74 魔法の先生
グレースはフィリアに向き直り、姿勢を正した。
「という事で、貴女の先生になることになりました。よろしくね」
軽い調子でフィリアの家庭教師が増えた。
盗み見るようにグレースの背後に目を向けるが、そこにいる二人。
ゼウスは見るからに死相が浮いているし、マーリンは完全に萎縮したように存在をできる限り希薄となっている。どうやら、二人に否を唱える意思は・・いや、気力がないようだ。
「フィー。グレースは『豊穣の魔女』と称される程に高名な魔女なんだぞ。だから、彼女から沢山学び、沢山吸収しなさい」
更には例に漏れず、またしても最上の家庭教師らしい。
それも、一連の様子からゼウスやマーリンを凌ぐ猛者。
またまたフィリアの規格外さに拍車がかかりそう・・。
憂鬱だ・・。
「・・えっと、きょうかは?」
「そりゃぁもちろん魔法だよ」
「まほう・・」
改めて考えてみると、フィリアが『魔法』をきちんと習った事などない。
助言などは貰ったりもしていたが、それはあくまでアドバイスの範疇。
魔法の本質に触れたものなどはなかった。
魔術に関してはマーリンも言っていたが、知識があってこそのものだ。
しかし、魔法に関しては感覚で使えてしまっていたせいもあって、深く学ぶことを考えたこともなかった。
グレースが人差し指をくるりと回した。
それと同時にフィリアが浮かべたハーブティーが形を変えた。
不安定さもなく、定められた形に収束するように変わるさまはあまりに洗練されていてフィリアは目を奪われた。
そこに生まれたのは水晶で出来たような小鳥。
意思を持ち、命を吹き込まれたように動く小鳥。
フィリアの魔法とは次元が全く異なる。
どういう原理なのか、同じ『魔法使い』であるフィリアにも全然理解できない。
完成された魔法。
フィリアの魔法が、どれだけ未熟であるか突きつけられる。
驚くフィリアを見つめ笑うグレースは、朗らかで、後光が差したようで、フィリアも不快どころか見蕩れてしまう。
「フィリアちゃんが立派な魔女になれるように、力を尽くすわね」
「まじょ・・ですか?」
「フィー、魔女っていうのは魔法を使える者の総称だよ」
「・・こどもを、たべたりしない?」
「・・・」
沈黙が支配した。
居心地の悪いような、張り詰めた空気ではないが、明らかに何言ってんだコイツ的な眼差しが注がれていた。
どうやら、フィリアが普段より口数が少なめだったり、大人しかったりしていたのは、素直にビビっていた為だった。
「・・姫さま。本の読みすぎです」
皆の深い頷きが、見事にシンクロした。
ただひとり、グレースだけは、手紙でしか知らないからか、口元を隠して可笑しそうに笑うだけだった。
「フィリアちゃんは可愛いわね」
そこには、最早忘れ去られているフィリアの幼さや純粋さを素直に微笑ましく想う感情があった。
当然グレース以外にそのような想いは掠めることもなく、寧ろ今後知っていくであろうグレースに憐憫を抱くだけ。
「悪い魔女は確かにいるけども、フィリアちゃんが思うような絵本に出てくる魔女は、ほとんどいないわよ」
「そもそも、魔法が使える者は皆、魔女と呼ばれるが、グレースのように『魔女』の称号を持つ者は特別なんだぞ」
魔女と一口に言っても、グレースのそれとは全く異なる。
元々魔法などという物は、生まれ持った才能で使えるか使えないかがほぼ決まるものだ。
故に稀有な才能として、魔法を使える者を『魔女』と呼ぶ。
だが、それもピンキリでしかない。
小さな火を灯すだけで魔力を使い切るものもいるし、フィリアほどでは無いにしろ、多くの魔法を行使出来る者もいる。
しかし、そんな差異関係なく、総じて魔女と呼ばれる。
そんな中、『魔女』でも特別な存在がいる。その一人が、目の前のグレースだ。
彼女の『魔女』は、通称ではなく。所謂、敬称。それも一国から戴く物ではなく、世界各国から認められた証。
数多の貢献や、偉業。そして当然、魔法の実力があって、与えられた称号。
同じ『魔女』でも、通称とは全く違う。本物の『魔女』。
そして、そんな『魔女』である。
性格に少々難がある者も確かにいるが、あまりに道を外した存在が認められるはずがない。
ましてや、絵本に出てくる悪い魔女のような存在がその枠に入るわけがない。
確かに畏れや嫌悪の意味で呼ばれる『魔女』も少なくはあるが存在はする。
悲しい事だが、魔法を使えようと、人間は人間だ。皆が皆、真っ当などありえない。
しかしそれでも、この土地。ひいてはレオンハートから『魔女』と称される存在がそのような悪道に染まっているはずなどない。
魔術や魔法。魔力に並々ならぬ誇りと愛着を持つ彼らが、それを冒涜するような者を認めるはずがなく、それ故に『魔女』の名にも大いなる敬意と尊敬を抱いているのだから。
「じゃぁ、わたしも、まじょですか?」
「えぇ。そうよ。・・でも私が言う『魔女』は『魔法が使える』だけではなく。私と同じ、正真正銘、本物の『魔女』。フィリアちゃんにはその為の教えを説くわね」
そんな事を言われてもフィリアにはニュアンス程度にしか伝わらない。
その証拠に未だ半信半疑で、食べられないか疑っている目である。
そんな無礼極まりない視線を逸らすため、ミミはおかわりのハーブティーを煎れ、マリアはジャムを乗せたパイを手元に運んだ。・・二人共、そっと、無言で。
「明日から早速はじめましょう。・・それで、アーク」
「わかっています」
グレースはフィリアから視線を外すと、急に冷めた目となり後ろをチラリと見た。
その視線を追い、アークは全てを察し、深く頷いた。
「おにぃはこのまま拘束して、執務室にぶち込んでおきます」
「ありがとう。助かるわ。・・さぁ、ゼウス?話したいことが沢山あるわね」
しかし、ゼウスには最早声は届いていない。
フィリアと同じである。レオンハートは魔力の乱れが致命傷になる。
何の術を施しているのかは知らないが、血色の無いゼウスは虫の息である。
抵抗する気力もないままに、ゼウスは騎士に連行されていく。
「叔父様!」
「リーシャ」
リーシャもそれに続こうとするが、アークの声に足を止めざるを得なかった。
不満全開の表情だが、流石にアークに逆らうことは出来なかった。
「それとグレース。アンリが楽しみにしているから、後で顔を見せてやってくれ」
「・・お義母様が」
ジキルドの言葉に、グレースは苦笑を漏らした。
リーシャだけは『お義母様』呼びに敏感に反応するが、それもアークのひと睨みで、唸るのみに留まった。
「・・また、ドレスが増えそうですか?」
「・・あぁ多分な。・・あと、この間、家具類の商人まで呼んでいたぞ」
「・・・ご自分用ではなく?」
「新婚・・。それも、婦人用が主だった・・」
「・・どんな様子で?」
「喜々として・・」
誰とは言わないが、いくつかの大きな溜息がこぼれた。
しかし、我らがフィリア嬢は毎度の事ながらリスのように頬を膨らませて、ひとり別世界。
実に至福な表情をしていた・・。
「マーリンちゃん」
「・・すいませんでした」
サロンを出たグレースに後を着いてきたマーリンは、悔やむような表情を見せていた。
「謝るような事は何もないでしょ?貴女は実に優秀な指導者なのは確かだもの。ただ、フィリアちゃんが思った以上に優れた生徒だっただけ。貴女はなにも誤ってなんかいないわ」
「でも・・。あの子の才能に気づいていながら・・。安直でした・・」
「マーリンちゃんは、相変わらず真面目ね。少しは貴女のお兄さんにも見習って欲しいわ」
そう言って和まそうと悪戯な笑みを浮かべるが、マーリンの表情が変わることはなかった。
グレースはそんなマーリンをみて、困った子だと呆れたように微笑んだ。
「・・・それよりも。これ」
グレースは腰から小瓶を取り出しマーリンに差し出した。
「これって!?」
それを受け取ったマーリンは息を呑んだ。
琥珀色の液体。その中には虹色の粒子が絶え間なく漂っている。
「エリクシールよ」
万能薬。エリクシール。
死者すら蘇らせると伝えられる秘薬。
実際は、死者蘇生など出来ないが、その効果はそんな伝承が残っても納得できるだけのものだ。
「マーリンちゃんは錬金術師な上に、専門は薬師でしょ。それでも、エリクサーくらいなら作れても、エリクシールは魔女の秘薬だから難しいかと思って・・」
エリクサー。
それさえも耳にしたことがある伝説級の秘薬。
とても『くらい』などという薬ではない。
そしてこの二つの薬は同一視される事もあるが実際は違う。
エリクシールは、魔女。つまりは魔法によって生み出される薬で、それを模倣して、錬金術。つまりは魔術によって作られたのがエリクサーである。
純粋な効果ではエリクサーの方が速攻性も高く、大きい。
だが、エリクシールは自然に近い治癒を促す為、ゆっくり。最終的な効果も個人差が大きい薬品だ。
「ありがとうございます。・・確かにエリクサーでは効果以上に負担が大きくて投与出来なかったので・・」
「・・その点エリクシールなら、量の調整も出来るし急激な回復ではないからね。・・でも、実際効果があるかはわからないし、あったとしても時間稼ぎにしかならないわ・・」
「・・それでも・・」
「『豊穣の魔女』などと持て囃されても、この程度の事しかできないなんてね・・」
二人が想うは、当然ジキルドの事だった。
ジキルドの時間は最早、手の施しようもなく、残り僅かとなってきていた。




