36 穏やかな時間
味も香りも薄い。
そのくせ、色と苦味は強く、青臭さも残っている。
ミミの手腕とはいえ。未完成な茶葉と淹れなれない緑茶。
正直、フィリアの馴染んだ味とは、似ても似つかない。
当然そんなものに愛郷の想いなど湧くはずもなく。
渋味に表情も険しくなる。
「・・フィリア様。やはりまだ・・」
それでも、感慨深い。
「まずいですね」
ドルンの表情もミミの表情も曇る。
だが、フィリアの表情は穏やかなものに変わっていく。
「あじも、かおりも、さいあく。ゆいつ、りょくちゃっぽいのは、このいろだけ」
穏やかな口調。静かな吐息。
そして、フィリアはフッと柔らかく微笑んだ。
「・・でも、こうちゃではないですね」
フィリアにもわからない感情。
目的とは全く違うものが出来たのに、何故か一種の達成感を感じる感覚。
零から何かを生み出す。その一歩を踏み出した時に湧き上がるもの。
それは子供の頃は誰もが感じたもの。
だが大人になるにつれそれは、結果あってのものに変わり、子供の頃のように過程に一喜一憂することがなくなって、忘れてしまった感覚。
フィリアはそんな、もはや覚えてもいない感覚の再認に、大きな感慨を抱いた。
「みみ。ちゃばをもってきてください」
そう言ってフィリアは立ち上がった。
ミミは少し戸惑うようにして動き始め、他の者たちはフィリアを目で追った。
フィリアは、その視線を背に感じ、そそくさとラースモアの中に消えていった。
僅かな時間。すぐに出てきた、フィリアの手には小さなお盆。
小さいと言っても、フィリアの体格からしてみれば抱えていると言ったほうが相応しい表現だろう。
「・・茶器・・ですか?」
興味津々のドルンはフィリアの抱えてきたお盆の上に釘付けだ。
いつもなら苦言を呈するマリアも今回は身を乗り出すようにしている。
「はい。きゅうすといいます」
フィリアが持ってきたのは急須と湯呑。
そこまで大きく違いはなく見えるが、紅茶のそれとは違うらしい。
フィリアも前世の再現でしかなく、細部は実に怪しい。
それでも、ドルンやマリアにはその違いが興味深いらしい。
湯呑に取っ手がないのも気になったらしいが、そちらは寧ろ一般家庭ではよくあるらしい。ただ、フィリアがその形を知っていたのが驚いたというところだろう。
「・・姫さま。お持ちしましたが」
そこにミミが返ってきた。
フィリアはそれを受け取ると茶葉を確認する。
別に茶葉の違いなど分かる訳もないフィリアだが、一応だ。
「それじゃぁ。みみ。おゆをください」
「・・はい。では今温め直しますので、少々お待ちを」
「いえ、そのままでだいじょうぶです」
「え?・・しかし。まだ熱いですが、お茶を淹れるには少し温いですよ?」
それでも大丈夫だと言うフィリアに、ミミは渋るようにしながらもポットを手にした。
フィリアはスプーンで茶葉を急須に移すが、当然分量は適当だ。
そこにミミがお湯を注ぐ。やはりミミは表情に不安が隠せていない。
そして少し急須を回すようして、湯呑を準備する。
そして、注ぐ。
「姫さま!?早すぎます!!」
焦ったようなミミだが、フィリアは動じない。
湯呑に注がれた緑茶は、やはり色が薄く。未だ不完全な試作品なのだとわかる。
だが、そこから立つ香りは、さっきまでとは全く異なり豊かな香り。
フィリアからしてみれば物足りなくはあるが、ドルンたちからしてみれば瞠目ものだ。
「さぁ。おためしください」
笑顔のフィリアに対し、ドルンとマリアは視線を交わし、ミミは悔しそうに湯呑を見ていた。
恐る恐る手を伸ばし、一口。
案の定、目を見開いて驚いた。
当然だろう。
だってまるで別物なのだから。
ガタッ
ミミが地に伏した。
「無念っ!」
唯一と言っていいほどに取り柄にしていたミミの技術。
マリアにすら負けないと自負していたのに、そのプライドはズタズタだ。
だが、そんな姿も何故だかコミカルにしか見えない。
そもそもミミには申し訳ないが仕方ない事だ。
初めての緑茶だ。ましてや紅茶に関しては自負するほどに研鑽してきた。
なればこそ、そこには確かな基本が出来ていて、忠実に守っていたはずだ。
それ故に起きた失敗。
別段、フィリアが緑茶に精通していたわけではない。
ただ、元営業マンとして最低限のお茶汲みくらいはしたことがあるくらい。
だから簡単なこと。
温度と時間だ。
もちろん、種類や環境でも変わる。
だが、基本の時点で違う。
初めての茶葉だからと基本に従ったミミの物が失敗してしまうのは仕方ない。
きっと、淹れ方を覚えたミミなら、次の一杯でフィリアの味を軽く超えるだろう。
そして、すぐさま最上の味に至るだろう。
フィリアも一口含んだ。
香りも弱く、味も薄い。
だが・・。
「・・りょくちゃだ」
まだまだ未完成ではあっても、その味は緑茶の始まりに立っていた。
郷愁の念に浸るほどではないが、フィリアは心地よさに目を閉じた。
「これが・・」
ドルンもどうやら光明を見出したようで、湯呑を見つめながら思考を巡らしている。
この時ばかりは人の良い表情から、きちんと商売人の顔になっていた。
だが、ドルンには悪いが、きっと緑茶は主力商品にはならないだろう。
そんな事を思うフィリアだが、その理由が前世にあるとは言えないため伝えることはできない。
そもそも一般家庭にまで紅茶や花茶が流通しているのだ。それも嗜好品などではなく生活品として。
前世でも、海外で紅茶に取って代わった話は聞いたことがないし、現代でも嗜好品扱いだった。
フィリアはもし完成したら、ドルンの顔を潰さない程度に、買い取ることを決めた。
それが、せめての気持ちだった。
そして、フィリアはお盆に乗せて持ってきていた蓋付きのお椀をテーブルに置き、その蓋を開けた。
たんなるお茶請けである。
だが、それを見た瞬間マリアの顔は引きつった。
「どうぞ、おめしあがりください」
「・・姫様。・・これは」
「らでぃっしゅとせろりのあさづけよ。まだ、はたけでとれるものがすくないので、これくらいしか、つくれませんでした」
「・・作った・・・今・・作った、と」
「はい!てづくりです!」
満面の笑みで答えたフィリア。
それを受けたマリアはミミの横で膝から崩れた。
マリアの妨害工作は失敗に終わった。
それも、自身の知らないうちに決行されるなどという、最悪の結果を携えて。
救いになるかは分からないが、フィリアが作ったのは浅漬。つまりは火を使いはしなかった。いや、せめてもの慰め程度になれば・・。
「だしをとるのが、たいへんでした」
ごめん。救いはなかった。
というか、浅漬に何を手の込んだことを・・。
わざわざ出汁までとるなんて・・。
そもそも何の出汁をとったのか・・。
いや、そこではないな。
「ふたりも、そんなことしてないで、ししょくしてみてください」
地面に項垂れるミミとマリアを困ったように見るフィリアだが、その原因はフィリア自身である。
取り敢えず謝ってくれないだろうか。
「なるほど・・。フィリア様のおかげで、おおよその目標が見えましたので、おそらく次の茶摘みの時期までには、形に出来ると思います」
マリアたちのことにさえ気を回さず思考に浸っていたドルンは、目標を定めた清々しさを感じさせる。
フィリアはそんなドルンに笑顔で返答し、楽しみが増えたことに嬉しくなった。
「・・みみ。もう・・ゆるして」
弱々しく掻き消えそうなほどに小さな呻き。
「んー・・もう少し香りが・・。あ、姫さま。次はこちらです」
「みみ?みみ?もうじゅっぱいは、のんでるよ?おなか、たぷたぷだよ?もうそろそろ、れでぃーに、あるまじきことになっちゃうよ?」
「姫さま。13杯ですよぉ。それに、試作品の少量しかありませんし、大丈夫です」
「・・・だいじょうぶって、なにが?」
「あと5杯くらいで終わりますから」
「うぷっ」
プロ根性に火が付いたミミ。
その実験台となった、自業自得のフィリア。
「この浅漬、美味しいですね。手が止まらなくなってしまいます」
そしてマリアの助けはない。




