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27 小さな逃亡犯



 「・・そこ、間違ってるわ」


 「はい・・」


 「そこの公式は、三日前に教えたはずですよ」


 「・・ごめんなさい」


 「『ごめんなさい』ではなく『申し訳ありません』です。親しい仲ならば許されますが、今は教師と生徒の立場です。きちんとその場での立場や関係性を意識して言葉遣いを変えなさい」


 「はい・・申し訳ありません・・」



 机に向かうフィリアがいつになくしおらしい。

 というよりも完全に萎縮してしまっている。


 しかしこれは珍しい事などではない。


 マーリンの座学は基本終始こんな感じである。

 精々魔術関連の講義だけはフィリアの興味が強く、いつものフィリアが顔を覗かせるが、それでも完全に拭われることはない。



 ―――何故、こうなってしまったのだろう・・・



 そう嘆くフィリアの気持ちも理解はできる。

 だが今回もまた例に漏れずフィリア自身が原因なのも確かだ。









 

 去年の今頃は、部屋であまり動けない体の鍛錬に明け暮れていたが、今は違う。

 自室のテラスは自慢の庭園だし、何より、今では自分の足で庭園を『歩ける』。



 フィリアは颯爽と爽やかに翔た。

 鼻を擽る春の香りに囀る歌声。

 その中を翔る天使の容貌を持った幼女。


 実に美しい・・。



 「ぜぇぜぇ・・ぜぇ・・」


 

 どうやらそうでもないようだ。

 むしろ必死さからは優美の欠片もない。


 汗はダクダクとながれ呼吸も荒れてる。




 フィリアはゼウスの授業を受けるにあたって徹底的な体力強化を言い渡されたいた。


 曰く。下手に浮遊の魔法など使えるものだから発達に遅れが出ている。

 ただでさえ遺伝的な要因で成長阻害があるのにそれではダメだと。



 おかげであの優しく甥姪に甘甘なゼウスの実技授業は現役騎士たちもドン引きの過酷さを呈している。


 それでもあのゼウスだ。甘い褒め言葉や愛好の惚けた表情は標準装備。

 フィリアは無下にもできず、改善を求めようならば悲しそうになるのだからもはや文句を言わずこなすしかない。



 と、ここまで話したが今のフィリアは鍛錬とは全く関係ない。爪の先ほども関係ない。


 確かにこれほどまでに颯爽と全力疾走できるのはその賜物だが、それも本人の主観でしかない。


 身軽で音も立てず風のように翔るフィリアだが、傍目には全く別物。


 数m進んでは休み。駆けては足を引きずる。

 幾度も躓きながら翔る姿は、よちよち歩きに毛が生えた程度でしかない。


 

 事実。ようやくたどり着いた城壁。

 広い敷地とはいえそこまでは大人の足で五分もかからない。それをフィリアは一時間弱かかった。


 それも自身の足を使ったのは室内のみで、あとは練度の上がった浮遊魔法で要所を越えて進んだ。




 そしてついに城壁を越えようとした瞬間・・。



 「姫様。どちらへおいでですか」



 質問の訂であってもそこに答えは求められていないのが明らか。


 フィリアは硬直し一筋運動によるものとは違う汗を流す。

 だが、瞬時に切り替えてなんとか仮面をかぶった。



 「あら。ろーぐ。どうかなさいましたか?」



 内心心臓バクバクのフィリア。その眼前にはフィリアの近衛騎士ローグがいた。


 浮かぶフィリアに対してローグは城壁の上に仁王立ち。それも待ち構えていたかのように腕を組んで。


 ローグの装いは前とは違い清潔さが保たれ、サイズもあったもの。着こなしも精錬されとても魅力に溢れている。

 そしてなにより微笑むような優しげな笑み。指導の賜物だ。


 だがその指導の筆頭であった筈のフィリアは今、恐怖しか覚えない。



 「お勉強のお時間ですのでお迎いに上がりました」



 そう言ってローグの微笑みはさらに深まった。

 思わず情けない悲鳴が溢れたがフィリアはそれを必死に噛み殺し、必死に逃げ道を模索した。

 だが目の前の今や見た目も最上の騎士様はそれを許さない。



 「さぁまいりましょう」



 遂には悲鳴が木霊し城中に響いたが、気に止めるものはいない。

 それどころかその悲鳴を鳩時計替わりにして動くものが居る程に、最近では日常的なものだった。











 「交代の時間だ」



 そう言ってフィリアの部屋に来た美しき麗人の呼び声高いミリスと最近ではラブレターが私書箱からあふれたキース。

 ふたりは部屋の前にいたローグと最近求婚が大台に乗ったアンネに声をかけた。


 しかし、交代の報告を主にする為、扉をノックしようとしてローグに止められた。



 どうやら本日の勉強時間はだいぶ押しているらしい。

 逃げなきゃいいのに・・、とは心の中に留めた言葉だった。

 


 ミリスはキースを待たせ同性である自身のみ部屋に入り、マリアあたりに言伝しようと部屋に入った。


 書斎は奥にあるので邪魔にならぬようにと思ったが、そこにあった授業風景に「なっ!?」と流石に声が漏れた。


 当然それはその場の者、全員に聞こえ、視線を集めた。



 「あら、みりす。こうたいのじかんですか?」


 「・・は、はい・・」



 普段通りの主。

 それが逆に、異様さを際立たせている。


 フィリアは普段通りの微笑みで「ご苦労様です」と労うと手元の用紙へ筆記を再開させた。



 「マ、マリア?・・・あれは一体?」



 ミリスの引きつった質問の意図が伝わらないマリアではないし、恍けるような事もない。


 故に質問に淡々と簡潔に返す。



 「魔力封じです。姫様は本日も脱走をしましたので」


 「い、いや、だがあれは・・」


 「今日は窓から浮遊を使っての逃亡でしたからねぇ。その上、探知されないように地面に降りて魔法を使わぬ全力疾走。最近は逃げ方に戦略性が生まれてきましたねぇ。結局は最後に魔法を使って待ち伏せをしていたローグ様に見つかりましたけど」



 ミミの補足情報。だがミリスの求める答えではない。


 ミリスの視線の先。そこには普段のように授業を受けるフィリア。



 黄昏に輝く金糸は緩く波打ち、最近は肩甲骨のあたりまで伸びてきた。

 陶磁器のように白く透き通った肌に艶かしい朱色の唇と僅かに色付いた桜色の頬。

 美しく。天使と称される姫。


 その腰周りには翡翠色に澄んだ美しい錠。



 そう。錠。


 それも大きな錠。


 幅は二十センチはあるだろうか。

 フィリアのお腹まわりを完全に覆っている。

 ぐるりと一蹴覆っている。


 優美な大罪人。


 そんな様相も美しく見えるのがコミカルでしかない。



 「あれって・・。地龍拘束用の魔封じですよ、ね?」



 マリアはちらりとミリスを見たが答えはない。


 そこに教師マーリンがまざった。



 「驚かせてごめんなさいね」


 「っ!?い、いえ!」



 ミリスが膠着したように固まったのはもはや本能に植えつけられたものだろう。

 マーリンは腰掛けるとマリアに紅茶を頼み、マリアは機敏に動き出し、部屋を出ていった。



 「フィーの魔力が強すぎて普通の魔封じの枷じゃ効果ないのよ。だから仕方ないのよ?他意はないのよ?ホントよ?」



 胡散臭いがミリスは藪蛇などはしたくなかったので頷くだけに留めた。



 「それに今回はマリアが、殊のほか怒ってね・・」


 「・・マリアが、ですか?」



 威厳ある姿に畏れを抱かれることも多いが、本来マリアはそれほど怒る人物ではない。

フィリアやミミに対しての苦言や注意はキリないが、それでも先ほどのように怒り心頭の様子は見たことがない。


 更には静かなのもなんだか怖い。



 「今日の姫さまは逃亡の末に城壁を越えようとしたんですよ」


 「城壁をですか、それでなにが?」


 「・・それだけです」



 か細く答えたのは、フィリア。


 ミリスは意識を向けた。だが意味がわからない。

 ミミとマーリンは苦笑だ。



 「洗練式のある五歳まで、フィーは外には出れない。ただでさえ私たちの血筋は魔力の影響が大きく出るわ。だからある程度免疫や制御を身につけるまで外には出れない。それがこの家の規則なの」


 「はい。存じております。・・ですが姫様は十分にその規定を満たしてると思うのですが」


 「そうね。年齢以外なら十分ね」


 「だけどですね。姫さまはその・・大公家の中でも特にお体がか弱いですから・・。その分魔力は随一ですがその代償に何度倒れられたことか・・。未だに体調はコロコロ変わって、週に必ず四日は寝込み、高熱にうなされます。・・そんな事情もあってマリアは洗礼式までは決して城を出てはいけないと何度もおっしゃっていたのですよ」


 「みすいだったのに・・」



 フィリアの嘆きはもはや言い訳でしかない。



 「寧ろ姫さまは、洗礼式後でも外出許可が下りない可能性を心配なさったほうがいいと思いますよ?」

 

 「えっ!そ、そんな・・」



 非情なミミの予測に絶句のフィリア。

 しかしどうにも同情出来ない。むしろマリアに同情だ。



 バキン


 「あ・・」



 その音に四人は言葉を失い、声を漏らしたフィリアの腰に視線を集めた。



 「・・地龍用でも駄目だったわね」


 「・・『私は地龍並ですか!?怪物ですか!?』と抗議されていましたが。地龍・・超えちゃいましたね・・怪物の上ってなんでしょう?」


 「や、やめてー!そんなひょうか、いやですーっ」



 嘆きの声を上げるフィリアだが、残りの三人は純粋な驚嘆だ。



 「姫様・・」


 「・・・」


 『残念な子』



 ミリスの憐憫の視線に耐えられなくなる。だが突然した声にキッと振り返るとそこには窓辺に寝そべり日向ぼっこを楽しむ黒猫。呑気な欠伸がフィリアの琴線を逆撫でする。


 さらにフィリアは思い出す。


 逃走の際、呑気に『行ってらっしゃい』と関せず。ローグに捕獲され戻った際は絨毯にだらしなく寝そべり『だから辞めとけばいいのに』と嘲笑した相棒。


 怒りの抗議をしてやろうと決めたフィリアだったが。

 背に刺さる視線は無視できなかった。


 そこには三人揃って残念な子をみる視線。


 フィリアは視線を逸らしたい衝動を超え、舌を出して片目を瞑って見せた。



 「てへぺろ」





 ゴトリ


 「姫様」



 拘束具が地に落ち。同時に地の底から響くような声。




 フィリアの汗腺は最大級に稼働し震えも止まらない。


 三人は揃って視線を逸らしていて、明らかに声の主ではない。



 ギギっと音が鳴るようなぎこちなさで声のした方へ体ごと向ける。

 案の定、静かな冷気をまとった般若が無表情でそこにいた。



 「ち、ちがうの・・これは・・ま、ま、まりあ」



 声もろくに出ない悲鳴は誰に届くことなくフィリアの身を刺した。








 そもそもの話。何故フィリアの逃亡が日常になったのか。

 それは単にフィリアの馬鹿な慢心が原因だった。



 初めての事に興奮抑えられない初授業の日。


 リアとの初契約と処女杖の植林を果たしたフィリアはまわりの予想通りに寝込んだ。

 高熱にうなされたフィリアは契約の際に感じた魔力酔いの再来に辟易したがそれと同時に今後の授業が楽しみにもなった。


 魔術はもちろん、剣術や物語のように魔法が出てくる史実なども心擽られるものがあった。


 それと同時に生まれたのがフィリアの慢心。


 この世界の時代繁栄はフィリアの感覚でそれほど高度ではなかった。

 暖房設備、服装、しきたり。そういった些細で日常に紛れたものからフィリアは推測していた。


 原始や中世などとは言わないまでも、そこまで発達していない気がした。


 銃は存在しているがそれはフィリアの知るものよりも博物館にあるものの方が近く見えるし、本は未だ羊皮紙による本も多くフィリアお気に入りの『天涯ノ星』もそれだ。


 城外に出れない身ではあるが、窓から見える城下は精々ガス灯で電気の整備は少ないようにみえた。実際室内の明かりも火がほとんど。魔石のようなものもあったが数は多くない。


 まだ遠目にしか望めない城下なのでそこに住む住人や行き交う交通網などはわからなかったし、街自体は石造りの歴史物であるようであまり情報は拾えなかったが、そこにはスモッグや土埃の無い事であまり低い文明レベルではないと判断した。

 低すぎるにしては他の技術レベルが高すぎる上にこれほどの大都市ではありえないと考えられた。


 そこからフィリアは前世ほどの発展はしていないにしても工業革命の時代くらいは進んでいるのではないかと思ったのだ。



 それでもやはりフィリアが生きた時代には及ばない。


 例え三流であっても大卒の上に、死ぬ少し前は受験生並みに勉強したと自負するフィリア。


 そんなフィリアが勉学など。遅れた前時代的な学問で、ましてや幼児基礎からの勉学。


 舐めてかからないわけがない。



 だが、当然そんな上手くはいくわけがない。


 

 当初、読み書きはマーリンも知っていたことだったが、簡単な計算から始まったフィリアの鬼才っぷりには確かにマーリンの度肝を抜いた。


 レベルを上げてもフィリアは解き明かしていく。


 当然、フィリアのドヤ顔と天狗は天井高だ。

 調子に乗るは乗るは・・馬鹿である。



 結果。当たり前ではあるが、苦渋・・いや、自業自得なフィリアは現在この世界の最高位の数学式を毎日見る羽目になった。


 当然いくらフィリアがこの世界よりも発達した教育環境で学んでいたとしても、そんなこと関係なく頭を抱える問答を強いられる。


 それを難なく教えることのできるマーリンに容赦なく叩き込まれる。



 読み書きを得意げに披露したのも今は昔・・。


 今では古文書や公文書でも読めるほどに難解な言い回しから、特殊で生涯使わなさそうな単語まで学び。字は宮廷書記クラスに矯正されている。


 その上このマーリンという教官は兄であるゼウスと同じくゴールを定めない。

 出来れば出来るほどに次のステップを用意している。


 それもできて当然の顔をして・・。


 それだけでもなんとなく気持ちは理解できる。

 だが、更に追い打ちをかけたのはその他の教科である。



 考えてみれば何故それを考慮していなかったのかとフィリアの残念さに嘆息が溢れる。


 何しろ歴史や言語などは当然の事ながらフィリアの前世で触れることはない。


 つまりそこは本当にゼロからのスタート。しかも化学でさえもフィリアの知ったものとは差異があった。基本は同じなのにそこに魔力の計算などが含まれ、全く知らない現象が結果として現れる。


 それでもマーリンが基準とするのは数学と同程度。つまりそこに用意されるのは、数学などとは別格の教育内容と進行スピード。


 フィリアの脳回路は毎度オーバーヒートである。


 それでも悲しいかな、かつて義務として学んできたフィリアの思考は学業を効率よく学ぶ術が染み付き、幼い脳は学べば学ぶだけ糧としていく。


 結果、スポンジのように吸収するフィリアにマーリンの教鞭は日々増していく。



 地獄のサイクル。

 そんな状態からの現実逃避。

 それこそが日常とかした逃走劇である。



 ―――舐めていました・・



 フィリアはお決まりである筈の天才チートに早々と挫折した。


 周りは皆褒めたたえ『天才』と謳うが今のフィリアに届くことはない。

 むしろ不甲斐なさや無能感に打ちのめされてさえいるのだから。





 何度か抗議はした。だが意味はなかった。

 それどころか、家族たちのあの哀れむような視線。

 リーシャからの「皆が通る道よ・・」の言葉。


 いつもは過保護な家族たちが、静かに視線を外したのだ。


 マリアやミミに至っては、礼儀作法や淑女教育に率先して協力を惜しまず。

 護衛である筈の近衛騎士たちは背を向けた。


 フィリアは全てを悟るように諦めるに至った。



 そもそも調子に乗ったフィリアが悪い。




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