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42 夢見の悪い日



 軍服を着た男が研究室の扉を勢いよく開けた。

 大きな音と共に室内の紙が舞った。



 『おいっ!『隻腕』ってなんだ!?絶対に君だろう!!』


 『そうよ?素敵でしょ?』



 急な来訪にも、大声や音、舞う紙にも動じず飄々と答えた。


 肝が据わり、堂々たる姿。


 それに対して男はへたり込むように顔を押さえ弱々しく地に落ちた。

 部屋に入った瞬間の雄々しさなど微塵もない。



 『・・俺は二つ名なんて貰える、大層な人たちとは違うんだよ・・・。完全に実力不足だよ・・』



 泣いてはいなだろうが、男のさざめきが聞こえるようだ。

 それには、動じなかった肝さえも憤りを感じる。



 『ちょっと!私の愛する人を悪く言わないでくれる?私の愛する人なのよ?二つ名ぐらいあって然るべきじゃない!!』



 男の悲壮感は消えたが顔をあげない。

 ただその耳が紅く色付いているだけ。


 雄々しさなどなくとも、好感しかわかない姿。






 いつもの軍服と違い華美な装飾が施された儀礼用の軍服を着た男。

 その隣に立ち共に海を見る。



 『私が貴方の右腕になってあげるから・・』


 『・・それは、プロポーズ、かい?まさか君からしてくれるなんて!!』


 『え?・・へ!?いや!!そういう意味じゃなくてっ!!』


 『ありがとう!嬉しいよ!!』



 そう言って満面の笑みを見せた男は、恭しく腰を下げ胸に手を当てた。



 『有り難く賜ります』


 『だ、だからっ!!っんーもーっ!!』



 からかい半分なのは明らかだった。その証拠に目が悪戯っ子の目だ。

 でも、半分。あとは、冗談粧した照れ隠し。

 つまりは本気だ。



 『・・本当は俺から伝えようと思ってたんだ。・・この戦いが終わったらって・・。何かこう言うの演技が悪いらしいけど・・』



 男はバツが悪そうに頭を掻いた。

 そんな少々の女々しさも愛おしいと思えてしまう。



 『・・・必ず。生きて。帰って・・』









 暗い暗い夜。

 雷雨と厚い雲で月明かりはもちろん、街の灯りすら陰るほどに激しい嵐。

 風と雨は永遠と地面や建物を叩き、窓はまるで滝から覗くかのような視野しかない。

 雨と雷によって外の音は全く届かず、室内の音すら掻き消えることがあるほどだった。



 『――――――ッ!』



 なのに、その声だけは明瞭に響き耳に届いた。耳を思わず覆ってしまったほど鮮明に。


 悲鳴。ガラスを引っ掻いたかのような高音の悲鳴。

 声と言っていいのか分からない音。

 だが、そこから伝わるのは苦しいく、胸を掻きむしりたくなるほどの悲しみ。


 それは同情などではなく、まるで自身の感情のように湧き上がり、心をかき乱す。



 窓辺に立ち視野の悪い窓から外を見る。

 滝のように水が膜を張る窓ガラスだけではなく外灯の灯りすらぼやけて見えづらい。


 それでもなんとか見つけることが出来た。



 『・・バンシー』



 そう呟いた矢先。侍女が心配して部屋に飛び込んできた。

 その様子からその声が聞こえたのは自身だけではないと確認できた。



 雨に打たれ、風に晒され。

 泣き喚く女。


 長い黒髪は顔だけではなく手足にまで張り付き、薄暗いローブを着ている。

 華奢な身体。手足も細く白い。だが身長だけは高く、それが身体の細さを際立たせている。


 大口を開け、叫ぶ悲鳴はとても人のものには聞こえない。



 そして女はずっとこちらに向かって叫び続けていた。



 悲しみに溢れた悲鳴なのに、暗闇の中でも何故かわかる黒い瞳は決して涙に濡れておらず、深い闇だけを怪しく光らせていた。





 それだけでも十分だった・・。

 

 だが受け入れることは出来なかった。


 胸に伝わる悲しみ。

 それだけは、受け入れたくないと・・目を逸らした。









 「マーリン様?起きていらっしゃったのですか?」


 「えぇ・・」



 ネグリジェ姿で窓辺に座るマーリンは、まだ朱色の朝日を望みながら視線を定めずに投げていた。

 その姿はあまりに無防備で儚げ。

 普段とあまりにかけ離れた姿に侍女の不安は募った。



 「・・・眠れなかったのですか?」


 「・・夢見がね・・」


 

 マーリンは首から下げた一枚のドックタグを指先で持ち上げ遊ばせていた。



 「ラルフ様・・ですか・・」


 「・・えぇ」



 その儚げな姿を侍女はよく知っていた。

 二十年近くの付き合いだ。知らぬはずはなかった。



 「フィリア姫様は白昼夢だったとおっしゃっていました。それに見たのは黒髪の『少女』です。・・バンシーではありませんよ」


 「・・・」


 「無心で本に耽る姿は、自身と重なるものがあったそうです。きっと愛らしい姿だったのでしょう。その上、浮遊までしていて、フィリア姫様そのままではないですか。・・ですから、違います。絶対に、違います」


 「・・・わかってるわ・・わかってはいるの・・」



 こんな弱々しいマーリンの姿などいったい何人が知っているのだろう。

 侍女は静かにマーリンに近づき、そっと包み込むように抱きしめた。



 「それでもっ、こればかりは・・。仕方ないのっ」


 「はい・・分かっております」



 マーリンは侍女に縋るように顔を埋めた。

 震える手が辛く痛々しい、マーリンの感情を発露させていた。









 「マーリン様。落ち着かれましたか?」


 「えぇ。ありがとう」



 ほっと息を吐く。

 湯船に浸かるひと時。


 フィリアの作った温泉とは比べるまでもない程に狭い湯船だが、その効果は確かにあった。

 重い気持ちが軽くなるだけでも違う・・。



 「それはよかったです。本日はどうなさいますか?」



 付立の向こうからの侍女の声にマーリンは少し考え込む。



 「そうねぇ・・流石にこんな顔じゃ心配もかけちゃうだろうし、今日はお休みさせてもらおうかしら」


 「そうですね。ではマリアに伝えておきましょう」


 「お願いするわ」



 マーリンは軽く伸びると、湯船から出た。

 衝立にかけられたタオルを手に取り、身体を拭く。

 

 首から金属の擦れる音がした。

 そこには長さ余る、細いチェーン。

 マーリンの谷間に埋れてしまってはいたが、先に下がるドックタグだけは胸の下から顔を出していた。


 姿見に映る自分の姿。マーリンはそのドックタグを見つめ、そっと触れた。



 「ねぇ。アリー」


 「はい」


 「もういいのよ?・・貴女もニコも、私たちに気を使う必要はないのよ?」


 「・・マーリン様。何度も申しておりますが、これは私共二人が勝手に決めたことです。それに恋人のままのほうが新婚気分でいられて幸せですよ」


 「・・ごめんなさいね」



 マーリンのしおらしい声に、侍女のアリーは溜息をこぼした。

 呆れたような息なのに表情だけは微笑み、穏やかだった。



 「それに、主であるマーリン様より先にお嫁に行くわけにはまいりませんし。もしも気に病まられるのであれば、早くお相手をお見つけください」


 「・・・言うに事欠いて、この忠臣は・・」



 悔しげに呟くマーリンだが、何処かその雰囲気は楽しげだった。

 薄手のワンピースを頭からかぶり、付立ての先に行くと無邪気な笑みを見せるアリー。

 その笑顔が憎らしくも思えるが、同時に安心さえ覚えるのは二人の長い絆、故だろう。


 

 「じゃぁ寝不足だし、ひと眠りしようかしら」


 「かしこまりました。では、お香でも焚きましょう」


 「そうね。助かるわ」



 マーリンは手で覆い隠して欠伸を漏らした。



 「よろしかったら、お買い物の手配をしておきましょうか?」


 「んー。今日は辞めとくわ。衝動買いで発散してしまいそうだし」


 「確かに・・。マーリン様の衝動買いは笑えないので辞めておきましょう」


 「・・なんか、引っかかる物言いだけど・・。まぁいいわ」



 長い付き合いだ。軽口の言い合いなど珍しくもない。

 だが最近、アリーの切れ味が増しつつある。



 「・・なんだか、近頃のアリーはマリアに似てきたわね」


 「本当ですか!?あぁとても嬉しいです」



 心から喜ぶアリーに、マーリンの表情は少し引き攣る。

 マリアをよく知るからこそ、それがあまり喜ばしくない。マリアは優秀な侍女だ。故に自由人レオンハートの天敵でもある。

 元々のアリーですらお目付け役として十二分だったのに、そこにマリアの優秀さが例え模倣であっても加われば、マーリンには勘弁して欲しいものであった。



 「貴女は本当にマリアが好きね」


 「はい!歳は私の方が上ですが、侍女としてはマリアの方が先輩ですから、たくさんお世話になりました。最近ではフィリア姫様のおかげで以前よりも一緒できるので、嬉しいことばかりです」



 どうやらマーリンは自身で自身の首を絞めていたようだ。

 可愛い姪に盲目となり、先の自身が陥る事態を考えていなかった。


 マーリンは諦念の息を零した。



 「でも、フィリア姫様は大丈夫でしょうか・・。処女杖も作り、魔術の基本もあと少しで学び終えるのでしょう?・・そうなれば、乳母のような役回りとして付けられたマリアとミミは役目を終えてしまいます」



 遅かれ早かれではあった。

 本来、乳母の役目を望まれて拝命されたマリアとミミ。その役割が終われば離れていく。彼女たちはフィリアの専属ではあっても、今のみ。

 普通であれば3歳ほどまでは、離れることがないだろうが、フィリアは普通の幼児ではなかった。その別れさえも前倒しになってしまうのは明らかだった。



 「マリアはきっとリリアちゃんの元に戻るでしょうね。もともと彼女はリリアちゃんが連れてきた専属の侍女だし」


 「はい。ミミも出世街道に乗るでしょうね。あの若さではありますが、フィリア姫様の傍を務めたのですから今更下働きにはならないでしょう。お茶の技術は随一ですし、接客部署の一つで侍女長を任されるのではないでしょうか」


 「どちらにしても・・フィーが悲しむわね・・」



 湯浴みで鬱屈したものを流したのに、また悩みが湧いてきた。


 マーリンは大きく短く息を吐くとベットに突っ伏した。



 「部屋に篭っても、研究室に篭っても、余計なことばかり考えそうだわ」



 マーリンは突っ伏したまま吐き出す。



 「アリー。起きたら久々に、修練場に行くわ」


 「・・では、ハイロンド様に通しておきます」



 発散にはやはり身体を動かすのが一番だ。

 マーリンはそれだけの思いだが。アリーは案じるような表情。



 「・・涙を流して、歓迎してくれますよ」



 泣くほどに・・。



 その時、騎士たちは正体不明の悪寒を感じ。

 正体不明なはずなのに、必死に逃亡兵が続出したらしい。





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