69 拳闘幼女
ポカンとした様子で佇むフィリアと向き合い、鼻息荒くやる気まんまんのティーファがいた。
「さぁ。今日は父様もいないし、立合いをするぞ」
ゼウスは二人の間に立ち、今日の訓練の内容を話し始めるが、フィリアの耳には入ってこない。
「・・おじさま」
「ん?」
「なぜ、ていーが?」
フィリアが指さした先。
ティーファは溢れる気合をシャドーボクシングの動きで発散している。
「何故も何も、今日の相手はティーファだからだが?」
ニコニコと喜びに満ちた表情で、拳を振り回すティーファを唖然と見つめた。
空を切る拳が音を鳴らしているのは気のせいだと思いたい・・。
「ティーファは最近、アンネに師事してもらっているから、中々に手強いぞ」
「あんね・・?」
フィリアが振り返るとそこには誇らしげなアンネ。
フィリアの近衛の中でも、癒しや可愛い担当のようで、小動物のような彼女。
最近、よくモテているが、その殆どは庇護欲が擽られた故の理由が多い。
だが、それでもフィリアの近衛に選出されるだけの実力を持った騎士だ。
―――うちの可愛いティーに、何を教えてんの!?
フィリアの憤慨は届かず、アンネは何かを成したかのように満足気。
そして、当のティーファ・・。もはや、拳突に残像さえ生まれている。
「アンネは、私の弟子だからな、その師事を受けたティーファは中々に手強いぞ」
「え?・・。おじさま?」
何か色々と待って欲しい・・。
そこで、ふと思い出す・・。
リーシャの誕生日に何が欲しいか聞いた時、アンネが欲しいと言われたことがあった。
その時は、冗談を・・。と笑って流れたが、あれは本気だったのではないだろうか・・。
フィリアの背筋を嫌な冷たさが伝った。
―――あの時の俺!グッジョブ!!
もし、そのまま冗談だからと乗っていたらと、思うと肝が冷える。
「アンネは私の弟子で、優秀な魔術師だったのだがな。・・ある時、ミリスを見てな・・、騎士になってしまった・・」
国を代表する魔導師たるゼウス。
その弟子が、魔術師ではなく騎士なのは、単純に憧れが勝ったせいだった。
ゼウスは師だったのに、ミリスに憧れで負けたのだ。
少しゼウスの横顔に哀愁が漂っている。
というか、そもそもの話。
アンネが、ゼウスの弟子という話自体が初耳なのだが、その説明への言及はないらしい。
そして、ゼウスの弟子であれば、恐らく魔術だけの師事ではない。それをフィリアは身を持って知っている。
アンネが騎士として活躍しているのが、何よりの証明だ。
何故ならアンネは騎士になってまだ二年も経っていない。
それだけにゼウスの末恐ろしさもあるが、今はそれ以上に、それがティーファにさえ継承されつつあることが何よりも怖い。
そう考えれば、フィリアも土俵は同じだが、だからこそ、ティーファに何を教えてくれてるんだ、という想いに、より重みが増す。
「それと、今回のことはティーファが望んだ事らしい」
ティーファは、フィリアと共にいることが多い。
その為、魔術において、他の同年代とは比べ物にならない程に学んでいる。
マーリンやゼウスの授業を遠巻きに見学するだけでなく、フィリアに手とり足とり教わる事も多かった。
その為、ティーファは一定の自信も持っていた。
だが、ナンシーの襲撃の際、ティーファは何の力にもなれなかった。
それどころか、本来守るべき主から守られるように遠ざけられた。
それは、つまり、戦力外通告そのものだ。
フィリアに対して並々ならぬ想いと忠誠心があるティーファにとって、それは何よりも、耐え難いことだった。
それで、ティーファはマリアに相談し、フィリアの近衛であるアンネに師事してもらえることとなった。
ゼウスの弟子だったことは想定外だったが、結果的にこれ以上ない師についてもらった。
フィリアも謂わば同門の教え子だ。
恐らく、ティーファの力を正確に見極められるだろう。
それこそがティーファの望み。
もう、守られるだけの自分で無いと。
初めて出会った時から、天使のように輝く姫を、その手で守るのだと。
「ヒメ!はやくはじめましょ!!」
・・だとしても、そのように輝くような笑みで、空を切る拳が可愛く見える事はない。
寧ろ、ウォーミングアップも仕上がり、迫力が増してさえいる。
フィリアの口端が引き攣るのも無理はない・・。
ゼウスが下がり、フィリアとティーファは向き合った。
幼女二人。真剣な表情で向き合ってはいても、何処か緊張感に欠ける。
最初に動いたのはティーファだった。
爆発的な推進力で一瞬のうちにその間合いを詰めた。
そのまま、流れるように回し蹴り。
それは、ギリギリ間合いの外だが、確実に芯を捉えて届く。
直進しているようで、少し斜めに進む、小技。
距離感を狂わせ、攻撃が伸びるように感じる技。
だが、それを学んでいるのはティーファだけじゃない。
寧ろ、本家から学んでいるのはフィリアの方だ。
フィリアは迷わず懐に飛び込み、ティーファの勢いを殺す。
だが、ティーファはその推進力を回転に移し、回し蹴りの連撃に乗せる。
フィリアはそこで飛び上がり空中を回るように蹴りに蹴りを合わせた。
その打ち合った反動を利用して、空中で更に回転し二擊目を叩き込む。
これもまたティーファの初撃と同じく、伸びるように届く。
しかしこれも、勢いを活かし投げるように、ティーファは攻撃をいなした。
飛ばされたフィリアは着地と共に態勢を整えるが、追撃はない。
二人は再び、間合いをとって向き合った。
小さな幼女、二人の舞うような舞闘。
ほんの一瞬の攻防さえ、息を呑むほどに洗練され。
正直、二人の容姿を見れば空いた口が塞がらない程の光景。
それも二人共息を切らすどころか、逆に今ので整えている。
普段なら体力の乏しいフィリアでさえ、乱れることがない。
それは双方、身体に魔力を巡らせた、所謂、身体強化の術。
身体への負担が大きく。本来なら発育途上では推奨されない術。
緻密な魔力操作のみならず、急に上がる身体能力に対しての慣れも必要だが、この二人は完璧に使いこなしている。
フィリアはともかく、ティーファでさえ完璧に。
「もうそろそろ、姫様にダンスを習わせてもいいですね・・」
不穏なマリアの呟きは当のフィリアには届かない。
早速、ミミがスケジュールを確認しているのが、不憫だ。
「んー。ティーファも姫様も、手数の少なさが気になりますね・・」
「そうだなぁ。一撃で相手をやりきろうとしすぎて、連撃や追撃に一瞬の間が生まれてしまっているなぁ」
この師弟は幼子に何を求めているのか。
もう十分に規格外の域で、過剰な戦力を有しているというのに・・。
しかし、身体強化においてはやはりフィリアに軍配が上がる。
ティーファは年上で、その上フィリアは特段成長が遅く身体が小さい。その為、体格差で補えている部分が大きい。
「・・だが、それは現時点でだな」
「はい。姫様の魔力運用は日々、目を見張る速さで練度が増していますからね。力押しでは直ぐに歯が立たなくなりますね」
ティーファは世間一般で言えば十分に『天才』と揶揄されるだけの能力を有している。
だが、どれだけ一般的な評価が優れていようとも、それすら嘲笑う規格外が『レオンハート』であり、その中でも更に常軌を逸しているのがフィリアだ。正直、相手が悪すぎる。
というか、それ以前にこの幼い二人は武闘家を目指しているわけではない。
フィリアは魔術師の英才教育、だが立場もあろう。明らかに護身の範疇を逸脱してはいるがまだ、わかる。
しかし、ティーファが目指すのは庭師。現時点でも見習いとしてマルスに付いて日々励んでいる。いくら本人の希望とは言え、そこまで必要だろうか・・。
フィリアがバク宙と共に上げられた足がティーファの鼻先を掠ったが、反らされた身体にそれ以上のダメージはない。
その為、ティーファは態勢を引き戻し一歩踏み込んだ。
そして、宙を舞うフィリアに空気すら弾ける掌打を放った。
「ぐっ!?」
空中で受けた掌打に、なんの抵抗もなくぶっ飛ぶ小さな身体。
息が詰まり顔が歪むフィリアだが、なんとか態勢を整え、地面を転がるようにして受身をとった。
すぐさま立ち上がり構えを取るが、一度乱された呼吸は、堰を切ったように荒れ、肩を上下させた。
痛みや衝撃よりも、息が乱れ、集中が途切れた方が深刻だった。
魔力操作も乱れ身体強化さえ解けてしまった身体は、鉛のように重くなり、脂汗が滲んでくる。
直ぐに態勢を整えようと深く息を吐くが、そんな間を与えてくれなどするわけがない。
着地と同時に上がった砂塵の中に影を確認した瞬間。
ブワッと砂塵が割れ、影の主、ティーファが詰めてきていた。
拳を構え、飛ぶように迫るティーファ。
もう、何も間に合わない。
フィリアは歯を食いしばり、瞼を強く引き結んだ。
「っ!?」
・・・。
だが、衝撃は来ない。
薄く目を開くと、そこには、鼻先で止まった拳があった。
「ヒメ。わたしのかちです」
拳がゆっくりと引かれると、そこにあったのは満面の笑みを浮かべるティーファ。
フィリアは安堵の息を漏らし、何故かそこに悔しさは微塵も湧かなかった。
只々ティーファの努力を素直に賞賛できた。
我が子の成長を喜ぶような心情で微笑む幼子。
伸之の事を知らない者からしたら、気色悪くて仕方ない。
「課題は多いな・・」
「ティーファもですね。最後、姫様の集中が切れはしましたが、それ以前にティーファの身体強化の方が途切れかけていましたから」
ゼウスとアンネの目線は厳しい。
「・・ゼウス様もアンネも、二人が幼い子供である事忘れてません?」
「・・・」
ミミの呟きに、マリアは何も返せない。
というか、そんな過剰な教育にさえ応えてしまっている幼女の方が問題なのだ。
また更に手に負えない存在になっていく主に、喜びは抱けない。
寧ろ、涙が溢れそうなマリアだった。
「・・メアリィ」
我が子を憂うのは結構だが、メアリィもまたあっち側に立つのではなかろうか・・。
手を取り喜び合う幼女二人に、マリアの杞憂は、違う形で現実化する未来しか感じられない。




