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66 妖精の恋人 Ⅴ



 ルーティア郊外。

 森林地帯の奥深く。


 しかし、ルーティアの街にまで轟く轟音。

 街の者たちも皆、外に出て、真剣な表情で、音が響いてくる方向を見つめていた。



 「団長。我々はここで待機でいいのですか・・。いくらジキルド様とて、相手はあのゼウロス様ですよ?」


 「レオンハートの『家族殺し』には、手出し無用が鉄則だ。・・それにあの魔術合戦に混ざれるか?足を引っ張るだけだ」


 「・・・」


 「それに・・。こんな魔術戦一生に一度、御目にかかれるかどうかだぞ。その目にしっかり刻み込んでおけ」


 「はい・・」



 離れた場所で軍は『花畑』を眺めていた。


 魔術師団は当然のこと、騎士や一兵軍人も、目を奪われるように、息を呑んで見つめていた。

 

 

 

 ジキルドが展開している『天蓋』。

 そこに浮かぶ星星は余すことなく煌き、流星が降り注ぐが、ゼウロスはその合間を縫うように動く。

 しかしジキルドもその隙を熟知している。故にその隙を無数のナイフがホーミングするように襲いかかる。


 しかし、そのナイフがゼウロスの身に触れる前に、熔解していく。

 それに即在に反応したジキルドはナイフを一瞬で凍結させ放つ。


 ゼウロスが同じように熔解させようとする瞬間。急激な蒸発と共に爆破が誘発する。

 それも一本二本のナイフではない。爆破もその数と同数。小規模な爆発も、次第に数を増して大規模になり空気だけで肌が灼ける。


 だが、ゼウロスに効果は薄かった。


 ゼウロスを内包して透明なドームが生まれた。

 全く被害が無かった訳ではないが、爆破はその空間に入った瞬間に終息してしまう。

 その中心にいるゼウロスは煙のように血風を吹き出し立っていた。


 そしてゼウロスが杖を振るうと、『天蓋』が今度はジキルドに牙を向けた。

 煌く星星は一層に光を増し、甲高い音と共に光線を放った。


 空気を灼き、地面を灼く、その光はジキルドを定め降り注ぐ。


 しかし、ジキルドが生み出した氷柱がその光を拡散させ、その光は周囲を無尽蔵に焼き払っただけで、ジキルドには届かない。


 だがその瞬間、大きく空気が唸った。


 花びらが急激な空気の流れに乗り、生み出された強風が一箇所に集まるように収束していく。

 そこはゼウロスが居た場所。


 ゼウロスは風の中心に立って、更に風を煽る。

 すると風は大きさを増し、大きな竜巻となって全てを呑み込み始めた。




 「・・っ」



 息を呑む兵たち。

 それは神々の戦いを彷彿させるほどの光景。


 自然災害さえ、引き起こし。それを自在に操る二人。

 人外魔導師同士の魔術戦。それは畏れを抱かせるだけの迫力があった。



 「・・しかし、何故あの花畑は無傷なのでしょう。周りの森は凄惨な被害なのに」


 「そうか、お前はこの国の出身じゃなかったな」



 団長は、傍らに控える若い兵士に目をやった。



 「あそこは『魔力溜り』で大公私有地の花畑なんだが、そこに植えられた『カレンデュラ』がある限り、焼き払おうとも即座に再生されるのだよ」


 「カレンデュラですか」



 『花畑』に植えられた一輪の『カレンデュラ』。

 それは魔術のかけられた花だった。


 その場所を守る為、大公家の所有を示すため、植えられた花。



 「『カレンデュラ』はレオンハートの家紋だからな。誰も荒そうとは思わないだろうがな」


 「家紋・・。『カトレア』ではないのですか?」


 「『カトレア』はレオンハート『大公家』としての家紋、公紋といったほうがいいかもしれないな。公文書などの大公位を冠ざす時に証紋として使われるものだ。我らレオンハート大公直属軍も軍旗や公章として使っているだろう?だが『カレンデュラ』はそう言ったものには使えない。『大公家』としてではなく、レオンハートという家の家紋だからな」



 要は私的な『カレンデュラ』と、公的な『カトレア』という事。


 この花畑はあくまで私有地。

 大公私有地とは呼ばれてはいるが、あくまで私的なもの。


 そこに『カトレア』を証のように植えることはできない。



 「それに、あの花畑はレオンハート家・・いや、全ての魔術師にとって、特別な場所だからな・・」



 カレンデュラの植えられた花畑。

 それは『魔力溜り』の証でもある。


 そこでは無尽蔵の魔力が湧き、入り乱れる魔力嵐が常に満ちている。


 魔術師にとっては、毒であると同時に聖地でさえある。

 ジキルドが得意とする『天蓋』のような結界術も、元はこのような土地の再現。


 つまりは魔術師にとって優位な空間。



 「そんな場所で、魔導王同士の魔術合戦だ。手など出せようもない」


 「・・しかし、団長ならば」


 「冗談を言うな。確かに私はこの魔術師の基準が高いファミリアで『魔術師団長』を務めている。世界を見渡しても頂きに手をかけている自負もある。・・だが、それでも。あのレオンハートになど遠く及ばない」



 恐らく世界でも五指に入るだけの魔導師であろうが、それはあくまで『レオンハート』を除けばの話だ。

 そして、そんな魔導師であっても、隔絶した差があるのが『レオンハート』。



 「お前は才能に溢れた魔導師だ。その若さで『魔導師』を戴けるだけのな。いずれ、私さえ易々と超えるだろう・・。だがそれでも、届く事のない頂きがある。それが、我らが主、『レオンハート』だ。それを肝に銘じて仕える事だ。リチャード」



 若い兵士は、自身の『師』たる魔術師団長の話に真剣に耳を傾けた。







 「・・どうしました。もうそろそろ魔力切れですか?」


 「馬鹿をいうな。この場所で魔力切れなど起きないだろ・・」



 互いに息も切れぎれで、満身創痍のジキルドとゼウロスは、気合だけでその場に立っていた。

 震える足、決して軽くはない怪我。


 意識さえ保つのが精一杯だ。



 「それは普通の魔術師ならば、でしょう。・・私たちには多少の補正にはなっても、乱れる魔力の方が深刻です」


 「全く・・。『呪いと祝福』などと・・迷惑な体質だな・・」



 そう言って先に膝を付いたのはゼウロスだった。

 崩れ落ちるように地面に落ちたゼウロスの周りを、舞い上がった花びらが漂った。



 『パパっ!!』



 幼い叫び。

 それは誰にも届くことがない・・隣で抱き留める母以外には。


 暴れてどうにか母の腕を引き剥がそうとするが、母の腕は一層強くなり逃れることは出来ない。

 

 急ぎ父の元に行かなければいけないのに、何もできない。

 目の前にいるのに、声も、手も届かない。



 『パパ!パパ!離してママ!!パパが、パパが!!』


 『・・・』



 母、アンヌは溢れる涙を拭うこともせず、真っ直ぐにゼウロスを見つめていた。

 唇は痛いほどに噛み締められ、握り締められた拳からは爪が食い込み血が滴っていた。


 その時、アンヌはジキルドと目が合った。



 「・・リャナンシーの『隠蔽』か」



 その呟くような声に、息を呑んだのはアンヌだけではなくゼウロスもだった。

 アンヌは腕に更なる力を込め、我が娘を守るように抱きしめた。


 しかし、合った目は直ぐに逸らされた。



 「しかし、これだけ魔力が乱れていては特定は出来ないですね」



 白々しく。誰になく言い訳をするようにジキルドは声を上げた。

 それにゼウロスは思わずフッと笑った。しかしすぐ咳こみ、痛みに顔を歪めた。



 「・・ありがとうな」


 「何の事でしょう」



 ジキルドの下手な態度に、再び笑うゼウロスは、懐から手紙を取り出した。



 「・・なんですか?」


 「恋文さ」



 差し出された手紙を受け取りジキルドは眉を顰めた。

 そして再びアンヌと目が合った。



 「それは『星』さ・・」


 「『星』って・・。『星を謳う(スターゲイザー)』ですか・・」


 「いつか・・。伝えてくれ」



 アンヌは遂に嗚咽さえ押し殺せず、娘の肩口に顔を埋めた。



 「俺の愛した・・。『妖精の恋人(リャナンシー)』に」


 「・・・」



 ジキルドは奥歯を噛み締め、眉を諌めた。

 その熱い熱が瞳から溢れないよう・・。




 そして、ジキルドは杖をゼウロスに掲げた。


 青白い光が『天蓋』の星から集まり、ゼウロスの身体から霞のような光を奪い取っていく。



 『冥府の(オシリス)



 ジキルドの呪文と共に、ゼウロスの瞼は重く落ちてゆき。

 眠るように花畑の中、横たわった。



 『パパ!!パパ!!』



 苦痛さえない最期の時。

 安らかな眠りに、アンヌは涙が止まらない。



 「・・兄さん。必ず届けます・・」


 『・・ママ?』



 アンヌは愛する娘から体を離し、微笑んでみせた。

 赤く腫れ、涙に塗れた顔だが、そこにはよく知る母の笑顔があった。



 『ピサンリ』



 その名に、縛られるように身体が強ばった。



 『パパも、ママも、貴女の事を心から愛しているわ』



 そう言って両頬、顎、額に唇を落としたアンヌは、スっと立ち上がり離れた。



 『・・ママ?・・ママ!!』



 次の瞬間、ジキルドが眉を顰め、睨むようにアンヌを見た。



 「・・何故、姿を現した」


 「愛する夫の死を見ては、黙っていられないわ」



 姿を隠していた術の範囲を超えたアンヌは凛として立っているが、その身体は決して万全ではない。



 『ママ!!ママ!!』



 娘のピサンリは叫ぶだけしかできず、身体は縫い止められたように動かない。

 

 そんなピサンリの方向へジキルドが目を向けた。

 


 「・・『転生術』か」


 「・・・えぇ。貴方に忌諱感があるのは知っているわ。でも、この場で『私』を討ち取ったという事実がなければ、夫の死は無駄になってしまうのではないかしら?」



 あくまで討伐目標は『アンヌ』である。

 この場でゼウロスが討たれようと、その手が緩まることなどない。


 寧ろ最大の脅威がなくなり、容赦もないものになるだろう。



 「・・次に会ったお前は別人だ。何の情もわかないぞ」


 「あら。今の『私』にはそれなりに情があったのね」



 誂うような軽口はゼウロスによく似ていた。

 しかし、ゼウロスならば直ぐに感情が出ることから、アンヌの方が優秀だった。



 「・・私は、『ディーニ』の名を冠する事に決めた」


 「・・え・・・」


 「お前は妖精だからな。その意味も正しくわかるだろう・・」



 表情が歪んだアンヌの悲しげで申し訳なさそうな顔に、困ったように苦笑を見せたジキルド。

 だからこそゼウロスには告げなかったのに、アンヌもまた同じように気に病んでしまう程にジキルドを想ってくれている。



 「そんな顔しないでくれ・・・義姉さん・・」


 「・・そう呼ばれるのも、悪くないわね」



 優しく微笑むアンヌは、ゼウロスの傍に腰を下ろし、ゼウロスの顔を撫でた。

 乱れた前髪を避け、唇を合わせ、覆いかぶさるようにその寝顔を見つめた。



 「・・お願い」


 「・・・あぁ」



 『天蓋』の星星が煌き、青白い光がアンヌを包む。



 『冥府の(オシリス)



 重くなる瞼、苦しみはない。


 最期の瞬間まで愛する人の寝顔を見つめ、もうひとりの愛する人を想う。



 「・・私たちの愛おしい『妖精の恋人(リャナンシー)』」



 小さく呟かれた言葉は誰にも届かない。



 『ママ!!』






 ―――愛してる






 そんな声が二つ重なったように聞こえた。


 次の瞬間、ピサンリは見慣れた『我が家』に居た。


 ラッカーの奥深くにある我が家。

 父、ゼウロスが三日で建てた家。

 母、アンヌが伏せがちだった家。



 「パパ!!ママ!!」



 慌てて外に飛び出しても変わらない。


 そこにある花畑は、まだ蕾さえないあの花畑ではない。



 カレンデュラとたんぽぽが咲き乱れる花畑。



 ゼウロスが誇っていた。

 たんぽぽは自身の花なのだと。


 アンヌが想い耽っていた。

 カレンデュラは自身を見守ってくれた花なのだと。




 少女はそんな父と母の想いを溢れさせた花畑の中。いつまでも泣き叫んでいた。


 

 父と母を、呼び続けていた。




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