67 妖精の祝福
「私はその後、ずっと二人の帰りを待ち続けたわ・・。現実を呑み込めず、只々毎日、庭の花畑の世話だけをして過ごして・・。幸いにも妖精は食事がなくとも生きていけたけど、本当にあの頃はそれ以外の事は全く何もできなかった・・」
それを語るナンシーは悔しさを滲ませることもなかった。
只々、達観した様に、物語を語るように、静かな口調だった。
「あの時・・ナンシーの母親が、命を捧げた事で、その後の捜索は無くなった。・・それでナンシーも、そのまま過ごせたのだろうな」
その命を奪った、張本人が何を・・。
とは、ジキルド自身が一番感じていたが、それでも俯瞰したように今は語った。
ナンシーもその事に不快を持つことはない。
寧ろ母がナンシーの為にその命をかけてくれたのだと再認させられ、その想いに胸が苦しくも、暖かくなる。
「・・『転生術』の事は、気づいていたが・・。まさかナンシーのような、『娘』の事だとはな・・。ゼウスもだが・・ナンシーの母も、意地が悪い」
「・・『転生術』に忌諱感があったんでしょ?」
「あぁ・・。あの術は命への冒涜だとさえ思っているよ。・・例え、同個体だとしても、それは全く別の存在だ。なのに『記憶継承』まで施して・・。無理に紐づけたようで、気分が悪い」
「・・それは、私もわかるわ・・」
「きっと、ナンシーの母親も同じだったのだろうな・・。フィーが見た『記憶』の彼女もいい意味で『妖精』らしくなかったからな」
あくまでそれはジキルドの私見でしかなかったが、それは現代におけるクローンに対する批判と似通っている。
まだ、道徳心という言葉が弱い時代。
それでも豊かな心情を持てたジキルドは、心根が優しい人間なのだろう。
「・・ママは私を『妖精』ではなく『人』として育ててくれたわ。たった数ヶ月の日々だったけど。・・リャナンシーの事も『記憶継承』なんかじゃなくて、言葉で手間をかけて教わったの」
記憶をコピーするだけなら一瞬だし、齟齬や語釈もない。正確に何かを伝えるなら、何よりも確実な手段だろう。
だが、アンヌはそれをしなかった。言葉を噛み砕き、順序だて、丁寧に。
そんな手間をかけ、あえてナンシーとの時間を大切にした。
「ママは、私のせいで、ほとんどベットから動けなかったけど・・。その分、いっぱい私とお話してくれた」
本来、『転生術』は、命尽きるその時に全てを注いで行う秘術。
そんなものを行使して、今まで通りとはいかなくて当然だった。
結果。身体は虚弱となり、寝込むこと多くなりはしたが、引き換えに最愛の娘が出来た。
「そしてママは、いつも微笑んで『お姫様』ってキスしてくれた」
両頬、顎、額。そこにキスを落としたあとに、抱きしめるまでが一セットだった。
「『妖精の祝福』か」
この国、引いてはこの領では全くというほどない風習。
妖精に愛され、妖精に守られる、おまじない。
「妖精に『妖精の祝福』なんて、おまじないにもならないのに・・。ママはいつも私にそうしてくれた」
それは、愛してる事を示すおまじないだった。
他国では、我が子に贈る風習として広く知られている。
「・・意味のないものではなかったさ」
「え?」
「『妖精の祝福』には『妖精回廊』というの伝承がある」
それは、森で迷子になった少女が、妖精の導きで家に帰るというもの。
少女は深い森にいたはずなのに、一本道を進み、家に着いた。更には少女が迷子になっていた時間が無かったかのように、帰ってきた時の家の様子は、出かけた時と同じだった。というお話。
「ナンシーはあの時、一瞬で遠く離れたラッカーの家にいたのだろう?・・妖精の中には『転移』の力を持つ者も希にいる。それを行えたナンシーの母は妖精の中でも高位の存在だったのだろうな」
「『転移』か・・。魔術師の夢だな・・」
黙っていたアークが思わず呟くように声を発した。
アークもまた、魔術師として夢を抱く者なのだろう。
「現状、物質の転移は不可能だからな・・。妖精や、自我が薄くてその肉体が魔力影響の大きな魔物くらいしか、転移させられないからな」
故に『妖精回廊』は伝承だった。
現代の技術では、少女、人間を転移させる原理などないからだった。
その上、実体験はあってもオカルトの域を出ないものばかり。
魔術や魔法が存在する世界でも、その扱いなのだ。信憑性など無いに等しい、
だが、その少女が『妖精』ならば話が違う。
「じゃぁ・・。あのおまじないは・・」
「『妖精の祝福』とは古くから大切な人に贈る、願掛けの意味合いが強い。・・それこそ旅立つ者に『迷わず帰って来れるように』という意味で贈る風習もあるからな」
少し目を伏せたナンシーをジキルドは切なげに見て、今度は全く違う真剣な表情をアークに向けた。
「そして、『まじない』とは『呪い』であるのが魔術に精通する者の常識だ」
「フィーの事ですか」
アークもその眼差しを受け、表情を引き締めた。
「この子は稀有な才を持っている。魔術師としても、すでに優秀な実力だ」
「はい。・・ですが、それが問題なのですね」
「あぁ・・。私も今回、携わって気づいたが、フィーは魔術師として優秀すぎるな」
ジキルドはしがみつくようにして隣で眠るフィリアの頭を撫でた。
フィリアが優秀なのはマーリンとゼウスによる教育の賜物だろう。
それを褒められるよりも問題視される。
「フィーは魔法が使えるのに、今では魔術に引っ張られている」
魔術とは、学問であり技術。
そこには確かな理論や原理があって生み出される現象。
対して、魔法とは願うだけで顕現される現象。
「・・実はその事で考えがありまして。・・現在内密に依頼を出しています」
「内密に・・まさか・・」
「・・はい。『豊穣の魔女』です・・」
カチャリとソーサーの音が鳴った。
それはナンシーの傍にお茶を淹れたアンリの鳴らした音。
彼女がそんな粗相をするなど珍しい。
だが、アークとジキルドはそれに意識を割くことはない。
「その事・・。ゼウスには・・」
「もちろん言っておりません」
真剣な二人を傍目にそわそわと落ち着きがなくなるアンリ。
「・・アンリ」
「っ!はい?」
流石に目にあまり始めた妻にジキルドは呆れた息を漏らし声をかけた。
「・・ナンシーのドレスも作るのだろう?それなら準備をしてくるといい」
「え!?」
その言葉に驚いたのはナンシーの方だった。
アンリは我が意を得たりといった様子で喜色の笑みを浮かべると、ナンシーを無理やり立たせ引きずって行く。
「さっ行きますよ!ナンシー!!」
「ちょ、奥様!?私にそのようなものは必要ありません」
「ナンシー・・。諦めよ。そうなったアンリは止められんのだ。リーシャを見てきたお前ならわかるだろう?それにナンシー。お前もレオンハートの者だ。それなりの装いが求められる。今から準備をしておきなさい」
リーシャの話を出されては思い当たることが多すぎた。
それに、全く違うのにアンリに、アンヌが重なって見え、強く拒絶できなかった。
「・・まだまだ、話したいことは沢山ある。だから・・また、おいで」
そして、敵でもあり、恨む対象のジキルドにゼウロスが重なる。
言葉を紡げず、息を呑んだナンシーはそのままアンリに連れ去られていった。
「・・今はまだ深夜ですよ?」
「・・ではお前がアンリを止めてくれるか?」
アークの無言はその答えだった。
マーリンの母であり、リーシャの祖母。
走り出しては止まらない。
「アンリはあの様子だが・・。決してゼウスには気取られるなよ」
「はい・・。ついでにおねぇにも・・」
「・・そうだな」
密談のように言葉を交わす二人は、頷き合い。そして、思い出したかの様に恐る恐る、視線を同じ方向に向けた。
寝苦しそうに唸るアランに寄りかかり、幸せそうに眠るリーシャ。
「・・リーシャにもだな」
「最優先で、そうですね」
生唾を呑み、緊張を高めた二人は強い頷きを揃えた。




