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82 ティアラ Ⅲ



 バチッ


 男の手は触れることもできずに弾かれた。



 「くそっ」



 痛みに眉を顰めた男は自身の手をさすり、鋭い目を更に険しくさせた。


 その視線の先には淡く光る光の繭。

 透き通るその中には小さく。天使のような赤子がスヤスヤと睡っている。



 「面倒なことしやがって・・」



 そう言って男が睨んだのは、その光の繭を抱えるようにして倒れる女。


 綺麗で、透き通るようだった髪は無残にかき乱され、汚れに塗れている。

 髪だけではなく、肌も傷と汚れが目立ち、汚れが目立たないはずの侍女服もほつれ、裂かれ、無残な状態。


 力なく、石の床に倒れ込んだ様は、打ち捨てられたようで、あまりに悲惨だ。


 だが、男にそれを憐れむ感情などない。

 寧ろ忌々しげに険を深め、更には激情の吐け口のように思いっきり蹴り上げた。



 「っぐ!!」



 鳩尾あたりを容赦なく蹴られ、苦痛が漏れるが、それ以上は声も上げない。

 涙一つ流すことも、命乞う事もない。只々ひたすらに無言で耐えているだけ。


 男は、そんな姿に唾を吐きかけると、その場から去っていった。


 痛みを堪えるためか、それとも今にも溢れそうな目の熱を堪えるためか。

 ティアラは唇を噛み締め、光の繭を抱き寄せた。










 どれだけの時間が経ったのだろうか。


 深夜。ようやく寝付いたリーシャを見守って居た時、二人の襲撃者が侵入してきた。

 ティアラは、リーシャを庇うため応戦はしたが、同時にリーシャの過敏な魔力を刺激しないよう気を遣い、まともな抵抗ができなかった。

 それでも、襲撃者になんとか一矢報いたのだが、その反撃は倍返しとなって返ってきた。


 現状の侍女服がまさにその証拠で、背中が大きく切り裂かれている。

 そこから覗く肌は、今でこそ綺麗な絹の肌だが、その瞬間は酷い裂傷が生々しく刻まれていた。


 それこそ、命を奪いかねないほどの深い傷。


 それでもティアラは薄れゆく意識の中、リーシャを守るように抱え、最後の力を振り絞り、守護の術を行使した。

 光の繭に包まれ、何者も触れさせない『宝』。


 ティアラはその上、更にその身を呈して守ろうとその繭を抱え込んだ。


 光の繭は術者であるティアラの身さえ焦がすように拒絶したが、それでも微笑んでその腕に抱き抱えた。



 意識はそこまで。

 次にティアラが目覚めたのは船の上。


 幸運にも命をつないだティアラは、その腕に光の繭を変わらず抱き抱えていた。

 触れた部分はジリジリと焼かれるような痛みがあったが、気にもならない。


 寧ろ、強張り固まった自身の腕を引き剥がす方が痛かったくらいだ。



 鉄の壁や床。扉も頑丈な上に、取っ手もない。

 だが、響くように木霊する波の音と潮の香り。それで、そこが何処かは容易にわかった。


 忌まわしくもご丁寧に、魔封じまで施された小さな部屋。


 妖精は魔力で構成された存在。

 ティアラの調子は酷く最悪なものだった。


 その上、いくら妖精といえど、致命傷とも言えるほどの傷が消えるわけではない。


 物質的な肉体ではないのに、その傷は中々消えず、体力も思考も、当然魔力も、虚ろな状態。


 それでもティアラはリーシャを離す事だけはなかった。

 寧ろ、それだけに全力を注いですらいた。



 間もなく船が止まると男たちによって引きずられるように船を降りた。

 そこは寒々しい雰囲気の要塞。いや、刑務所のような場所だった。


 一人で立つことすらままならない程に弱っていたが、しっかりその腕にだけは力が込められていた。

 殴るように押され、蹴り上げられるように進まされ、ティアラは独房まで自身の足で歩かされた。


 目の焦点すら虚ろで、ふらつく彼女に、優しく手を差し伸べるものはいなかった。


 それどころか忌々し気に睨まれ、恨んだように罵倒され、苛立ちそのままに手を振るわれた。

 それでも泣かず、声も上げず。只々、覚束無い意識をつなぎ止める事だけに努めた。


 何があっても腕の中の『宝』を奪われないために。



 「・・姫、様。大、丈夫、ですから、ね。・・すぐ、に、お父、様、達が、お迎え、に、来て、くれ、ます、から・・」



 優しく微笑むティアラの顔は土に汚れ、少し頬も腫れぼったい。

 だが、そんな声を向けた先の赤子は未だ安らかに睡っている。


 本来なら許されない事ではあるが、リーシャには睡眠の魔術をかけてある。

 レオンハートが魔術の最で、状態耐性も優れているとは言え、相手はまだ生まれてひと月の赤子。術をかけるのは容易い。

 だが、どんな理由があれ、主人に状態異常の術をかけたのだ。

 ティアラは小さく、呟くように謝罪を口するが、それでも解くことはない。


 リーシャに怖い思いなどさせる必要はない。

 泣いてしまったら、奴らの癇に障るかもしれない。


 その結果、奴らの矛先がリーシャに向かってしまったら・・・。


 ティアラは、少しでもリーシャを守ろうと必死だった。



 「まったく、女性に手を挙げるなんて、とんだクズですわね」



 穏やかで柔らかな声。

 綺麗な発音は、慣れ親しんだ貴婦人のそれと遜色ない。


 しかもその声は心に馴染むように届く心地よさもある。



 「あの手の男は、女を所有物か何かと勘違いしたクズですわね。どうせ家でも亭主関白気取りで勘違いをこじらせているのでしょうね」



 美しい言葉の中にある、明らかな侮蔑を含んだ言葉。

 心よりの嫌悪感を滲ませているのがわかりやすい。



 「・・・」



 だが、ティアラはそんな声にも反応を見せない。


 自身に寄り添ったような優しい声も耳には届かない。


 ただ、目の前で安らかな寝顔を見せる天使にだけ微笑み、それ以外は視界どころか存在さえ今のティアラの意識には留まらない。



 「まぁ、貴女の態度にまったく問題がないわけじゃないですけれど・・。高貴で凛として、泣き喚きもしない。その子に献身を尽くす姿も強く美しいわ。・・だけどそれが生意気で反抗的にも見えるもの」



 暴力は振るう方が全面的に悪いが、振るわれる方にも問題がある。


 そんな反吐が出そうな理屈。

 だがそれもまた、悲しき真理でもある。


 簡単に受け入れられない。受け入れたくない理屈。

 だが、彼女の紡ぐ言葉は嫌に馴染んでしまう。



 「まぁ、あたくしも貴女の事は嫌いですけど。・・あ、勘違いしないでくださいまし。貴女のその態度は美しく、好みではありますのよ?・・ただ、貴女の存在が忌々しく思っているだけですから」



 一人勝手に語る彼女。そこにはわかりやすい害意や殺意があるわけじゃない。

 先程の男のような明らかな不満や苛立ちの捌け口としても見ていない。


 だが、それ以上の何か。

 背筋が凍るほどの禍々しさを感じる。


 それこそティアラが意識を向けてしまうほどの。



 「あら、やっとこちらを向いてくださいましたのね」



 ティアラが向けたのは意識とわずかな視線のみ。

 それでも目の前の『貴婦人』は、満足そうに微笑んだ。


 ぱっと見は、リリアのような朗らかな微笑みに似ていたが、リリアをよく知るティアラからしてみれば薄気味悪さしか感じない。


 ひと時代前のドレス。

 肌の露出は少なく、膨れ広がったスカート。

 フリルやレースが多分に使われ、色合いも淡い。


 ティアラの世代ならば、掠る程度ではあったが馴染みあるもの。

 元々百年以上も大きくドレスの型が変わってはいなかった。細かい流行はあったが基本は同じ。

 それがここ数十年で大きく変わった。それはドレスだけではなく普段着も。


 だからこそ、目の前の姿は、懐かしさ以上に馴染まない雰囲気の方が目立つ。


 筈なのだ・・。



 なのに、目の前の貴婦人にそんな違和感が全くない。

 それどころかあまりに似合いすぎて、神秘的ですらある。


 怖いくらいに・・。



 「・・何故、こんな、こと、を」



 思わず声が出た。



 「何故って?・・それは何故、襲撃をしたのかてことかしら?それとも何故、誘拐なんてしたのかってことかしら?」



 それは両方同じ事に思えるが、分けて考えていることから、異なる理由なのだろう。

 だが、そんな答えよりも、淡々と軽い調子で答える彼女の様子の方がよほど異常だ。


 ティアラは無意識にリーシャを抱く腕を強めた。



 「・・その子。『ウル』なんでしょ?」



 その瞬間。ティアラは全身を強ばらせた。

 雷で打たれたような衝撃。


 何故、何故。


 ・・彼女が知っているのかと。



 「申し送れたわね。あたくしは『沐浴の魔女』」



 ティアラは再び彼女に振り向いた。

 その魔女は、余りにも有名だった。



 「・・『宝玉宮の国母』・・」



 自国を傾け、滅ぼしたとも。

 己が子に、呪いをかけたとも云われる。


 物語に描かれる、悪い魔女。そのモデルに多く起因される魔女。



 「人からは『ミル』と呼ばれていますわ。どうぞよろしく」




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