1月27日(水曜日)ビーフシチューの味は?
水曜日の仕事を終えた俺は自宅に帰った。
だが、部屋に入る前にいつもと気配が違うことに気づく。
あれ? 電気を消し忘れたか?
いつもと違うことを不思議に思いながらも、俺は玄関のドアを開いた。
すると……、
「笹宮さん、お帰りなさい」
「……た……ただいま」
俺を出迎えてくれたのは楓坂だった。
彼女はニットにジーンズというフランクな姿で玄関まで来てくれる。
そして俺のカバンを持ってくれた。
「合鍵、使ってみたのだけどよかったかしら」
「ああ、使いたい時に使ってくれ」
合鍵を渡してから二週間近く経つが、こうして使ったのは初めてだった。
彼女なりに遠慮していたのだろう。
楓坂って意外とこういうところがあるんだよな。
さて、部屋に入ろう……と思ったら、楓坂が背を向けてチラチラとこちらの様子を伺い、何かを主張するように体を揺すっていた。
「……どうした?」
「ほら、前にやったアレ。後ろから抱きしめるのをやって欲しいんです」
「お……おう。そうか。でも前みたいに頭突きをするなよ」
「わ、わかってますよ」
以前も一度ドラマと同じシーンを再現しようと思ってやったことがあったが、失敗したんだよな。
よぉし、いくぞ……。
本当に頭突きだけはやめてくれよ……。
おそるおそる俺は彼女の後ろに立ち、優しく抱きしめた。
「た……ただいま」
「おかえりなさい。うふふ。やっぱりコレ、いいですね」
嬉しそうに微笑んだ楓坂はしばらくその体勢を堪能した後、キッチンへ行く。
「じゃあ、食事の準備をします」
自宅に帰ってくると誰かが待っていて、しかも料理を作ってくれているというのはいいものだ。
長年一人暮らしをしていたから、よけいこのありがたみがわかる。
だが食卓で待っていると、楓坂が申し訳なさそうな顔で料理を運んできた。
「あのぉ……、実は失敗しちゃいまして……」
「ちょっとくらいいいよ」
「……許容範囲はちょっと……ですよね?」
「……どんだけ失敗したんだ?」
楓坂が持ってきた料理はビーフシチューだ。
パッと見た感じはそうでもないのだが、スプーンですくってみるとサラサラになっている。
「なるほどな」
「ごめんなさい。少しでも美味しくしようと思ったら、変になっちゃって」
「いいって。一緒に食おう」
ぶっちゃけ、俺はそれほど味にうるさくない。
それよりも楽しく食事ができるかどうかの方が重要だ。
それに俺はビーフシチューの作り方をしらないから、サラサラになる原因すらわからないので文句を言う資格さえなかった。
だが、一口食べて意外なことに気づく。
「……あれ? なんか普通に美味いぞ」
「本当ですか?」
「ああ。いい具合だ」
確かにビーフシチューはサラサラだが、旨みもコクもある。何より肉がホロホロに柔らかくてうまい。
シチューの絡みが少ないのでパンチが少ないと言えばそうかもしれないが、その分肉の旨みが引き立っていた。
「でも最近は調子がよかったのに、失敗するなんてめずらしいな」
そう訊ねると、楓坂は視線を逸らしてモジモジとし始める。
「以前音水さんと話をした時に、笹宮さんにビーフシチューを作ったら美味しいと言ってくれたと聞いたので……」
「もしかして、音水に負けたくなくて……力が入り過ぎてしまったと?」
すぐには答えなかったが、楓坂は仕方がなくという様子でゆっくりと頷く。
だいぶ前になるが音水もビーフシチューを作ってくれたことがある。
確かに音水の作ってくれたビーフシチューはかなりのものだったが、だからと言って楓坂の料理がダメという事はない。
しかし、楓坂が音水に対抗心を燃やすとは意外な行動だ。
今までそんなことなかったのに。
「まぁ、料理は比べるものじゃないけど……、楓坂のビーフシチューは十分に美味いよ。次も楽しみだな」
「本当?」
「ウソをいう理由がないだろ」
機嫌を良くした楓坂はビーフシチューを一口食べた。
すると何かを思い出したように顔を上げる。
「そう言えば二月のはじめで大学は休みに入りますので、その後はバレンタインイベントの仕事に集中できますよ」
バレンタインイベントは俺が勤めるブロンズ企画社とザニー社の合同チームによって行われている。
そのチームには楓坂がヘルプという形で参加していた。
やはり大学の方が優先ではあるが、時間がある時はバレンタインイベントの仕事を手伝ってくれている。
「ありがとう。今回は準備も順調だし、スタッフも揃ってる。完璧な状態でスタートできそうだ」
「でもコミケの時にみたいなことが起きないかしら……」
コミケの時か……。
たしか張星とかいうザニー社の主任が乗り込んできたせいでブースが潰れそうになったんだよな。
そういえばアレは土曜日のこと。
楓坂はもしかすると週末の災いの影響ではと心配しているのかもしれない。
もちろんそんな都市伝説はでまかせだ。
模倣犯も捕まったのだから、もう心配する必要もない。
でも当人からすれば、理屈抜きで心配になってしまうのだろう。
「張星のことか。あんなのはイレギュラーだし、結果的にザニー社のブースは成功しただろ? 問題ないよ」
「そう……ですか……」
……おかしいな。
いくらなんでも気にしすぎじゃないか?
いや、俺の考えすぎか。
実際に被害にあったんだ。気にしても不思議じゃない。
俺は強引に笑顔を作って、明るく言う。
「楓坂は知らないかもだけど、俺はトラブルに強いってことでクライアントから信頼されてるんだぜ。なにかあったら俺がなんとかしてみせるよ」
俺の笑顔が不自然だったのか、楓坂は「ぷっ!」と笑った。
なんだよ……。笑うことないだろ。
これでもかなり頑張ってるんだぜ……。
だが楓坂の表情はいつものリラックスした表情に戻っていた。
「うふふ、そうですよね。どんなことでもなんとかしちゃうのが笹宮さんですものね」
「ああ、任せろ」
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