61 記憶と物語
花に恋歌を。空に英雄譚を。
世を紡ぎ、想いを歌う。
一人の吟遊詩人。
何処にも留まらず、世界を旅する彼は一人の少女に恋をした。
花咲く丘で、花のように可憐な少女に。
彼はその日より少女に、愛を乞い、歌を囁いた。
春が去り、夏を超え、雪が舞って・・再び春が来ても。
彼は丘の上で少女に歌い続けた。
そんな彼の歌は、風に乗り、波に懈い、遠く離れた国にさえ届いた。
美しい旋律と、深い愛の詩は人々の心を魅了し、花のような少女の事もまた、広く伝わった。
それは一国の王にさえ。
王は、その少女に惹かれ、欲した。
吟遊詩人がその事に気づいた時にはすでに手遅れであった。
ある日から、花咲く丘に、最も美しい花が姿を見せることはなくなった。
来る日も来る日も、丘の上で吟遊詩人は待ち続けた。
可憐なあの花を想い、歌を紡ぎながら。
しかし、少女が再び訪れることはない。
少女は、王に無理やり辱められた。
王は少女を深く愛し、少女を城深くに幽閉した。
どんなに泣き叫ぼうと、どんなに抗おうと、関係なく。
王は、少女から全てを奪い続けた。
そんな王城からは毎夜、美しく、愛に溢れた歌声が、悲哀に溢れて響くようになった。
それはまるで叶わぬ想いのようであり、哀しき呪詛のようでもあった。
吟遊詩人の耳にようやくその事が伝わり、彼はすぐに少女の元に駆けつけた。
しかし、そこにあったのは異様な光景。
王城のみならず、その周囲の城下町までも人の気配がまるでない。
その代わり多くの家畜が闊歩していた。
そして、少女は城の一室で息絶えていた。
彼はその凄惨なまでの姿に慟哭した。
更には少女の腹が異様に膨らんでいて、それが動いた。
事切れた少女の腹から生まれ出たのは、一匹の子馬だった。
その後、その子馬は花咲く丘で、人目を避けられ、育てられた。
父の奏でる、母の愛した呪歌を子守唄に。
名は、ヒペルス。
黒毛の美しい牝馬。
「あまり知られていない、『子馬座』の伝承」
「はい。・・あまりゆうめいではないですねぇ・・」
「フィーの好きな『天蓋ノ運命』でも今回が初収録だったろう?」
腰にクッションを挟み、体重を預けながらも上体を起こしたフィリアと、同じベットに腰を降ろしたジキルドは二人向き合っていた。
当然フィリアの方は何もわからず、真剣に向き合いながらも度々疑問符を浮かべている。
「それは、この伝承にある『少女』が『妖精』であったのではないかと言われているからなんだ」
「・・りゃなんしー・・ですか?」
「あくまで仮設、だがな」
フィリアが思い浮かべるのは言うまでもなくナンシー。
これほどタイムリーなのだ、ジキルドの意図もそこにあると簡単に想像できる。
「だからだろうな・・。『妖精の恋人』なんて名前をつけたのは・・・」
「・・ぜうろす・・」
「・・・やっぱり、観たのだな。『記憶』を」
顔を顰めたのはジキルドだけじゃなかった。
マーリンはフィリアのそばに腰を下ろし抱くように寄り添った。
「フィー。貴方が見たのは術の製作者の『記憶』。術に込められた感情の根幹よ」
「どういうことですか?」
「本来、『観測』とは『物語』が頭の中に流れ込むの。『妖精の恋人』なら『子馬座』の伝承。・・その光景は現実と錯覚する程のものだけど、あくまで『物語』。複雑に見えても現実に比べれば単調だし、誇張も多くわかりやすいものが多いわ」
まさしく本を読むようなもの。いや、フィリアにしてみればドラマや映画のような物の方が理解しやすいかもしれない。
「だけど、フィーが『観測』した『記憶』は、そのまま、製作者本人の記憶が流れ込むの。術に関連した、断片的なものではあっても、『物語』などとは情報量も感情も比較にならないわ」
フィリアは何かで読んだことがあった。
人間の脳容量では二百年も生きれないと。ましてや徐々に蓄積したり、時に忘れたりするのではなく、脳に直接一瞬で他人の記憶を叩き込まれるなど、フィリアは頭が割れるほど感じた痛みの理由を理解した。
「・・極希に、『記憶』を『観測』する者は確かに居る。よほど親和性が良かったり、共感しやすかったり。多くはないし、『星』もよるが、いない訳じゃない。・・だが最初っからそこまで深く干渉することなどなかったのだ。そういった者たちも、多くの『物語』に触れ、馴染んだ末に起こった現象だ。きちんと『記憶』に馴染む下地があった上でないと起こりえないはずなのだ。別人の記憶に馴染むのだからな・・」
ジキルドの言葉に、フィリアは小さく「あ・・」と零した。誰にも聞き取れない程、小さな声だが、そこには答えがあった。
簡単な話。
フィリアは前世の記憶をバッチリ持っている。
謂わば、『フィリア』と『伸之』、二人の記憶を持っている。
伸之の人生からの延長線上にあるようだが、根本的に別個体だ。
なれば、フィリアの肉体に、伸之の記憶が入り込んだ実績が、図らずもある。
それも、断片的などではなく、まるまる成人男性一人分の記憶がである。
つまりは、下地はバッチリ出来ていたのだ。
流石は規格外の化物。・・いや、聖獣だったか。
「フィー、大丈夫なの?・・『記憶』となれば『物語』を『観測』するよりもよっぽど負担が大きいもの」
こうなれば、途端に居心地の悪くなるフィリア。
確かに今回に関してはフィリアに否はなかろう。
・・だが胸に沸く、罪悪感。
普段の行いのせいでもあろうが、それ以上に、フィリアの中では記憶の精査が始まる。
何かしたのでは・・。本当に自身のせいではいのだろうか・・・。
悲しきかな前科持ちの後ろめたさ。
自身が悪くはないと、断言できなかった。
「ジキルド様・・」
「マリア、大丈夫だ。話した感じ、そこまで人格に影響も残っていないし。魔力も微量にだが回復してきている。まぁ、フィーの元々の体の弱さもあろうから、数日は安静にだが、問題はないだろう。医師も大丈夫と言っていたのだろう?」
ジキルドの皺だらけの笑みに、安堵の微笑みを返すマリア。
最近フィリアはマリアに心労しかかけていない。だからこそマリアはふと娘を想い、哀れんでしまう。
「ヒメーーーー!!!!」
そこに飛び込んできたのは小さな褐色の天使。ティーファ。
目いっぱいに涙を蓄え、不安だらけの表情。
「ふぐっ!?」
見事に一直線。フィリアの胸に弾丸のごとく突撃した。
下手な暗殺者共よりも、何倍もフィリアの命を危ぶめる。
事実。フィリアは苦悶の声と共に白目を剥き意識を刈り取った・・。
ちなみに隣に居たはずのマーリンは、抜かりなくいつの間にか一歩引いていた。
「ヒメ!!だいじょうぶですか!!しらせをきいてっ・・こわくなって・・。わーーーーーん」
白目を剥いたままのフィリアを激しく揺さぶり、終いには涙腺が崩壊し、声を上げて泣き出した。
「・・ティーファ。姫様は大丈夫ですから、離してあげなさい」
「いやぁ。今、大丈夫ではなくなりましたけどね」
呑気なマリアとミミ、侍女二人は優しくティーファを諌めた。
「ひぐっ・・ひぐっ・・。ヒメー・・」
「うーー・・。てぃー・・だい、じょうぶ、ですから・・」
どうやら、意識は取り戻したらしい。
・・・先程よりよっぽど瀕死ではあるが・・。
フィリアはティーファを宥めるように頭を撫でるが、それをきっかけにティーファからの抱擁に力が増した。
「ヒメぇ。ヒメぇ・・」
「てぃー!てぃー!ぐるしぃ・・」
そこに息を切らした二人の女性騎士が追いついたように入口についた。
「・・すいません。・・追いつけませんでした」
「アンネ。ララ。お疲れ様です」
「・・姉さんたちが撒かれるなんて・・。ティーファの姫さま愛、怖いですね・・」
若干引き気味のミミの視線は、フィリアの腰に腕を巻きつけ強く抱きつく小さな少女へと向かう。
「訓練の方も優秀なんだけどね・・。『ヒメ』『ヒメ』と呪詛のように唱えて・・」
「・・・アンネへの依頼に、自分から便乗したのですから、文句を言わないでください」
「ミミのせいで姫さまの傍に居られないからでしょ!!・・あの天使のような姫さまを毎日でも愛でたいのに・・・」
ミミは侮蔑の視線を己が姉に向け、決してこの先もフィリアの傍に仕えさせないと固く心に誓った。
そんな彼女等の会話など届かないフィリアは、必死でティーファの腕との間に隙間を作ることに苦心していた。
―――心配してくれんのは嬉しいけど、心配しすぎだって・・・あ
そんな事を考えて思い至った。
即座に視線を巡らす。
マーリン。ジキルド。
しかし、二人はその意図を察し、即座に目を逸らした。
フィリアの中に悲愴が沸く。
直ぐにマリアに視線をやると、これもまたさすがで、直ぐに意図を汲んでくれた。
「閣下とリリア様は公務なので、報告は遅れるでしょう。アラン様も本日は野外訓練に趣いていらっしゃるので、直ぐに報せられはしないでしょう」
リーシャとフリードは遠く離れた学校。
フィリアは安堵の息を漏らした。
ティーファでこれなのだ。
家族愛が異常な彼らに知られでもしたら、冷や汗ものである。
知られるにしても、ティーファのようにならない為に、『無事』である報告は必須だ。
それでも、過保護な心配はされようが、最悪の事態は避けられる。
そう考えた時。
同じように安堵の息を漏らした二人。
マーリンとジキルド。
それはそうだろう。
今回の責任を問われるのはフィリアより、ゼウスを含んだこの三人だ。
例え先延ばしでしかないとしても、逃げたい気持ちは良くわかる。
フィリアは苦笑を多分に含んで二人を見た。
瞬間―――
ドゴォォォォォォン!!!!
空気を震し、地面揺るがす、爆発音。
当然、三人の表情は青ざめた。
「あ、お帰りになりましたねぇ」
ミミの呑気な呟き。
次の瞬間、キンと耳鳴りが通り過ぎた。
「おにぃ!?速攻で逃げたわね!?」
「この魔力!?本気で逃げやがったな!!ずるいぞ!!」
慌てて動き始めるジキルドとマーリン。
そんな中マリアはフィリアにそっと寄り添い、手を握った。
「ゼウス様が動けたという事は、リアも大丈夫なようですね」
リアの安否が何とも情けない形でわかったようだ。
マリアは優しく微笑んでフィリアに「良かったですね」と穏やかに告げ、フィリアも心から安堵して「えぇ」と返した。
「・・・それで、まりあ・・。はなしてくれないかしら」
マリアの微笑みは変わらず、言葉も返ってこない。
包まれるように握られた手も強固に離れない。
「・・てぃー?」
「・・・スゥー・・・スゥー・・」
フィリアの腰に腕を巻きつけ、胸に顔を埋めたティーファからは、静かな寝息聞こえた。
泣きつかれて、そのまま眠るのはティーファの十八番だ。その寝顔は愛らしく、フィリアはそれを眺めては癒しを得るのがいつも。
だが、この時ばかりは、あまりに凶悪な鎖でしかなかった。
「いや・・いや・・。にがしてーーー!!」
どうせ動けないくせに、とは言わない。
フィリアなら何かしらを起こしそうだ。
実際、その懸念はマリアも同様だから、動けないと知りながらもその手を拘束したのだ。
「それじゃあ。フィーしばらくは安静にするのよ」
「無理などしたらいかんぞ?」
「なに、にげようとしてるんですか!!」
ジキルドとマーリンはそそくさと身支度を整えその場を去るため、微笑んでフィリアを労うと、扉に向かった。
だが、行く手を阻むように老執事と、侍女が立ちはだかった。
「・・リチャード。そこを開けなさい」
「・・アリー。貴女もよ」
「え?嫌ですよ」
「それと、旦那様。奥様へもご報告いたしましたので」
「「裏切り者―――!!」」
フィリアはその光景を見ながら横目にマリアを見た。
すごい既視感。
恐らく一族の者には必ず一人に一人ずつ、その傍にはマリアのような存在が居る。
しかもきっとそれは狙ったものではなく、必然とレオンハートの素行に触れ、生まれる。
「フィーーーーーー!!!!」
遠くからアークの声が響いてくる。
三人は震えてその時を待つ。




