アイビーはこちらの正体を知っている。彼女の立場を考えればいつかスズランに真実を打ち明けることは考えられた。こちらのかけた脅しなど、あの“森妃の魔女”にとっては大した問題じゃない。個で比べても実力の差は歴然としている。その上で相手には強大な組織力もある。今まで見逃されていたのは“呪い”との決戦時、ある程度戦力として期待できるから。それ以上の理由は無い。
だからスズランの傍を離れた。自分自身の未練を断ち切っておきたかったし、彼女にも嫌われておいた方が好都合だろうと思って。どうせ正体がバレて失望されてしまうならば、彼女の為にも親友という立場から外れておいた方が良い。
でも、それでもやはり、悲しくて仕方無い。
「……あーしは、クソッタレだ」
また、ポタポタと涙が零れ落ちる。
もっとハッキリ拒絶しておくべきだった。
ずっと早くに離れておくべきだった。
根本から考え方が甘すぎた。
(こんな殺人鬼が、あんな優しい子と一緒にいていいはず無かったんだ……)
なのに、まだ止められない。
友情を捨て、信頼を裏切ってでも、絶対になさねばならないことがある。聖域で知った真実が彼女に果たすべき使命を教えてくれた。
きっと自分は殺されるだろう。だから、これが“災呈の魔女”の最後の仕事。
「例の船は調達できた?」
クルクマの問いかけに頷くガーベイラ。
「ああ、君の資産の大半を処分する羽目になったが」
「構わないよ」
自分はなんとしても辿り着かねばならない。スズランと共に行くことが叶わなくなった以上、自力で。
あの北の大陸まで。
「魔王ナデシコ……」
恨みは無い。むしろ可哀想な人だと思う。
でも必ず殺す。この手で消し去る。
(やってみせるさ)
自分は、最低な魔女なのだから。