41ー乙女の悩み
本や資料が押し込められた書棚。そこにから溢れたものは簡素な机と執務机に重ねられている。
その机にはペンや紙の他にも用途の分からない器具、ビーカーやフラスコのようなものから精密機器のようなものまで多く置かれていてスペースがほとんどない。
ソファーやテーブルは、造りこそ高級だが、大きさはささやか。
キッチンやベットもあり、一人暮らしの部屋には十分な場所。
フィリアのラースモア。
個人の秘密部屋的な一室だが、正直、これだけで十分な住環境。
そして、本来ならフィリアだけの部屋だが、本日は来客がいた。
一人はティーファ。彼女はもはやこの部屋の常連で、なんの気後れもなくフィリアが淹れたココアを幸せそうに堪能している。
この部屋にはミミやマリアはいない。ラースモアは本来、主人以外が入ることなど希な空間。それだけに特別視され、許可をだしても気後れが先立つ。
だが、そんな常識フィリアに通じる訳もなく、度々ティーファを招き入れている。
当然、それを黙って見ていられないものもいる。
まぁ、彼女の場合。大義名分より嫉妬が勝っただけだが・・。
「フィー。貴女も他人事じゃないのよ」
フィリアの愛する姉リーシャ。
彼女は皆の予想通り、あの武装連行から一週間と経たずに帰ってきた。
その後も三日と空けずに帰省をしている。当然ながら、毎回騒いで学校に戻る。
今回は、ティーファがいつものようにフィリアに着いていこうとした所に便乗し、フィリアのラースモアに入った。
そしてそんなリーシャに強制的に巻き込まれて連れ込まれたミリスは、この部屋で一番恐縮して縮こまっている。
他者が入る事をあまり良しとされないラースモア。なのに、更には自身の仕える姫のラースモアである。仕方なかろう・・。
フィリアは最初、皆にココアとクッキーをだし、ホストとして話題を振っただけだった。
それこそマーリンやマリアに習った分では間違っていなかったはずだ。
『がっこうは、どうですか?』
そんな枕言葉にふさわしいほど簡素な話題。
なのに、その話題の瞬間。
リーシャがワナワナと震えて声を荒らげたのだから驚き。
そして、その内容を聞き、何故ミリスを巻き込んだのかも納得してしまった。
おそらく、最初からこの愚痴を発散したかったのだろう・・。
一歳児相手に・・。
「シャルが・・裏切るなんて・・」
不穏な言葉。
その言葉と共にリーシャは胸を抑えた。
「それに、カレンなんて・・・さらに・・」
苦悶の声を漏らすリーシャ。
「おっぱいが大きくなってたっ!!」
・・・はい。
不穏な影は気のせいでした。
沈痛な表情はリーシャのみで、ミリスもフィリアも苦笑のみ。ティーファに至っては話を聞いているのかすら怪しい、ずっとクッキーとココアに心を奪われている。
要は新年度。久々に再開した同級生の成長にショックを受けた話。
「リ、リーシャ様はまだ十歳ですからこれからですよ」
「・・皆は去年からその兆しがあったわ」
どうやらリーシャにはまだその兆しすらないらしい。
「いや、あのぅ・・ほら、レオンハート大公家の方々は成長がゆっくりですし・・」
「・・身長と体重は増えてるわ」
レオンハートの『呪いと祝福』。その症状として代表的な一つが著しい成長阻害。
リーシャも成長はしているがその小柄さは同級生と並べばより際立つ。
だから、まだこれからだ・・たぶん。
ミリスのフォローはとことんその役目を果たせず、寧ろミリスの方が言葉に困窮してしまう結果になってしまった。
「ミリスなら私の気持ちわかってくれるわよね」
ミリスの表情はピキリと固まった。
流石にそれは・・。と、フィリアは視線を逸らしココアを啜る。
ここはフィリアのラースモア。当然の事ながらリーシャの傍にいるものを連れて入ることは流石にはばかれる。その為にフィリアの側近であるミリスを引っ張ってきた。
だがそれだけではなく、マリアやミミをはじめとして、リーシャの周りも、それなりに『ある』。
リーシャの嫉妬心を刺激しないのはここにいる三人だけ。
しかしそのうち二人は言うまでもなく幼児・・。ミリスの心情は穏やかではなかろう。
「・・リーシャ様には申し訳ありませんが、これでも私は『それなり』にはございます」
「・・それなりって・・。ミリス。現実は見たほうがいいわよ」
リーシャの哀れむような視線。こめかみがヒクつくミリスにフィリアはもはやその場を立ちたい気持ちでいっぱいだ。
ミリスは深く息を吸い、心を落ち着けていた。
「・・・・。・・それに私はまだ若いので、まだ伸び代もございます」
「そりゃぁ、エルフの中で言えば若いかも知れないけど、実年齢はお祖母様より上じゃない・・」
え!?と驚くフィリアだが、その疑問に向き合う前にミリスの笑顔を見て、再度ココアに視線を戻した。
いくら女子会といえども、胸の話と年齢の話はデリケートな部分らしい。
フィリアにはそのどちらもあまり分からない。年齢に関してはアラサーと呼ばれ始めた頃にからかわれた経験があったが、実際には超える事無く0歳に戻った。その為、真にその気持ちが分かるわけがない。
胸に至っては無いのが当たり前で、この先大きくなると言われても、実感の湧きようもない。
そして当然の事ながら、今は幼児、前世は男。女心などフィリアに分かるわけがない。
断言できる。
それでもミリスの無機質な笑顔くらいはフィリアにもわかった。
そもそも、ミリスが怒っているのなど見たことがないフィリアは余計に藪蛇をしないよう気配を消した。
「お母様はあんなに大きいのだから、遺伝子的には問題ないはずなのにっ!」
ついにはリーシャの嘆きが沸点に達し、机に突っ伏してしまった。
即座に魔法でリーシャのカップを避難させたが、安堵は生まれない。
只々面倒くさそうに息だけが漏れ、それはミリスとかぶった。
フィリアとミリス。
二人は無言で頷きあった。そこにはリーシャに対する憐憫など微塵もない。あるのは互いの不運を嘆く眼差しのみ。
ティーファのみが夢見心地にティータイムを満喫していた。
その後はリーシャの怨念を延々と聞かされた。
その結果、この城内のほとんどの女性にリーシャは、親の敵のような恨みを募らせた。
ラースモアから出る頃にはブツブツと呟かれた怨嗟の声に、辟易とした二人。
そしてそれとは対照的に満足気な二人。一人は吐き出し、一人は満たされ。実に晴れ晴れとしていた。
そんなそれぞれの表情をみて、マリアたちは顔を諌めた。
明らかに何もなかった顔ではない。
ティーファはいつもこんな幸福そうな顔をして出てくる。いつもなら頭が痛い事だが、今回はそれすら気にならない。
小さな姫とその騎士。二人は完全に憔悴しきっている。
ミリスはまだしもフィリアまで。いつもならそんな表情をさせる側なのに、やはりその姉は更なる上を逝く。
そしてそんなフィリアに対して心底申し訳なさそうなリーシャの側近たち。
きっと普段目にしているマリアたちの苦労を、そのまま、またはそれ以上に経験しているのだろう。
それ故に原因は間違いなくリーシャにあると断定していた。
マリアたちはそんな側近たちの気持ちが痛いほどにわかってしまう。
それにしても・・。
「リーシャ様。そんなに怨敵を睨むような視線を向けたって、胸は大きくなりませんよ」
「余計なお世話よ!!そ、それに、そんな、視線なんてむけてないし。睨んでなんかないし・・」
リーシャの傍付きは躊躇なく、リーシャのデリケートな部分を踏み抜いた。
流石はリーシャの側近。
それに対してリーシャは、しどろもどろ。どうやら完全な無意識ではなかったようだ。
というか、指摘されてなお、チラチラと不躾な視線は抑えきれていない。
「あら、リーシャちゃんも来ていたの?」
そこへマーリンがやって来た。
この城一、豊満な胸を持つ女性。
必然的にリーシャから不穏なオーラが噴き出している。
フシューフシューと鼻息も荒い。
きょとんとしたマーリンにリーシャの側近は端的に事情を説明した。
「え?こんなの邪魔なだけよ?」
パキンッ!!
瞬間。リーシャがブチ切れ、獣のごとくマーリンに突撃した。
魔力全開。リーシャお得意の冷気は一瞬で氷点下となりマーリンに向かう。
だが―――
「この胸のせいで、肩こりと頭痛がひどいのよねぇ。さ、授業の準備をしてちょうだい」
飄々としたマーリン。
リーシャは氷塊の中に閉じ込められた。
リーシャの十八番を奪う一瞬の魔術対決。
対決などというのも烏滸がましいほどに、一方的に一瞬でかたが付いてしまった。
軽い杖のひと振り。
それだけで。
その場の者たちは、驚くよりも呆れたように息を吐いた。
当然その先はリーシャに向かって・・。
リリアだけではなく、マーリンとも血が繋がっているのだ。
リーシャよ。何の心配もない。
たぶん。
「姫様?どうなさいました?」
いつもなら目の前の魔術に興奮するフィリアが静かだった。
マリアはそんなフィリアに気づき、心配そうに声をかけた。
「あ、うん」
その視線は本棚に向いていた。
マリアの声に反応したフィリアだったが、マリアの方は気遣う視線を向け続けている。
「なんでもないの。・・ただ、このまえの、おんなのこを、おもいだしていただけ」
「あぁ、姫さまが見た幽霊さんですかぁ」
ミミはマリアの後ろから覗くように声をかけた。
一瞬マリアが息を飲んだような気がした。
マリアはお化けの類が苦手なのだろうか。少々意外だ。
「ゆうれい・・とは、なんかちがうような、きがします・・。なんとなくですが」
「少女ですか・・。このお城も歴史がありますから、そういった噂も少なくはありませんが、このお部屋のあたりは全くそういった話も聞きませんでしたがね」
ミリスも首をかしげて本棚を見つめた。
「くろかみの、きれいな、おんなのこでした」
フィリアも首をかしげて本棚を見つめ、ミミもその視線を追って首をかしげる。
実に似たもの主従。
三人揃って同じ表情と同じ仕草。
少し滑稽にも見える。
「・・黒髪、の・・女・・・」
掻き消えそうなほどにか細い声。
弱々しく震えた声。
その声の主からは想像できないほどに怯えたような声。
「マーリン様!!・・少女です。黒髪の『少女』・・」
マリアの突如上げた大声。それは悲鳴のようにも聞こえ、諭すようにも聞こえた。
フィリアたちがその声に視線を向けた先には、マーリンが幽鬼のように瞳孔を開きこちらに向かってくるのを、マリアが抱き止め抑えていた。
「・・おばさま?」
くだらないいつもの訂正もせず、マーリンはその日、授業もせず、帰っていった。




