40 朧ろな少女
「・・これは」
フィリアの自室に入った瞬間、マリアは言葉を失った。
演習場から急くようにフィリアは帰ってきた。
道中、浮かぶクッションも心なしか弾んでいた。
マリアはそれだけでも嫌な予感が確信となるのを想像できた。
更にはミミの視線。マリアを伺っては俯く。だがそれはミミが挙動不審なのではなく、マリアの顔色を伺い心配してのことだ。事実何度かミミは「気を強く」と言葉をかけた。
それがさらに不安を仰いでいるとは思いながらも・・。
そして自室の扉を開き、その光景が目に入った。
フィリアは甘い吐息を漏らし感無量の様子だが。
マリアは一瞬意識を持ってかれそうになった。ミミもそれを予想していたのかすぐさまマリアの肩を支えた。
「すてきです!!これで、いっかげつは、たのしみがつづきます!!」
扉を開けて目に入ったのは人一人など容易に入る程に大きな木箱。
それも一個二個ではなく、大量・・。
何人もの使用人がいそいそと中身を出しているが、そこから出てくるのは本。
本。本。本ばかり・・。
「・・こんなに・・いつの間に・・」
マリアの嘆きは切実。
最近フィリアの行動に目が届かない事が多い。
というかこの量で一ヶ月しか持たないとは・・。
「・・姫様。こんなにどうするのですか」
「どうって。よむんですよ?」
そんな当然のことを聞いているのではない。
「そうではなく・・。もうすでに書庫はいっぱい。天文所の方も空きはありません。部屋の方にもすでにたくさんあるではありませんか・・」
前世、伸之の部屋を思い出す。
もはやフィリアの書物所蔵量は前世に迫る。
図書館で借りる事も、電子書籍もない為、読んだ先から本が増えていく。
さらにフィリアの収集魂が無駄に発揮され、捨てることも許されない。
増える一方。
その上、この城には、フィリアを凌ぐ本の虫が居る。
書庫だって小さくはないどころか、いくつもある。
そこから厳選されて、城内の図書室に並べられる。
魔術は知識。それに習う家系だ、余分に本や書物を有し保存もする。
つまりは決して、手狭な環境ではない筈なのだ。
なのだが・・。
フリードとフィリア。この兄妹の読書量と収集量は常軌を逸している。
「らーすもあになら、すこしははいりますよ?」
それさえマリアは知っている。もうすでに何処の研究室かと思えるほどに、物があふれていることを。
そもそも今はまだなんとかなる。
問題は今後だ。
フィリアが一ヶ月と発した通り、その速度は異常だ。
つまりは二ヶ月後にはまた同じ量の本が増え始める。
城の空きが埋まるのに一年もかからないだろう・・。
フィリアは床に重ねて置こうとしたがそれは当然の事ながら全力で咎められた。
憔悴しきったマリアを筆頭に使用人たちはせっせと本を運ぶ。
その中、フィリアは手伝うことを全力で断られ、優雅に読書をしていた。
その表情は恍惚に満たされている。
邪魔にならないようベットに追いやられたフィリアは数多の本と共にベットに沈む。
それはフィリアにとって天国のような環境。
更にはミミによるティーセット付き。至れり尽くせりだ。
フィリアが開く本は所謂生物辞典。
それも幼子が読むような可愛いものではなく、生物学の専門書。
その中の1ページ。
『麒麟』の項目。
聖獣。場所によっては神獣にさえ祀られる。希少で特別な種。
国際保護の対象でまず異国に渡ることはない。数年前に国家間の友好に贈られたこともあったが、それだって世界情勢が絡んだもの。
個人の保有などまずありえない。
特性や生態も詳しく書かれてはいるが、多くをまだ検証中で不明点も多い。
だが、決して何処にも『食事』的なことは書いていない。
当たり前のことなのに、フィリアはそれに不満なご様子。
「ぜったい、おいしいのに」
何故にそこまで固執するのか、分からない・・。
そして、フィリアは一つの特性に首を傾げた。
[気性は荒く、攻撃的。暴れれば手がつけられず、一度敵対してしまえば、どこまでも襲い来る]
「どこが?」
・・・それは、なんというか・・。
トールが特別なわけではなく、フィリアが全ての元凶。
禍々しいまでに膨大な魔力を纏い、捕食者の目で睨まれればトールでなくとも怯える。
きっとその幼くも天使のような容貌も相まって、一層に恐怖心を煽っただろう。
ふとフィリアは視線をあげた。
忙しなく行き来する使用人達。
この本は何処に。あの本はこちらに。と、右に左に行き交う。
その中にある幻。
本棚の前にまるで光が集まったかのような姿。
一人の少女がふわふわと宙に浮かびながら本を読んでいた。
年の頃は、フィリアと同じくらい。
髪色は見慣れた黒髪。上げた前髪のおかげで綺麗なおでこを晒している。
フィリアと似たようなドレスを着ている事から使用人ではない。
それどころか、その姿はあまりに幻想的で、その場にいるのかすらも曖昧。
フィリアは目を奪われていた。
恐怖や嫌悪感は不思議と全くない。
それどころか、特別何かを抱くことはない。
ただただ夢幻を望むかのような感覚。
行き交う使用人。
その瞬間、フィリアの意識は戻った。
目の前には陽の当たらないよう調整された本棚。
その前を、変わらず使用人たちが動いている。
少女の姿はない。
白昼夢でも見ていたかのように、なんの変哲もない。
だが、夢か幻かと悩む以上に、その光景が焼きついて離れない。
儚く、朧ろ。
あまりに神秘的で、美しかった。
普段ならフィリアの苦手なホラーだと騒ぐものだが、不思議とそういった類には感じなかった。
寧ろ幻と断じたほうがしっくりする。
「姫様?どうかなさいましたか?」
ぼーっとしていたフィリアにマリアが声をかけた。
「え?・・あ、なんでもないです」
何故だろう。
フィリアはその少女を忘れられずもう一度本棚を見たが、やはりそこには何もない。
見たこともない少女。
なのに既視感のようなものを感じた。
宙に浮かび、真剣な眼差しで本を読む姿は、違和感がない程にフィリアの姿と重なった。
この世界は魔法のある世界。
不思議な存在や現象もある。
だが、この世界からも浮いたような姿だった。
「姫様」
「はい?ひっ!」
そこには青筋を立てたマリア。
フィリアは肩を跳ねさせマリアの視線から逃れる術を探した。
「なんですか、このベットの上の本は」
「・・えーと・・そのぉ・・。ばしょにこまっていたので、いちじひなん・・てきな・・」
もはや後ろめたさが隠せていない。
「それで淑女である姫様は、本をベットの上に散らかし。更にはその本に埋もれるようにしていたと?」
淑女がどうのは分からないが、それが褒められた物ではないのはわかる。
フィリアなど淑女教育を受けているのだからよりわかるはずだ。
というか淑女以前の問題だろう。
フィリアはハッとして周りを見渡した。
だが・・。
「みみ・・」
先程までお茶を注いでくれたいたミミの姿がない。
更にはご丁寧にティーセットも片付けられている。
証拠隠滅まで完璧。
主を人身御供にミミは逃げた。
そもそもベットへの避難はフィリアが提案したが、特にミミから止められなかった。
つまりはミミも普段、そのようにズボラだということなのだが、どうやら褒められる事ではない事ぐらいはわかっていたようだ。
そしてわかっていながら進言に思い至らないあたり、実にミミらしい。
『ぎゃっ!?』
「・・りあ。どこいくの?」
そっとフィリアの傍から立ったリアだが、長い尾がフィリアに掴まれた。
笑顔だが目が笑っていない。そしてその目には明らかに「逃がさない」という意思が込められている。
『僕は関係ないだろ!?嫌だ!離せ!!』
死なばもろとも。
フィリアはギュッとリアを腕に抱きしめ。
背に感じるプレッシャーに覚悟を決めた。
「・・ぐすっ」
『離せ!離せ!!』
「姫様、・・リア」
マリアはリアも視界に捕えた。
『離してくれーーーーー!!』




