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43 氷姫の罪悪感



 炎の柱が幾つも上がり、紫電が轟き走る。

 大きめの氷柱が弾丸のように飛び交い、嵐が局所的に猛威を振るう。


 

 冬の寒さなど関係なしに、汗がとめどなく流れる。

 息も上がり乱れる。


 フィリアは幼児使用に改造された動きやすい騎士服を着て、空中を縦横無尽に舞っていた。

 黒杖を構え、その先で陣を描く。もはや反射的な反応とも言える速さ。思考する暇さえ惜しく、暗記した陣を思い出すなどという無駄な時間など許されない。


 フィリアに迫り続ける数多の魔術。

 それを躱し、見切り、反撃をする。


 一瞬の息をつく暇すらない。



 だが―――



 「ぐっ!?」



 フィリアは地面に墜落した。





 「うげー」



 ・・・・。

 吐いた。


 顔面蒼白で四つん這い。


 一見、危機的な状況。

 だが、事実は・・酔っただけ・・。


 酒でも魔力でもない。

 乗り物酔いのようなもの。


 外的要因ではない。

 フィリア自身の浮遊の魔法が原因だ。



 つまりは自業自得。



 「フィー!大丈夫!?」



 動きやすい騎士服を着て、髪を一つに纏めたリーシャが慌てて駆け寄ってきた。

 フィリアの模擬戦の相手を勤めてくれていたリーシャは焦った様子でフィリアの傍に寄ると、こわごわとフィリアに触れた。


 だがフィリアは、それに返答もできず、吐き気と戦っている。


 そこにゆっくり歩みを向けるゼウス。



 「んーまだ、酔っちゃうか・・」



 「・・ぁい」



 小さな肯定。

 それが今のフィリア精一杯。


 浮遊の魔法を直接身体にかければ、クッションも必要ない。

 だが、内蔵まで浮き上がるような感覚。三半規管の乱れ。それらを直に体感する。


 永続的な浮遊感の後、乗り物酔いのように目が回り吐き気が襲う。


 もって数分。

 だが、最初は一分も持たずに吐いていたから成長はしている。



 「うぷっ・・」



 淑女としては、控えるマリアの表情から察するまでもない。



 「それにしてもフィーは一般魔術より、戦闘魔術の方が上手いな」


 「ですね。それに身体的にフィリアはか弱いですが、魔法での機動力は随一でした」



 それもその筈、フィリアの知る魔法や魔術のイメージは創作物由来のものがほとんど。そこには大抵、戦闘での描写が多い。

 逆に日常生活で使うのが主な一般魔法は、どうしても前世の感覚に引っ張られてしまい、あまり上達はしなかった。



 「げぇー」



 ・・・本人はこんな状態だが、褒められている。





 








 「「ふぁふぅー」」



 温室の露天風呂。

 姉妹の恍惚とした息が漏れた。



 訓練後のひとっ風呂はフィリアのルーティンでもある。

 魔術の実践が始まって、リーシャが頻繁に参加する容易なってからは、リーシャも含んでのルーティン。



 「・・きょうも、りーしゃおねえさまに、ほんきださせられませんでした」


 「あら。フィーは十分すごいわよ。今日だって危なかった場面があったもの」


 「・・・でも、こおりは、つかっていませんでした」


 「あぁ・・。確かに私は氷系の術式を好んで使いますけど、あれらは加減が難しいのよ」


 「やっぱり、てかげんしてるじゃないですか」



 不満げなフィリアにリーシャはクスクスと笑って「ごめんね」と頭を撫でた。


 だが、そんな加減の難しい魔術をリーシャは日常で大いに使っている。その辺の自制心はどうなっているのか・・。些か・・いや、だいぶ疑問である。

 可愛い妹のための気遣いをもう少し他にも向けて欲しいと願うのは、泣きそうな表情で控える侍女も同じらしい。



 「そもそも氷系は、もともと『水』が基本だし、その温度変化には『火』系統の術式を理解していないといけないわ。更には『風』系統の術式での管理とかも必要だし、術式だけでもかなり複雑で多岐にわたる知識が必要なの。それを扱う技術など言うまでもないわ。普通に凍らせたのでは脆い氷柱しかできないから、例えばゆっくりと冷やすことでその硬度をあげたり、そもそもの『水』そのものから不純物を排除したり。でもそんな事をゆっくりやっていては実践に向かないから、一瞬でそれができるように術式だけでなく魔力を工夫したり、呪文の文言を新しく考えたり。・・・その上で手加減なんて、とても今の私には難しくて無理だわ」



 だから、そんな複雑で高度な事を普段の理不尽で発揮しないで欲しい。

 リーシャの侍女など涙目を超え、虚ろな瞳となっているではないか・・。



 「・・まぁ、マーリン叔母様であれば難なくできるのだけどもね」



 先日も氷り浸けにされたリーシャはしみじみ語った。

 あの時も確かに、マーリンは文言も術式も見せず杖を軽く振るったのみだった。



 「まーりんおばさま、ですか」


 「えぇ。・・ここだけの話。私はマーリン叔母様のようになるのが目標なの」



 そう言ってリーシャは少し含羞むように顔を背けた。

 しかし、そんな弄らしさすら他の者には恐怖となった。呑気に驚いて「そうなんですか」と無邪気に好奇心を隠さないフィリア以外は皆。


 あの『女帝』を目指す、と?


 そんな絶望の声が聞こえるようだ。

 遂にリーシャの侍女たちは互いに抱きって震えだした。



 「私はゼウス叔父様が好きです」


 「はい」



 知っています。



 「大好きです」


 「わかっています」



 皆、わかっています。

 なんだったら、この国トップすら知っている事実。



 「でも、私が目指す理想はマーリン叔母様なの」


 「あこがれですか?」


 「そうね。私はマーリン叔母様にとても憧れているわ。『マーリン叔母様のようになりたい』それが私の夢であり目標」



 パシャと水音が鳴り、両腕を伸ばし、そのまま仰向けになるほどに身体を伸ばしたリーシャ。

 その表情は美しく大人びていて、それでも十歳の清らかさが残る、光のような笑み。



 「まーりんおばさまがきいたら、よろこびますね」


 「・・・きっと、悲しませてしまうわ」


 「え?」



 小さな呟きだった。掻き消えてもおかしくない程に小さな。

 だが、言葉以上にリーシャの表情がそのまま吐き出していた。


 あまりに悲しげな表情。


 そして、その表情に唇を噛み締めるリーシャの侍女たち。

 更にはマリアも同様に眉根を寄せていた。ミミが普段通りなのも相まって、その違和感は際立った。



 リーシャは一瞬で表情を戻し、今度は悪戯っ子の笑みをフィリアに向けた。



 「『おばさんじゃない!』ってね」


 「・・ふふ。『おねえさま』でしたね」



 フィリアは笑い合って見せたが、それがリーシャの誤魔化しであることに気づけないほどに幼くはあれなかった。



 「ゼウス叔父様もね・・。素敵だし、かっこいいし、優しいし・・きゃっ」



 急に腕を組んでリーシャは話題を変えた。

 だがゼウスを思い出しては、長く持たず乙女になっている。



 「・・・コホン。ゼウス叔父様も優れた、それはそれはとても優れた御方!・・・コホン。・・だけど、天才肌とでも言うのかしら、感覚的な方でね。それこそ魔術とか、理論や原理の研鑽の末に行き着く物にも、『なんとなく』で形にしてしまうような方。なりたい、なりたくない、とか以前に『なれない』。真似なんてできないのよ」



 なんだかフィリアには既視感があった。

 伸之の後輩たちが似たようなことを言っていた。



 「マーリン叔母様も十分に天才の類ではあるのだけど、あくまでマーリン叔母様は努力や研鑽で成した天才。謂わば賢人。成功や失敗、経験、様々な積み重ねがあって行き着いた頂。同じ女性でもあり、研究者。憧れるには十分すぎるほど魅力的で、目指す先としては申し分ない程だわ」



 数多の功績を残し、あらゆる分野の第一人者たちからもその名を挙げられる先駆者。

 『導師』などと呼ばれる程に功名なマーリンの実績は、国内外に響き、日々文書で研究の検閲が送られてきたり、数年規模で講義や講演の依頼がいっぱいだ。


 女性の社会的立場があまり高くない時代。

 ルネージュでは何代か前に女王が王位に就いた為、他国に比べ女性の社会的立場が向上しているとは言え、未だ世界規模で見れば男性優位が当たり前の世の中。


 そんな中でも、マーリンの名は轟き。世界中の研究者から尊敬を集めている。

 そしてそれはつまり諸外国の首脳陣でさえ彼女を無碍には出来ないという事。


 レオンハート大公家の名を持てばそれも当然ではあるが、マーリンの場合は個人の名だけでそれだけの力を得ている。



 そんなマーリンに憧れを抱くの必然だった。

 ただでさえ多くの女性が憧れを抱いている。


 さらにリーシャは身内。

 それも、普段こそ軽口を叩き合う二人だが、マーリンはリーシャのことを殊のほか可愛がっていた。それこそフィリアが聞けば驚くだろうが、フィリア以上にマーリンはリーシャを可愛がっていたのだ。


 リーシャが憧れを抱くのは当然の流れだった。








 湯浴みを終えて、軽く湯冷ましをしようと部屋に帰ってきた二人だが。

 ミミのアイスティーを振舞う前にリーシャは専属の騎士に抱えられて連行されていった。

 騎士に命じた侍女は深い笑みを刻んでいて、フィリアはリーシャのSOSを聞かぬふりをした。

 侍女の無言の頷きに『懸命な御判断です』という副音声が聞こえ冷や汗が止まらなかった。



 「・・もういちど、おんせんに、はいりたいです」



 溜息とともにそう呟いたフィリアの目の前にミミがアイスティーを出してくれた。



 「いやな、あせを、かきました・・」


 「・・リーシャ様は、今日の夕方には列車に乗らなければならないですから」



 リーシャは今日の夕方にはまた学園に向けて出発する。もはや恒例とも言えるほど毎度のこと。要は未だ何の支度もしていないのだ。

 一個中隊規模を要したあの大物取りの時ほど荷物もないのだが、それでもリーシャはギリギリまで手をつけない。本人的には『無言』の抗議のつもりらしいが、言葉の意味を履き違えまくっている。

 さらに動機は『家族から離れたくない』という代わり映えのない物なので、もはや誰も取り合わない。


 というかあの侍女の前でリーシャに手を伸ばすなど、フィリアにはとてもだが出来ない・・。




 フィリアはようやく一息つくようにコクりとアイスティーに口をつけた。喉がなるほどに喉が渇いていたようで身体に染みていくのを感じ深く目を閉じ身体の力が抜けた。



 「ふぁぁー」


 「姫様。はしたないですよ」



 そのうち、この麗しい幼女は、腰に手を当て牛乳を一気に飲むのではなかろうか。

 あまりに容易に想像できてしまう姿。それもかなり明瞭に。



 「ところで、まりあ・・・」


 「・・はい」


 「おしえては、くれないのですか・・・」



 フィリアは視線を向けはしないが、マリアが言い淀んでいるのはわかる。

 何の話か、などマリアには愚問であるし。マリアもフィリアに対してそんなはぐらかしが効くはずがないことくらい、もう理解している。それどころかそんな事は自身が仕える姫に対して不敬でしかないともわかっている。



 「何のお話ですかぁ?」


 「・・・」


 「・・・」


 まぁ、ミミという残念な例外はあるのだが、今は無視しよう。



 「何のお話なんですかぁ?」


 「・・申し訳ございません。使用人の身で勝手に事情を口には出来ません」


 「・・まりあ」


 「はい・・」


 「あなたは、だれの、じじょですか?」


 「あのぉ・・聞いてますかぁ」


 その時のフィリアの眼差しは威厳に満ちた威圧感を持っていた。

 マリアの喉が反射的に鳴った。その威厳は母であるリリアによく似ていて、マリアの背筋を冷たいものがなぞった。



 「・・・世間一般の女性の婚姻適齢期は、二十歳です。貴族女性であれば更に早まり、十五歳程からそう言ったお話が増えます。短命であるレオンハートの方々であればもっと早くなることも珍しくございません」


 「・・・それが?」


 「ねぇねぇ姫さまぁ。マリアぁ」


 「・・マーリン様の御年齢は、ご存知ですか?」



 マリアの言いたい事はあまりに遠まわしだが、同時に簡潔だ。

 つまり、未だ独身のマーリンの異常性を示唆している。



 「でもそれは、れおんはーとのじょせいだから・・・それにぜうすおじさまだって・・」



 レオンハートの持つ、遺伝性疾患。

 その副産物の一つとして、この時代の女性にとっては致命的なものがある。


 それは、子を成しづらい、というもの。


 多くの魔力を身に纏う者たちは総じて子を成しづらいが、それがレオンハートともなると、最初から子供を諦めた前提でないといけない。


 人として過分なまでの魔力は、己が身にさえ影響を与える。

 なれば、それが子に与える影響は確実に毒となる。


 受精すら難しく、それが着床するなど奇跡に等しい。

 また上手く懐妊しても、子が流れることの方が当たり前で、無事産まれる事などほぼ皆無だ。



 男であれば、そのリスクは一気に下がるが、そこでも女性の負担が大きい。

 多大な魔力を宿した子を身ごもるのだ、相手の女性が魔力耐性に不安があれば命の危険もある。事実、リリアは三人も生むだけの素地があったにも関わらず『キルケーの蕾』であるフィリアを身ごもり生死の境を彷徨った。



 「跡継ぎの望めないレオンハートの姫は婚姻が難しいと?そう、習いましたか?」


 「いえ・・。ただ、わたしがそうおもっただけで・・」



 実際、世間一般では跡継ぎは婚姻における必須項目だ。

 未だ、政略結婚やお見合いが普通の時代。

 市井の平民でさえ例外ではなく、なれば貴族は更にそれが顕著だろう。


 フィリアの考察はあながち間違っていない。


 

 「姫様のお考えは間違いではありません。・・ですが、あまりにレオンハート大公家の名を軽視しすぎです。例え、望みが薄かろうが繋がりを求める者たちは少なくありません。それに例え一時であっても縁を結びたい者もおります。当然、精査されますし、条件も厳しいですが、全くの下心がないものなどおりません。つまりは、婚姻に関して、レオンハートの姫は引く手数多なのです」



 マリアの説明にマーリンの特異性が際立つ。

 さらに言えば、先程、リーシャからマーリンの優秀さを聞いたばかりだ。

 確実に何処の家からもラブコールがあろう。



 「そ、そん、な・・」


 「・・姫さま?」



 絶望の表情のフィリア。



 「それでもマーリン様は『独身』。ですが・・・って姫様?聞いていらっしゃいますか?」



 硬直して帰ってこないフィリア。

 流石にマリアも気づいたが、フィリアが帰ってくることはない。

 手に持ったカップがソーサーに触れてカタカタと鳴っている。



 ―――レオンハートの女性は結婚しなくていいんじゃないの?・・え?マジで?勘違い?てか、モテモテなの?じゃぁ将来どっかの『男』に嫁がなきゃなんねぇの?・・嘘だろ?・・嘘だよね?・・・うっ・・



 フィリアの頬をツーと涙が流れた。



 マーリンの授業でその事実を聞いたときは、そこまでの説明はなかった。

 だが、貴族の話も授業にはあった為、フィリアは安堵していた。


 流石に今世は女の子であっても前世の記憶を持ち越したフィリアに『男性』とのそういった関係は想像できなかった。

 その為、授業で習った事に心底安堵し、一生独身を貫く心づもりだった。


 そこに落とされた爆弾。

 事実はフィリアの心情を汲んではくれない。



 しかしフィリアはハッと意識を持ち直した。



 「そ、そうです!まーりんおばさまは、どくしんです!!」



 フィリアはマーリンに習い、独身を貫く決意をした。



 「は、はい・・。マーリン様は独身です・・」



 急な勢いにマリアは驚いたが、フィリアはそんなマリアの同意にほっとした表情になって胸をなでおろした。

 しかし、軽く咳をして改めて語られた事実にフィリアの希望は潰えた。



 「ですが、それはあくまで『法的には』というものであって、公文書上での認識と世間との認識では違います」


 「・・ふぇ?」


 「・・そうですねぇ。マーリン様はどちらかというと『未亡人』という感じですね」



 ミミの補足にもフィリアの理解は及ばない。



 「マーリン様は十年程前に婚姻を結ばれております。しかし法的な手続きをなさる直前に、お相手の海軍権謀長官であったラルフ様の出撃が早まり、手続きが出来ぬまま・・・ラルフ様は戦死、なさってしまいました・・」



 フィリアが思っていた以上に重い話だった。

 自身の暗い未来と、マーリンの過去。

 飲み込みきれない・・・。



 「その為、マーリン様は『未亡人』と世間で認識されています。まぁ、それでも求婚の数は減ってはいないのですが・・。マーリン様は、望まれていません」



 そのラルフという者に操を立てているのだろうか。

 普段のマーリンからは想像出来ない程の悲恋な結末。



 「そして・・・その戦火のきっかけとなり、ラルフ様が命を賭した理由が・・・。当時、生まれたばかりの、リーシャ様、なのです」



 「「え!?」」



 フィリアとミミの声が重なった。




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― 新着の感想 ―
[気になる点] 結局キルケーの蕾とやらってなんなんですか?最初の方でかなり重要なワードっぽいのに意味深に説明がなくて、後々説明があるのかと思っていたら説明がないまま47話まできてしまいました こんなこ…
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