83 ティアラ Ⅳ
「何故・・貴方が・・」
悪名高き魔女。
だが、死への恐怖は沸かない。それもその筈、幼い時分より、この魔女を前にしては死さえ救いになると教わってきた。
簡単には殺されない。だからこそ今その身に襲う恐怖は、想像だに出来ないこれからの扱いに対してのもの。
そして、何より。
目の前の貴婦人。その容姿。
ティアラはこの魔女をモデルとした寓話を『幼い』時より聞いて育っているのだ。
なのに、優美なカテーシーを見せる目の前の淑女。
その容姿は、どう見ても二十代そこそこの、若く美しい高貴なご婦人。
生娘のような初心な雰囲気こそないものの、その分、嫋かな色香が溢れ漏れている。
だがその艶やかな色気も、決して下品なものではなく。寧ろ彼女の美しさをより一層引き立て、品の良さを全面に押し出している。
そんな、あまりに違和感ないという異常さに背筋が凍る。
実年齢はわからない。
ただ、確実なのはこの国に伝わる最も古い寓話集にも、彼女がモデルだと云われる物語が数話あるという事。
物語でしか知らないが、数千年生きる魔女も、容姿を自在に変える魔女もいた。
だが、あくまで物語。実際目の前に現れるなど、夢にも思わない。
しかも、ティアラが仕えるレオンハートはその史実に近い、いつまでも若く変わらぬ容姿。
疑問に思わないだけの下地は図らずとも出来ていた。
それでも拭えきれない疑念は、信じたくない故に生まれた、現実逃避の一つだろう。
そして更には聞き逃せない内容。
何故、目の前の彼女、ミルは知っているのか。
まだ、公にはされておらず、家族以外でも限られた家人にしか伝えられていないはずなのに。
ティアラの腕の中。
そこで安らかに眠る小さな赤子。
ティアラはその乳母。
謂わば『もうひとりの母』。
その立場だからこそ知り得てはいるが、リリアの傍付きであり、嫁ぐのにさえ同行した忠臣マリアでさえ知らされていない筈である。
「あら。そんなに驚いてくださると、嬉しくなっちゃいますわ」
上品に口元を隠し微笑むミルだが、溢れる喜びは隠しきれていない。
「何処、で、『ウル』、の、事を・・」
「・・・なんだ。そっちの話ですのね・・。喜んで損をしましたわ・・。いや、決してはしゃいでなんかいませんでしたけどね。わかっていましてよ。わかっていたのですよ。だから決して、自分が有名だからなどと思い上がったわけではありませんのよ・・」
言い訳のような、言い聞かせるような言葉は、小さく独り言を呟くように弱々しく尻すぼみに消えていく。
いじけたようにも聞こえる声色のミルは少々耳が赤くなってもいた。
しかし、そんなことは今、関係ない。
ティアラの目には明らかな警戒心が増すばかりだった。
ミルは軽い咳払いで誤魔化すように整えると、再び穏やかな表情でティアラを見つめた。
「あたくしはこれでも魔女ですの。ですから、不得手ではありますが、占いの心得程度は嗜んでおりますの」
ミルが魔女なのは誰もが知っている。それこそ世界中の人間が。
そして魔女にとって占いとは基本技能である事も知っている。
だからこそティアラが聞きたいのはそういうことじゃない。
占いによって知りましたとでも言いたいのだろうが、そんなふざけた回答を信じられるほど愚かではない。
魔女の占いと云えば、その情報量や視野は想像だに出来ないものだろう。
だが、だからといって一国の重鎮。その機密がほいほい手に入るわけがない。
もしそんな事が可能ならば、国家は立ち行かないし、魔女という存在の危険性が余りにも一個人の域を遥かに凌駕している。
更に言うならば、今回、その対象はレオンハート。
魔術の最高峰であり、魔女の魔法にさえこれ以上ない程に対抗出来る家門。
そんなレオンハートから情報を盗むなど、出来るわけがない。
ましてやそれが『占い』であろうとなんだろうと、『魔力』に起因したものであるのならば絶対ににありえない。
「そんなに睨まないでくださいまし。あたくし、嘘は言っていませんわよ」
「あり、えない」
「・・・はぁ。そこまではっきりと否定されますと傷つきますわ。これでもあたくしは誰よりも優れた魔女だと自負していますのよ?・・それでも魔導の王には敵わないと言われてしまうなんて・・」
ミルは正確にティアラの言葉の本質を捉えている。
占いで国家機密が云々ではない。
ティアラはただ、レオンハートへの信奉心にも近い信頼を持ってミルの言葉を否定したのだ。
そして、自身で占いは不得手だと語っておきながらも、やはり魔女としての自負があるのだろう。
たとえ、相手が魔導の頂点たる存在だとしても・・・。
実に、不愉快な様子だ。
「凶星」
呟くような。
吐き捨てるような。
感情のない声。
「『統べる者』。『溢れ、満たされた杯』。『終焉と導き』」
ミルが落とした視線。
真っ白なシルクの手袋をはめた細く華奢な手。
何も無い手のひら。
だが、一度緩やかに閉じて、再び開けば、そこには一粒の石。
瞳ほどの大きさで楕円形。
歪さが全くない滑らかな形と表面。
だが、その光沢だけは複雑で無数の色を幾層にも蓄えている。
『虹色の瑪瑙』
実際は反射しているだけなのだろうが、まるで虹やオーロラがその石から生まれているかのように光が溢れている。
ミルはその石を指で遊ぶように転がし、見つめた。
そこに感情の類は見せず、小さく呟いた。
「・・『精霊』」
呟きとともに石は再びシルクの中に握られ、開かれたそこにはもう何もない。
ミルが呟いた言葉。
それが何かなど考えるまでもない。
当然ティアラにもわかる。それ故に無言でその言葉を聞いていた。
「他にもいくつかの啓示が出ましたけれど、・・・これらは特にあからさますぎて・・」
その瞬間ミルの穏やかだった表情が、別人のように歪んだ。
「・・反吐がでますわ」
辟易したような声ではない。
嫌悪と憎悪を多分に含んだ侮蔑の声。
そしてそれに息を呑むティアラ。
だが、それはお淑やかに見えたミルのイメージと乖離したものだからではない。
いや、それもあろうが、それ以上に彼女の放つ魔力が大半だ。
先程まで異様なまでに感じられなかったミルの魔力。
だが今は禍々しい魔力が暴れ狂うように溢れ漏れている。それも激流が弾け溢れたような勢いを持って。
息苦しい上に、思わず弾け飛ばされそうなほどの奔流。
今の方が魔女にふさわしい魔力の圧力だが、ティアラが知る超常的な魔力保有者たちとは似てもにつかない。
絡みつくようなドロドロとした気持ち悪さと、全身を貫くような恐怖。
優しく包み込むような、あの暖かな魔力とは違う。
「あたくし、レオンハートが嫌いですの」
そう語るミルの表情は最初の微笑みと同じものなのに、全くの別物でしかない。
ティアラは気づけば水をかぶったように汗を流していた。
そして、腕にも無意識に力が篭もり、リーシャを深く抱き込んでいた。
そのことに気づくと、寒くもないのに自身の唇がガクガクと震え、身体も不自由なほどにこわばっていることにも気づいた。
「故に『凶星』。あたくしにとって、それ以上の凶星なんてありませんもの。そして、だからこそ選択肢は限らますわ。啓示から釈けば『ティア』か『ウル』。ですけれど過去『ティア』を冠したのは、その特性から多大な魔力量を求められる為に『キルケーの蕾』であることが必須条件」
ミルは空虚な瞳をリーシャに向けた。
ティアラはその視線から守ろうと抱え込むが、恐怖に強張り動きがぎこちない。
「であれば選択肢は一つしかありませんわ。レオンハートの『キルケーの蕾』は内外に広く報せる事が決まり。何かあればそれこそ天災ですもの。・・それがないのであれば必然的にその子は『ウル』ということになりますわ」
占いという不確かな根拠に、確信を持って語るミル。
だが、それ以上にティアラの方がその確証を受け入れてしまっている。
「・・・」
故に言葉を紡げず。只々、腕の中の天使の重みを噛み締めるしかできなかった。
「そして・・。貴方ですわ」
そう言ったミルの視線はリーシャではなく、真っ直ぐとティアラを見据えていた。
「精霊に忌み嫌われる妖精。されど、その精霊さえ頭を垂れる・・」
「っ・・」
リーシャを見つめ顔を伏せるティアラの表情はわからない。
だが、明らかな反応があった。
「妖精女王」
ミルのその声は、先程以上の劣感情が、あからさまなほどに滲んでいた。
それこそ、感情だけで息が止まりそうな殺意と嫌悪。
「あたくし。貴女のことも嫌いですの」




