三章・神々の願い(3)
「じゃ、じゃあ、私達は実験動物ってことですか!? その戦争のための!!」
ナスベリさんが声を荒げました。たしかにその事実は衝撃的です。ロウバイ先生も無言ではありますが、表情には明らかな動揺が浮かんでいます。信心深い方ですから、短時間のうちに三柱教の教えを否定する事実が次々と明かされてしまい、本当は一番ショックを受けているのかもしれません。
ナスベリさんの怒りも、やはり収まりません。
「しかも、この世界を破壊しようとしている“呪い”の正体も神様の怨念だなんて、なんなんですかそれ!? だったら神様がどうにかしてくださいよ!!」
『すまないが、私達だけではどうにもならない。始原七柱そのものではないが、実質的に“崩壊の呪い”は彼等の力の一部だ。彼等に創られた存在である我々では、それを完全に消し去ることはできない』
そうでしたね、一年前にもそう言われました。
だから、この私が必要なのだと。
でしたら答えましょう、あの時と同じように。
「どうにかいたします」
「なっ……スズちゃん、何を言って……」
気色ばむナスベリさんに対し、私はキッパリ言い返します。
「ようは怨霊みたいなものでしょう? 私、こう見えて悪霊退治は得意ですよ? 始原の神々だかなんだか知りませんが、かかって来るならぶっ飛ばしてやるまでです!」
「そんな簡単な話じゃないよ!? わかるでしょ、いくらスズちゃんがウィンゲイトの神子だって言ったって、相手も同格の神様の一部で──」
「……いえ、簡単な話です」
ロウバイ先生も同意してくれました。
流石ですね、もう立ち直るなんて。
「ロウバイさんまで!?」
「落ち着いてナスベリさん。結局、この世界がなんであろうと、神々の思惑がどうであろうと私達にはそれしかないのです。臆さず立ち向かい、守る。違いますか?」
「そ、それは……」
ナスベリさんの視線が泳ぎました。初めて会った時の、あの自分を偽っていた頃の彼女を思い出します。
ならばと私も訊ねます。
「ビーナスベリー工房も、ココノ村も消えてしまいますよ?」
「……」
ずるい質問ですよね、わかっています。
でも、やめません。
「なのにナスベリさんは負けを認めるんですか。それでいいんですか?」
「いいわけねえだろ!!」
ゴーグルを外して床に叩き付ける彼女。
そして私に噛み付かんばかりに顔を近づけ、言い返します。
「でもなスズ、これじゃアタイら、まるっきり馬鹿みてえじゃねえかよ!? 神様の勝手に振り回されて、そのために命まで賭けて! うちの社員だって死んだんだ! 去年、あのオトギリに捕まって拷問されて!
社長だって今まで必死に頑張って来た。この世界を守るために、他の誰よりも努力して来たんだ。アタイはそれを知ってる。なのにそんな……この世界は戦争の為の実験場だの、勝手に絶望した神様が皆を巻き込んで自殺しようとしてるなんて言われてもよ……じゃあ、なんのためにアイツは死んで、なんのためにうちの社長は頑張ってたんだ……」
下唇を噛み、そこから血が滲むほどに悔しがって──でも、結局彼女は泣きそうな顔で笑うのです。
「そんな馬鹿みたいな話なのによ……やっぱ、そうだよな。それしかねえんだよな。やるしかねえんだ」
そう言って、力が抜けたようにへたり込む彼女。やけっぱちにも見えますけれど、覚悟は決められたようです。ちらりと見れば社長は優しい眼差しでそんな部下を見つめていました。たまに見せる母親のような表情。アカンサス様とシクラメン様も嬉しそう。
「いい後継者だね、アイビー」
「でしょう?」
「気に入った」
私も信じていましたよ、ナスベリさん。
けれど一つだけ間違っています。私は一年前、あの夢の中で自分が切った啖呵のことも思い出しました。
「ナスベリさんもロウバイ先生も勘違いしています」
「え?」
こちらを見上げた彼女の両目をまっすぐ覗き込み、腰に手を当て不敵に笑う私。
「それしか無いんじゃありません。選択肢なんて探せばきっとまだまだいっぱいあります。でも、やりたいからやるんです。村を、工房を、この世界全部を私達が守りたいから守るんです。
だって、その方が絶対に楽しいでしょう?」
嫌々やるより、自分の意志でやった方がやる気も出るってもんです。幸いにも私達には進んで戦いを選ぶ理由がたくさんありますもの。
この世界はそれだけ素敵なのです。
「でしょ、モモハル」
「うん」
ニヒッと笑ういつもの彼。アルトラインは私達の出した結論に満足して、あの天界だかなんだかわからない空間へ戻ったようです。
「はあ……また忙しくなるな」
ぼやきながら立ち上がるナスベリさん。ロウバイ先生は遠くを見つめていて、ここにはいない誰かに語りかけているような雰囲気。
私も天井を見上げます。その向こうの空の、さらに向こう側にいる誰かさん。よく聞きなさい。崩壊の呪いだろうと始原の神々ご本人だろうと構いません。
「あなた達の絶望になんか、負けてたまるもんですか」
「そうだな……勝とうぜ」
「ええ、必ず」
「がんばろうね」
「ふふ」
「気合、入ってる……」
「ほら、今回はいけそうでしょ?」
勝利を誓う私達を、三人の神子は静かに見守ってくれていました。
「スズラン、頼みたいことがあるの」
霊廟を出た後、早速アイビー社長がそう言ってきます。
「といっても今すぐの話じゃないわ。もう少ししたら貴女とモモハルをシブヤの大聖堂でお披露目する予定。その後で北の大陸まで同行して欲しい」
「北の大陸、ですか?」
「あの映像で見たでしょう、それが彼女の望みなの。ナデシコは、ずっと貴女が現れる時を待っていた。だから会わせてあげたいのよ」
たしかに“救世主が現れるまで北の大陸を閉ざしてくれ”と言っていましたね。あれはそういう意味でしたか。
「構える必要は無いわ。彼女自身は一度でいいから貴女の顔を見ておきたいだけだと思う。いまだに世界を魔素で満たしてしまったことを悔やんでいるのよ。彼女自身には何の咎も無いのに、竜の心臓が体内にあるというだけで責任を感じてしまっている。だから魔素の脅威を払拭してくれる貴女に会ってみたいんだわ」
あの映像で観た幼い日の彼女のように、明るい笑顔でそう語るアイビー社長。これまで秘密にするしかなかった魔王ナデシコとの関係。それを明かしたことで、ようやく友達の話ができる、それが楽しくてたまらない。そんな少女らしい一面が社長にもあったのだと驚かされます。
けれど、私はそこに違和感を覚えました。
社長にそういう一面があってもいいはずです。なのに、なんなんでしょう……この胸に引っかかる不可解な感じは。
「社長……?」
「楽しみだわ。とうとう貴女達を会わせてあげられる。もうしばらく時間はかかるだろうけれど、今から準備しておきなさい。北の大陸は物凄く寒いわよ」
私の呼びかけにも気付かず、はしゃぎ続ける彼女。
ますます違和感は強くなります。
「あの、ナスベリさん……社長の様子、なんだかおかしくありません?」
「ああ……さっきから変だな。いつもならこう、むしろ険しい顔で『これからが大変なんだから気を引き締めなさい』とか言いそうなもんなのに……」
「そうですね、アイビー様らしくありません」
ロウバイ先生も同意しました。
やっぱり何かおかしいですわ、もう一度──
「スズ」
「モモハル?」
何故だか袖を掴まれ、引き留められました。
それも、とても悲しそうな顔で。
「それはだめだって言ってる」
「えっ? アルトラインが?」
「ううん」
彼は首を横に振りました。
「スズのまわりのちょうちょが」
「蝶……?」
周りを見回してみましたが、そんなものどこにも見当たりません。でも、この子が何の根拠も無くこんなことを言うとも思えません。
けれど、どういうわけかを詳しく問い質そうとした時、アイビー社長が振り返って呼びかけて来ました。
「さて、せっかく来たんだし今日一日くらいは聖域でゆっくりしていきなさい。住民達に紹介してあげるから、その後は自由に見て回っていいわよ」
「あ、はい!」
呼ばれてしまったため慌てて社長を追いかける私達。
まあ、話は後からでも出来ますわ。どうせ、お言葉に甘えて今夜はここに泊まることになるのでしょうから。
──でも、結局はぐらかされたまま時間が経ち、シブヤでのお披露目の準備等で忙しくなってしまった私達は、違和の原因を探ることを忘れてしまいました。
失敗はいつだって後になってから気が付くもの。
ここが、最後の分かれ道だったのです。