53 レオンハートの血筋
薄暗い執務室。
まだ夕方に差し掛かった程度ではあったが、元々資料のことも考えられ日当たりのあまりよくないこの執務室は、この時間になると灯りなしでは仕事にならない。
そんな一室に集まったのはゼウス、マーリン、アークの三兄弟。
蒸留酒片手に思い思いに腰掛ける三人は重く沈痛な雰囲気の中に居た。
「お父様の予定は確か、来月のフリードの誕生日までだったわよね」
「あぁ。そのはずだったんだけど」
この三人だけの時は口調さえ気安いが、今はその口調さえかき消す重さがある。
「連絡もなく帰ってきて、予定も一ヶ月以上前倒し。・・・お母様は?」
「母様は、今、バレーヌフェザーの所に寄っているらしい。さっき連絡が届いた」
「・・先触れよりも早いとは、さすがお父様ね」
呆れたようにマーリンは少し揶揄うが、空気が変わることはない。
ゼウスなど普段の饒舌っぷりなどなく、無言で蒸留酒を見つめている。
「それで・・なんて?」
マーリンの言葉は問うようだったが、口調はその答えを分かっていたものだった。
アークもその事に気づいていたのか、視線のみで返答を返し、首を振ってみせた。
「・・・そう・・」
三人の重い沈黙が支配した。
「・・私もお母様から話を聞いたらバレーヌフェザーの所へ行ってくるわ」
「あぁ・・頼むよ」
アークとマーリンの会話を傍目にゼウスは立ち上り執務机に寄った。
そこには家族の写真立てが並んでいて、そこから一つ手にとった。
白黒でさえない、セピア色の写真。
そこに並ぶ五人の家族。
今とさして変わらないゼウスとマーリン。幼く、少年から抜ける直前のアーク。
変わらぬ微笑みだが皺の少ないアンリ。
そして、写真からは分からないが、この時はまだ美しい金髪だったジキルド。
五人並んだ家族写真。
それを見つめるゼウスの手で蒸留酒がカランと氷を鳴らした。
「・・長く、頑張ったよな・・」
小さく呟いたゼウスの声は静まり返った一室に確かに響いたが、そこに返答はなかった。
一見穏やかでゆっくりとした沈黙の雰囲気。
だが、三人の表情には影が落ち沈痛な陰りが滲んでいた。
その時、部屋の外から騒々しさが近づいてきた。
「お父様!!フィーは!?」
ノックもなく大きな音と共に弾かれた扉。
そこから飛び込んできたのはお淑やかさなど微塵もないリーシャと後から続いたフリードだった。
「・・・フィーならいつも通り、熱を出して寝込んでるよ」
「怪我は!?無事なの!?」
「・・無傷だよ。寧ろ高熱を出しているのに満足気な寝顔で、よっぽど街が楽しかったようだ」
「そう・・。よかったぁ・・」
心からの安堵が漏れたリーシャは大きく息を吐き体の力が抜けた。
しかし、アークは頭を抱えている。それはリーシャの無作法のせいではない。・・いや、それも問題だが、その点は鋭い眼となったマーリンの役目だろう。
「と言うか・・お前たち、学校はどうした」
「え?何を言っているの?フィーが街に出て襲われたって聞いて黙っていられるわけがないじゃない」
心外だと言わんばかり頬を膨らますリーシャだが、そうではない。アークが聞きたいのはそこではない。
「・・・お前たちに電報を出してから、一時間程しか経っていないと思うのだが・・」
列車でも半日はかかる距離。そこを一時間で帰ってきた相変わらずの規格外姉弟。
いや、規格外どうの以前に物理的に不可能だろう・・。
「・・リーシャちゃん・・まさか、成功したのか・・」
「はい!叔父様!!」
その元凶はすぐに自白した。
喜色と驚きを浮かべたゼウスの声に、勢いよく振り返ったアークとマーリン。
ゼウスは瞬時に表情を整えたが、二人の視線に耐えかねスーっと目線を逸らした。
「どういう事ですかね?」
アークの言葉には魔力が乗り威圧感全開だ。
ゼウスの額に汗が滲んだ。
「・・いやぁ、そのぉ・・」
「叔父様から飛行の術式を教わったのです。なんでもフィーの魔法を再現した物だとか」
「フリード!?・・・あ」
密告は甥から成された。
その瞬間、マーリンは指を振るい、ゼウスは石のように動きを止めた。
「叔父様―――!!」
リーシャの悲痛な声が響き。リーシャはゼウスに駆け寄るが、為す術もなくあたふたとしか出来ない。
「・・はぁ。いい事?二人共。あの術式はまだ実証実験はおろか、検証段階ですらないのよ。術式内容があまりに緻密で繊細すぎて些細なミスさえ許されないから、扱うには危険過ぎるの。これから内容の精査や校正を何度も繰り返していかなければならない程に難易度が高い魔術なの。・・見たところ髪や服が乱れた程度で済んだみたいだけど、それは運が良かっただけ。良くて四肢爆散。最悪、死んでいた可能性すら低くはないの。実際、作成者のおにぃでさえ成功率は半分も行かない術式よ。二度と使うのは辞めなさい」
「はい・・」
要は空を飛んできたらしい。
フィリアの浮遊から着想を得た魔術。
おそらくこの二人でなければ成功など不可能だったろう。
レオンハートの優秀さに頭が痛い・・。
「ちなみに。おにぃ発案の術式でもこんなに早くは帰ってこれないと思うのだけど・・。なにかした?」
フリードはバツが悪そうに視線を動かした。
その先に居たのはゼウスを何とかしようとする反面、過剰に触れては頬を赤らめる、残念な姉、リーシャ。
恐らく本来なら褒められるような画期的な発想が生まれたのだろう。
だが、今この時はマーリンの顰めた顔が全ての答えである。
魔術に関しては優秀を飛び越え、天才的な一族。
そして往々にして、それは一癖も二癖もあり、間違いなく自重の欠けた所業の末だった。
アークはとりあえず頭を抱えるのを辞め、溜息一つで気持ちを落ち着けると、リーシャに向き直った。
リーシャはそんなアークに気づかない。と言うかついには頬が緩んでにやけてゼウスに触れているが・・・見なかったことにしよう。
「リーシャ」
「はい?」
ゼウスに抱きついて、顔のみ振り返るリーシャにアークは真剣な表情を向けた。
「今回、フィーを狙った実行犯はナンシーだ」
「え?」
ナンシーの名にリーシャは動きを止めた。
「ナンシー?・・」
思わず溢れたリーシャの声に、アークは顔を顰めた。
「この後、お祖父様と共に夕食を取るが、そこで今日の事を話す。その際、ナンシーの事も話そう。・・いいな?」
「・・・はい」
リーシャはゼウスに触れるのを辞め、不安げな表情で俯いた。
そんな娘を励ますつもりでアークはリーシャの肩に手を置いた。
「・・てか、そのナンシーが、従兄弟って本当なの?」
「「へ?」」
マーリンの言葉にリーシャとフリードは間の抜けた声を漏らした。
リーシャは影を飛ばし、フリードは首がもげそうな程に振り向いて。
その日の夕食後。
寝込んだフィリアは当然ながら起きては来れなかった。
「お母様は?」
「今日中には帰って来れるらしいが、遅くはなるらしい」
アンリもまた不在だった。
マーリンは詳しく話を聞きたかったが仕方ない。
皆が集まったサロン。
冬の終わりが見え、緑が姿を見せ始めた事から、窓の広い一室を選んだ。
窓辺からは庭園の花が早くも色付き始めている。
「では、今日のことから話そうか。・・・セバス。お前から頼む」
「畏まりました」
ジキルドは紅茶に酒を垂らし、窓辺から花を眺めていた。
ソファーに腰掛ける皆に背を向けたまま、声のみでセバスに促した。




