25 少女の嫉妬
空中庭園。その木陰で幹に寄りかかる小さな女の子。
褐色肌で愛らしい少女、ティーファは少し物憂げに俯いていた。
その視線は寂しげに自身の手を見つめていた。
一点を見つめて。不満を飲み込みきれずにティーファは俯いていた。
「わたしもヒメだいすきなのに・・」
小さな呟きは少女以外に届くことはない。
ティーファは重い腰を上げるように立ち上がり、掻き消えるような溜息を漏らした。
同時に脳裏を掠めたのは今朝の光景。
正確にはここ最近、いやに目で追ってしまう姿。・・というか存在。
今朝もいつものように祖父であるマルスと共に登城したティーファ。
裏門の門番にも覚えられ、最近では気安い挨拶を交わし会えるほどにまで慣れた。
人見知りの激しいティーファにとっては大きな進歩だ。
そして、そこは使用人や業者の往来が多い。
必然的に家人たちとの繋がりもわずかながら生まれていく。
今朝もまた仕事前の一服に混ぜてもらい。暖かなミルクをもらっていた。
そこで今日も目に入ってしまった小さな姿。
自身より少しばかり背は高いが、年の頃は同じくらいの少女。
彼女はしっかり侍女服を着こんで駆け回っていた。
自身の視界を妨げるほどに積まれた洗濯物を籠いっぱい抱えてかける。
下働きでしかないその様子。なのにその姿は一足飛びで階段を駆け上がっていくような印象を抱かせる程、意思に満ちた何かを感じた。
まだ幼いティーファにそれを理解することは難しい。
それでも胸に湧き上がる焦燥感だけは理解よりも先に感覚として刻まれてしまう。
マグカップを握る手に力が入り、悔しげに睨んでしまう。
その小さな侍女に向けた初めての感情は『嫉妬』だった。
ティーファがそんな感情を抱くきっかけとなったのは、数日前。
その日、ティーファはフィリアとマーリンの授業に同席していた。
正確には、空中庭園の一角を使いたいという事でマルスと共に参加することとなったのだ。
一角という割に日当たりの特にいい一等地が選ばれ、そこをマルスと共に軽く耕した。
「フィー!お待たせ!」
声が聞こえたと思ったらすでにフィリアを抱きしめているリーシャ。移動中の姿さえ見てないのだが、いったいどういった速度なのだろう。
ゼウスとの既視感がすごい・・。血のつながりを強く感じる。
しかも、どさくさにまぎれて抱擁にはティーファも巻き込まれている。
「可愛い天使が二人も・・。はぁ、幸せぇ」
「・・・リーシャちゃん。流石に、気持ち悪いわよ」
「りーしゃねぇさま・・・」
「・・・」
呆れる妹と叔母。
だが、ティーファは硬直して動けない。
人見知りもあったが、それ以上にフィリアと同じ姫。緊張も当然。
ふわふわと浮くクッションの上で惰眠をむさぼる黒猫。
最近ではクッションの存在が『フィリアの乗り物』として認知されつつある。
噂では大公令嬢のクローゼット内のドレスより、クッションの種類の方が多いらしい。
ともかく、そんなクッションに乗るなこの存在にティーファは目を輝かせた。
フィリアは最初にフィーアと紹介したあと、不本意そうに『リア』と呼ぶように紹介した。
頑なにフィーアの愛称を譲ろうとしなかったフィリア。
だが当のフィーアの意思を無視はできなかった。
・・本当によくやった。
結果、マーリンからの勧めもあって『リア』と呼ぶこととなった。
あまりに似た名前のフィーアに、フィリア自身の名前から付けられる愛称の一つ。それを呼び名にしたのだ。
フィーアも納得した。
だが、当の小さな姫は不満たっぷりに口を尖らす。
ほんと腹立たしい・・。
従属契約を終えたその日の午後にフィリアは空中庭園の一角にマーリンとやって来た。
そこでは汗を拭うマルスとティーファが土を軽く解していた。
そしてこれから行われることを説明される前にリーシャが飛び込んできたのだ。
どうやら、今度はリーシャの協力を得ての授業らしい。
「じゃぁこれ」
しばらく経ってからようやく、渋々と包容を解いたリーシャは手振りで指示を飛ばした。
するとすぐに背後から侍女がやって来て、仰々しく布に包まれた物を差し出した。
その間にティーファは気配を消しそっと下がろうとしたが、フィリアに手を繋がれてしまった。
あまりに可愛そうな程に崩れた表情に目を向けることはない。
「なんですか?」
ミミの手に渡り、布を丁寧によけられたそこには、一本の枝。
よく見ればどこか人工的に見える。
一本の棒きれ。だが幾つか芽が出て、枝木も伸びている。
「それは、私の杖よ。もう杖としての役目は果たせないけども、魔力には十分に浸っているし、樫の木でできてるから素材としてはかなり良いものになるわ」
まだ何の説明も受けていないフィリアにはよくわからない。
杖と言っても、たしかに人工的に見えはするが伸びた芽木が枝にしか見えなくさせている。
「そうね。樫の木は元々杖の素材としては優れたものだし、それにその杖の親木はおにぃの杖だったからね。恐らく樫の木の中でも特に優れたものを使ってるはずだわ。そして何よりリーシャの魔力にここまで浸かっているのならば、フィーにとっても最上の素材ね」
「・・ばーじんつりー?」
マーリンの言葉にようやくフィリアの中でも答えが見つかった。
リーシャとマーリンはそんなフィリアに微笑んで頷きを返した。
「これから、ここにその杖を苗木として木を育てます。その杖を地面に突き刺し魔力を流します。血縁であるリーシャの魔力であればあまり抵抗もなくその杖の魔力をフィーのものに塗り替えられるでしょう。・・と言っても先程リアを従魔にしたばかりですし、思ったよりもフィーへの負担も大きかったでしょうから・・後日でもいいのですが」
「いいえ!やりたいです!」
やはり魔術はフィリアの琴線を大きく揺るがす。
興奮気味にマーリンへ返答した。
魔法の杖。
そんなロマンの塊。フィリアにお預けなんてできるわけがない。
鼻息荒く興奮するフィリアは傍目には愛らしく映るが、それに巻き込まれたティーファは目を回している。
繋がれた手はそのままにフィリアの心のままに振り回されている。
「処女杖とは。広くは魔術師にとっての初めて身に付ける魔力媒体をいいます。しかし正確には、自身で自身のために作り上げた自身だけの魔杖を指します。要は自分専用となる最初の杖の事です。一生に一度の事。それも魔術師にとっては特別な。故にそこには特別な意味合いも生まれます」
マーリンの講義が始まった。
それと同時にミミは丁重にリーシャの杖を持ちマルスに預けた。
「例えば求婚の際にも送られることがある程に想いの込められたものです。多くは親兄弟や自身の師から与えられる親木から作られます。そのほうが魔力の反発も少ないですからね。慣れれば全くの一からも出来るようになりますが最初はやっぱりまだ負担の方が大きいですからね。それに慣れたとしても寝食も忘れて、長ければ一週間以上もかかってしまうような大変な作業ですしね」
中々の重労働。そこまでして行うような大切な行事。
それはたしかに特別な想いの示し方としては適している。
「そんな背景から、親木を与えたものとの間には特別な関係性が生まれます。魔力の親和性も強くなるし・・まぁ、親族であればそんな意味合いも薄いんだけど・・。それでもやはりそこには特別な絆が生まれることは違いないからね。時には実親よりもその意思が尊重されることもある程にね。だから異性との間では避けられるわ。あったとしてもそこには確かな将来への約束があってね」
「・・え」
「えへへ」
なんだか実姉の愛が重い。
フィリアの頬は引き攣り。リーシャはなんだか照れたようにもじもじしている。
さすがは姉妹。
すごくその一見愛らしい姿にイラつきを覚える。
「最近では、既製のものを使うのが大半で指輪とかアクセサリーみたいに杖じゃないものも増えているわ。それに既製品も昨今では性能がいいし、労力を考えたらそのほうが手軽だしね。・・だけど私たちレオンハートの者には性能不足。魔術を極めんとするものには当然ながら、汎用製のものでは足りないわ。長く魔術に関わるものはもちろん。その頂点に座する私たちにもやはり自分専用の杖が必要になるわ」
空中庭園の一角。日当たりの良いその場所。
軽く耕されたその中心にマルスは杖を突き刺した。
苗木と言っていたが根もない枝のようなものを突き刺しただけで、木になるのだろうか。
そんな事を考えていたフィリアだがマーリンに手招きされるまま、その前に立った。
「では杖に魔力を流しなさい。杖を通じて地面に広がるイメージで魔力を流していきなさい」
「・・はい」
そこでようやく解放されたティーファ。
手を離された瞬間そそくさと離れた。
フィリアはそのまま両腕を杖にかざし瞼を静かに瞑った。
そしてリアの時のように細い糸状に魔力を伸ばし杖に向かう。
『大丈夫?』
その声はすぐそばから聞こえた。と同時に肩に重みが乗った。
リアはゆっくりとフィリアの足元へと歩み寄って声をかけると、足に力を込めフィリアの肩に飛びついた。
その瞬間、フィリアの魔力操作の拙さが消えた。
一息つくかのような楽さを感じた。
「ありがとう」
瞼を閉じたまま呟くフィリアに頬を寄せたリア。それに小さく微笑み、再度集中する。
その光景は実に神秘的だった。
金色の風が吹き、フィリアの髪を煌めかせる。
ふわりと浮き上がったのは黄昏の髪だけではなく、薄緑のドレスもだった。水面を懈るように揺れるドレス。
肩に乗った黒猫の毛並みも煌き、黒に深みを増し、夜空のよう。
普通の猫よりも長い、身の丈以上の長さの尾がフィリアの周囲を漂う。
金色の風は庭園の木々や草花を撫で、時にはそこから零れた花弁などを運ぶ。
息を呑む程に美しい光景だった。
その場に居合わせた全ての者が祝福を受けたような想いになる程に。
当然そこにはティーファも例外なく含まれる。
ティーファは初めて出会った時の感動を再び味わっていた。
「てんし・・さま・・」
無意識に呟かれたその声が全てだった。
何故かは分からず流れるその頬を伝うもの。
ティーファは心酔していた。
生涯、この方の傍にいたい。すべてを捧げたいと。
フィリアは魔力の変化を感じた。
目の前の杖が大きく膨らむような感覚。
地面に流された魔力も確かな形を作っていく感覚。
フィリアは少しずつ瞼を開けた。
「ふぁ!?」
目の前には薄光しながら大きく伸びる『木』があった。
まだ子供程の大きさでしかないが、それでも先程までの枝のようなものとは比べ物にならない。
事実まだ小さなフィリアにしてみれば見上げるほどに大きい。
―――はやっ!成長はやっ!!
フィリアは驚きから魔力の供給を止めた。
その瞬間ゆっくりフェードアウトするように風は止み、光も終息していく。
その光景に感極まって涙したのはマリアだった。
きっと何か思うことがあったのだろう。「あの時と・・」と呟いていた。
「・・うん。思った以上ね」
「すごいわ!さすが私のフィー!!」
「びべじゃばー」
リーシャの高速抱きつきを一身に受け呻きが漏れる。
ミミはなんでそんなに涙を流して感極まっているのだろう。
「これだけ成長すれば一本とは言わず。そうねぇ・・何本かは作れるわね」
「じゃぁ私の分も造ってもいいかしら!?」
嬉々としたリーシャはマーリンに許可を求めた。だがそれよりもその腕の中で今にも出てはいけない何かを出しそうなフィリアを何とかして欲しい。
「いやぁ・・いいけど。親木はリーシャちゃんの杖だから、魔力が飽和しやすくて使い物にならないわよ?」
「いいの!可愛いフィーとの・・ふたりの記念だもの・・きゃっ」
可愛らしくはにかんではいるが言っている事はやばい・・。
だが照れて顔を覆うリーシャの行動のおかげでフィリアはようやく解放された。
息を乱し、内蔵が上がったような感覚と戦うフィリア。
視線を上げると浮かぶクッションの上では優雅に寛ぐリア。
どうやら抜け目なく、即座に離脱をはたしていたらしい。
恨めしいフィリアの視線もなんのそのだ。
「てぃー」
そう、声をかけながらフラフラと立つフィリアに、顔を上気させたティーファが近づいた。
「ヒメ・・」
惚けた表情のティーファに、フィリアはリリアによく似た、朗らかな笑みを向けた。
「てぃーもいっしょにつくりましょ」
「ふぁい。・・・ふぇ?」
思わず返事をしたが、フィリアの言葉を理解はしていなかった。
「おば・・まーりんおねえさま。よろしいですか?」
「えぇ。いいわよ。・・貴女はマルスのお孫さんよね。それならきっと樫の木は親和性の高い素材だわ。それにフィーの傍にいるならば魔力も馴染みやすいだろうし」
快い許諾にフィリアは満面の笑みを返し、ティーファの手を取って木に近づいた。
「マーリン嬢!流石にそれは畏れ多い!」
マルスが声を上げるがマーリンはどこ吹く風。
「いい加減、お嬢ちゃん呼びは辞めてくれないかしら」
どこかで聞いたような問答。
「それは、きちんと伴侶を見つけなさってからでないと聞けないですな。・・ではなく!流石に姫様の姉妹杖を賜るなど畏れ多い!!」
「何かな?行き遅れだとでも?・・少し王子様が白馬から落馬して遅れているだけよ。マルスあとでじっくりと話したいわ。顔貸しなさい」
中々イタイ呟きがあったように聞こえるが聞かないふりだ。
マルスも腰が引け始めている。
「事は孫個人の話では済みまぬ。トリー家として下賜される誉れとされる程の事です」
「大袈裟ねぇ・・。当主であるリュースもおにぃの兄弟杖を持ってるじゃない。それも学生時代に勢いで造った問題兵器のやつ」
「いや。あれは違うでしょう」
「・・そうね。私も自分で引き合いに出しておきながらなんだけど、あれと比べるのはダメね。問題外だったわ」
なんだろう。この締まりのない会話は。
格式やらなんやらの話だろうに全くもって難さがない。
フィリアとティーファ。二人手を繋ぎ並び、見上げる。
若木らしく青い新芽ばかりの樫の木。
木漏れ日さえも若々しく輝いているように感じる。
「めありぃのぶんも、つくれるかなぁ」
小さな呟き。
だけどそれはティーファに確かに届いてしまった。
「メアリィ?」
ティーファの声にフィリアは小さく微笑み、自身の手を見つめた。
その表情は見たことないほど慈愛に満ちていて、見惚れるほどだったが、同時に胸にモヤモヤとした気持ちが湧いた。
「わたしの・・とくべつなの」
フィリアの視線の先。そこには綺麗な模様を描くタトゥーが刻まれた親指。
ティーファは何だかわからない苦さを感じた。
「せばすもいるかな?」
「処女杖には若木の方が向いていますが、慣れた者の杖には少々不足となってしまいますから、合わないかと」
いつの間にか傍にやって来ていたマリア。
じゃあいいか・・。と思った先からマリアの畏れ多い発言が続いた。メアリィには過分な物だからと遠慮し、フィリアはリリアからも言われていたからと押し通る。
先程のマルスとマーリンの会話とは違い、ちゃんと形になっている。
だがこの押し問答も、マリアに勝ち目はないだろう。
なぜなら。敵はマリアを振り回す事に長けた母娘なのだから・・。
本当に似たもの母娘・・。
「・・メアリィ」
小さく呟いたティーファの声。
それはフィリアにも届かぬ程に小さく。だがティーファの胸の中には大きく響いた。
涙を溜め。不満げに歪めた表情は、本人にも気づかれてはいなかった。




