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26 3人のしるし



 真冬の寒さ。それは早朝ということも相まって、一層その身を裂くように鋭い。

 

 そんな中でも、井戸から水を引き上げ桶で洗濯を手揉み洗いする少女。

 時折、薬缶に入った熱湯で温度を調節しているとは言え、彼女の手は真っ赤になっている。


 それでも一心不乱に洗濯をこなす少女は、常に強い意思を持った瞳で陰ることなどない。


 真っ赤に霜焼けた手。

 健気な少女の姿と同時にその手に視線を向けるのは、同じ年の頃、褐色肌の少女。


 彼女が見つめるのは、その霜焼けた手の一点。

 

 向日葵の意象を持った指輪のような美しく繊細なタトゥー。



 睨むような鋭い視線。

 表情にも明らかな嫉妬が現れていた。






 ティーファはメアリィの存在を知った日から、気づけばその姿を目で追っていた。


 そしてそこには、あまり褒められた感情ではないものが含まれてである。


 更に、マルスや周囲の者たちからセバスやメアリィの経緯や『一輪の花』の事を聞いてからは余計に拍車がかかってしまった。

 自身も『一輪の花』をすると言い出した時など、滅多に怒らないマルスから怒髪天をくらい。あまりの恐怖と驚き、そして何よりフィリアの『特別』になれない事実に泣き喚いた。


 故にティーファが向ける視線は単なる嫉妬ではなく、妬みが恨みがましくなり、あまり気分のいいものではない。



 『ティーファ。あの契約は本来、成功することが奇跡であり、失敗することが当然のものなのだ。それも失敗の代償が大きい。主君となる者は多分な魔力を代償とし、臣下となるものは命そのものを代償とする。姫様は幼い身でありながら『ティア』の名を賜り、実質世界最高の魔力量を有していらっしゃる事で許しが出たが、並みの人間であれば死んでもおかしくない程に危険な契約だ。ましてや臣下の立場の者はそのまま命をかける。失敗はすなわちそのまま死を意味し、成功したとしても契約に耐え切れなければ同じく死ぬ。そのあとの契約による内容も決して生易しいものじゃない。唯一無二の信頼を得るとは言え、そこに必要とされる覚悟は生半可なものではない。それこそ死ぬ覚悟で向き合うべき契約なのだ』



 マルスの言葉は幼子に向けたものではなかった。

 それでもマルスの気持ちだけは確実にティーファの中に届いた。



 「わたしだって・・ヒメがだいすきなんだもん・・」



 それでも、それを飲み込むにはまだ幼過ぎるのも事実だ。

 故に溢れた不満が、妬みとなって小さな侍女見習いに向かった。


 その指に刻まれた向日葵を羨みながら、自身の指をさすり、視線を落とす。

 当然そこには何もない。

 顰めて寂しげな表情となってしまう。



 そんな蟠りをここ最近は常に抱いていた。


 朝の日課。畑仕事も、お茶会も、大好きなフィリアと過ごせる嬉しい時間のはずなのに、何処か胸が苦しかった。






 木漏れ日を浴びて身体を預ける幹。

 先日植えたばかりの樫の木。


 フィリアの処女杖となる木。


 きちんと魔力が馴染むまで待つ事となり、それまでの世話を任されたのはティーファだった。

 お手伝い程度の仕事ではなく、初めての責任ある仕事。

 メアリィの事もあり張り切った。


 その結果、今では立派な木となっている。

 まだ若く他の木々と比べれば背丈も胴回りも足りていないが、それでももう大人の背丈を悠々と超える程に成長していた。


 早い成長に感じるが誰も疑問に思わない。

 この世界のそれが基準なのか、それとも杖の為の木は特別なのか。

 

 成長の速さに驚くのはフィリアのみで、そんなフィリアの反応にティーファは鼻高々だ。



 だがそれも一時の事。

 すぐにティーファの憂鬱は戻ってくる。


 そして、思うは小さな侍女の姿と自身の指にはない絆の証。


 幼い溜息は儚く消えていく。






 「フィー。フィーがこれで切り落としなさい。切る際には魔力を流しながらね。あと、初めての杖づくりだから、若く、しなりのある枝を選ぶようにしなさい。そのほうが扱いやすいでしょうから。でもあまり細いのはダメよ。杖にするのだから、その事を踏まえて選びなさいね」



 二週間も経たずに大きく成長した樫の木。


 青々として煌めく気の前で、マーリンはフィリアに黒いナイフを渡した。

 

 反射も少なく、石を研いだようなナイフ。柄は色鮮やかな麻紐や革紐が巻かれ、一見は民族工芸品にさえ見える。


 フィリアはナイフを受け取り、こくりと小さく頷くと木を見上げた。



 「綺麗・・」



 フィリアの目には様々な光が溢れる木があった。

 魔力を多分に蓄えたであろうその気は、まるで木そのものが発光してるかのように思えるほどに神々しくあった。


 ふと思い出すのはリリアやリーシャ。そして鏡で見る自身の姿。


 光の粒子が漂い溢れる。その色彩も様々で複雑。

 その光景はレオンハートの、それも女性陣の纏うものによく似ていた。


 当然、隣でフィリアの様子を見守るマーリンにも近かったが、マーリンの光はもっと鋭い印象を受ける。




 フィリアは一時その光景に見とれた。

 毎日見ていていてもその変化は顕著で、日々見とれる光景。

 

 短く息を吸い、小さく気合を入れると一歩踏み出した。




 木を見上げて枝を吟味しているがいまいちわからない。



 「あ」



 小さく漏れたミミの間抜けた声。

 いつかのようにミミの腕からクッションが奪われた。


 フィリアはそんなミミを気にした様子もなく、慣れた動きでクッションに身を預けた。

 そしてふわふわと見慣れた光景。



 「・・姫様」



 呆れたように溜息を吐くマリア。

 なんとなく理由はわかるが、それでもやはりその姿に思うところがない訳ではない。



 「いつも思うのだけれど、そのまま浮けばいいのではないの?わざわざクッションを使うからみっともなくなるのよ?」


 「・・できなくはないです。でも、あまりながいじかんだと、きもちわるくなるので・・。それにわたし、すぐにたおれちゃうのでくっしょんがあったほうが、あんぜんです」



 なるほど。と唸るマーリンは思考の中に潜った様子。

 マリアもミミもわかっているので苦い顔や苦言を呈しても、強く咎めることはできない。


 事実何度も飛んでる最中に意識を失い墜落した事も一度や二度じゃない。

 ここ最近はリアのおかげでその衝撃も柔らげられているがそれでも墜落は墜落だ。

 フィリアにとってクッションは必需品だ。


 というかそもそも飛ばなきゃいいのに・・。とは誰もが思っているがフィリアにその思いや言葉が届いた者は現状皆無だ。



 ともかくフィリアは慣れた浮遊によって木を360度様々な角度から品定めを開始した。


 そして時間をかけて何箇所かの枝に定めた。

 ゆっくりと枝にナイフを当てた。


 魔力を流すと言っても初めての事だけに、やり方は不明瞭だ。

 

 よく物語にあったのは纏わせるようなやり方。

 だが、それは魔力を維持するのが難しい上に、流した魔力がナイフに吸われるようにして消える。


 だから今度は魔力を注ぐようにナイフに向けて遠慮なしに流した。



 「ふぁ?」



 ナイフはまるで空を切ったように何の抵抗もなく枝を抜けた。


 あまりの抵抗の無さにフィリアはバラスを崩し、それを立て直そうとした拍子にナイフを取りこぼした。



 スッ


 「へ?」

 「え?」



 ナイフは地面に触れた筈。


 そのはずだったのだが。


 地面を透過したかのように地面に吸い込まれ、辛うじて柄の麻紐が引っかかってそれ以上の落下を食い止めてくれている。

 その証拠に未だ地面などないかのようにゆらゆら揺れている。


 その現象に驚くべきか・・。それともその切れ味に恐怖すべきか・・。


 取り敢えず、その場に居た者達は皆、驚愕に口が開いてしまっている。



 「ヒメすごい!」



 たった一人の幼女を除いて。


 そしてナイフはすぐに砂状となって消えた。



 「フィー。次はリアを連れてやりなさい」



 そう言ってマーリンはもう一本ナイフをフィリアに手渡した。

 その後ろからはリアのジト目がいたい・・。


 フィリアはいたたまれず視線を合わせないようにした。






 その後、予備も含めて何本かの枝を落とした。今度は問題なく。

 その間ずっと小さな肉球がフィリアの頭を叩き続けていた。




 「はい。てぃーのぶんです」



 小さな腕から小さな腕へ手渡された木の枝は、いくつかに枝分かれしてはいたが主軸は真っ直ぐと伸びた綺麗な枝。


 ありがとうございます。と呟くティーファは嬉しさを満面に見せた笑顔だが、その内心は複雑だった。


 その視線の先には、フィリアの腕に抱かれた同じような枝があった。

 予備の枝はミミに預け、リーシャの分はマリアが早速届けに行ってくれている。


 そして、フィリア自身の枝はマーリンが検分している。

 フィリアが自身の物に選んだのは木の頂点に、まるで鎮座するようにあったもの。

 それは、幹より伸びた先で枝とは言えないものだったが、フィリアの目には木の中で最も光り輝いていた部分だった。



 なのでフィリアの腕に抱かれたその枝は、残りひとりの物。

 誰のものかは明らかだった。



 「ヒメ・・それは・・」



 ティーファは胸が締め付けられる想いだった。

 それなのにそんな問いをしてしまったのは、残念ながら幼さ故の純真さだった。


 その答えに確証もあり、それでも違うことを望みながら・・。



 「これは、めありぃのです」



 そう言って、この間と同じように慈愛を含んで微笑むフィリアに胸が苦しい。



 「まりあがもどったら、めありぃにわたしてくれるように、おねがいします」



 口の中にも苦いものが広がっていく。

 心なしか視界もぼやけてきた。

 ティーファはまた自身の指を見て、そこにはないものを確認した。



 「さんにんで、おそろいだね」


 「え?・・」



 リーシャもいるのだが、そこは無視しよう。


 満面の笑みを向けられたティーファは思いもしない言葉に驚いた。

 普通に考えればお揃いであるのは事実なのだが、フィリアの声色はあまりに喜色に満ちていて、思っていたものとは違う心があるようだった。



 「ともだちのあかしです」


 「・・ともだ、ち」



 風が抜けたように感じた。ティーファの中に渦巻いていたものが一瞬で吹き消されたような。



 「はい。なかよしの『しるし』です」


 「『しるし』・・」



 ティーファは自身の手に目を落とし、遂には涙が零れた。



 「・・わたしも、ヒメの・・とくべつ・・ですか?・・」


 「そうです!わたしのはじめてのおともだちですから、って、てぃ、てぃー?どうしたのですか?ないて・・いたいところでもあるのですか?」



 慌てるフィリア。

 だが、そこからは感情が決壊したティーファの涙腺と声を止めることはできなかった。



 単なる杞憂。

 そう言ってしまえばそこまでで、端からみればわかっていた事ではあった。


 それでも小さな少女には何よりも大きな悩みだったのだろう。

 

 ようやく解放された感情は止めどなくしばらく溢れ続けた。

 それが落ち着いた時、ティーファはフィリアの腕に抱かれ寝息をたてていた。


 満たされたように、幸せな寝息をたてて。








 寒空の中、渡されたロープに白いシーツをかける、小さな侍女。


 ティーファは彼女を見つめ、自身の手に視線を落とした。


 全く何も感じないと言えば嘘になる。

 やっぱり羨む気持ちは完全には無くならない。


 それでも今までとは違い、苦い思いは飲み込むことができた。




 ティーファは歩みを向けた。


 手には二つのホットミルクを持って。




 話したこともないもうひとり友人のもとへ。





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