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71 三人の母



 「・・・え・・」



 リリアの言葉にフィリアは頭の中が真っ白になった。



 最近では恒例のようになった、フィリア温泉の朝風呂。

 その後、湯冷ましにティータイムで寛ぐのもいつもの事。


 その際、普段の何気ない事で会話を弾ませたり、畏まらず報告を挟んだりもしていた。


 その場で、リリアから伝えられた内容にフィリアの瞳は揺れた。



 「姫様・・」


 「・・まりあ・・みみ・・」



 マリアの労わるような声に、フィリアはゆるゆると振り返り、その目にマリアを捉えると目頭が熱くなり、口を歪めた。

 そのまま、おぼつかなくなった足取りでマリアの元に向かい、マリアも腰を落としフィリアを向かい入れた。


 恐る恐るマリアに体を寄せたフィリアだが、幼い腕は強く縋るようマリアにしがみついた。



 「姫さま・・」


 「みみ・・」



 そこにミミも腰を落とし近づいた。

 フィリアはそんなミミに向け顔を上げ、片方の腕を伸ばした。


 その小さな手は、ミミの服を強く握り、寄り皺を作った。

 そんなフィリアをミミは、マリアと共に包み込んだ。



 「ふたりは・・わたしのものです・・」



 小さな呟き。

 だが、その声は確かに届いた。


 マリアもミミも微笑みを深め、小さな体を一層愛おしげに包み込んだ。



 「マリアは私のよ」



 そんな雰囲気を正面から掻き消す、リリアの声。

 それも、駄々をこねるように拗ねた、大人げないもの。



 「リリア様・・」



 空気を読まないリリアにマリアの呆れた視線が突き刺さる。



 「だって・・。いくら可愛いフィーの頼みでも、マリアは譲れないもの・・」



 子供のように口を尖らし、拗ねる姿は、フィリアの母らしい。

 だが、フィリアは中身はともかく、見た目は小さな幼女。それに対しリリアは四児の母。

 それなのに、中々に違和感が無いのは素直に凄い。



 呆れるマリア。その胸からフィリアは名残惜しげに体を起こすとリリアに向き直った。


 俯き、表情は伺えないが、何処か緊張しているような、怯えているような、その姿は小さな体をより小さく見せていた。


 しかし、意を決したように上げた顔。そこにある瞳は、強い意思を孕んでリリアを射抜いた。



 「わたしのです!」


 「私のよ!!」



 ・・子供の喧嘩が始まった。






 この日、フィリアに伝えられた内容。

 それは、『乳母』の役を終わらすというもの。


 今すぐのことではないし、リリアたちの中では以前より話し合われていた事ではあった。

 だが、フィリアにとっては寝耳に水。



 リリアが母として不足であった訳ではないが、マリアもミミもフィリアにとって代え難い母のような存在。

 離れることなど考えた事もなかった。『乳母』という立場を考えれば当たり前であったのだが、あまりにも近しい関係性はその事を失念させていた。



 「姫さま、ご安心ください。私は『乳母役』でなくなっても姫さまの御側におりますから」


 「みみっ」



 優しく微笑むミミの胸にフィリアは飛び込んだ。

 ミミもそれを迎え入れ、背中を静かに撫でてくれる。



 「ミミは出世の道もあったのだけど、それを断って、今後もフィーの傍に居たいって言ってくれたのよ」



 フィリアはこれでもこの家の姫。その『乳母』を務めたミミを粗雑には出来ない。

 だが、それでもミミは若い。一侍女に戻したとしても周りの方が扱いに困ってしまう。

 マリアならば、リリアの専属に戻るだけの為、問題もなかろうが、ミミはそうもいかない。

 その為の出世。もちろんミミの能力もあっての事。給与や待遇も良くなるはず。


 だが、それでもミミはフィリアを選んだ。

 フィリアに代わり、毒を飲んだ経験もあるミミは、特別フィリアに対しての情が深い。


 そして、それは十分にフィリアにも伝わっている。



 「・・まりあは?」



 僅かに顔を上げ、伺うように覗き見たフィリアの視線にマリアは困ったように、だが慈愛を多分に含んだ笑みを見せた。



 「私もしばらくはこのままお側に仕えさせていただきますよ」


 「・・しばらくって?」


 「姫様の洗礼式までは、お側におります」




 遠いようで近い未来。


 フィリアはミミの抱擁から離れず、マリアのスカートを握った。

 幼い手に集まる皺が、フィリアの心痛を表していた。



 「・・それまでに、メアリィを立派な侍女に致しますので、どうかよろしくお願いします」



 メアリィには会いたいし、楽しみではある。

 だが、それとこれとは別だった。


 離れがたい心情は隠せず、フィリアは無言のままスカートを握る手を更に固く握った。


 フィリアにとってもうひとりの母。

 その想いは想像に難くない。






 そして、何故このような話をリリアがしたのか。

 温泉上がりで気の抜けた時間。正式な場でも、畏まった場でもない今。雑談のように。



 「今度の誕生日を機に、セバスを正式にフィーの専属にしようと思ってるわ」



 リリアのその言葉にフィリアはハッとリリアを見た。


 ようやく、フィリアの忠臣が、一人その役目を果たせる。

 フィリアに『一輪の花』を捧げ、まるで己が分身のように存在を感じる、特別な一人。



 元々フィリアの身を狙ったセバスだが、フィリアによって許され。

 贖罪を含めた、保護観察期間を経て、ようやく許しが出た。


 フィリアが知ってのは、影となって見守ってくれていることだけ、それ以外は何をしていたのか何もわからない。



 「セバスには執事として務めてもらおうと思ってるの」



 普段の服装からも驚きはない。

 それどころか、フィリアが名付けた時点で決まっていた未来だ。



 「本当は護衛とかの方がいいと思うのだけど、本人の希望もあるし・・フィーがそれを望んでいると、セバスから聞いてね」



 それは間違いない。だが、フィリア自身は口にした事はない。

 それでも、セバスには考えが筒抜けだった。これもまた『一輪の花』の産物だろう。



 「はい・・。せばすとは、しつじといういみなので・・」


 「そうだったの?」



 そんな意味はない。

 何を、あたかも当然のように語っているのか。


 そもそも、名付けたのは、正真正銘の赤ん坊の時分。

 前世の事を省けば、そのような知識など皆無の時期。なのに、何をしれっと・・。



 「ともかく、それを機会に、フィーの専属侍女を選定しようと思っているの。前から候補は絞っていたから、そこまで手間でもないし」



 フィリアはそんなリリアの話に、ミミを見て。マリアを見て。再びリリアに顔を向けた。



 「じじょは・・いらないです・・」


 「フィー・・。流石にマリアとミミ、二人だけでは手が回らない事も多いわ。それにセバスが加わるとしても―――」


 「めありぃもいます」



 フィリアがリリアの言葉にかぶせるようにメアリィの名を出した。

 幼い手は震えるようにマリアのスカートを握り締めている。


 納得できたわけでも、飲み込めたわけでもない。

 それでも、マリアとの時間を理解した上での言葉。



 「・・フィー」



 沈痛な娘の姿に、眉を歪めるのはリリアだけではない。

 マリアもミミもまた同じだ。



 「・・リリア様。専属侍女の選定はもう少しお待ち頂けませんか?私とミミで、今のところ問題はありませんし。セバスも来てくれます。・・何よりメアリィも遠くないうちに仕上げます。もし、不足がありましたら、今まで同様、他の使用人に手を借りることも出来ます。・・・ですから、もうしばらくだけ・・」


 「リリア様。私もマリアも今まで以上に努めますのでお願いいたします。・・姫さまは今、母のように慕っていたマリアがいなくなり、その『代換』を選ぶようで苦しいのだと思います・・。なのでもう少しだけ、姫さまに気持ちの整理をする時間を頂けないでしょうか」



 実の母であるリリアに言うことではないのは、百も承知だった。だが、それでも、フィリアの心情を無視出来ない。


 最高の『乳母』たちである。


 もちろん、リリアとてその程度で気分を害することなどない。

 乳母とはそういう存在だと、リリア自身も理解している。


 そこに実母だからと謗る意味などない事など当たり前だ。



 「わかったわ。・・でも、フィー。これでは少しママも寂しいわ」



 だから、少し軽口をつく。いつもの悪戯な微笑みで。


 フィリアは無言のまま、ゆっくりとミミから離れると、とてとてとリリアに歩みを向けた。

 リリアもそれを見て腰を落とし、フィリアを迎える。


 フィリアはそのままリリアに身を預け首に腕を回した。

 そして背中に優しく添えられた手の温もりを感じて、リリアの方に顔を埋めた。


 今まで必死に堪えていた熱い目頭を隠すために・・。



 やはり、母の温もりは特別だった。

 いとも簡単にフィリアの感情を溶かしてしまう。




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