39 一角のジビエ
幾ばくか雪が溶け、地面が覗く陽気の日。
このところは降雪も少なく、風も柔らかい。
マリアの話では毎年、後一回二回大雪が降るがそれを越えれば一気に春の風が吹くらしい。
もう、厳しい冬も佳境。
フィリアはほとんどを室内で過ごした為、実感には乏しいが今年も例年通り深い冬の年だった。
「みみ、つぎのほんをください」
幼い手には余る程大きく厚い本を閉じ、息を吐くフィリア。
そこにお茶のおかわりを継ぎ足したミミに、今読み終わった本を差し出した。
今日は暖かなミルクティー。
ミミに最初は香りが損なわれるからと渋られた飲み方だったが、今ではそんな憂いはどこへという程に完璧なミルクティー。
香りも高く、味もミルクとの相乗効果で深く甘い。
流石はミミ。紅茶にかけては駄メイドを返上している。
一口飲んで漏れる吐息は安堵と幸福が漏れ出たもの。
だが、息は白く凍ることはなかった。
城の影になるような場所にあるテラス。
立っているだけでも悴むような寒さ。
そこへもはや恒例となったフィリアの都合のいい魔法使用。
透明な結界のようなものを張り、外気遮断の上に完璧な温度管理。
もはや、マリアすらも何も言わずその恩恵を享受している。
だがそんなマリアも本をもって下がるミミを見送って、困ったように眉を顰めた。
「姫様。本日また新たな書籍が来ますが・・」
「そうですか。たのしみですね」
満面の笑みを浮かべる主にはそれ以上言葉を継げない。
読書自体は悪いことではない。寧ろ問題の多いフィリアにしてはまともな嗜みであるし、家柄、知識を多く蓄えることは推奨さえされる。
ただ、まともなことが、フィリアにかかればまともでなくなるだけ。
何事も限度や節度があってのものだというだけ。
「それにしても、にぃにぃはすごいですね」
そうつぶやいたフィリアの視線を追う。
そこには幾人もの新人騎士たちの死屍累々。
それを成したのは五歳児の小さな少年。
まだ立つ騎士たちも剣を構えてはいるが、完全に戦意を失っている。
というか完全に心を折られている気がする・・。
凛と立ち剣を構えるフィリアの愛兄アランは息ひとつ乱さず、怪我はおろか汚れ一つありはしない。
フィリアたちのくつろぐテラス。
そこは騎士たちの演習場を望める一角。
フィリアの日課になっている訓練は早々に終わり、アランの時間。
だが、そこでやってきたのはハイロンドに続く若い騎士たち。
今年入ったばかりの新人騎士。その中でも実践経験の乏しい、または無い騎士たち。
所謂新卒みたいな者たち。
まぁ言うまでもなく、挫折を味わわせたかったのだろう。
瞬殺だった。
全員で掛かるように言われたが、それでもアランに土一つ付けることも出来なかった。
主を守る騎士が、主に瞬殺される。弱すぎではないだろうか・・。
「まぁ新人騎士ですからね。・・・それにしても情けないですが」
普段はふわふわでフィリアの近衛の中でもキュート担当なアンネに言われるとは。
いつもはミミと一緒に頼り無さが際立つ彼女。
真面目ではあるが、天然な面が強く、ちょくちょく怒られている。
ちなみにフィリアが「天然ね」と言ったら「姫様には言われたくないですよ」と反論された。
その際、誰もフィリアと視線を合わせなかったのがもはや答えだろう。
「剣のみでは仕方ないでしょう。新人ですから」
「きしなのに、けんがにがてなのですか?」
ここにもレオンハートという特異性が反映されていた。
騎士と言っても彼らは新人騎士。それを踏まえてではあるが。
騎士と名乗る以上、剣の腕はある程度はある。
だが、あくまである程度でしかない。
剣の腕だけであればそれこそ優れたものなどいくらでもいる。だが、それだけではレオンハートに仕える騎士にはなれない。
レオンハート。言わずと知れた魔術の王。
そこに仕えるのに必須なのは剣ではなく魔術。
どんなに剣の腕があろうとここでは騎士になれない。
寧ろ剣の腕は一定の基準さえ超えればいい程度の基準でしかない。
その代わり求められる魔術の基準は非常に高い。
その為、狭き門ではあるが、剣術に関して新人では心許ないだろう。
もちろんそれは新人の話で、ミリスもハイロンドもフィリアが見た通り剣においても一流だ。
これからそういった点も伸ばしていくのだろう。
その前準備として、アランの制裁があったのだろう。
「まじゅつしとは、ちがうのですか?」
「魔術師は・・。一言で言ってしまえば『化物』です」
この城において騎士と違う魔術師。
騎士に求められる魔術の基準は高いとは言えそれはあくまで努力でなせるレベル。
だが、レオンハートに仕える魔術師は別格だった。
他国であれば、宮廷魔術師団の指導さえ望まれるだけの猛者たち。
騎士たちでさえ他であれば、魔術師として一流。だがそんな騎士たちでさえ一般人と変わらぬ程に隔絶した存在。
レオンハートの名のもとでなければ決して集まらない、世界最高の魔術集団。
「なので、彼らも魔術さえ使えばもう少し踏ん張れますよ」
「にぃにぃにも?」
「・・・」
そしてそんな魔術の鬼才たちばかりが集まった集団ですら敵わない、別格の存在。
それこそがレオンハート。
魔術の王。
言うまでもなくアランも魔術を使っていない。
要するに、対等。
いや、寧ろハンデはアランの方が多く背負っている。
「・・・最近ではアラン様のお相手は団長くらいにしか務まりませんからね」
アランも例に漏れずレオンハートの血統。
なればこそ、その魔術は『化物』を超える。
だが剣術に関しては・・。
・・・五歳だよね?
「フリード様は、それこそ最低限ですが・・」
当たり前だ。
そんな化物だらけでは困る。
「りーしゃおねえさまは?」
「「「・・・」」」
・・・。
・・リーシャ・・。
あの姉にして、この弟あり。
「にぃにぃたちは、つよいのですね!」
無邪気なフィリアの純粋な賞賛。
だが、何を人ごとみたいに語っているのだろうか。
この幼女、前にハイロンドを負かした事があるのを完全に忘れている。
間違いなく君はレオンハートの末姫だ。
「それにしても、あれがにぃにぃの、じゅうまですか・・」
フィリアが見つめる先。
剣を構えるアランに寄り添う一角獣。
アランが小さいのもあるだろうが、それでもその体躯は大きく迫力がある。
黄色い体毛は長く、ふわふわと空気に浮く程に軽い。
足はしっかりとした逞しさを持つが全体的に見れば細く美しい。
一見、馬のような姿だが、どちらかというと鹿に近い顔と姿。
そしてなにより特徴的なのは額にある一本の角。
割れたガラスのような形と光沢をした一角。
「麒麟です。聖獣にも分類される外来種で、気性の荒さが有名ですね」
「きりん・・」
「姫様が憧れる。本物の龍種ですよ」
マーリンの従魔アーサーとは違い本物のドラゴン。
当然フィリアは飛びつく勢いで目を輝かせると思ったが、予想に反して優雅にお茶を嗜むフィリア。
「きれいですね」
落ち着いて呟く感想は、普段なら望む成長なのに、いざそうなると寧ろ薄気味悪さを感じる。
「・・姫様。ご興味がございませんでしたか?」
「んー、きれいだとはおもいます・・ですが、しかにしかみえなくて・・」
確かに美しく、光の屈折もあって神々しくもある。
だが、フィリアの言う通り遠目には鹿の亜種。
そして、フィリアは鹿に対して特に感慨がわかない。
前世、伸之の祖父は猟師を兼業していた。
シーズンになれば父と天体観測がてら訪ね、そのジビエを味わったものだ。
つまり鹿は見慣れた姿。それも獲物として。
味を思い出し、心は踊るものの、それはあくまで食料としての視点だ。
アーサーの時のような憧憬を抱いたものではない。
それを感じているのか、麒麟はフィリアの視線を感じて幾度も震えている。
目があった時など、恐れ、アランの影に隠れたほど・・。
「・・おいしそう」
呟きは誰にも届かぬほど小さい声。
だが、確かに麒麟は怯え始めた。
ちなみに言っておくが、その姿は鹿に似ているだけで、全く別ものだ。
貫禄もあるし、相対するものが畏れを抱くほどに威厳に溢れている。
鹿と実際に並べれば雲泥の差。全くの別物。
実際に目にしてきたはずのフィリアなのに、その目には麒麟がジビエにしか見えていない。
『止めたげて・・。怯えてるよ』
テーブルの上で寝そべる黒猫リアは哀れみの感情を込めた視線でフィリアを見た。
「姫さま。お待たせいたしまいた・・。って、何してるのですか?」
戻ってきたミミはフィリアの姿に首をかしげた。
フィリアは雪の上でうつ伏せとなっていた。
そして反応はない。
だが、傍で控える者たちが何の動きも見せないことから、何か問題が起きているわけではない。
新人騎士を全員沈めたアランは笑顔でフィリアを呼んだ。
着実にレオンハートに染まりつつあるフィリアはそんなアランの何気ない姿に胸を射抜かれ、アランのもとへと飛んだ。
しかし、そんなフィリアの高速飛行に怯える麒麟。後ずさるが、それ以上にアランの傍を選んでしまった麒麟はフィリアから逃げ遅れた。
結果、妹を愛でるアランに絶望の表情を浮かべた麒麟。
そのまま、アランはフィリアに麒麟を紹介したのだが・・。
フィリアが一歩近づけば、麒麟も一歩下がり。
フィリアが手を伸ばせば、麒麟が身体を縮こませた。
明らかに、本能的な恐怖心を抱かれている。
そこからは駆け引きもなく追いかけっこ。
捕食者フィリアから逃げる、ジビエの麒麟。
「三十秒は持ちました」
マリアの言葉に皆「おぉ」と賞賛するが、それはフィリアの体力が持った時間。
どこに賞賛する事が?とは思うが、これは実際かなり頑張った成果である。
フィリアは魔法をを使えば規格外の化物だが、身体能力はまた逆の意味で規格外。
リアと契約して些かまともになったとは言え、それでも虚弱体質。
普段のフィリアを見ていれば「虚弱?」と言いたくなるが、残念ながら本人の資質と体質は決してイコールではなかった。
寧ろ、その体質なのだから少しは大人しくしていてほしいと思うのは皆の共通認識だろう。
つまり全力疾走の三十秒は実に大きな成果。
3歩進んでは倒れていた頃が懐かしい・・。
しかし、そんなフィリア。
地面に五体投地のまるで死体。
なぜ誰も助けないのか・・・。
深くは聞くまい・・。
アランでさえ苦笑で見守ってる。
さらにその後ろには被害者の麒麟。
怯えてアランの背に隠れてはいるが小さなアランでは身体の一部しか隠れない。
だが、子鹿のように震え、鼻息まで荒い様子も相まって、悪人は誰かわかりやすい。
「・・おにくぅ」
雪にくぐもった声だったが、確かに届いた戦慄。
誰もフィリアに手を差し出さない理由がよくわかった。
「・・姫さま。聖獣を食べようとしたのですか?」
「・・・じびえ・・」
ミミの言葉は呆れが多分に含まれていた。
フィリアよ。その名残惜し気な声は狂気しか感じない。
「さすがに、フィーの頼みでもトールを食べさせることはできないよ」
困ったように笑うだけのアランは最近一気に大人びてきた。
それと麒麟の名前はトールらしい。
フィリアはゆっくりと顔を上げトールを見た。
トールはびくりと怯える。当然だろうそんなジト目で見られては。
とは言え、さすがにフィリアも本気ではないだろう。
食いしん坊を通り越して狂戦士など。
逃げるトールを面白がっただけだろう。
・・だけだよね?
フィリアは視線を動かしミミを視界に捉えると身体を起こした。
「みみ?それは『てんがいのうんめい』ですよね?」
身体についた雪を払い問うフィリア、マリアもフィリアを手伝い雪を払ってくれる。
「はい。・・他の本をお持ちしようと思ったのですが。先程、注文なさっていた本が届きまして・・。その・・」
歯切れが悪いミミ。マリアはそんなミミを不審に思うが。
当のフィリアは満面の笑み。
「まぁ!待っていました!!」
明らかにテンションがおかしい。
マリアはトールが感じたような悪寒を感じた。




