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51 天蓋の魔導師



 金糸の髪は白髪との違いがわからないほどに馴染み、顔の皺は深く多いが顰めたものは少なく、笑んで見せればそれがよくわかった。


 フィリアの祖父。ジキルド。

 つまりはレオンハートの頂点。


 アークに大公の座を譲った後、妻アンリと一年のほとんどを旅して過ごす彼は、何かの行事以外で帰ってくることはない。

 フィリアも顔を合わせたのは数える程。だがその日々はレオンハートの例に漏れず過剰に愛情あるもので、記憶を薄れさせることはない。



 そんな老紳士が目の前で朗らかに微笑んでいた。

 服装と手荷物から、今帰ってきたばかりで、城に帰る道中なのだろう。


 護衛は愚か、側近もおらず、アンリさえ傍にいないが、フィリアの事を知っていれば疑問を抱くことさえない。



 「おじいさま!」


 「ただいま帰ったよ。私のフィー」



 優しい笑みをフィリアに向けたジキルドだが、セバスに視線を移した瞬間は冷たくなった。

 セバスもそれを受けフィリアを抱いたまま顔を顰め顔を伏せた。



 「セバス。失態だぞ」


 「申し訳ございません。弁明の言葉もございません」


 「ちがうの!せばすは、わたしのわがままに、したがっただけなの」



 ジキルドは弱々しく、だが力強くセバスを庇うフィリアに、困ったように溜息を零した。

 だが、それでも微笑んでみせるのはやはり孫可愛さだろう。



 「皆も、そんな畏まらんでくれ。せっかく帰ってきたのにこれでは気も休まらん、いつも通り気安くしてくれ」



 ジキルドのその一言で傅いていた民衆は立ち上がった。しかも上げられた顔には緊張などなく、むしろ嬉しそうに笑う声まで漏れて。



 「お?ランクではないか。お前、、街に帰って来ていたのか」


 「あ、は、はい。・・親父も逝っちまって、お袋ひとりにはしておけなかったので」


 「カントの事は残念だった・・。では、ムキも心配ないのだな。大切にするのだぞ」


 「はい。ありがとうございます」



 顔を上げた街人たちを見てジキルドは声をかけた。

 全員ではなかったが、見知った顔を見つけるたびにかける声は少なくない。



 「去年のモデルの方が好みだったのだがな・・」

 「それはそうでしょう。なにせ『アンリモデル』と銘打った品ですよ」


 「なんだ!?お前んとこの息子結婚したのか!めでたいな!!」

 「そうなんすけどね・・。子供と結婚じゃ順番が逆じゃないすか・・」


 「ほう・・。味の改良・・。後で食べに行こう」

 「いやぁ、ジキルド様はあまり好みじゃないと思いますぜ?」



 実に親しげ。・・いや、親しすぎないか?


 ジキルドが統治者や政治家として優秀だったのかは分からない。だが、親しまれ、愛されるからには、無能ではなかったのだろう。


 ふふ、とそんな光景を微笑んで眺めるフィリアの瞼も重くなってきた。


 だが、それはまだ早い。

 流石はレオンハート。無意識で空気を壊すことにかけては天下一品。



 「・・・ディーニ」



 地を這う様な声。

 もはや容姿どころか、女性としての声ですらない。

 忌々しさが溢れ、恨みのようなものさえ感じる。



 ジキルドは「おや?」といった様子で振り返る。その仕草はフィリアによく似ている。

 そしてその仕草の時は確実に他意なく、相手の感情を逆なでるのだ。



 「おっと。すまない。忘れていたよ」



 振り向き放ったその言葉でさえ他意はない。

 だが、どう聞いたって煽りでしかない。



 「妖精さん」



 しかし、ジキルドの言葉に空気は凍った。



 「・・・ようせい?」






 「ディーーーニーーーーー!!!!」



 ナンシーは叫び声を上げた。

 瞬間、ナンシーを巻き込むように魔力の奔流が増し、竜巻くように吹き出した。


 肌は青白さを増し、爪は鋭さを増し、瞳と唇は紅さを増した。

 牙は鋭く、頭には枝分かれした角が伸び、腰からは蝙蝠のような羽が現れた。


 美しく妖艶なことは変わらないが、激情にまみれたナンシーはお世辞にも美しいとは言えない程に表情を歪めていた。



 「・・さっきから気安く『ディーニ』『ディーニ』と・・」



 ジキルドは溜息を溢しながら、脇に携えていたステッキで軽く地面を突いた。

 すると一瞬でステッキは身の丈ほどもある大杖へ変わった。その様は手品のようで、一瞬で軽いもの。



 「ふぁー」



 しかし目を惹くのは当たり前のこと。

 殊更、フィリアをはじめとして集まった子供たちの目を惹いた。


 紳士が行う何気ない所作。そこに手品のような洗練された動き。

 正直めちゃめちゃカッコイイ。



 翼が開かれた様な意匠を頭として、幾つもの宝玉と流線型に伸びた金属。長い杖の部分も細かく緻密に作られ、美しくも威厳が溢れている大杖。

 フィリアからしてみれば如何にも大魔導師っぽい杖なのも目を惹いいた一助だ。

 その証拠に、手品以上に、大杖の魅力に少年諸君は目を離せない。



 「さぁ。フィーは確か『ナンシー』と呼んでいたか?」


 「あ、はい!せんたくがかりの、じじょです」


 「洗濯係とは・・。アークの馬鹿が・・」



 少し頭を抱えたジキルド。



 「全く。この程度の妖精も見破れんで情けない。ゼウスは何をして・・うん、止めよう」



 おそらく懸命だと思う。

 特にゼウスの事に関しては嘆くだけ無駄だ。


 ジキルドはナンシーを見据えた。

 先程まで焦りさえ滲ませていたナンシーだが、ジキルドを目の前にしてからそういった感情が消え、禍々しい怒りだけが渦巻いている。



 「ふむ。お前。ゼウスに惚れておった『リャナンシー』だな?」



 途端にナンシーの魔力の奔流が増した。

 明らかに感に触った。



 「しかし、何故だ。『チェンジリング』をするにしても我が家を狙う上での危険性はお前が一番知っているだろうに・・」



 『妖精』『ディーニ』『リャナンシー』『チェンジリング』。

 聞きたいことは多くあれどその暇はない。



 ―――あのステッキの手品。魔術でできるのかな・・



 ・・・。

 聞きたいことはあるがその暇はない。

 内容云々じゃなく暇がない。




 考え込んだように腕を組むジキルドにナンシーは飛び上がるように襲いかかった。



 「ディーニーーーーーー!!!!」



 しかしナンシーは触れることも叶わず、弾き飛ばされた。

 見えない壁に阻まれ、更には大きな衝撃と共にぶっ飛ばされた。ジキルド自身は微動だにせず考えに耽り、弾かれたナンシーが建物に突撃した瓦礫の音でようやく気づいた様子だ。



 「ありゃぁ・・。壊してしまった・・。・・怒られるなぁ」



 そしてこの斜め上の反省。正しくはあるが今ではないと言いたい感覚。

 確実にフィリアの祖父だ。



 一時の静寂。それは緊張のあるような張り詰めた間ではなく、何とも言えない間の抜けた静寂。


 刹那。街人たちが迅速に動き出した。

 日本の避難訓練も真っ青な程に洗練され無駄のない統率。


 屋台は瞬く間に畳まれ、船は一隻残らず去り、商店は戸締りまで完璧。


 さっきまでの喧騒が夢であったかのように寝り、風や水の音でさえ鮮明に聞こえる。

 人影は全て消え去り、残されたのはジキルド、フィリア、セバスのみ。



 「ふぇ?」



 あまりに素早い一瞬の出来事にフィリアは唖然とした。

 魔法などより、よっぽど魔法みたいな事が目の前で起きた。


 それも示し合わせた様子もなく、皆一人一人が迷いなく。



 「・・・始めて見ましたが、流石ですね・・。聞いていた以上です」


 「・・せばす?」


 「えっとですね・・。この街ではレオンハートの方々に良くも悪くも慣れているのです。例えば先程のように姫様の危機に駆けつけてくれたりもそうですが・・。それ以上に・・その・・暴走・・・には、特に・・・」



 つまりはレオンハートの規格外な迷惑にさえ免疫がある。それもマニュアルの存在さえ疑うほどに迅速で的確な。



 「通称『魔王の癇癪』と呼ばれる、市民の厳戒態勢です」


 「・・・」


 もはや言葉もないフィリアだが、すごく理解できる。


 よく目を凝らせば、街の建物ひとつひとつ、いや、街全体から並々ならぬ魔術を感じる。

 明らかに防御魔術。それも個人のそれとは比べ物にならない強固さ。おそらく戦術級と言われるクラスのものだ。


 ・・・是非もない。



 その時、ガラガラと瓦礫の音が再び響いた。


 そうだ。ナンシーがいた。

 一瞬のうちにありえない事が起き忘れていた。



 「フィーは『星』が好きなんだって?」



 ジキルドがいつの間にか傍まで来ていた。

 呆気にとられていたフィリアも意識を戻した。



 「はい」


 「では、私の魔術を見せてあげよう」


 「ディーニーー!!」



 瓦礫が吹き飛びナンシーが飛び出した。

 ナンシーは一撃とは思えぬ程に傷を負っていて、満身創痍と言ってもいいだけのダメージが目に見えてわかる。



 鹿威しのような甲高い音が響いた。



 ジキルドが大杖を地面に軽く突いた瞬間、夜となった。

 例えや比喩ではなく、夜になった。


 暖かな日で青い空は、満天の星空を纏う漆黒の空となった。

 星雲さえ普段以上に鮮明な夜空。



 そしてナンシーは、今度は横に吹き飛んだ。



 「・・・おじいさま。これは?」


 「これは結界魔術だよ。まだ、教わっていないかな」


 「姫様。魔術師は常に優位の環境を作ることが役目です。それは環境や地形さえも例外ではありません。その為、そのような擬似的空間を作るのが結界魔術です」


 「そう。よく拘束したり閉じ込めたりに使われるけど、本来の用途は『世界』を作ること」


 「すごいです・・」



 フィリアは圧巻の息を漏らして空を見上げた。



 「綺麗だろ?」


 「はい!!」



 満天の星空を見上げる三人。

 そこに、苦悶の呻きが響いた。



 「そして、この空間は私の『庭』」


 「ガァーーー!!」



 ナンシーは形振り構わず三度突進してきた。

 身が裂ける音さえ聞こえそうな動きで、距離を詰めたナンシーは爪に魔力を込めた。

 赤い魔力が揺らめくように爪に纏い、ナンシーはそれを振るった。



 『兆の(アウロラ)



 ジキルドは呟くように唱えた。

 すると空から光のカーテンが降りてきた。


 それはジキルドたちとナンシーの間を断絶するように降り、ゆらゆらとはためいている。


 ナンシーの爪はその光に触れた瞬間に消失した。

 その光景はセバスのナイフがナンシー首筋を通り抜けた様子と酷似していた。

 しかし、ナンシーの爪はナイフと違い焼き切れたという感じではなく、触れた先から完全に消失していた。


 怒り任せのナンシーも流石にこれには一旦距離を取った。



 「おーろら、ですか」


 「そう。フィーはまだ見たことないかもしれないが、城からでも見えるんだぞ」



 フィリアはそっと視線を逸らした。


 ジキルドが魔術で生み出したオーロラは、紅やオレンジの色彩を主とした色彩でフィリアには少し物珍しかった。



 「ジキルド様。これは一体どういった現象なのですか」



 セバスもやはりその効果が気にかかったらしい。

 自身のナイフと重ね合わせ、ナンシーに攻撃が通らなかった理由が知りたかったのだろう。



 「ん?どういったも何も、魔障壁に触れれば蒸発して当然だろう」



 出た。レオンハートの常識は、皆の非常識。


 だが、説明すると、高密度のエネルギー体に触れては蒸発してしまうという話。例えばレーザーは多くのSFに出てくるが、あれに触れることと同意だと思えばいいだろう。

 更に言えばそんな高密度の魔障壁など普通ではない。


 もっと言えば、何も当然ではない。



 ならばナンシーという存在は・・『妖精』とは・・。


 その答えはすぐにジキルドが示してくれた。



 「フィーよく見ていなさい」



 そう言って杖を掲げたジキルドの周りに数十本ものナイフが浮かびあがった。


 フィリアとセバスは目を丸くして驚いた。


 それはフィリアの戦い方。

 浮遊によって武器を空中で操り、自由に飛ばす。


 専売特許とまでは言わないがフィリアの魔法あってのものだと思っていただけに、魔術でそれを可能にしているジキルドに驚きが隠せない。



 「フィーも同じような魔法を使うそうじゃないか。ならば良く見ていなさい」



 燃え尽きたように解けていく光のカーテン。

 ナンシーが構え、地面を踏みしめた瞬間。


 ナイフがナンシーを貫いた。



 「ギャァァァァ!!」



 反動で大きく仰け反ったナンシーは一瞬何が起きたのか分からぬ様子で、目を見開いたが、すぐさま肩に空いた穴から伝わる激痛に叫び声を上げた。



 視認などできなかった。

 本当に一瞬の事だった。


 ジキルドの周囲に浮いていたナイフの一本が消えたと思ったらナンシーをすでに貫いていたのだ。


 フィリアも認識できなかった。

 見ていろ。とは言われたが、それはあまりに無理だ。



 「ナイフが刺さった・・」

 

 「『妖精』と呼ばれる種族は、物理的な肉体を持たない。故に物理的な攻撃は効かない。その分、魔術は効果があるが、妖精の肉体自体が魔力の塊のようなものだから、常に高密度の魔術でないと確かなダメージはない。しかし、例外もある。・・セバス。お前はどんな武器で攻撃したんだ?」


 「ナイフです」


 「おおよそ鉄製のものだろう。魔法生物相手であれば、ミスリルや銀を最低でも用意しておきなさい。ましてやリャナンシーの魔力は銀との相性が最悪だ。触れているだけでも焼けただれるほどに、故に彼女らは、誘惑の妖精でありながら装飾品を滅多に身につけない」



 ナンシーは苦しみもがいている。

 肩を抑え、苦悶も漏らしているが、どうやらそれは貫かれた以上の激痛が襲っているためだろう。



 「では、あのナイフは」


 「あぁ純銀製だ」




 


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