60 観測
「フィー体調はどう?」
「はい。ねこむのには、なれっこなのでだいじょうぶです」
「姫様、それは大丈夫とは言いませんよ」
ベットで踏ん反り返るように威張るフィリアだが。
相変わらず体には力が入らず、威勢は口だけ。熱もないため、普段寝込む時の静かさも皆無だ。
「ねぇまりあ。すりおろしのりんごも、おいしいのだけど、・・そのぉ・・くっきーは・・」
「お身体が動かないのでしょう?であれば消化器系にも負担をかけないよう、しばらくの間、我慢してください」
「あ、うん。それもなんだけど・・。まくらのしたのくっきーが、そのぉ・・・まりあはしらない?」
「・・・」
「なんでこっちみないの?まりあ?ねぇまりあ」
「・・・」
「ぜったいまりあでしょ!!わたくしのくっきー!!」
ワーワー喚くフィリアと、完全優位のマリア。
しかしそれでも淡々と仕事をこなす様にマリアはフィリアの口元にスプーンを運び、フィリアも喚きながらも口元に運ばれたリンゴは素直に咀嚼する。
何とも締まらない光景だ。
「どうやら、大丈夫そうね」
「はい!おばさま!」
心底ホッとしたように息を零したマーリンは、フィリアの明るい返事に、流れるようにその柔らかな頬をつまんだ。
「いはいれふぅ、おば・・おねえひゃま」
マーリンは直ぐに頬を開放したが、今度はフニフニとフィリアの頬の柔らかさを堪能しだした。
しかし、フィリアは動くこともできず、当然抵抗など出来ない。
「やわらかぁーい」
「・・マーリン様」
「ん?どうしたの?」
「・・その・・。姫様の口調なのですが・・少しいつもと・・」
「・・・んー。そうねぇ・・。心配はないわ。ただ・・思ったよりも同調が深かったみたいでね、精神への影響が残ってしまったようね」
「それは、本当に、大丈夫なのですか?」
「えぇ。要経過観察ではあるけども、魔力も安定してるし、意識もはっきりしてるから、多分問題ないでしょう」
マーリンのその言葉で、マリアはようやく肩の力を抜いた。
普段と変わらない様子でもマリアの心労は大きかったのだろう。
「まーりんおねえさま。なにがあったのでしょうか?」
「・・フィーはどこまで覚えてる?」
「えっと・・っ!?りあは!?」
ぼやけた思考の中でも明瞭に焼き付いた光景。
死んだように力なく地面に横たわる姿は生気なく、打ち捨てられたようで、フィリアの頭は恐怖心で満たされた。
取り乱しかけたフィリアにすぐさま寄り添い手を握ったマリアは安心させるよう微笑んでみせた。
「リアは無事です。ご安心ください。今はゼウス様の元で休ませております。ゼウス様の元にはルシアンもおりますし心配はございませんよ」
フィリアはその言葉で焦燥が溶け消え、安らかに表情からも力が抜けた。
「貴女は魔術の発動と同時に『魔力暴走』を起こしたの。リアはそれを抑えてくれていたのだけど・・負担が大きかったのね。私たちも抑え込むのに手間取って、駆け寄るのが遅れてしまったし・・」
『魔力暴走』。言葉通り魔力が制御不能となった状態。
一般人でも楽観はできない状態。魔力制御が生命線でもあるレオンハートであればさらに深刻な状態。
「今回の事態は想定の範疇だったの。あの魔術を使えば『魔力暴走』を引き起こすであろう事は簡単に想像できたから。・・・でも、私達は『ティア』の名を甘く見ていたのね。想定しておきながら、不甲斐ないわ。・・危険な目に合わせてごめんなさい」
普段のマーリンとは違い、憔悴した様に謝る姿に、フィリアは微笑んでみせた。
当然それでマーリンの罪悪感は拭えなかったが、少し心のには降りただろう。
「それで・・あれは、なんだったんですか?」
「・・あれって言うと・・、『観測』の事かしら」
やはりあの時フィリアが『観た』ものは夢でもなんでもなく、魔術によるものだった。
「『星を謳う者』は特殊な魔術だと言ったでしょ?」
「はい。・・だれでもあつかえるが、だれもあつかえない、まじゅつ。でしたよね」
「えぇ・・。『星を謳う者』を習得した者は『観測者』と呼称されるわ。その理由は・・あなたも体感したでしょ?・・この魔術の習得条件は『物語を詠む事』。『星』と呼ばれるそれぞれの魔術に込められた『物語』を『観測』し、飲み込んで正しく理解した上でしか発動しない魔術なの」
フィリアは針で刺したような鋭い痛みが一瞬頭に響き顔を歪めた。
自身が見たはずの『物語』はどうにも朧ろで、思い出そうとすると、頭に痛みが走る。
おかげで明瞭にはならず、乖離したような記憶。
「・・無理に思い出さなくていいわ。そもそもこの魔術は一回二回で習得するものじゃなく、何度も『観測』して徐々に慣らしていくものなの。無理に定着させようとすれば貴女の人格や精神に負荷がかかるわ」
言うなればダウンロードみたいなものだった。
ボタン一つで、情報が一瞬で手に入る。
しかしそれはあくまで電子機器の話。
人間がそれを行えはしない。反復して時間をかけ、脳に刻み、馴染ませるものだ。
もし、人間がき機械と同じように一瞬で多くの情報を受け取ったならば、脳が割れるほどの半狂乱に陥るだろう。
「さらに、『星』の『物語』達は、『感情』をも共有させられるわ。・・正直、他人の感情ほど自分と同調して気持ちの悪いものはないわ。それも、相性のいいものや共感しやすいものだって、馴染ませるのに何度も不快を飲み込むのよ?・・少し価値観や考えが異なっただけでもね」
真剣に聞き入るフィリアの隣で、手を握るマリアは眉を顰めていた。
本音を言えば無理にでも止めたいのだろう。
しかし、フィリアがレオンハートである以上、逃れられぬ事。責務といってもいい。故に自身の心配は飲み込むしかない。
「『星を謳う者』は『誰にでも扱える』わ。・・ただ、『観測』に耐えられるのならっていう条件が付くけどね」
「・・じゃぁ『てきせい』っていうのは?」
「・・この魔術は様々な『情報』を直接、脳に叩き込むようなものよ。頭が割るほどの頭痛も、『魔力暴走』も、珍しくないわ。寧ろ最悪の場合、脳が焼き切れたり、命を繋いでも、生ける屍のようになるわ」
良くて植物状態。・・正直リアがいなければフィリア自身その危険があったのだと思うと恐怖が沸いた。
「この魔術がレオンハートの一家相伝なのは『呪いと祝福』があるからよ。魔力の飽和が深刻で、規格外の魔力量。それが『星を謳う者』と相性がいいの。魔術である以上、魔力影響があるけど、飽和状態が常の私たちは魔力量も相まって、普通の人たちに比べて影響が極端に少ないわ」
フィリアの状況を考えれば、レオンハート以外の習得は実質不可能ではないだろうか。
それこそレオンハートに肩を並べるだけの術師でなければ挑戦権すらないだろう。
「それと、『適性』という程の事じゃないかもしれないけれど。本好きの方が習得しやすいの」
「ほんずき?」
「『星を謳う者』の『星』とは、すなわち『物語』。だから普段から『物語』に触れて馴染んでいる人間のほうが習得しやすいわ。おにぃなんて売れない小説を書いてるし、フリードなんて・・フィーの方がよく知っているでしょ?」
親愛の兄だが、フィリアから見てもフリードは本の虫だと断言してしまう。
事実、城の書庫を圧迫させているのは、フィリアとフリード。寧ろ、フィリアすらも可愛いほどと思える程にフリードの蔵書は増えている。
「私も本は読むほうだけど、資料や論文関係ばかりで、小説はあまり読まないわ」
「りーしゃおねえさまは?」
フィリアとフリードの優雅な読書時間。そこに乱入するリーシャも毎度、本を一緒に読む。
それに実際はどうであれ、リーシャは『規範的な淑女』として通っている。読書さえも優雅に嗜んでいそうだし、なにより似合う。
―――春の庭園でティータイムを過ごすリーシャお姉様・・絵になるわぁ
「リーシャちゃんは結構な脳筋よ?」
綺麗な理想は木っ端微塵に崩れたが、何故だろう・・。フィリアさえもすごくしっくりきてしまった。
「おにぃの小説を大量購入しているのは知っているけど、それ以外の小説なんて読んでいるところ見たことないわ。本だって、必要資料や論文、魔術関連・・くらいじゃない?」
それは、マーリンと似通っているな。とは、思っても口にしない。
少し「じゃぁ叔母様も脳筋?」と言いかけたがマリアに握られた手に引き止められた。
「アランに関しては・・。そうねぇ・・」
あまりに歯切れが悪くなった。
フィリアにも心当たりがあるので、気持ちはわかる。
「最近では、言葉使いや所作もまともになってきたんだけどね・・」
「でも、きしの、おはなしならよんでましたよ?」
「・・いや、あれは『物語』ではなく、実在した英雄の『自叙伝』なの・・」
「・・え?・・・でも、どらごんとか、せいれいのみずうみとか・・・」
言っていてフィリアは気づいた。この世界では現実にありうる。
魔法もあるし。アーサーもいる。フィクションと断じることはできない。
「まぁ、でも前よりはマシになったのよ。前までは一切本を読まない子だったのだけど、『星を謳う者』のこともあったから、少しでも本に興味を持ってもらおうと、剣や騎士に絡めたの・・。今じゃそれが裏目になって、最近の愛読書は戦術書なのだけどね・・」
非常に想像しやすかった。
寧ろリーシャ以上の脳筋ではないか。
「その点、フィーは普段から沢山の本を読んでいるし。なんなら小説はフリード以上に読んでいるでしょ?」
「大半が星に絡んだものですがね」
「え?・・あの大量の書籍の大半が?」
マリアの言葉にはマーリンも驚いた。
それもそうだ。好みや嗜好などという範疇を超えた量だ。
「全体の六割は星に絡んだ小説。三割は天文学の資料や学術本。二割は星座等の伝承や伝説。残りがその他です」
「いや、残りというか、そもそもの計算が合わないのだけど」
「まだ届いていないものが、大量にありますので」
身体が動かなくとも視線は動く。
フィリアはツイーっと視線を逸らした。
「・・割合に影響を与えるほどって・・どんだけ」
「ちなみに、姫様に割り振られた今月の予算にもう余裕はないですよぉ」
「え!?まだ月始めよ!?」
ミミの暴露に冷や汗が流れるが、逃げる術はない。
必死に体を動かそうとしても無駄である。
視線を逸らしていてもわかる痛い視線がフィリアに注がれていた。
「フィー。起きたか。良かった・・」
その時、部屋に救いの来訪者がやって来た。
部屋に入りフィリアを見て、心底安堵した様に肩の力を抜いた祖父ジキルド。
「おじいさま」
「すまなかったな。万全を期していながら、至らず、お前を危険に晒してしまった」
こちらが申し訳なくなりそうな程に、暗い影を落としたジキルドに、フィリアの方が苦しくなった。
「だいじょうぶです。たおれて、ねこむのなんて、いつものことです。・・それに、わかいころの、おじいさまをみれて、うれしかったです」
本心だった。
確かに苦痛はあったが、魔力切れで意識を失うことなど珍しくないし、元々虚弱な身体は少しの無理で熱にうなされる。レオンハートとしては楽観できない事ではあるが、フィリアにとってそれは日常的なこと。
寧ろ、体も魔力も全く動かないが、うなされない今の状態は、普段に比べれば何倍もましだった。
だが―――
「え?・・」
ジキルドだけではなく、その場の全員が口を開け、目を見開いて、驚愕の表情をフィリアに向けていた。
「ふぇ?」
フィリアには皆のその驚いた顔の理由が分からない。
「・・フィー。お前・・『記憶』を・・・見たのか?」
先程、マーリンの話では『観測』する魔術だと言っていた。
何か違ったのだろうか。
「フィー。貴女。『物語』ではなく『記憶』を、『観測』したの?」
「・・ふぇ?」




