89 拐かされた侍女
「まず、ここに来た理由だが、ここは、通称『心臓』とも呼ばれる特別秘匿施設で、ここでの情報は外部にもれないからだ」
「それは、ききました。それよりも、わたくしが、みえないりゆうをおしえてください」
「・・そして、これから行うのは『星を謳う者』、その『隠匿の雌馬』。つまりは『妖精の恋人』だ」
「わたくし、うまれたときから、まりょくしはつかえたんですよ。なのに・・」
「・・『妖精の恋人』は前にも使った事があるし、何なら大勢の観客の前で使ったのに、何故今更秘匿するのかと思うだろうが、今回は前回とは少し違う」
「いえね、くやしいとかじゃないんですよ?ほんとうですよ?・・てぃーは、としうえですし。いままでが、たまたま、わたくしのほうが、はやくつかえてたものがおおかっただけで」
「・・今回は結界魔術の『天蓋』を使ってもらう。あれは、フィーのお祖父様の術ではあるが、『星を謳う者』を使う上でその相性は最高だ。術の質を何倍にも高めてくれる。しかしだからこそ、フィーの記憶を観測した『妖精の恋人』が、その効果をどの程度発揮するかわからない」
「まぁ。さいきんは、てぃーも、あんねのしどうで、いっぱいまじゅつをつかえるように、なりましたし。・・わたくしが、なんかいもれんしゅうしたものも、さらっとできちゃいますけど」
・・全く会話が噛み合っていませんよ、ゼウスさん。
というか、フィリアよ。悔しかったんだね。・・でも話聞こ?
普段、なんかやっちゃいました?と言った、無自覚系主人公だと思ったら、一応の自覚や驕りはあったようだ。
そして、そうならば、話が変わってくる。
これまで自重をしていなかったのは、意図的であった疑惑が浮上する。
事故ではなく故意・・。いやぁ、実刑です。
「・・その為、人に見られないようにと、何よりその威力の未知数を考慮してこの場にしたんだ。・・まだフィーは『天蓋』を使った事がないだろうし、少し難しいだろうから、発動自体は私が――」
『天蓋』
「・・え?」
「でも、でもですよ?いちおう、わたくしも、れおんはーとなわけで・・それなりに、おもうとこだってないわけじゃないのですよ」
いとも容易く。何なら片手間に発動しましたが・・。
会話、といえない会話の合間に、軽く指を振るうだけでフィリアは術を発動した。
杖すら使わず、魔力の集中すらなく、息をするように容易く。
本来なら鳴らすはずだった指は、小さくふっくらとした手では果たせず、小さく指を振るっただけになったが、それでも問題はなかった。
本人の羞恥心以外は何も。
指を起点として、そこから溢れるように宵色のレースカーテンが靡くように広がっていき、瞬く間にその場を包み込み、神秘的なベールの天蓋を作り上げた。
前にジキルドの見せた、昼を夜に変えるような天蓋とは異なり、薄い天幕に覆われたような結界。
普段使う演習場よりも小さいとは言え、コンサートさえ開けるほどの広い空間。
そんな場所いっぱいに広がる夜空のテント。
術を発動した本人は、意にも留めていないが、本人以外は開いた口が塞がらない。
唖然と視線を巡らす面々。その中でも特にゼウス陣営の者たちの衝撃は大きい。
といっても、何か特別な理由がある訳じゃない。単にフィリアの傍にいるものたちは、こういったフィリアの唐突な非常識に慣れているだけ。
「・・お噂は、伺っておりましたが、まさかこれほどとは・・」
「・・なんだか、ゼウスの理不尽さを思い出したわ」
スチュアートとグレースの漏れ出たような呟きに、同情の視線と深い頷きを送る面々。
「ふぁー。すごいです!ヒメ!」
そんな中、唯一人。
ストーカー予備軍のティーファだけは素直な賞賛の目を向け、自身も指を擦り合わせながら、フィリアの詠唱を真似ている。
それも悲しいかな。音こそ鳴らないもののティーファの方が、指鳴らしの形が出来ている。せいぜいまだ発音が拙く、かろうじてフィリアの面目が守られたくらい。
当たり前だが発動はしない。そんな簡単な魔術ではないのだ。
しかしこの親友。類稀なる才能が頭角を表し始めたばかり。
ましてや、初めてなのに、なれた仕草で術を発動した幼女を目にしたばかり。
その為、師であるアンネは背に隠れていたティーファの手にそっと手を重ね、静かに諌めた。
ティーファはそんなアンネにポカンとした顔を向けたが、アンネは無言で首を振るのみ。当然ながら、幼いティーファにはそれだけでは疑問には答えられない。
だが、それでも、何となく空気を読んだティーファは、魔術の練習を辞めた。
フィリアに足りないのはきっとそういう所だ。
しかし、今、重要なのはそこではない。
驚きもそこそこに眉根を寄せるミミは、主人一家に向けるには不遜な目を向けた。
「ゼウス様・・。『妖精の恋人』とはどういうことですか?」
その疑問も当然だった。
フィリアがナンシーに向け放った呪文。その効果はもちろん。その光景も目の前で見ていたのだ。
ミミの疑心は、周りも少なからず同様だった。
「・・姫様に言われ、一応頷きはしましたが、私もまだ、信じきれてはいません」
マリアも同様に訝しむ表情。
「ですが・・。今のミミが真実とも思えないのも確かです。・・姫様の言葉を疑うようで至らなくはあるのですが・・」
『妖精の恋人』。幻惑の『星』。
つまりは、何らしかの形でミミは、惑わされているという事。
術本来の特性は、対象を惑わす精神干渉の術だが、直近でナンシーの事があれば、その目的は逆であると誰でも考える。
そして、なればこそ、マリアもミミも信じれなくて当然だった。
「私は、レオンハート大公家の使用人。それも、姫様側近の侍女ですよ?・・いくらなんでも失礼ではありませんか」
ミミのその言動こそが、その証拠ではある。
主たちへ向ける言葉ではない。
だが、その理由もわかる。
レオンハート大公家は魔術の最。一国に収まらぬ要人だ。
当然その身を狙う者だって多い。だが、それでも本丸に直接手をかける者は少ない。
多くはその身辺、周りの者にこそ、危険がある。
だからこそ、中でも特に近しい、レオンハート大公家の家人たちは、自衛の心得がある。
ましてや、側近とも呼ばれる者たちの防衛力など、並であろうわけがない。
その中でも、精神干渉に対する耐性は特に絶対のもの。
信頼する者を害されるより、利用された方が、その被害は大きく確実になる。
最悪の場合。主人を傀儡とされてしまう事さえありえる。
大きな力を持つレオンハート大公家だ。その恐ろしさは想像すらしたくない。
『我々、侍女は主人の最も傍に侍る存在ですので、利用される危険性が最も高いため、精神干渉系統に絶対耐性を持つのが必須条項です』
先日、マリアが言っていた通り、彼女たちにとって、当たり前で、ありえない事。
そして――
『ましてや、レオンハートに仕える侍女ですよ?魔力干渉で遅れを取るようでは名折れですよぉ』
誇りでもあった。
だからこそ、受け入れ難くもあるのだろう。
不遜な物言いのミミだが、心情としてはマリアもまた似たようなものだった。
それでも、全く違う二人の態度から、ミミの状態に確証を持たせてしまう。
駄メイド、駄メイドと揶揄しても、ミミはフィリアの乳母役に推薦され、引き続いての専属侍女を任せられる存在。
言うても上級侍女。そのスキルや所作は一級品。そしてその、心も。
そして、それは誰よりもマリアが知っている。
故に今のミミの姿は、見るに堪えないほどに心苦しいものがあるのだろう。
だから、信じ難くとも、否定できないのだ。
「みみ・・。あなたは、わたくしの、『魅了』にかかりましたよね」
「え・・」
先程までの、愚痴愚痴とした態度はなかったように、真っ直ぐ威厳をもってミミに向き合うフィリア。
皆が呆れた目を向けたいところではあったが、そこは場の空気を読み誰もが無かったように繕う。
唯、ティーファだけが、凛とした姿への切り替えの見事さに小さく拍手していた。
輝く目と漏れ出た感動の声に悪気は全くない。
だが、そこは、見ないふりをして欲しい所だ。
それはともかくとして、フィリアがミミに示したのは、フィリアがマリアたちに『魅了』を使い、叱られたあの日のことだ。
フィリアの『魅了』は、マリアに何の効果もなく、その際にそういった精神干渉系の術が効かないことを教えられた。
それは、マリア個人の能力ではなく、この家に務める、引いては侍女や執事など、特に主人の傍に侍るものたちの、必須能力。
それを告げるマリアは、言葉通り何の変化もなかった。強いて言えば、そんな術を習得し、あまつさえ自身のために悪用しようとしたフィリアに対しての叱りが普段より厳しかったくらい。
だが、それは至極当然の事であり、寧ろ、術者を嗜める魅了などあるわけがない。
だからこそ、それは真実であるこれ以上ない証明だった。
しかし、そんな中、ミミだけはフィリアに惚けていた。
普段からアレな為、あまりにも自然に受け入れていたが、どうやら効果が出ていたらしい。
それならば普段は何?とも思うが、フィリアには違いがわかるのだろう・・。お人形のプロが言うのだから間違いない。
マリアも、もしかしたら薄々感じてはいたのかもしれないが、そこは慢心とまでは言わないものの、自分たちの誇りを過信した思考ではあったのかもしれない。
「あ、あれは・・姫さまがあまりに愛らしく・・。それに、姫さまの事は、いつも愛らしく思っておりますし、別段普段と変わった事はなかったと思います」
力強いミミの返答。何一つ恥じることはないという、清々しいまでの自信。
少々重めの愛情。
「でも、いきがあらくなって、しょうしょうねつっぽかったですよ?」
「・・・」
「ミミ・・」
周りの視線が刺さる。どんなに視線を逸らしても逃げ場はない。
その上、今自身で、普段と変わらないと公言してしまった。
ティーファより完成された危険がすぐ傍にあったようだ。




