93 結晶の花束
その場の注目を一身に集めるフィリア。
キースの身に宿った精霊・・悪魔は当然の事だが、それ以外の者たちも目を見開いてフィリアを見つめていた。
その中、普段通りに振舞っているように見えるのはゼウスだけ。
だが、その腕に抱かれたフィリアには僅かな腕の強張りが伝わってくる。
その様子は、あまりに予想外で規格外のフィリアの魔力だけが理由ではないが明らかだ。
「ヒメ!!」
唯一何の驚きも見せなかった幼女ティーファ。
彼女がその場の誰よりも早く動いていた。
ティーファがフィリアに声をかけた瞬間。
もう既にティーファはキースの背に手を当てていた。
そして声をかけると同時に、淡い光の陽炎を腕からキースに向けて放つように送り込んだ。
「『あがッ!?』」
添えただけの小さな手から起きた衝撃。
キースの肺から息と声が溢れた。
すると、キースの姿がブレた。
正確には、憑依が解け、悪魔の存在がキースの体から弾き出された。
「ヒメ!!ダメですよ!!キースさまがケガしちゃいますよ!!」
「かはっ、けほっけほっ・・。いや、君の魔力波も大概ですけどね・・」
「え!?ごめんなさい!!アンネせんせいから、まだこういうときの魔術おそわってなかったから・・」
「・・教え子ながら、規格外が過ぎます・・・。なんだか姫様の影響をものすごく感じますよ・・」
フィリアへの驚きを霧散させた面々とは別に、空中に投げ出された影。
キース同様に苦しそうに咳き込んではいたが、あくまでそれはそう見えただけ。
その影。悪魔は目元以外をドレープ生地で覆い隠していて、細めた眼以外の表情を伺い知ることは出来なかった。
柔らかく広がったドレープは悪魔の身体全体をも覆い、裾も擦り切れたように薄く空気に溶け、一見亡霊か何かのようにさえ見える。
しかし咳き込んだ後に鋭く座った眼光だけは、決して虚ろではなく、下手な人間よりも生や欲に満ちていた。
そして、悪魔がなんだろうが関係ない。
そう言わんばかりに、その影に宝剣が一勢に襲いかかった。
悪魔は慌ててそれを躱すがその量が尋常じゃない。
必死に躱し、捌き、全く余裕がない。
精霊が呼吸をするのかは分からないが、息つく暇もない。
『くっ!』
「てぃー。ありがとう。・・きーす。ごめんなさい・・。れいせいさをかいて、きずつけてしまいました・・」
悪魔の思わず漏らした声は誰にも届かない。
自身を追い詰めんとする小さな幼女でさえ、意識にも留めない。
「いえ。姫様。こちらこそ申し訳ございません、不甲斐ないばかりにお手を煩わせてしまいまして・・。私の方は少し引っ掛けた程度の傷にございます。何も問題ございません」
ジキルド程の操作や速度ではないが、その練度はこれまでの比ではなかった。
宝剣を自在に、舞うように、操り。視界に留める事はおろか、残像を追う事さえ難しい程の速さ。
確かな修練の成果が出ていた。
それも本人は会話に意識を向け、一見片手間に行使出来るほどに練度が上がっている。
熾烈なまでに猛襲する宝剣の群れ。
それを紙一重で躱し続け、必至な様子も取り繕えない悪魔。
内心の焦りが表に出るのも仕方ない。
傍目にも嵐のような鋭い襲撃を繰り返す数多の宝剣。
それを躱し続けているのさえ息を呑むような光景だし、それだけで悪魔自身の異常なまでの戦闘能力も垣間見る事ができる。
・・だが、それはあくまで、普通の物差しでの話。
悪魔。つまりは精霊たるその存在としてはあまりに矮小なまでの実力。
いや、正確にはそれしか出せない。
本来の力を発揮する事が出来ない。
故に、苦虫を噛み締めたかのように呻き、目を諌めていた。
『どういうッ、何故ッ!ッ!?』
「・・何を驚いているのですか?」
そしてそんな機会を逃す訳もない。
自愛の微笑みを向けるアンネ。
今さっきまで教え子の異常さに頭を抱えて項垂れていた彼女は、まるで瞬間移動でもしたかのように、急に目の前に現れた。
息を呑んだ。
そこからの様子は異様にスローモーションだった。
目の前に現れたアンネはその時点で、深く腰を落としたように構えを整えていて、そこからしなる様に身体を伸ばし間合いに入った。
その動きの最中、絶えず強襲を続けていた宝剣の一つ。翡翠の細剣の柄を握ると、慣性そのままに、速度も勢いも殺さず、されど軌跡を少々変え、下から斜めに切り上げるよう剣閃を導いた。
主人の意向に従いゆるふわな軍服も、柔らかくうねる髪も、重力を思い出す前に次の動きに翻弄され。
華美に飾られた勲章や褒章、装飾。それらが鳴らす音さえ届かないほどの刹那の出来事。
翡翠の細剣は振り切ると同時に弾かれたように砕けたが、鋭い一閃は確かに残した。
そして――
『ッが!?』
剣閃の傷から、吹き出すように宝結晶が鋒起し、翡翠の宝花が咲いた。
「・・肆ノ葉。そもそもレオンハートにちょっかいをかけられる者など限られる程しかいない。況してやこの、魔導王の居城で拐かしの術を使える者などレオンハート以上の魔導師か精霊ぐらいしかありえない。・・その上、フィリアを狙う中に『ミル』の影がちらつけば、悪魔の存在があるのは容易にわかる。そうなれば、後は対策するだけ。・・精霊を滅する事は簡単じゃないが、妨害と拘束くらいならなんとかなる。面倒な術式だし、常時の発動は難しいが、一時的、それも時と場所がわかっているのであれば、そう難しくない」
そのためのキースによる囮りと誘導。
当然、フィリアが知っていれば全力で反対しただろうから、簡単な説明のみで、詳しくは知らせていない。
それでも、これ以上ないほどに理想的な状況を作ってくれた。
「・・まぁ、と言っても、フィーの『精霊殺し』までは予想外だったけどね・・」
そう言ってゼウスは腕の中に視線をやったが、返って来たのはキョトンとした表情・・。それも瞼が重そうで、思考も鈍っていそうな表情。
そんな半分寝ているような様子のフィリアなのだが、魔力だけはフィリアの感情を雄弁に語り、重々しく蠢くように吹き出している。
その魔力は徐々に可視化され、羽化したかのように透明に透き通ってはいるが、再び翼を形成しつつあった。
そんなフィリアの分かりやすい憤りに、流石のゼウスも苦笑を零した。
「本当ですよ・・。宝剣だけでも驚いたのに、精霊殺しの宝花まで咲くなんて・・流石に私も思っていませんでしたよ・・」
悪魔に向けたゼウスの呟きだったが、それを拾ったのはアンネだった。
明らかにボヤくような声色で。
「・・それも――」
『あ゛ぁ・・』
悪魔の呻き。それを感情なく見やるアンネ。
そこには翡翠の宝花に比べれば僅かだが、体中から色彩様々な宝花が吹き出し、咲いていた。
「――瑠璃、白亜、紅玉・・色取り取りの宝花。翡翠以外の宝花なんて初めて見ましたよ・・」
「・・私も世界中を見て回ってきましたけど、こんな色彩豊かな宝花なんて初めて見たわ」
「そりゃそうだろう・・。宝花の精霊殺しなんて私でも『あいつ』以外、片手で数える程にしか術者をしらないからな」
世界中を飛び回って来た二人・・グレースは本意ではない旅だったろうが・・。
そんな二人でさえ珍しいと断ずる魔術。
フィリアの規格外が留まる事を知らない・・。
だが、それ以上にその場の者たちには、何か別の感情を抱いているように見えた。
『・・全く・・。君はいつも心配かけるんだから・・。少しくらい自重してくれないかな』
甲高い鈴のような音が聞こえた気がしたと同時に、フィリアは肩に柔らかな重さを感じた。
「・・りあ?」
『・・もう瞼を開けるのもやっとじゃないか・・。急に魔力が大きく動いたから何事かと思って、慌てて来てみれば・・半分以上魔力が失くなってるし。・・相変わらず無茶ばかりするんだから』
「・・ん。ごめんなさい」
「フィーア。わざわざ来てくれたのかい?ありがとう」
急に幻の如く現れた黒猫。
ゼウスはその姿に柔らかく微笑んで労い、主人であるフィリアはその存在に安心感を滲ませ、一層に瞼の重さが増した。
リアは撫でるような鳴き声を上げると、優しく甘えるようにフィリアへ顔を寄せ、擦りつけた。
すると、羽化しようとしていた翼は蜃気楼のようにすーっと消え、更には縦横無尽に飛び交う宝剣も粒子となって空気に溶けていった。
「なー」
その時、今度はゼウスの肩にも重さが乗った。
そこには青みがかった灰色の猫。
「ルシアン、仕事は終わったのかい?・・ありがとう、ご苦労様。・・・ん?・・あぁ、そうかぁ・・。・・うん、それはフィーの『星を謳う者』だねぇ・・。うん、そう・・フィーアが感じたのはそれ・・・うん、フィーアは正しいよ。・・・・はは、それは苦労をかけたね。ありがとう」
成人男性が猫と話す不思議な光景。
少し言葉を交わし、報告が全て済んだ様子のルシアンは、リアとフィリアを優しく見つめると直ぐに視線を上げた。
その視線の先には、宝剣による強襲こそ無くなりはしたが、苦しみに満ちた呻きを漏らし続ける悪魔がいた。
「ルシアン。頼めるかい?」
ゼウスの言葉に小さく頷いたルシアンは悪魔に向かい空中を飛び跳ねていった。
そして苦痛を漏らし続ける悪魔をオッドアイの瞳が見据えた。すると三つ編みの尻尾が解け弛り揺れる。
瞬間、身悶えし続ける悪魔の身体が金縛りにでもあったように急に動きを止めた。
更には、効果を分かりやすく視認させるかのように、悪魔の身体に沿うように乳白色の羽衣のようなものが悪魔の身体に巻きついていく。
『ぐッ・・月猫ッ・・』
「即席の封印だが、しばらく眠っていてもらおうか。何。この程度なら数年もすれば目覚めるさ。・・・ま、今度会うときは万全で滅してやるからそれまで安らかにな」
「ゼウス。その前に精霊殺しの効果で、滅されてしまわない?」
「確かに・・。まぁそん時はそういう運命だったんだろうな。狙った末の返り討ちだし、自業自得だから、ある意味じゃ本望だろうよ」
哀れむような会話だが、二人の目にはそんな感情はない。
あくまで形式的な嘲笑でしかない。
『舐めるなッ!!それなら・・いっそこの場所ごとッ!?――ぐッ!?』
初めて素直な感情を顕にした悪魔だったが直ぐに言葉に詰まった。
「・・馬鹿な奴だ。この場の守護精霊はトートだぞ?大精霊たる彼はお前なんぞより遥かに格上だろうに、そんな相手を怒らすなよ?」
明らかに増した膨大な魔力の圧。
それは鈍感であっても見ることが出来なくとも、誰でも感じてしまう程の圧。
「トートは、レオンハートと契約した精霊ではないし、我々が目の前で危機に晒されようと興味は無かろうが、この施設は別だ。ここはトートの縄張りであり住処。唯一執着するものだ。そこをどうこうしようなど・・大精霊を相手取るなら他所でやってほしいね」
『この・・化物共が・・ッ』
忌々しげに睨む視線の先には当然ながらフィリアが含まれ、その鋭さは一層強まった。
「まぁ取り敢えずは潔く――」
その時急に光の霧が悪魔の元に現れ包み込んだ。
一瞬の霧は悪魔を覆い隠し、その存在を消した。




