94 空を飛ぶなら、箒
「っち」
「ッ!!」
一瞬で悪魔の姿を包隠し、その光景に即座反応を見せたゼウスはその光景だけで全てを察したように表情を歪め舌打ちをした。
アンネも素早い反応で再び地面から飛び上がり霧に飛び込んだが、そこからは悔しげな声しか漏れてこない。
「油断しましたね・・」
アンネが手を振るった瞬間、風が弾けたように吹き、霧を散らした。
だが、そこには誰も、何もなかった。
「・・『妖精回廊』ね・・。・・まぁ今日の今日で準備した即席の罠にしては上出来だろうし。図らずも精霊殺しの宝花まで残せたのだから、寧ろ最上の結果でしょ・・」
「・・あぁ、そうだな。・・スチュアート、どうやらフィーの『星を謳う者』が思ったより広がったようで城内で幾人も意識を失ったらしいから、ここを出たらロバートがその収拾に走り回っているから手伝ってやってくれ」
「畏まりました。・・・なれば、彼も連れて行きましょう」
スチュアートは周囲を見渡し静かに頷くと、遠く視線を飛ばした。
その視線の先に目的の者が居るとは限らないが、その意味は暗にこの施設の外を指し示すもの。
『姫様ーーーーー!!!!!』
遠くから響く声。音は遠くともはっきりと聞き取れる声。
スチュアートが示すのはその声の事だろう。さっきから何度も耳を掠めてはいたが、敢えて気付かぬふりをしていた。
そんな状況ではなかったと言えばそうだが、それ以上に・・ティーファに通ずる暑苦しさを感じて、目を背けていた。
「・・魔術ではなく、直接声に魔力を込めるなどと・・無駄に器用なことを・・・」
「『一輪の花』のおかげで大体の場所は分かったのでしょうが、流石に入口までは特定出来なかったのでしょう。この場所は特殊ですから」
「・・いや、場所の特定だけでも有り得ないんだけどな・・」
「未だその多くは謎に満ちた古の契約術『一輪の花』。とは言っても、契約術は契約術。あらゆる探索や詮索、間諜さえも弾くのに、探索でも何でもない術がそこまでの効果はないだろうにね。・・なんだかフィリアちゃんの周り、皆の愛・・重くない?」
ごもっとも。
役目を終え、いつの間にかグレースの胸で天然のクッションに寛ぐルシアンを抱き抱えたグレースは呆れたような声を上げた。
「取り敢えず彼らも限界だろうし、そろそろ戻ろうか」
ゼウスの視線は周囲へと向いた。
そこには、ミミは元より反動で意識を失ってしまったが、それ以外の面々も荒い息で膝を着いてしまっていた。
せいぜいミリスとマリアだけがなんとか膝を折らずにいたが、それでも体調が優れているようには見えない。近衛であるはずのロクサーヌとローグなどフィリアの浮遊から解放されたミミさえ支えきれず不格好に地面に手を着いている。
「・・・?」
「・・ティーファは何故に平気なのだろうな・・・」
それでも平然と何もなくその場にキョトンとしているフィリアの親友筆頭。
最早、愛がどうだとか、そういう次元の話ではないとは思うが・・。それでもゼウスは言及する事を諦め、考えるのを辞めた。
「・・とにかく、フィーの周りが特に影響は大きかったはずだが、ルシアンの話では城内でも似た様な状態の者が多くいるらしいし、忙しくなるだろうな」
「アーク君は大丈夫かな・・」
「んーー。リリアが抑えてくれているだろうし、無理はしていないとは思うが・・・」
「・・リリアちゃんも、体調を崩してるし・・。すぐに戻りましょうか」
その号令に、それぞれが動き出した。
キースはローグとロクサーヌを手伝い、ミミを支え。
アンネは顔色の悪いミリスを支えようと駆け寄って声をかけ、ミリスもそれに微笑んで答えた。
マリアはゼウスの腕からフィリアを与ろうと寄り、暫し渋ったゼウスからスチュアートとグレースの協力を得て小さな主を奪取した。
「・・今回の事、この程度の策で良かったのですか?」
いつまでも恨めしそうにするゼウスに呆れた息を漏らし、話題を切り替えたようにスチュアートが小さく呟いた。
「あぁ。これ以上はあの子が・・、始末をつけるべきだからな」
「・・リーシャ様ですか」
「あぁ・・。それにレオンハートの中にあっても私は特に『家族』に甘いからな。これ以上の事は出来ないしな」
「貴方は、相変わらず『家族』の範囲が広過ぎるのですよ」
「・・かもな。・・でも今回の事は私だけじゃなく皆が同じだと思うぞ?・・私たち三兄弟の・・私にとっての、愛するもう二人の弟と妹の話だしな・・」
ゼウスの表情は澄んだものだが、そこに寂しさも滲んでいた。
スチュアートもまた、それを見て寂しげに微笑むと「そうですね・・」と小さく返すのみでそれ以上は問わない。
「ところでリーシャちゃんだけど」
そこにグレースが入り込むが、その声は二人の情緒を無視したもの。
「文字通り、飛んで行ったけど大丈夫かな?」
「「は?」」
二人同時にグレースに振り返ったが、ゼウスはすぐさま思い当たり天を仰いだ。スチュアートはハッと何かに思い至った様子でゼウスに鋭い視線を向けた。
「・・怒られるぅ・・・」
「・・ゼウス様?まさかあのふざけた魔導具を、また幼いあの方々に与えたのですか?先日もマーリン様からあんなにお叱りを受けたのに?懲りずに?」
反射的に懐から杖を抜いたスチュアート。そこには間違いなく殺意が滲んでいる。
ルシアンとグレースはそんな様子に呆れた息を溢し、ルシアンはグレースの首筋に顔を埋め、グレースはそんなルシアンを撫でて、不干渉を見せた。
そんなレオンハート伝統の主従コントの傍ら。
ゼウスから腕が変わったにも関わらず何の反応もフィリアは見せなかった。
重い瞼を必死に堪えていたし、その誘惑に身を預けたのかと思い、マリアが顔を覗き込んだが、フィリアの目は大きく開いていた。見開いていたと言ってもいい程に大きく。
「姫様?」
「・・・」
驚いたように目を見開くフィリアの視線は真っ直ぐに、黒い本の方へと向かい・・。
見つめ合うように、目が合っていた。
フィリアの意識はそこまでだった。
――――――――――
「リーシャ様ぁぁぁぁぁ!!!」
「タヌス!!騒がしいですよ!!耳元で叫ばないで!!」
阿鼻叫喚。
リーシャの側近侍女であるタヌス。フィリアにとってのマリア。
故にリーシャの凶行には免疫力が高い。というか彼女以上に耐性のある人間はいない。
筈なのだが・・。そんな事関係なく無下にするのがレオンハートのお家芸。
そして、最近の筆頭はフィリアですら大きく引き離す、レオンハート大公家長女。
リーシャ・ウル・レオンハート。
社交界において『麗しの氷華』と称される。誉れ高き貴婦人の鏡。
だが、ひとたび戦場に出れば違う名で呼ばれる。
『天変地異の女王』
その通り名だけで、その理不尽さがよく伝わってくる・・。
つまりはこの時のタヌスの叫びも、その原因は主にあり、リーシャの叱責も理不尽この上ない事である。
なにせ彼女たちは空を飛んでいる。
超豪速で、フィリアの前世の基準で言えばマッハ何、くらいの速度で。
その上、彼女たちが乗るのはジェット機とかではなく、箒・・。
魔術で風圧が抑えられているとは言え生身。
当然、安全性など皆無。
不安定だからどうとかという以前の話。
純粋に命的な意味での恐怖しかない。
タヌスの叫びは至極当然の事。
「キャー!!すごいですよコレ!!」
だが、そんなタヌスの絶望に反して、そこに響く楽しげな歓声。
「メアリィ、そんなにはしゃいでは危ないよ。メアリィに何かあればフィーに怒られるのは私らなんだからね」
「・・すいません、フリードさま。・・自重いたします」
フィリアの関係者として最も大事な思考――『自重』。
そんな将来有望過ぎるどころか、フィリアの良心に成ってくれそうな希望の星メアリィ。
リーシャとタヌス。フリードとメアリィ。
それぞれが、箒に二人乗りをして飛行していた。
文字通り飛ぶような速さにタヌスは慣れずリーシャの腰にしがみつき必死に耐えるのに対して、フリード・メアリィ組は縦横無尽のアクロバット飛行を披露している。
それも、前に座るのはメアリィ。つまりは舵を取っているのは四歳の幼女。
正直、自重などと口にしてもフィリアの系譜を強く感じてしまう。
タヌスはそんな二人の飛行を見て上がってきた胃酸を必死に堪えていた。
「・・うぷっ・・・」
「・・タヌス。・・大丈夫?」
「あ゛い・・」
とても大丈夫ではなさそうな返事が返ってきたが、リーシャは敢えて気づかぬふりをした。
「・・なんで、箒なのですか・・。もっと安全で安定感のある物は沢山あったでしょうに・・」
もっともである。
しかし、その元凶は想像に難くない・・。
「え?だって空を飛ぶなら箒が一番だってフィーが言うんだもの」
ほら。
「元々フィーの魔法を原型として再現を目指した叔父様の魔導具だもの。本来なら魔術での再現を目指していたのだけど色々と問題点が多くて、フィーに相談した結果、取り敢えず魔導具に落ち着いたのだけど、その時『空を飛ぶなら箒』だって自信満々に言っていたの。もう・・可愛かったわぁ。・・・それに・・あの泥棒魔女も、大鎌で空を飛ぶし、箒なら違和感もないわ」
タヌスが言いたいのはそういう事ではないだろう・・。
飛空艇だってある世界だ。もっと安定感のある乗り物にすることだって出来ただろう、という事なのだが、この家の者にはそんな理よりもフィリアの思い付きの方が重視される事が当たり前だった。それ故にそれ以上の『何故』など意味を成さなかった。
「・・フィリア様は、クッションじゃないですか・・」
もっともだ。間違いない。
発案者本人が箒の『ほ』の字もない。
「『え?だってクッションのほうが楽じゃないですか』だって」
「・・・・・」
わかる。わかります。
タヌスの感じているその感情は実に正しいものだと保証します。
そして、それをシレっと、さも当然のように語る君の主も大概思考がおかしいのも痛み入る。
何かを諦めたようなその空虚な視線は、レオンハートの側近である証でさえあるのだろう。
「フリードさま!!」
「あぁ・・急ごう」
その時もう一つの空飛ぶ箒から声が上がった。
メアリィとフリード。二人は真剣な瞳で進行方向を見つめた。
リーシャも二人と同じ物を視界に捕らえた。
「叔母様・・」
四人が向かう先。その空に黒雲が急激な発達を始め、黒く塗りつぶしている。
音もなく雷光のみが雲の中を走るのが余計に不穏さを増幅させる。
「タヌス。覚えておいて。臣下の責は、主人の・・。つまりは、私の責だと」
「・・リーシャさ――――」
「姉様!!飛ばすよ!!」
タヌスの言葉より先にフリードの声のほうが響き、その言葉は紡がれなかった。
「・・えぇ、行くわよ!!」
二本の箒は空気を弾かせて一瞬で加速した。
向かうは不穏な黒雲の渦巻く、その中心へ。




