75 お茶会
「ふんふんふーん」
弾むような鼻歌が二つ。
幼い姫と幼い従者。フィリアとティーファのお馴染みな二人。
そして、この二人が上機嫌にしている時は総じて、周りの顔が引き攣るか、頭を抱えているかだ・・。
「姫さま・・」
当然、今回も例に漏れず、被害鞘筆頭の侍女二人。マリアとミミの心情に同情する。
マリアとミミ。二人の見つめる先。
そこには、宝石箱のように煌き、色取り取りのホールケーキ。
上に飾られたベリーや果物も、水飴の効果で艶やかだし。塗られたクリームもきめ細かかく、絹のよう。
そこに、仕上げとして粉砂糖を軽く雪のように振りかければ、美しさが一層際立つ。
「・・クオリティが上がってる」
ミミが無意識に呟けば、それをきっかけにマリアはふらりと意識を手放しかけてしまった。
フィリアの趣味。料理づくりのクオリティがおかしなレベルになってきている。
いくら前世があったとしても、最早、素人の出来ではない。
そもそも、もうすぐ二歳となる程度の幼子。
フィリアに自重は今日も皆無である。
「ヒメー。おいしそうですね」
「まだですよぉ。・・ここに・・これで・・・・。かんせい!!」
ワクワクそわそわとするティーファに、真剣な表情で返すフィリアはピンセットまで使いそっと飾りの仕上げをする。
そして、ゆっくりと身体を起こし、全体を確認すると喜々とした表情になり、満面の笑みを見せた。
「すごいです!ヒメ!」
「てぃーもおてつだいありがとう!!」
喜びはしゃぎ合う幼子二人。それに反して大人たちからは溜息が漏れた。
それはそれは深く重い、非常に感情が伝わる溜息。
「そろそろ、おへやにも、おーぶんがほしいですね・・」
フィリアの呟き。ティーファ以外はその瞬間戦慄を覚えた。
これまでは魔術や魔法の力技で代用していたが、最近は竈が出来、その利便性や汎用性を改めて認識したフィリア。
今回も竈の活躍はあったものの、少々不便も感じてしまった。
自室から続く庭園とは言え、その広さは決して狭くないし。温室とは言え、つまるところは屋外。
面倒に思うのも仕方ない。
だが、フィリアはそもそものところを忘れている。
何故に魔術などで非効率な調理をしていたのか。
それは、バレない為という理由があっての事だったはず・・。
まさに、盗人猛々しいとは、この事だろう。
「みみ。おかあさまのもとに、もっていくから、おねがいします」
「・・はい」
感情を殺したようにミミは無心でフィリアの言に従った。
それにしても、珍しく小言や苦言がないのが不思議だ・・不気味ささえある。
まぁ当のフィリア自身は欠片も気づいた様子はないが、自業自得だろう。
「じゃぁ、わたくしたちは、じゅんびができるまで、あじみしていましょう!」
「はいっ!!」
無邪気な幼女二名。
苛立たしい程に無邪気。
そして彼女たちが味見用と称する『ホール』ケーキ。
手土産にする物と大差無い。大きさもクオリティも・・。
フィリアは本日、リリアからお茶会の招きを受けていた。
お茶会と言っても畏まったものではないだろう。これまでも時たまあったティータイムの延長のようなもの。
珍しいのは、リリアがフィリアの元を尋ねるのではなく、フィリアの方を招いたこと。
それも、昨晩夕食の時に急に決まったもの。
事前準備の時間もないし、身内の、それもまだ幼いフィリアの淑女教育の一環のため、仰々しさはほとんどないが、それでも手土産程度は持っていこうと、早起きをしてフィリアはケーキを焼いた。
だが、それにしても不審に思わないのだろうか。
いつもなら少し散歩するだけでも華やかな衣装に着替えさせられるのに、マリアたちはそんな様子を見せない。
普段着の括りである今の服も十分に凝ったものではあるが、動きやすさを重視した今の服装は普段ならば外に出るのに渋られるはずなのにだ。
「んー。ふわふわかんが、たりないです・・」
「え?おいしいですよぉ?」
少しの疑問すら抱かない姫は、自作ケーキの出来に眉を諌めるだけ。
「ぴざは、うまくいったからとおもったのだけど・・」
そして、考察を深める。
一見、真面目で熱心な姿だが、フィリアは令嬢。それもこの国で最も高貴な部類。
もっと他に向き合うべきものがある気がする。
その証拠にティーファ以外の表情には感情が全くないのだから。
だが、そんなマリアたちの復讐・・、憂いが報われたのはそのすぐ後。
「あら。フィリアちゃん待っていたわ」
「・・・・ふぇ?」
招かれたお茶会。
フィリアを嬉しそうに迎えたのは祖母アンリだった。
「フィーちょうど良かったわ。今、ナンシーの採寸が終わった所だから直ぐに貴女も測ってもらいなさい」
部屋の衝立から、ニコニコと楽しげなリリアと、憔悴したナンシーが出てきた。
「お義母様。やっぱり微妙に採寸がずれておりましたよ」
「あら、やっぱり本職の方々に任せたほうが良かったのね。先走って余計なことをしてしまったわ」
「いえいえ。流石は大公家の侍女方でございます。ずれた採寸も、職人の、それも玄人の見立てでないと難しい箇所だけでしたし、それだってほとんど気にならないほどに僅かなものでしたから」
衝立の向こうから現れたのは美しいご婦人。
フィリアはその人物をよく知っていた。
室内を見渡せば、そこはお茶会用のセットはあるものの、周囲を埋め尽くすのは無数のドレスや生地に糸。
この光景にも既視感がある。
「フィリア様。お久しぶりでございます。覚えておりますでしょうか?」
優雅で余裕のある所作と微笑み。
まさにお手本のような貴婦人。
「・・まだむ、あるむ」
「まぁ!覚えていていてくださったのですね!!」
花が咲いたように喜ぶ婦人は、はしゃいだ姿でも色気のある貴婦人。
彼女、アルムと会ったのはフィリアが一歳になる前。その一度だけ。
それでも、強く印象に残っている。それはアルムがというより、その時の状況がだが・・。
「それはそうよ!だって貴女の作ったフィーの衣装は完璧だったもの。天使や精霊にしか見えないフィーを完璧に引き立ててくれていたわ。おかげで一歳のお披露目だったのに、デビュタントさながらに縁談話が来て大変だったのよ?」
何故か、自慢気に答えるのはリリア。
フィリアの頬は引きつって愛想笑いすら拙い。
「それはそれは、申し訳ございませんでした。しかし、それはフィリア様が愛らし過ぎるのが悪うございます。私も腕にそれなりの自負がございますが、フィリア様の神々しさを翳らせるのはあまりに無理難題でございますから」
フィリアの冷や汗は止まらない。
この二人と、今日は居ないがリーシャ。
その三人にフィリアは着せ替え人形にされたのだ。
辟易するなんて程度じゃない。
トラウマさえ植え付けるような事だった。
単に何度も着せ替えられただけだろう?などと云うなかれ・・。
壁の端から端まで並べられた衣装を全て試着し、小物に合わせるからと都度往復し、髪型に合わせるからと往復させ、都度髪を解くため浴室も往復した。
なのに、オーダーメイドだから、イメージを掴むだけだときたもんだ。
そして今度は生地や糸の選別の為、それも全て身体に巻かれる。
あーでもない。こーでもない。とフィリアは永遠と着せ替え人用となった。
数センチしか丈が違わないスカート、全く同じに見える二色の生地。
フィリアには違いはもちろん、三人の真剣に悩む心情など全く分からなかった。
更には当時、まだ離乳食だったとは言え、その間、何も口にできなかった。
体型が変わるから、体幹がずれるから。
そんな、直ぐに変わろうわけもないのに禁じられた。
喉が渇いても、飲み物は飲めず、軽く唇を濡らしてくれるだけ。
修行僧のような苦行。
普通の赤子なら泣き喚いていたろうに、フィリアだから耐え忍んだが、普通ならありえない。
そんなトラウマを思い出し震える四肢をなんとか抑えるフィリアだったが、視界に映った先人に目を見開き恐怖が増した。
「・・ぐれーすさま・・」
いかにも魔女な装いで、美しくも威厳があった黒衣の魔女は今、お茶会用のセットである猫脚の椅子で真っ白に燃え尽きている。
簡易な下着。薄手のレースワンピース姿の彼女は、安らかに灰となっていた。
最早そこに威厳も何も無い・・。ただの屍のようだ。
「さっ、グレースさん!次はこっちの瑠璃系統のものですよ!」
「まぁ!やっぱりそれはグレース様の為にお義母様が用意していたのですね」
「はい。アンリ様から特に青系統のものは指示をいただきました。その中でもこの瑠璃色は今期最も一押しで、数もそれなりに準備がございますから」
死人にこれほど見事に鞭を打つ姿を見たことがない。
燃え尽きていた美しい魔女は、肩を跳ねさせ抵抗もなくゆらりとアンリの元に向かう。
その姿はあまりに痛々しく、フィリアは目をそらしてしまった。
しかし、その前にしっかり確認してしまった。
瑠璃色のドレス。それは目に見えるだけでも三十はある。
先程から侍女たちがドレスを持って忙しなく出入りしている様子から、それだけではないはずだ。
その上、フィリアは経験から知っている。
別に生地や糸も同じくあることを。
ましてや、色のみの指定など、際限なく用意があるはずだ・・。
フィリアは冥福を祈った。
その時、目をそらした反動で、ナンシーを目があった。
「・・姫様」
「・・なんしー」
互いに交わす視線は切なげで、弱々しいものだった。
―――ごめん・・。ナンシー。どうすることも・・。
か弱く、儚げな美女を救うことも、フィリアには出来ない。
何故なら・・。
「ほら、フィーも早く採寸していらっしゃい」
フィリアもまた、捕食される側であるから。
「お、おかあさま・・。おちゃかいでは、なかったの、ですか?」
「え?お茶会よ?」
しれっと言い切ったが、果たしてお茶会とは・・。
リリアの清々しさに、フィリアは二の句を継げない。
それはつまり、その場から逃げるきっかけを逸した事を示す。
「リリア様。こちら姫様よりお招きへの御礼品でございます」
「あら、ありがとう。フィーも淑女として成長中なのね」
マリアの言に、ミミが差し出した大きな箱。
それをリリアの侍女が受け取ると、リリアは娘の成長に嬉しそうに微笑んだ。
「んー。甘い、いい香りね」
「姫様の『手作り』でございます」
「・・・フィーの?・・・そう、それで・・」
リリアの苦笑。何かに納得した後の苦笑。
それはマリアとフィリア両方に向けたもの。
「フィー。心遣いありがとう。では、最後にお出ししましょうね」
「・・・はい」
前回と同じく、また断食の試着会だと確定した。
「一応マリアには伝えていたのだけどね」
「!?」
バッと振り返るフィリアだが、その先あるマリアの表情は何の変化もない。
「申し訳ありません。お伝えするのを忘れておりました」
「うそ!!」
何の機敏もみせず言い放つマリアに、誤魔化すつもりなど微塵もないのは明らかだった。
反射的に叫んだフィリアの声はあまりに絶望に満ちていた。
そもそも、このような連絡事項を怠るなど侍女として有るまじき事。
マリアがそんなミスをするなど信憑性の欠片もない。ミミならまだしも・・。
「今朝方聞かされたのですが、姫様が『お忙しそう』だったのでお伝えし忘れてしまいました」
明らかに私怨の犯行だろう。
フィリアも口をワナワナとして言葉を紡げない様子から、全くの無自覚ではないらしい。
「あ。でも姫さま。『味見』なさっていましたけど、大丈夫でしょうか?」
「みみ!?」
それを今言っては・・。
ミミのわざとらしい失言に、フィリアの悲鳴は大きくなった。
「・・・フィー?本当?」
フィリアに向けられるリリアの声に恐怖が掻き立てられた。
だが、そこには何も恐れるような感情は孕んでいない。
寧ろ、「困った子ね」と言わんばかりの穏やかな呆れ。
しかし、フィリアにはわかる。
本能がけたたましく警報音をかき鳴らしているのが。
リリアは頬に手を当て困ったように息を吐くとアルムに目配せした。
アルムはその視線を受け軽く頷くと、貴婦人らしさなどなく、勢いよく腕捲くりして気合を入れた。
「少し面倒だけど、仕方ないわね」
何が仕方ないのだろう。
何をするつもりなのだろう。
フィリアの顔は一気に青ざめ。
「いや・・いや・・・」
小さく恐怖が口をついた。
少しでも侍女たちの溜飲が下がる事を祈る。




