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52 星が降った



 目の前で起きるのは、あまりに一方的な展開。


 宙を舞う無数のナイフが、縦横無尽にナンシーの身体を貫いている。

 ナンシーも必死に応戦しているが、爪で弾くナイフの数より身を裂くナイフの数の方が多い。


 更に、ナンシーの羽も飾りではなかったらしく空中に逃れたが、ナイフの追撃は止まず、永遠とナンシーを追い詰めた。



 傷だらけで息も切れ切れ。だが、目だけ紅くマグマののように滾らせている。


 可哀想にさえ思える蹂躙にフィリアは胸が苦しくなるが、ナンシーのその目を見てしまうと言葉を挟むことを躊躇わらせた。


 憤怒、恨み、憎悪。

 何があったのか。ジキルドに向けた感情は燃え盛るようにその表情に現れ、どんなに身を刻まれようとジキルドへの殺意が失せることなどなかった。



 「妖精の体は魔力の塊みたいなものだ。だから、どんなに傷だらけに見えても、首や心臓を絶っても、それだけで死ぬことはない」



 強力な魔術。または今のように絶え間ない攻撃で、肉体を構成する魔力を削り切るしかない。


 そんな、ジキルドの臨時講義を聞きながらフィリアの顔は険しさを増していた。

 いくら敵対したとはいえ、目の前でリンチのようになっているナンシーを眺め続けるのは精神的に苦いものしかない。



 そもそも、マーリンの授業でも『妖精』について軽くは聞いていた。

 詳しくではなく、話の隙間に挟む程度にではあるが、全くの無知ではない。

 それこそこの世界においての一般常識として。


 『妖精』とはあまりいい意味としての言葉はではない。

 それこそ『可愛らしい』事を『妖精のようだ』などと例えることさえない。


 マーリンの話ではこの土地ではそれが特に顕著で、他国などではそんな例えも使ったりするらしいが、フィリアの身の回り。引いては、魔術に精通する者は特にそのような表現をするものはいないという。


 『魔術とは精霊の力を借りて起こす現象』というのが、当たり前で、精霊信仰も少なくない。だが、妖精というのはその精霊を喰らって顕現した存在とされ、忌諱される対象とされている。その証拠に、妖精は魔術を使えず、その代わりに魔法的な特性をその身に宿しているが、そのことが更に『事実』としての裏付けをさせてしまっている。

 なればこそ、この土地ではその考えがより強いのにも納得させられる。


 それにマーリンやマリア、それとミリスも、言葉は濁してはいたが、『妖精族』とされるエルフなどの種族も、差別されていた時代があり、この土地はその筆頭でもあったという恥ずべき歴史もあった。

 今でこそ、魔術適性の高い『妖精族』は尊敬の対象ではあるものの、過去の行いから、最近まで『妖精族』は往来を避けていて、発展の大きな足枷となっていたのもこの土地の咎であった。



 そしてその名残は未だに払拭しきれず残り。

 妖精を忌諱する考えは未だに根強く残っている。



 しかし、フィリアには、前世の記憶があり、当然そのような差別意識などない。

 寧ろ、目の前の、自身の身さえ狙ったナンシーにさえ同情心を抱いている。



 「ディーニーーーー!!」



 しかしナンシーは何故にそこまでジキルドに殺意を抱いているのだろうか。

 それこそ、己の命と引換にしてでもジキルドを屠りたいという気迫で威圧するほどに。


 見るからに痛々しいまでの傷を抱え、増やしながらも。



 「さて、それじゃぁ、そろそろフィーに私の魔術を見せてあげようか」



 しかし、ジキルドは淡々とした様子でしかない。


 ジキルドは大杖を天高く掲げた。


 

 『謳う英雄(セーマ)



 そう唱えた瞬間、空を煌く星星が一層の輝きを増した。

 


 「折角だし、今回は詠唱も簡略だが唱えてみようか。・・『至宝を奪われ、全てを失った、哀しき末弟よ―――』



 朗々たる詠唱。

 とても実戦向きではない長さで、フィリアも所々聞き取れない場所も多い。


 それでもその詠唱が進むにつれ、煌く星星の一部が強く光を放ち、次第にその光が地に伸びて降りてきている。


 青い光は真っ直ぐに地に降り、徐々に紅く染まっていく。

 その光の筋は檻のようにナンシーを取り囲み、逃さんとしている。



 「―――轟く三錫の蒼き輝きを紅く染めこの地に降り駆け給え。」



 刹那天上の星が爆発下かのように眩い光を放った。

 目を開いているのも辛いほどの光。しかし、光が終息し瞼を開いた先には更に驚いた。


 そこには天から降る光の筋を駆ける馬の姿。

 青白く燃ゆるように揺らめく姿だが、その形はまごう事なき馬。



 『隠匿の雌馬(ヒペルス)



 ジキルドの詠唱が終わると同時に空を駆け降りる光の馬は速度を増し、次第に形さえ曖昧になり、本来の姿へと返った。



 「・・・いんせき」



 フィリアの呟きは驚愕に染まったものだった。

 慌てることさえできないほどの驚き。


 先程まで馬に見えた『ソレ』は巨大な隕石となって空気を切り裂き降ってきていた。

 途中、幾数にも割れ、分散して、それでも真っ直ぐ目標を定めて降りてくる。


 熱を纏い、尾を引いて。地響きするほどの慟哭を叫んで。

 真っ直ぐに・・。



 「っ!!おじいさま!!」



 フィリアは我に返りジキルドに振り返ったが、そこにあったのは優しく微笑む祖父。そして軽いウィンクのみ。

 セバスもリアも驚愕に目を奪われている。


 そもそもこの規模の隕石など今更逃れる事などできない。


 フィリアはセバスの首を強く抱きしめ、目を閉じた。




 頭上を覆う流星は、間違いなく自身に向かって落ちてきている。

 それをナンシーは大きく目を見開いて見上げていた。

 逃れる事も、防ぐ事も叶いそうにない規模の光景。


 しかし彼女の抱いた感情に恐怖はなかった。



 「・・ゼウス・・」



 そう呟いた彼女の表情には険が無かった。

 まるで憑き物でも落ちたかのような、穏やかな表情。


 特に印象的だったのは、どんなに傷だらけでも血を流すことがない妖精の彼女が流した一筋の涙だった。






 ――――――!!




 まさしく轟音。

 空気の破裂音と、地面が弾ける音以外耳に届くことはない。


 衝撃は風だけではなく、空気自身も暴れ回り。

 地面はもはや絶対的な安心感など皆無となる程に不安定で、至る所で隆起しては牙を剥いている。

 粉塵や瓦礫は舞うこともなく、弾丸となって吹き飛び、もはや後には何も残さない。




 数秒にも満たない間だったはずなのに、とても長い時間のように思えた。


 フィリアは静まり返った中、ゆっくりと瞼を開いた。

 セバスの温もりもリアの毛並みも変わらない。


 だが、振り向いた先の景色は一変していた。



 隕石が落ちたにしては浅いクレーター。

 そこを中心として出来た荒廃。石畳などもはや見る影もなく無残な状態。だがこれも隕石が落ちたにしては被害が小さい。


 思ったよりと言ってはなんだが被害は小さい。

 それでも変哲した地形と荒廃した光景は事実だ。


 

 フィリアは周りを見た。

 セバスもリアも驚愕の表情のまま変わりなく、ジキルドも変わらず大杖を携え飄々と立っている。


 その時、魔力が霧散するのを感じた。

 それと同時に目の前でガラスが割れるように透明な壁が消えた。

 おそらくこれがフィリアたちに傷一つ負わせず守ってくれたものだったのだろう。



 だが、それはあくまでフィリアたちだけ。


 フィリアの見つめる先。そこには完全に動きを止めた影があった。


 気配はあまりにも小さい。しかもそれは隠匿のそれではなく、もはや存在が消えかかっているような感じだ。

 白く美しかった肌も、傷だらけの上に、くすんだ様な白さに変わり。

 鋭い爪も、妖しい羽も、その役目を果たせないほどにボロボロとなって。

 美しくさえあった角など、もはや折れて原型など分からない。


 あまりに見るに堪えない姿。

 その姿かたちが残っているだけでも驚きなのだが、フィリアにはそんな事どうでもよかった。



 「なんしー・・」



 関わりなど皆無だったが、それでも全く知らない侍女ではなかった。

 そんな彼女の悲痛な叫び。過剰なまでの蹂躙。そして、灰のような今の姿。


 例え、危険にさらされたとしても、元日本人がそれを割り切って見送れるわけがなかった。


 憐憫の情は甘いかもしれないが止めることはできない。



 何故なら、ナンシーは天を仰ぐようにして膝を折っていたが、その表情だけは優しく安らかな微笑みを蓄えたものだったのだから。




 夜空は徐々に霞み、陽の光が溢れてくる。

 本来の青さを取り戻した空。そこに照らされたナンシーは、魅了などなくとも目を惹く程に美しい。


 遠ざかっていた水音も返ってきてフィリアは力を抜いた。

 セバスはその事に気づき慌てて腕に力を込めた。



 「ありがとう。せばす。・・でも、まだ、だいじょうぶです」



 フィリアの弱々しい微笑みに困ったようにセバスは苦笑いを浮かべた。



 『安心してよ。きっちりマリアに説教してもらうまで意識は失わせないからね』



 そんなリアの言葉にフィリアは顔を顰めた。だが、すぐにセバスを見て息をついた。



 「おうちに、かえりましょう」







 ジキルドはゆっくりとナンシーに歩み寄った。

 しかし当然ナンシーに反応はない。



 「・・ゼウスには会えたか?」



 傍まで来たジキルドはナンシーを見下ろし呟いた。


 その時僅かに唇が動いた。

 ナンシーはあれほどの惨状の中でも、どうやら生きていたらしい。



 「・・あの・・魔術は・・」


 「ゼウスが最も愛する人の為に組んだ術式だ」


 「・・愛する」


 「術式名は・・『妖精の恋人』と名付けられている。公にはできないがね」


 

 ナンシーの頬をまた涙が伝った。

 それも今度は一筋ではなく、溢れるように。

 くぐもった声まで零して。


 そんなナンシーを見てジキルドは息を呑んだ。

 そして眉を顰めると膝を付いた。



 「レオンハートは家族を愛する。それは理屈抜きに何よりも最上に・・」



 そう言ってジキルドはナンシーを抱き寄せた。



 「おかえり」



 ジキルドはそう言って、涙を流した。









 「姫さまっ!!」


 「フィー!!」



 出てきた時とは違い、豪奢な正面から門をくぐって帰ってきたフィリア。

 帰宅途中にすれ違った騎士も一緒だが、その数は気のせいだと思いたい。もしくはナンシーに割いた人員だと思いたい。決して進軍ではないと声高に叫びたい。


 フィリアはそんな一軍の中、迎えに来た馬車に揺られ帰ってきた。

 距離もそんなじゃないのに大袈裟だとは思ったが、すでにフィリアには発言権などない。


 そして、セバスに抱かれ降り立った瞬間、叫ぶように名前を呼ばれた。

 

 侍女たちは涙を堪えてはいたが、目や鼻の赤さから持たなかったのだろう。

 アークを始め家族たちの顔は険しく怖い。特に普段ならば威圧さえ笑顔で行うリリアの険しい表情はあまりに怖い。


 バツが悪く顔を背けようにもセバスがそれを許さず、リアも手伝っている。


 どんなに激情を抱えていても決して駆けることなく早足でこちらに進んでくるアークたちに感心するフィリアは果たして反省しているのか。


 しかしそんなアークたちさえ追い抜きこちらに駆ける侍女。

 普段ならフィリアの見本とさえなる淑女の所作をもつ彼女が、はしたなくも駆けてくる。


 皆その姿には驚くが咎める者はいない。



 「・・まりあ」



 セバスはその姿を確認して、フィリアを地面に降ろした。

 マリアはフィリアの前まで来ると膝をついてフィリアに視線を合わせた。



 

 パンッ


 乾いた音が響いた。



 「マリアッ!?」



 誰かが叫んだ。

 だが、それ以上の言葉は誰からも溢れない。



 じんわりと熱を帯びる頬。

 フィリアは大きく目を見開いて手で触れた。


 紅く色付いた頬のフィリア。

 その目の前でマリアは無言で右手を振り切っていた。



 「・・ふぇ?」



 間の抜けたフィリアの声が漏れた瞬間、フィリアはマリアに強く抱きしめられた。

 震える肩口に触れたフィリアは、頬の熱が増すのを感じ涙が溢れてきた。



 「ごべんなざぁい」



 そして、叫ぶようにフィリアは声を上げ泣いた。


 そんなフィリアを抱きしめるマリアの暖かさはあまりに優しく、フィリアの涙を止めることはできなかった。

 フィリアはその温もりに包まれるように、自らの腕もマリアの首に強く巻きつけた。



 「全く・・母親の役目をマリアに盗られてしまったわ・・」



 リリアの呟きに場が和み、苦笑が漏れた。



 「まぁ。それでも説教を無くすことはないけどな」


 「当然よ」



 軽口を叩き合うアークとリリア。

 二人からは明らかな安堵が見えた。やはりフィリアが外に出ることはそれほど危険なことなのだろう。


 そして、抱き合う二人の後ろからジキルドも馬車から降りて来た。



 「父様!?帰ってきてたのですか!?」


 「おぉ。さっき着いたばかりだ。アンリは少し遅れるから先に帰ってきた」


 「母様おいて・・。護衛は・・?」


 「ん?置いてきたぞ?」



 頭を抱えるアーク。

 流石はフィリアの祖父。既視感が半端ない。



 「・・で?その娘はなんですか?・・・って『妖精』ですか」



 呆れたようなアークだったがジキルドの腕に抱えられたナンシーを目に留めた瞬間、視線が鋭くなった。

 ナンシーは馬車に乗る際には意識を失い、今もジキルドの腕で静かに寝息を立てている。

 ジキルドの外套を着せているとは言え、顔や覗く肌には凄惨な傷が残る。明らかに穏やかじゃない事情がそこにはあった。



 「あぁ。多分お前の従兄弟」


 「「「「「はぁ!?」」」」」



 絶叫にも似た驚愕が響いた。






 優しい温もりの中、意識が遠のく。



 「姫様。お帰りなさいませ」


 「・・ただいま、です・・・」




 たった数時間の短くも、フィリアにとっては長い冒険。

 それは暖かな腕の中で幕を閉じた。


 


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