85 ティアラ Ⅵ
「リーーーーーシャーーーーーーー!!!!!!!!!」
石牢の天井。
ガラガラと震えるようにして崩れ落ちた。
隙間から零れ漏れた光は、瓦礫と共に広がっていく。
真っ白な雲に覆われた空だったが、薄暗い中にいたティアラにはそんな曇り空ですら、目に痛いほど眩く、瞼を僅かにしか開けない。
「ティーーアーーーラーーー!!!!!!」
そして、空からは耳元で叫ばれているような大音量で声が響いてくる。
その声の先。
見上げた空には、一人の男が必死に騒いでいた。
「あれ、私の、幼馴染、の、お兄さん、です」
苦笑のようなティアラだが、その表情に安堵がわかりやすく浮かんでいる。
それに反して、ミルの表情からは笑顔が消え、明確な殺意の眼光を空に向けた。
「ゼウス・レオンハート・・」
幼馴染などと軽い調子で言うには随分と大物だが、それは事実。
ミルは扇子を広げ、思わず歪んだ表情を隠した。
半分以上隠されたはずなのに、その表情は透けて見えるようだ。
歪み、禍々しい程の、笑み。
愉しげで、嗜虐的な笑み。
ティアラが思わず息を呑むのも仕方ない。
何しろ、それは間違いなく悪意や殺意であるのに、あまりに純粋で、鋭利。
故に、恐怖すらあまりに自然と溢れ漏れるのだから、そんなの先程までの得体の知れなさから来る恐怖とは比べようもなく、その身を支配する。
「リっ!?」
ゼウスが声を上げ続けていたが、瞬間ゼウスの姿が消えた。
断末魔のような短い悲鳴も聞こえた気がするが、それすら気のせいかどうかわからない程に刹那の瞬間で姿が消えた。
「あがッ!?がぁばッ!?がぼッ!?がぼッ!?」
・・否。
目に止まらぬ速さで海に沈んでいた。
そして、もがき苦しんでいた。わかりやすくは、溺れていた。
その頭上に、ひと振りの大鎌が空中を滑るようにして到着した。
黒衣にとんがり帽子の魔女を乗せて。
「ねぇ?馬鹿なの?死にたいの?それなら先に言っといてくれる?私が直々に殺してあげるから。私の未来の姪っ子に何かあったらどうするの?・・ねぇ?返事は?ねぇ?」
ゼウスは海中でもがいている。返事は愚か、息すら出来ないだろう。
必死に手を伸ばし足を動かすが決して浮上はしない。水面から覗けるほどに海面近くなのにそこから進みはしない。
「そもそも、要塞の様子が見たいっていうから、魔法で浮かしてあげたのに・・。何考えてんの?様子見どころか、半壊してるんですけど?あちらさんがわざわざ強固な防衛術式を布いててくれたからよかったものの・・・。いや、てか、あのレベルの防衛術式でさえ紙のように貫く程の魔術を初発でブチ込むとか・・やっぱ、馬鹿よね」
呆れた息を吐き、大鎌に乗った魔女――グレースが望む先。
そこには黒煙が立ち上がり、文字通り半壊。小島そのものが要塞のようになっていたはずなのに、抉りとったように要塞の半分が消し飛んでいる。
あまりに一瞬の事だったのだろう。要塞の石材たちは、ようやく気付いたかのように、遅れ遅れ崩壊しているが、その波が止む様子はない。
「そりゃぁ。ティアラさんのおかげで大体の居場所も掴めたし、ここまでも直行最速で来ることができたけど・・。ご丁寧に阻害と隠蔽の高度術式がかけられているせいで、これ以上は特定も難しいでしょうに、よく迷いもなくブッ放したわね」
飛沫はおろか、あぶくさえ、無くなってきた水面に呆れたような溜息を零すと、軽くを指を上に向けた。
その瞬間飛び上がるように海面を突き破り、空に打ち上がるゼウス。
だが、その四肢には力が全く入っておらず、だらりと慣性にしたがっている。
グレースの魔法によって浮くその姿は、意識がないのも相まって、見えない糸にぶら下がる人形のようだ。
「ほらっ!貴方達も直ぐに動いてください!!コレはこんなんでもレオンハートですから、恐らく二人は無事でしょう。ですが、捕らえられている者が彼女たちだけとは限りません。奇襲故に一般人も巻き込まれたかもしれません。この馬鹿のせいで何かあっては問題です。直ぐに対処してください」
「イエス!マム!!」
「二人の救助に関しては・・。あの魔導艦隊に任せれば大丈夫でしょうから、全力の援護を!!」
「イエス!マム!!」
大気が破裂するような勢いの良い返答と、一糸乱れない敬礼。
そして、彼らはいっせいに飛び去っていく。
軍服に、濃紫のローブ。
そんな彼らが騎乗するのは、蒼い尾羽以外真っ白で、馬よりも大きな鳥。
「・・おい。なんで、白鴎魔導師団がいるんだ・・」
「・・・いえ、見てください天馬もおります。あれは・・王国近衛専用の天馬ですね」
「いやいや!なんで陛下直近の近衛と公安の魔導師団がいるんだよ!?」
「・・そ、そりゃぁ、陛下の、姪御さん誘拐、だから?」
「絶対違う!!ラルフ!お前だってわかっているだろう!?現実から目を背けるな!!アレはおにぃだよな!?あの土左衛門は確実におにぃだよな!!」
「嫌ですねぇ・・土左衛門なんて、言葉が乱暴ですよ?」
「そこじゃない!!今、話すべきはそこじゃないだろう!!目を逸らすな!!しっかりその目で見ろ!!」
大型戦艦十隻以上の大艦隊。
先のことで霞んでしまっているが、大戦にさえ赴ける程の過剰戦力を惜しみなく示す最新鋭の魔導艦隊の群れ。
その中でも特に巨大な戦艦の艦首にてアークはラルフの首襟を掴み激しく揺すっていた。
それをニコライを中心に何人もの海兵が引き離そうと苦心している。
「おにぃの到着は早くとも明日以降だったろう!!それもスズーラ本土に!!なのに!なんでここにいんだよ!!」
「閣下!!その辺で!!長官の顔が青ざめてきてますから!!」
「閣下・・。何故。なんで。・・そんなの『ゼウス様だから』。それ以上の理由など・・フッ」
「ラルフ様も!現実逃避の思考放棄など辞めてください!!そのせいで漏れた軽口が閣下に油を注いでおりますから!!」
ラルフの肩書きは権謀長官。
なればこそ情報がこれほど意味をなせない事態は無力感以外感じない。
ようやくアークの手が離れ、ニコライたちは安堵したが、その瞬間アークは膝から崩れ落ちた。
「しかも・・、あの馬鹿兄貴・・。小手調べに、『超級魔術』使いやがった。戦術級だぞ?あの人、人質がどうとかわかってんの?砦、半分消えてんだけど・・。馬鹿なの?死にたいの?」
「・・閣下。・・で、でも、ゼウス様もレオンハートですし、ティアラたちの事は心配ないと思いますよ?」
「そうじゃない・・そうじゃないんだよ・・・。無事なら何やってもいいわけじゃないんだよ。・・あぁ、グレースさんにもっとお灸を据えられればいいんだ。大公権限で全面許可だそう。そうしよう」
乾いた笑い声を零すアークの瞳はあまりに空虚になっていた。
バチンッ
その時、何かが弾かれるような音が響いた。
『エント城塞より砲撃。損害なし。防御結界の耐久にも支障なし。砲撃地点に国章確認。スズーラよりの敵害攻撃と確認』
篭ったような声の艦内放送が響き渡る。
それを聞き、アークの傍にこの戦艦の将官が近づいた。
「総艦。総員。戦闘態勢完了しております」
将官は姿勢正しく敬礼を決めたまま報告をし、アークの采配を仰ぐ。
アークもそれに厳しく頷き、ラルフと頷きあった。
「各戦艦は敵砲拠点殲滅以外は援護及び牽制に止めろ。だが、決して砲火を切らすな」
「はっ」
「それと兵の選出を頼む。城塞には直接乗り込む」
「閣下」
「わかっている。・・おにぃが前線にでている以上、私はこの場に残る。ラルフ。お前も残り、全体の指揮を頼む」
「かしこまりました」
アークは不満を押し殺したようではあったが、まだ立場を忘れてはいないようだ。
次にアークはニコライに近づき真剣な表情で見つめた。
「サーシス。お前が兵を率いて上陸してくれ」
「・・閣下」
「城塞にはリーシャとティアラ以外にも捕らえられた者がいる可能性がある。・・おにぃのせいで重傷者もいるかもしれない。すまないが・・頼む」
「はい」
「それと・・」
アークは懐から小瓶を取り出し、ニコライに差し出した。
疑問符を浮かべたまま受け取ったニコライは、その中身に目を見開きアークを見た。
透明の小瓶には、少量の砂金が入っていた。
「ティアラの髪だ。時間経過で崩壊はしてしまったが、ティアラがハーフであったおかげで完全消滅はせず残ったようだ」
ニコライは胸に小瓶を抱え、溢れそうな感情を押し殺した。
「おねぇの話では、その砂金は、妖精の魔力によるものらしい。魔力を失えばただの砂に変わるらしいから、ティアラが無事である証拠でもあるそうだ」
マーリンの見識はニコライにこれ以上ない安堵を齎してくれる。
疑念さえ抱いていた希望に光明が射したようで、強がりに強ばった感情も少しながら余裕が生まれる。
「阻害の術式に阻まれ、正確な居場所の特定は難しかったが、実の兄であるサーシスの魔力であればその砂金からティアラの魔力を辿れるはずだ。そして、ティアラが無事なのであれば、確実にリーシャも一緒にいるはずだ」
「・・引き離されていないと」
「あぁ・・。おねぇとも話したが、砂金に残った魔力の残滓が少なすぎる。・・恐らくティアラは『妖精の揺り篭』を使ったのだろう。そうであれば対象は間違いなくリーシャだ。ティアラの腕から奪うことはおろか、触れることもかなわないだろうな」
「・・それが本当ならば」
「あぁ、急がなくてはいけない・・。ハーフの身体で妖精の術はかなりの負担なはずだ。それも、連れ去られた時に発動したのであれば、いくらティアラとは言え限界は遠に超えているだろう」
「はい・・。ティアラの事です・・搾り出し、命を削っているでしょう・・」
「・・だろうな。・・だから、サーシス。その砂金で辿るには恐らく城塞内部に入り込まないと無理だろう」
一般人がどれだけ居るかわからない以上、戦艦からの援護はあくまで援護であり、敵の掃討は期待できない。
その為、身一つで敵地に乗り込み、一騎当千の勢いで城塞の攻略をしなければならない。
入り込める箇所は限られ、攻め入る人数にも制限がかかる。その上、城塞を攻める側の方が圧倒的不利。
ゼウスのような規格外はあったが、本来城塞に詰めた相手に攻め入るのは容易ではない。
ましてや、この城塞は国境に位置し、島一つをまるごと城塞とした堅牢な城塞。
攻めづらく、入り込みにくい造りになっている。
定石ならば、時間をかけ、段取りを組み、綿密な作戦を立てるべき要所だ。
だが、今回揃っているのは戦力のみ。戦力だけなら力で押しつぶすように占領もできるほどだが、それはあくまで、救出を考えず、全てを殲滅する前提での話。
リーシャとティアラ、そして不特定多数の一般人の救出を目的とするのならばあまりに不利な戦場だ。
そんな戦場を前に、アークがニコライに下した任務はあまりに無謀なもの。
早急に城塞深くに入り込み、ティアラたちの居場所の特定と確保、そして他の救助者の保護。
それはつまり、ほぼ単騎での特攻に近い。
一点突破での最速進行。砲撃による援護は期待できず、数多の城塞戦力の中を突き抜ける。
死ねと言われているような任務だ。
だが、ニコライに迷いはなかった。
強く火の灯った目をアークに向け深く頷いた。
アークもまた、自身の作戦があまりに非情なものだと理解した上で、ニコライに託す視線を逸らさない。
「・・ニコ兄。頼んだ」
「はい。お任せ下さい。・・必ず連れて帰りますよ。アーク様」
二人は僅かに微笑み合い、ニコライがすぐさま背を向け駆け出した。
アークも振り返り、城塞を睨むと深く息を吸った。
「常闇に微睡む獅子の眠りを妨げし者よ。天上より降り注ぐ獅子の怒りを知れ」
深く、全てに轟くような声に、戦艦さえ軋むように鳴く。
『黄金獅子ノ咆哮』
天を灼き貫く光に空気が震え。
魔導王の開戦が宣言された。




