22 噛み締める朝の幸せ
陽光の木漏れ日の中。
真冬とは思えぬ程の青々とした木々や草花に身を委ねる。
穏やかで暖かな時。
思わず幸せの吐息が漏れた。
「「はふぅ〜」」
・・・だらしなく気の抜けた声が二つ。
四肢を投げ出して緑のカーペットに仰向けになるさまは愛らしく美しい。まるで天使のようだと絵画を見るような者さえいる。
しかしそれは俄の者たちである。
彼女らの本性を知るものには全く違う光景だ。
只々怠惰な二人。それも淑女としては決して褒められない姿。
その証拠に青筋を立てたマリアが二人のもとへ急行してきた。
「姫様!ティーファ!はしたないです!!直ぐにお辞めください!!」
「あーまりあー。これ、きもちいのですー」
「ですー」
しかし当のふたりは大の字で寝そべったまま気の抜けた声。瞼は開けたが薄目程度で、マリアを確認すると直ぐにまた閉じられた。
頭を抱えたマリアの心中はお察しするばかりである。
この日ふたりは朝から自家栽培畑にてひと仕事し、冬中とは思えない程に暖かな温室にて汗を流していた。そして一息入れようと芝生の上にて寛いで結果完全に寝そべってしまっていた。
マリアの嘆息が隠すこともなく漏れた。
「姫様。お茶のお支度ができましたので参りましょう」
はーい、と間の伸びた返答を返すフィリアに、小さく先に「湯浴みですが」と呟いたマリアだった。
そして端目に映るミミとアンネ。木に身体を預け幸せそうに居眠りをしている。
お目付け役の侍女と主を常に傍で守る近衛騎士。
冷淡なマリアの視線から彼女たちの未来は想像に難くないだろう・・南無。
朝のティータイムは毎日の日課。それは欠かすことのできない予定らしく、その場にてその日一日の日程確認や少ない報告、情報共有も行われる。
フィリアは云うても未だ一歳児。さしたる報告はもちろん無く。予定はもちろん、別段重要事項などあろうはずもない。
それでも行うのはフィリアの赤子らしからぬ普段の態度や思考も大きいが、それだけではなく今後のために慣れるという意味合いも強い。
そして本日からはその日程に重要事項が加わった。
フィリアは辟易した様子だが飲み込むしかない。
そう。勉学である。
元々フィリアは学ぶことや調べ物は好きな方だ。しかしやはり前世より染み付いた苦手意識は生まれ変わっても拭えず、気持ちが逃げ道を探す。こればかりは仕方ない。
「しかし・・ここまできてあれですが。・・考え直す気はございませんか?」
そう言ってマリアが視線を向けた先は、いそいそと工事を行う集団。
開け放たれたフィリア専用のラースモア。
そこでは先日フィリアの所望したキッチン施工が行われていた。
「たのしみです」
満面の笑みを向けたフィリアに眉をしかめ不本意を飲み込むマリア。
フィリアもそれには気づいたが何も言わない。故にマリアもそれ以上は言えない。
マリア自身もわかってはいた。フィリアがキッチンを所望した理由は納得せざるを得なかったのだ。しかしそれでも心情は複雑な物でいかんともし難かった。
フィリアがキッチンを所望。つまりは手作りすることにした動機は意外にもまともな理由であった。
よく言う和食が食べたいやこの世界の料理は美味しくないではない。
むしろ、この世界。少なくともこの家で出される料理は絶品だった。
公爵家という家柄もあろうがフィリアには毛の先ほどの不満もない。それどころか生まれ変わった後のフィリアの舌は明らかに精度を増していたため、正に感無量の思いを日々感じている。
フィリアは今世ではタバコは吸わないと固く心に決めたほど。
和食に関しても、出てくることは当然なかったが不満はない。そもそも十年間のお一人様である。外食や自炊。どれをとってもその時食べたい物を食べる生活。
必然とはっきりした味のものを多く食べる。当然そうなると和食は希となり、味噌汁など年に一回実家に帰った際に飲むかどうか程度。今食べられたら懐かしさを感じることはあろうが別段渇望するほどではない。
飽食の現代人ここに極まれりである。
では何故にと言うと。端的に言って『毒物防止』だ。
一度だけあった、その危機。
幸いにもフィリアの口に運ばれる前に防がれたが、ミミがその代わりに毒を呷った。
毒見をしたミミは熱を出しただけで大事には至らず、直ぐに回復できた。だが、幼いフィリアが口にしていれば最悪の事態すらもありえた。
フィリアは顔を青ざめ恐怖に震えた。
前世では全くの縁がなかった眼前の殺意、それも自分に向けられたそれに、明確にはでき得ない程の恐怖が心と体にからみついた。
しかし、その時フィリアの心を支配したのは、自身の身に降りかかる殺意への恐怖ではなく、眼前で人形のように生気を失ったミミに起因した恐怖だった。
ミミは、今世で最も親しい内の一人で、最も側にいてくれている一人。
そんなフィリアにとって何よりも大切なミミが毒に倒れた。自身の身の危機よりも大きな恐怖がフィリアを襲ったのは当然の事でもあった。震え、泣き喚き、憔悴していく。感情が乱れ魔力が乱れフィリアを巻き込みながらもその周囲に影響を与え続けた。
熱にうなされ、意識さえ戻らなかった数日感。それだけでも周りの心配が極まっていたのに、目覚めてからの方が心配になる程に痛々しいフィリアの姿。
それはミミが目覚め、フィリアを抱きしめるまで続き、泣き続け腫れた目からは更に涙を流し嗚咽を零した。
たった一度のことではあった。それも犯人は直ぐに捕らえられ、その上セバスの時とは違って、フィリアに伏せられる形で事態を治めたことから、極刑かそれに準ずるほどの重罰刑が施行されたのだろう。
更にはそれ以降、フィリアを始め一家の全員。食事に最大限の注意がなされるようになった。
当然のことではあるが、その厳重さは過敏なほどで、寧ろそれでもって丁度いいぐらいだった。
そんな背景があってのフィリアの願い。
その時、誰よりもフィリアの傍におり、ミミを看病し支えたマリアにとっても、その願いの気持ちがわからないわけではなかった。
マリアが否と一蹴できなかったのは仕方ない。
些細な足掻きぐらいはご愛嬌としてほしい。
「ん?・・・これ・・」
「ふふ。お気づきになられましたか?」
いつものように茶器を揺らすミミが楽しげに微笑んだ。
そこからはなれた匂い。芳醇で甘い香りが漂ってきた。
ミミがいつもの所作で紅茶を注ぎ、その香りは花開くように広がった。
色は慣れたフラワーティーよりも紅く澄んでいる。恐る恐る口を付ければ甘く舌に纏わり、吐息も香りを孕む。
「・・ばら?」
そう。俗に言うローズヒップティー。フィリア自身も前世一度飲んだだけで、あまり自信はなかったがわかりやすくはあった。
「はい。以前姫さまが呟いてらっしゃったので、試しに茶葉加工ギルドに依頼してみたところ思った以上に素晴らしい出来に仕上がりました。・・姫さまはあまり紅茶を好まないようでしたので、少しでもお口に合えばとおもいまして」
「あまくておいしいですぅー」
いつものごとくティータイムを共に過ごすティーファが主より先に至福を零している。
間の伸びた声と同じく体からも「はふー」と安らぐ。
しかしそれにしてもフィリアにそんな事を呟いた記憶がなく少し記憶を探るがそれでも思い出せない。
それもその筈。完全なる無意識のつぶやきだった。
展望台に向かう道中にバラ園があるのだがその前でなんとなく思いついた事を口走っただけだった。それをミミはきちんと聞き取り実行したのだった。
「・・みみはきずいていたのですか?わたしがこうちゃをすきじゃないの」
「・・はい。僭越ながらマリアと共に対処を考えてはいたのですが・・力不足で申し訳ございません・・」
フィリアは申し訳なさそうな二人に首を横に振ると、嬉しいありがとう、と微笑んだ。
実のところフィリアは前世も含めて紅茶をあまり好まなかった。飲めなくはないが美味しいと思ったことはなかった。この世界では立場上高級茶葉を最高の腕前で飲めるので前よりはましではあったが、それでもマシ程度の差異である。
考えて見れば、いつからか紅茶よりもフラワーティーの方が多くなっていた。それも毎度紅茶にしてもフラワーティーにしても味が変わっていた。
おそらくは、手法を変え、茶器を変え、種類を変えと様々な試行錯誤をしてくれていたのだろう。
なんだかフィリアは胸が暖かくなった。それはきっとバラのお茶のせいではあるが、きっとそれが全てではないだろう。
ちなみに伸之は大のコーヒー党ではあった。
「こんどからはこうちゃよりもこっちがいいです」
小さな主の答えに胸をなで下ろすようにホッとした二人の侍女にフィリアは申し訳なさが先立ってしまう。
「それと申し訳ないのですが・・そちらを作ったものたちが姫さまにお許し頂きたいことがあるそうなのですが・・」
「じゃぁおよびしてください」
しれっと言い切った主に呆れ困るのはいつもどおり。
「姫様。本来なら洗礼式を終えて初めて面会ができるのです。姫様は早くも自室を頂きましたがそれでも簡単にはお許しできかねます」
「でもたぶんこれをうってもいいですか、ってはなしだとおもいますし。ついでにわたしからもききたいことがあるのです」
「そういった事は私共に任せてください。それにそのような許可は閣下がだしませんよ」
どこ吹く風のしれっとしたフィリアの態度。マリアもミミも苦言を募るがわかっている。
普段ならおろおろとするはずのフィリアがこの様子の時は言っても無駄。それどころか父親の許可すら容易にもぎ取ってくるだろう事を。
実際彼女たちは後日直ぐに茶葉加工の者たちに話を通し。更にはその日のうちにフィリアはアークの許可を容易く手に入れて来るのであった。
そしてもう一つ。
フィリアはなんとなく思い出し、現状に首を捻った。
手元のカップを見つめ、ミミを見た。
ミミは次のお茶の支度をしている。そこには黄金色のハチミツ。
「みみ」
「はい。どうしましたか?あ。蜂蜜ですか?ダメですよー。もう十分お入れしたではありませんか。これ以上はダメですよぉ」
相変わらずの間延び口調でミミは言うが、フィリアの疑問は違った。
「わたし、まだちいさいです」
「ん?姫さまは日々成長なさっていますよ?」
うまく伝わらないもどかしさ。
フィリアは首を横に振った。
「ちいさいうちは、はちみつもこうちゃも、よくないです」
医学的知識などない。それでも家庭の医学的な最低限の常識程度はあった。
当然その中には赤子に蜂蜜は駄目だということくらいの知識も含まれている。
詳細は覚えていないが、アレルギーがどうのこうのくらいは知ってる。
「姫さまは博識ですねぇ」
そう言って頭を撫でるミミは明らかに微笑ましいものを見る目だ。
「たしかに小さい子にはあまり与えるべきではありません。ですが姫さまぐらいになれば問題ありません」
「そうなのですか」
「はい。それに姫様のように魔力の多い方は、できるだけ早くこのような魔力効果の高い物に馴染んだほうが良いのです」
「それはどういう?」
継がれたマリアの話にフィリアは少し身を乗り出した。
滅多に聞けない魔法関連の話。フィリアにとって今のトレンド1位の話題。
ワクワクから少し興奮が顔をのぞかせている。
「それに」
しかしそんなフィリアの様子に気づかずお茶の支度を再開しているミミは小さく微笑むように呟いた。
「姫さまはお砂糖より蜂蜜の方がお好きなようだったので」
ミミたちは本当にフィリアの事を見ていてくれているのだろう。
フィリアはミミの言葉に姿勢を戻した。
そして、ミミとマリアに向かって笑顔で「ありがとう」と伝えた。
フィリアは前世、無糖派だった。どうにもあの酸味が好きになれなかった。
しかし今世の紅茶などには必ず入れられていた。好みで量の調整は許されたが、入れない選択肢は許してもらえなかった。
理由を問おうとも思ったが、こういった事はまず長い歴史から語られそうだと察し、静かに了承するのみにしたのだ。
いつからかはその味に慣れたのだと思っていたが、どうやら彼女たちが苦心してくれていたらしい。
フィリアはこの僅かな朝のお茶会で確かな幸福を感じていたのかもしれない。
「ヒメ!わたしもヒメがだいすきですよ!!」
何かを察したのか力強く、そして最高に愛らしく訴えるティーファ。
そんなティーファのほっぺをなでるようにつまんだ。
「ありがとう。わたしもてぃーのことだいすきです」
微笑みを返したフィリアにティーファは照れたように笑みを見せた。
微笑ましく、穏やかな朝の時間。
思わぬ所から確かな愛情も感じることも出来た。
このあとの憂鬱な時間もきっとなんとかなるだろう。
たぶん。
それにしても、フィリアは気づいていなかった。
蜂蜜は乳児には危険で、紅茶などの茶類は『子供』にとってあまり良くないことに。
フィリアだけではなくティーファも同席していた事を考えると前世とは違うのかとも思える。
だが事はフィリアを中心とした事。
おそらく何かの規格外がここでも起きている気がしてならない。
実に、不穏だ。




