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 少年からきちんと話を聞くと、理解できるものだった。


 少年の名前はチック。

 チックは小さな幼子、つまりはフィリアが自分たちのトゥールを羨ましく見ているように感じて、交ぜてやろうと気をきかせただけだった。

 年の頃はアランより少し大きい背丈から六歳か七歳くらいだと思うが、子供たちの中ではお兄ちゃんポジションなのだろう。

 なんとなく世話焼きの感じが、言葉の端々に感じられた。


 つまりは何の悪気もない。完全なる善意。



 それは分かったのだが・・。



 「・・・本当にやるのですか?」


 「姫さんがやるって言ってんだから、いいじゃねえか」



 さっきまで必死で謝っていた少女、サンは必死さが滲むような表情でフィリアにお伺いをするが、返ってくる笑みは実に満面。

 それに対してチックは楽しげにするだけで反省のはの字もない。



 ・・・なぜこうなったのか。



 小さなフィリアにはあまりに大きな板。

 トゥールのボードを両手で抱えたフィリアは石階段のみの簡易な船着場に立っている。



 「このまちのこどもなら、のれてあたりまえなのでしょう?」


 「そうですが・・初めから簡単に乗れるものではないんですよ」


 「まぁいいじゃねえか。誰もが通る道だぜ?」


 「そうだけど・・何もこんな水が冷たい時期に・・」



 意気揚々としたフィリアを止めきれず、悲壮に慌てふためくサン。

 身分差から強い制止ができず、なんとか言葉を尽くしたが、未だ幼いサンではフィリアの意思を変えることなど不可能だ。


 そもそもそれを担う二人でさえ無理だったのだから。



 「やはり、私も」


 「ダメです。あしでまといです。そもそもセバスさまはトゥールにのったことがあるのですか?」


 「・・・数年前に一度だけなら・・」


 「なら、ここでまっていてください。もしもにそなえて」


 「・・ティーファ。姫様の事、頼みましたよ」


 「はい。わたしもこのまちのにんげんです。おまかせください」



 なんだろう・・。

 この死地に赴くかのような雰囲気。



 だが、それも当然だ。

 春の匂いがしだしたとは言え、まだ冬の色濃い時期。

 気温も風もまだ陽気とは決して言えない。

 ともなれば水温など想像するだけでも身が縮み込む。


 子供たちはトゥールを自在に操ってはいるが、言っても一枚の板切れ。中にはハンドルのようなものを付けたものもあるが、安定性や安心度に然したる差はない。


 それに初心者が乗ればどうなるかなど、火を見るより明らか。


 その上、普段の行いから忘れがちだが、フィリアは決して身体が丈夫ではない。

 今日も外気に晒されすぎてる上に魔力の乱れが顕著で、最低でも三日は寝込むことが確実なほどに虚弱だ。


 そんなフィリアが冷水を浴びるなど、テーファとセバスは想像しただけで息が止まるほどに青ざめた。

 どう転んでも最悪の事態しかない。もっと言えば、水に沈んだ瞬間に天に召される事だって、大げさでもなんでもなく、ありえるのがフィリアだ。


 チックやサンを始めとする子供たちは、フィリアを『貴族のお嬢様』ぐらいにしか思っていないだろう。だがレオンハートの末姫の虚弱さはあまりに有名だ。

 もし、その正体に気づいたら、それこそ不敬であろうが全力で止めている。

止められるかどうかは別だが・・。



「さぁ。行くぜ」



 チックは滑るようにトゥールのボードに乗った。慣れた体重移動の操作で水面を滑りはしりだす姿は素直に格好良い。

 フィリアもそれに続こうとするが、小さな手足で、もたつく。

 自身の身の丈よりもあるボードをせっせと水面に運び、そっと置く。沈むことなく、寧ろ僅かに水面からも浮いている。



 ―――ホバークラフトみたいな原理かな



 フィリアはスっと立ち上がると、迷いもなく優雅な足取りで歩みを進めた。


 サンは青ざめた顔でいつでもフォローに入れる体制を取って、何人かの子供たちもハラハラと見守っている。


 だが、セバスとティーファは意外にも、そこで慌てはしない。・・いや終始セバスはハラハラとしてはいるが、子供たちの想像することにではない。そもそも想像出来ない事に戦々恐々としている。



 「え?」

 「嘘・・」


 「ヒメ。ヒメはまりょくがおおいので、きおつけてください。トゥールはこどもでものれるほど、すこしのまりょくでうごくので、あまりおおくのまりょくをながすと、ぼうそうしちゃいます」


 「わかりました」



 ティーファはボードに乗ったフィリアをエスコートするように手を引いて、自身もボードを滑らした。


 だが、フィリアはその手に縋る事なく、添えるだけ。

 優雅な所作も乱れることなく、水面に出て行く。



 「・・すごい。絶対落ちると思ってた・・」



 子供たちの呟きは当然のものだ。

 最初から自転車に乗れる者がいないのと同じ、皆転んで覚えていく。


 だが、フィリアは慣れたとは違うが、堂々とした優雅な動きでバランスを微塵も崩さず、当然、水路に落ちる事もなかった。



 ティーファとセバスもその事に驚くことはない。

 心配と緊張で心臓が止まりそうではあるが、それはこの後のフィリアによる予想外を思って。乗れることなど、最初から心配していない。

 なにしろ普段から、水上以上に不安定な移動方法をしている主人だ。

 ふわふわ宙に浮くクッションに比べれば、水に浮かぶボードの方が何倍も安定感がある。

 


 「やるなー姫さん。じゃぁいっちょ競争しようぜ」


 「チック!!」



 優雅で余裕のある姿とは言え、フィリアの立ち姿はトゥールの堂に入った姿とは違う。

 ただ、マーリンとマリアの日頃の指導から生まれた癖のようなもので、そうは見えるがフィリアにそんな意識はない。

 というかトゥールの姿勢としては、そんなでよくバランスが取れると不思議になる。



 「いいですね。やりましょう」


 「ヒメ・・」



 お互いの保護者の心労に心底同情する。



 フィリアはティーファの手を離れ水面を滑りチックの横に並んだ。

 ティーファは諦めた表情で少し離れた。



 「ティーファちゃん?止めないの?」


 「あのめの、ヒメはとめられないです・・」


 「セバスさん?いいのですか?」


 「・・無茶だけは・・」


 「ですよね!やっぱり無茶ですよね。止めたほうが!」


 「・・あぁ、止めるのは無理でしょう・・。と言うか・・無茶はまだ・・この後に」



 焦るサンに対して、本来守るべき二人の従者は思った反応とは違う。

 呆れたような諦めたようなティーファと、何やらまだ見ぬ未来に怯えるセバス。



 「・・あの。二人とも、なんか変じゃ―――」


 「ゴー!!」



 チックの声が響いた。


 その瞬間大きな飛沫を上げて水上を飛ぶように滑り出した。

 風を切り、身を屈め、水面を走る。


 一瞬で変わる景色にさえ目を配る余裕はない。

 水面のわずかな小波にも舵が取られそうになるが、それを体重移動だけで上手く制御させる。



 チックはトゥールにおいて年上にさえ負けない自負があった。

 毎年夏にあるレース大会でも、十歳までの部門で堂々の一位を取った事がその自負を確証させていた。


 だからこそ、ちょっとした洗礼のつもりだった。

 考えの幼いチックに身分の事など関係なかった。ただ、新参者に対してのマウントを取りたかっただけ。

 スタートと同時に無駄に多い飛沫を上げたのも同じ。そこに女だの水温だのの配慮さえ皆無。



 一瞬でトップスピードに乗ったチックは既にスタート地点から遠く、最初のカーブに差し掛かっている。

 よもや追いつかれることなどないとは、確信しているが、それで手を抜くことはない。

 良くも悪くも正直な少年。



 「あのぅ。こーすをきいていないのですが」


 「!?」



 拙い幼声がした。

 チックは驚いて振り返るがそこには激しい波の軌跡が残る水面だけ。



 「すぴーどをおとした、ということは、あそこをまがるのですか?」



 再び聞こえた声。

 そろりと視線をゆっくり前に戻す途中にその正体はあった。

 

 横立ちではあるが腰も落とさず、背筋を伸ばして立っている。

 幼くも凛とした姿。黄昏色の髪が後ろに流れ、なびき。小さくも魅了される程に美しい。


 その蒼い瞳は進行方向だけを見つていたが、チックにちらりと視線を投げた。



 「みぎですか?ひだりですか?」



 唾を飲んだ。胸か鷲掴みにあった。

 赤ん坊にも等しいような幼女の流し目、その色香など大人にさえ引けを取らない。



 「・・右・・」


 「わかりました」



 そう言ってフィリアは体重をボードの前に乗せた。

 その瞬間『ドッ』と飛沫を上げて加速した。

 爆発のような音に対して飛沫は細かく、霧のようにしか舞わない。


 目を奪われ、唖然として見送るチックにも被害などない。


 だがそんなスピードでカーブに向かうのは大丈夫なのか。

 などというのは杞憂でしかない事を知っている。



 フィリアはトップスピードでカーブに入り、急に体重全てを後ろに乗せた。

 ボードは大きくウィリーして急停止・・・かと思ったら、飛び上がった。


 フィリアはしゃがむ様に身を屈め、右手でボードを押さえている。

 そのまま一回、二回・・三回転。プロペラのように回転して水上に着水して再び爆発音と共に走り去った。



 杞憂どころの話じゃなかった・・。

 トリックまで決めていきやがった・・。



 「なんだありゃ・・・」


 「すげぇ・・・」



 そして路地裏的水路の小路とはいえ、無人ではない。

 ボートを漕ぐおじさんと、水べりに腰掛けた釣り人は唖然と見送った。



 「わっ!?」

 ドボンッ



 当然、フィリアに見蕩れていたチックは集中を欠き、バランスを崩した。










 「・・・・・・・あのぉ・・スゥー・・・。お嬢様って何者ですか?」


 「・・・普通の一歳児です」


 「一歳!?え!?・・・いや、そうじゃなくて・・いや、それもあれなんですけど・・。普通ではないですよね・・・。一瞬で消えましたよ?初心者ですよね?チックに着いて行くどころか合わせた上に抜き去りましたよ?てか、なんですか『アレ』。飛んでましたよ?回ってましたよ?」


 「・・・・・・ちょっとだけ、お転婆ではあります・・・」


 「全然ちょっとじゃない!!」



 小さな少女サンに詰め寄られ、必死に視線を逸らすセバス。


 セバスもわかっている。どちらが正論かなど。

 だが、その正論を訂正など・・出来ない。



 「ヒメーーーーー」



 そして、ティーファは着いて行く事すらできなかった。




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