4 来訪者
子供の成長は早いと聞いたことがある。
それに比べて現状はどうなのだろう。
前世の記憶がある分、幾ばくかは早いと思うが・・いや、早いと思いたかった。
大きく時が過ぎた感覚はなかったが、それでも確かに変化はあった。
ハイハイこそまだ出来ていないが、それもあともう少しだと思える程には四肢が動くようになってきた。
言葉の要所要所はまだわからない部分があったりもするが、それでもなんとなくの内容程度は聞き取ることが出来るようになってきた。
あとはそれをどうにか自分の口から発するだけだが、それが存外難しい。
それでも最近は時折、なんとか発した覚束無い声に乗せた意図を、少しながらも汲み取ってもらえる程度にはなった。
視界などは早くに不自由のほとんどがない程にまで見えるようになった。
だがその発達はまだ終わっていないようで未だに日々色彩や輪郭がより鮮明に増していっている。
そのおかげで、今では相手の表情や反応をはっきりと見ることができた。
その中でも、初めて言葉が発せたと思った時には、今世の両親が大号泣していた。
それはお世辞にも褒められた成果ではなく。正直、眉を顰めるほどに言葉としての訂をなしてはいなかったが、それでもその場に居合わせた人たちは大きな歓喜と興奮を上げた。。
―――大袈裟だよ・・。
そんな些細で僅かな成長によって、ようやく自身の状況を知る為の情報を得ることが出来始めた。
我が子の成長で号泣できる今世の両親。
父の名は。
アークリフト。
『アーク』や『閣下』とも呼ばれていた。年若い父。
どうやら我が家は結構な権力者らしく、皆畏まって接している。
銀に近い金色の短髪をもった彼は、一見二十歳そこそこの青年にしか見えない。
目元や鼻筋も日本人のそれとは違い、まるで何処ぞの物語に出てくる主人公のように整った顔立ち。
その顔立ちも、我が子を視野に捉えた瞬間、溶けるように緩み、あまりにも不憫な状態となる。
普段の眉目秀麗さなど微塵もなく、好好爺顔負けの緩みっぷり。
その妻。つまりは今世の母。
リリア。
赤にも近いようなオレンジ色の髪は長く波うち常に光を乱獲に蓄えている。
丸みを帯びた目元はいつも優しく注がれている。
美しく、安心感もある雰囲気。そして朗らかに優しく微笑む姿に本能で即座に彼女が母であると理解した。
ちなみに前世アラサー男子の赤子にとって。ご飯時、こんな美人相手に至福であると同時に複雑な心情を抱く。
それでも役得と楽しめるだけの下心だけは毎回あった。
そして兄弟もいた。
一番上は姉のリーシャ。
9歳の少女らしいが、その所作はあまりに洗練され、子供と断ずるには雰囲気がありすぎる。
面立ちはリリアによく似ているが、髪色はアークのものに近い。
兄弟の中で最も世話を焼き、可愛がってくれる優しい姉。
多少愛着が深すぎる気がしないでもないが、それは気のせいだと思いたい。
その下の兄。フリード。
彼もまた、7歳という幼齢とは思えないほどに大人びていた。
それどころか一見、リーシャよりも大人びて見える。
物静かな様子で落ち着き払ってることもまた子供らしくないことの一助となっている。
そんな彼はいつも何かしらの本を持って来ては内容を読み聞かせてくれた。
その内容は子供向けの物ばかりだったが、そのおかげで言葉を覚えるにはちょうど良かった。
特にこれといって世話を焼くわけではなかったが、総じて見れば恐らく彼が最も傍にいる頻度や時間が多い。
そして、もうひとりの兄。
まだ4歳のアラン。
彼の方は年相応に活発で無邪気な少年。
リリアの面影を強く残した面立ちではあるが、穏やかそうな印象よりも一目でその快活さがわかる少年だ。
上二人は年の割にしっかりしているのに対して、アランのヤンチャな様子は年相応で親しみやすく思える。
しかしそんな彼も兄としての自覚が生まれているようで、頭を撫でながら「にぃにぃがまもってやるからな」と口癖のように言い聞かせていた。
その呟かれている本人は、そんな彼を微笑ましく見ているのは何とも言えないが・・。
容姿端麗な美形一家だった。
しかも、その全員がもれなく全員優しく暖かい、絵に描いたようなアットホーム家族。
逆に何かしらの家庭の闇があるんじゃないかと疑りたくなるほどの暖かい家族だった。
だが、それと同時に問題だらけで家庭事情盛りだくさんの所へなど生まれ変わらかった事に安堵した。
更に今世の我が家は、やはりかなりの裕福な家だった。
お手伝い・・というか執事やメイドが大勢いたのだ。
そのうち二人は専属の世話係なのかいつも傍にいてくれていた。
ちなみに乳母のような人は居なく、粉ミルクみたいなものも無いようで、その役割はリリアのみが担っていた。
赤毛のメイドの名前はミミ。
彼女は前に火の魔法を見せてくれたメイド。
もうひとりはそれを叱責していた濃茶髪のメイド。
マリア。
マリアはどうやらミミの先輩メイドらしく、しばしばミミを指導している。
二人ともまだ若く。マリアは恐らく二十代。ミミに至っては十代の未成年にしか見えない。
そんな二人はどうやら身近に幼い親類がいる為、赤子に慣れているらしい。
そして、おそらくそれが理由で専属の世話係に選ばれたのだろう。
ミミには幼い妹がおり、マリアには幼い娘がいる、らしい。
二人は近況で赤子に慣れていた。
幼い女児の世話に・・。
・・・そう。
フィリア・ティア・レオンハート
アークに似た、つり目な目元。その瞳の色はリリア譲りの蒼眼。
髪の色は金とオレンジの間。皆からは『黄昏時の揺れる麦畑のよう』と例えられる色。
肌は陶磁器のように白いが、処によっては桜色にほんのり色付いている。
皆から『天使』に例えられる程に愛らしく、儚げな赤子。
前世は、しがないアラサー男。
その名は『フィリア』。
それは皆を虜にした愛らしい『姫』の名だった。
―――・・・嘘だろ・・
その事実を知った時の思いはこれ。
その日の家族やメイドたちは不機嫌に泣き喚くフィリアに翻弄された。
確かに、前世で思ったことはあった。
『生まれ変わったら女子になりたいな』などと・・。
でもそれはあくまで男であるという前提があっての妄想だ。
そしてそれは男ならば一度は抱く下心ゆえの妄想。
しかしそれはあくまで妄想であって、実際そうなりたいわけではなかった。
当然。またしても現実を受け入れられず混乱した。
泣き喚き。泣き疲れ意識を手放し。目が覚め。また現実に泣き叫んだ。
当然飲み込むには相応の時間と覚悟を要した。
それでも、なんとか向き合えるようにはなったが、その際には赤子と思えぬ程の深いため息が零れた。
取り敢えずは、まだまだ少ない情報量ではあったが最低限の事はわかってきた。
赤子の立場で得られるのはあまりに脆弱な情報のみ、それを思えば取り敢えずは十分だろう。
それ以上は、またこれから少しずつ知っていけばいい。
まだ、新たな人生は始まったばかりなのだ。
どうにも飲み込みきれないことも多いが、それでも新たな人生に希望を持って行くしかない。
そう。前向きに捉えるしかなかった。
・・だが、そんなある晩。新たな人生に早くも不安の種が落とされてしまった。
いつものように皆が寝静まった宵に魔法の練習をしようと思っていた時だった。
あの日以来、一人になる事は更に少なくなった。
だからこそ、その些細な時間でさえも貴重になっていた。
その日も、ようやく訪れた些細な時間。
体感2、3分程度しか無く感じる貴重な時間。
早速、魔力を練ろうとした瞬間。
静かに音も立てず戸開きの窓が開いた。
屋敷の皆は寝静まった頃だったし、ましてや窓からの来訪者などあるはずもない。
ミミにしてもマリアにしてもまだ部屋を出て1分も経っていないし、何より窓から出入りなどしない。
故に少し身を強ばらせた。
―――心霊系とか怪奇系とか苦手なんだけど・・。
ゴクッ
つばを飲む音だけが嫌に耳に響いて緊張感を高めた。
恐怖心を抱きながらもフィリアの視線は窓から少しも動かない。
見るのも怖いが、見ていないのはもっと怖い。
そんな心情。
すると、そこに現れたのは黒衣の人影だった。
ふー
明らかな安堵の息が漏れた。
―――おばけじゃなかったー。よかったー
そんな安堵が漏れるが、直ぐさま思った。
―――・・誰?・・え?本当にお化けじゃないよね?
全身黒ずくめで顔はおろか、性別さえも判断できない。
フィリアは少々危機感に乏しい。
心霊ではないと断じたその心もわからないし、心霊でないとしてもこんな夜中の来訪者に対して何も思わないのだろうか。
次第と、視線に怪しむというより好奇心似た色合いが滲んできた。
黒衣の人間は慎重に、しかし素早く、ベット傍までやってきた。
足音も衣擦れの音もしない。
そして、存在感すら感じ得ない。
―――・・忍者だ
能天気な感想を抱くフィリアは好奇心の瞳を更に輝かせていた。
ターバンのような頭巾で、全体的な装いも忍者そのものに確かに見える。
黒衣の人間はフィリアを優しく抱きあげた。
その慣れた所作に少し感心しながらも、『やはり性別はわからないな』などと冷静に見当違いな分析をしている。
―――服の下に防具か何か仕込んでるなぁ。でもその硬さが気にならない・・上手いなぁ
そんな、とことん見当違いな感動と称賛を抱く。
「・・ごめんね。君に恨みはないんだ・・・けど。ごめんね。」
その声でようやく男だとわかった。
中性的な声色ではあったが、それでも絞り出すようなその声は男性の声だ。
そしてその言葉でフィリアはようやく自身の危機感に思い至った。
―――あっ。俺今やばいな
遅い。遅すぎる。
それに、本当にわかっているのか。
能天気なテンションで心の中で呟いたフィリアは、黒衣の男を探るように見つめた。
黒衣の男の表情こそ伺えはしなかったが、纏う空気というか雰囲気は明らかに戸惑いがあった。
そこになにか事情があるのは明らかだった。
赤子相手に演技も嘘も必要ないであろう。
―――・・でもなぁ。だからって関係ないしなぁ
フィリアは手を挙げた。
黒衣の男も気づくが、そこに警戒心など生まれるはずがない。
寧ろ手を掲げる赤子を慈しみ、悔みを抱くかのようだ。
手のひらは黒衣の男の眼前に向いていた。
―――だから、こちらこそごめんね。・・えいっ
その瞬間、黒衣の男の顔は業火に包まれた。
「っっ!?なっ!?うぁっ!?あっ!?あ゛ーーーーっ!!」
突如起きた事態に黒衣の男は忍ぶことを忘れた。
黒衣の男は大声をあげ、結果フィリアを腕から取りこぼした。
火は次第に炎となって更に勢いを増し、顔だけでは留まらず、体中に広がっていく。
暴れるように火を払おうと足掻くが、その炎は身から離れることはない。それどころか徐々に徐々に大きくなっていく。
取り落とされたフィリアは何とかベットの上に落ちたが、赤子の身にはそれでも衝撃が大きかった。
―――ぐっ!・・案外衝撃があったな
打撲のような鈍い衝撃を受けながらも、その身をよじる。
寝返りを打つようにして、なんとかいつもの仰向けの体制になった。
天井を仰ぐその視界には、煌々と燃え盛る炎とそれを纏い藻掻く男。
―――・・・おお。思ったよりえげつねぇな
「あ゛ーーーっがぁーーーーーー」
狂気にも似た悲鳴をあげる男を見つめて思う。
断末魔のようなその声だけでどれだけの苦痛があるのか伝わってくる。
当然、その悲鳴は屋敷中から人を集める。
「これは・・一体。何が・・」
最初に慌てて扉を開けたのはマリアとミミ、そして護衛の男。
三人は部屋に飛び込むなり目の前の光景に目を見開き動きが止まった。
マリアは驚嘆しながらも言葉を零したが、ミミは驚愕から完全に言葉を失っていた。
それから間を置かずアークが勢いを殺さぬまま扉を蹴破りやってくると同じように目を見開いた。
その後ろからやってきたリリアも事の有様を見て動きを止めた。
その後も同じだ。兄弟も使用人たちも同じように驚き止まる。
その表情に恐怖を要り交えて。
「・・なんだこれは」
「魔法・・」
「炎が・・生き物みたい・・に」
「・・それより、燃えているのは誰だ」
―――なかなか大事になってきちゃったなぁ・・えぃ
一瞬で炎は消えた。
「っ!?消えた!?」
黒衣の男の服はほぼ焼け落ち防具らしき物もその役目を果たせぬ程に焼け崩れていた。
しかしその体には軽い火傷だけが残る程度で大した外傷もない。
―――まだまだだな。少し火傷させちまった
フィリア的には満足の行かない結果なようで、不満げだ。
「あれだけの炎に包まれて・・・」
「・・・無傷?」
小さな呟きはフィリアの耳に届かなかった。
黒衣の男はそのまま意識を手放し。
膝から崩れ落ちて前かがみに突っ伏した。
―――錯覚を利用できるかと思ったが・・こっちは上手くいったな
前世の知識。
『思い込みや錯覚によっても人は死に至る』。
その概念は小難しくてよく覚えてなかった。
その為、行き当りばったりの偶然であったが成功はした。
本物の炎は外傷を与えぬように制御を施し、その上無駄に広がらぬよう炎が纏わり付くように操った。
更には、そこに幻術や催眠術のような効果を持たせていた。
その発想は錯覚や認識を利用したもので、イメージは前世のにわか知識。
魔法どうこう以前に規格外な応用と発想。そしてそれを成してしまった異常さ。
驚嘆と疑念の視線が次第にフィリアへと集まるのは当然だった。
すぐさま男は意識のない状態で引きずられていき、牢に投獄された。
その正体に屋敷の人間は誰も心当たりはなかった。
だが会話の端端から察するに、理由に関しては思い当たる先があるような様子だった。
騒ぎの直後。
フィリアはリリアに強く抱きしめられ、更にその上からアークにも抱きしめられた。
二人は「よかった。よかった」と何度も呟き。フィリアの無事を確認して涙を流していた。
また、姉兄たちも泣きながらその中に入ってきた。
縋りつくようにしていた為にフィリアにしてみれば、おしくらまんじゅう状態だった。
しかしフィリアは暑いどころか周りの様子に冷や汗が背筋を伝う思いだった。
遅すぎる自重の囁きに気づいたフィリアは間違いなく残念な子だ。
集まってきた家中の人間もそんな家族の様子にホッとした安堵と共に目元を拭ったり目を潤ませて微笑みを向けていた。
マリアやミミに至っては恐怖からの解放に震えながら涙を流していた。
だが、良かったのはそこまで。
いや、全然、何も良くはないのだが。
それでも、そこまではまだ、フィリアにとって焦りを抱いたとしても「少しやりすぎた」程度の考えでしかなかった。
まぁ。その考え自体が足りなくはあるのだが・・。
それはそれとしても。
次の日からがフィリアにとって予想外の異常事態だった。




