209 女神の絵画
「こちらはどうします?」
「ちょっと!それじゃないわ!」
「装飾品はもう運んでしまいましたか?」
忙しなく、騒がしいフィリアの自室。
使用人たちが次々と出入りし、バタバタと動き回っている。
「ヒメぇ・・・」
「よしよし」
そんな騒がしさの中、ティーファはフィリアの傍らに浮かぶクッションへ、顔を埋める様に抱きついている。
そこから漏れる声は涙声なのか、それとも潜もっているだけなのか、判断はつかないが、フィリアは取り敢えずそんなティーファの頭を慰めるように優しく撫でた。
「・・いっしょにぃ・・・」
「駄目ですよ。ご両親の許可は得られなかったのでしょう?当然ですが」
「うぅ・・・」
ミミの注意に項垂れ、それでも諦めきれずクッションを強く握り、縋るティーファ。
引越しさながらの、大袈裟にも思える程の荷造りに追われる使用人たち。
皆が忙しなく動きまわる理由は、リーシャと共に向かう外遊、フィリアの旅行準備。
フィリアが想像する旅行とは規模から違う荷造り。
「おじいちゃんだったら・・・」
「いくら孫に甘いマルス様でも、お許しにはならないと思いますよぉ」
そして、想像通りではあったが、ティーファは自身が留守番であることに不満を訴えた。
当然、マリアたちからは許されず、せめてもの妥協案が両親、つまりはトリー家の了承を得ることだった。
しかし、いくらレオンハートの外遊という、この上ない万全の旅路であろうと、まだ幼いティーファを送り出す許可など出はしない。
現在、アンリと共に留守にしているマルスは、幼いティーファをフィリアの庭園に入れる程に孫に甘いが、流石に今回ばかりは許可など出せないだろう。
「それで、姫様。お決めになられましたか?」
項垂れ、クッションに顔を埋めるティーファをフィリアは苦笑混じりに見ていると、マリアが後ろから本題に戻るよう声をかけた。
「あ・・んー・・・」
マリアの声にフィリアは思い出したように向き直り、眉を寄せて難しい顔になる。
フィリアが仁王立ちするように腕を組んで向き合うのは、部屋にあるクローゼットのうちの一つ。
中でも小さいものではあるが、それでも前世の常識から考えると、大き過ぎるクローゼット。
「んー・・これはミミがししゅうしてくれた、おきにいりだし・・・こっちはマリアのてづくりで、おきにいりでしょ・・・」
しかし、本来、服を収納する筈のそこには、ドレスの一つもない。
その代わりにクローゼットいっぱいに並ぶのは色取り取り、形や大きさも様々なクッションたち。
端から端まで詰め込まれるように仕舞われてはいるが、普段から使用人たちによって綺麗に並べられ、見ているだけでも目に楽しいクッションで埋まっている。
「・・普通ならばドレスやアクセサリーで悩むものですが・・・」
「まだです・・まだ姫様は幼いのですから、これから・・・淑女教育もまだまだこれから・・・」
そんな嘆きと悩みは、もう今更だろう・・諦めたほうが楽になる。
フィリアにそんな可愛らしさなど求めるのは無駄でしかないだろうに。
「・・そばがらのもきもちいいけど、うもうもあったかくて・・・どうしよう・・」
最初は宙を漂うフィリアの安全性を考えた苦肉の策だったのが、日替わりで楽しめる程に多種多様のクッションが今では揃っている。
一種のコレクションとも言える程の数と種類・・・ドレスなどは年齢的にもこれからかもしれないが、せめてぬいぐるみとか、そう言うものに興味を持ってくれないかとマリアたちは考えているが・・それもまた望み薄だろう。
「姫様。滞在は長くても二週間です。そんなに多くはいらないですからね」
仁王立ちで悩むフィリアがふわりとクローゼットのクッションを浮かべた。
雰囲気は思案の末泣く泣く候補を絞ったと言う様子だが、浮かび上がったクッションは決して選別したとは言えない数。
一瞬クローゼットの中身が崩れてきたのかと思う程に、ごっそりと動き出したクッションの群れ。
マリアは叱責するまでもなく、それを淡々とした声色で諌めた。
そんな感情さえ感じられない冷淡にも思える声にフィリアはそっとクッションを元の位置へと戻した。
時には怒鳴られるよりも、静かな淡々とした様子の方がよほど怖い。
それが普段から愛情を注いでくれる人物からのものであれば一層際立って余計に・・・。
「それにしても・・まだ、はやくない?まだ、いっかげついじょうさきじゃなかった?」
クローゼットに向き合いながら、そんなマリアの怒りを逸らすように、あからさまにフィリアは話題を変えた。
マリアもそんなフィリアの下心に気づきながらも、敢えてそれに触れることはない。その代わり小さく呆れたような溜息を零すだけで済ませた。
「季節が季節ですからね・・・」
そう言って視線を向けたのは窓の外。
そこは空中庭園の青々とした心地よさに満ちているが、温室となっているそことは異なり、その更に先・・青々とした庭園とガラスを隔てた外では、白く塗り潰されたような世界が広がっていた。
連日降り続け、未だ吹雪は弱まる気配すらない。
これで未だ初冬だというのだから、この地の冬はとても厳しい。
「この吹雪が次、いつ止むかわかりませんからねぇ」
「豪雪のせいで、現在、列車は運休しております。いつ運行が再開されるのかは未定ですし、また雪が降ればその次はいつ動けるかわかりません。予定にも遅れてしまう可能性もございます。ですので、準備だけでも今のうちに済ませておき、運行が再開した時、直ぐに動けるようにしておかなければなりません」
毎年、家一棟を覆い隠すほどの豪雪に見舞われる土地。
そんな例年の事に慣れた住民たちでさえ、その期間は外に出ることを控え、雪が止むのを待つことしか出来ない。
当然、そんな豪雪の中では交通網を維持するのも難しい。
無いわけではないが、通常運行のものは少なく、条件も厳しいものだろう。
「流石に外で、モコモコの着膨れは体裁も悪いですし・・姫様が横着しても対処できるようなものを準備しなければなりませんし」
「・・姫さまはあまりに無頓着ですからねぇ」
そうは言われるが、フィリアとて無頓着なわけではない。
前世は社会人、それも営業職だったのだ。身だしなみの大切さはよくわかっている。
しかし、女性の、それも女児の服装など知るわけもない。
況してや、前世でも触れたこともないような高級生地の繊細なドレスが普段着の現在。無頓着も何も、あまりの門外漢に手のだしようもないというのが実際のところだ。
流石にこればかりはフィリアに同情する。
「・・・いいんです。ヒメがきょうみを持ったらクローゼットのなか、みられちゃうじゃないですか」
「クローゼットのなか?」
ティーファのくぐもった声に、何の気なしにフィリアは問いを返しただけのつもりでしかなかった。
だが、そんなフィリアの反応に周囲は地雷でも踏んだかのように、ピシリと固まった。
「・・・どうしたの?」
思った反応・・いや、反応すら返ってくるとは思っていなかった程度の軽口でしかなかったのに、周囲のその明白な反応。
フィリアは問うと共にすぐさま訝しむように視線を巡らせた。
騒がしく荷造りに勤しんでいた使用人たちも動きを止め、フィリアと視線が合いそうになると、バツが悪そうに目を逸らす。
クッションに顔を埋めたティーファは仕方ないとしても、その他、部屋の中の誰もが目を合わせないよう目を逸らす。
いつもならば、ふてぶてしいまでにこういう時も堂々としてみせるあのマリアでさえ下手くそな白々しさで目を逸らした。
「ひ――――」
何かを察せられた訳ではない。
だが、嫌な予感が気のせいではないと確信を持って言える。
フィリアを呼ぼうとした声が届くより早く、衝撃にも似た突風と共にフィリアの姿が消えた。
とは言え、忽然と消えたわけではない。
高速で飛び出したクッションにしがみつき、お得意の浮遊ライドをしただけ・・。
しかし、その速度はこれまで見たこともない、ソニックブームを生むほどの速さ。
それも、しがみついてはいるとは言え、フィリアにとって不本意なものではなく、自らの意思に沿ったもの。
鬼気迫る・・・何処か死地に阿くかのような強い瞳。
・・・そして、それが杞憂であって欲しいと縋るような願い。
フィリアのクローゼットは勿論、部屋の中にもある。
だがそこには、寝るときのナイトドレスか、簡易な部屋着しか置いていない。
その事は、さすがにフィリアとて知っている。
そして、いくらなんでもフィリアの自室内にそんな疚しいものなど置きはしないだろう。
となれば別のクローゼット。
この部屋とは別に態々、服飾類の為だけに用意された衣装部屋。
当然フィリアの感覚としては理解の及ばないもので、その部屋一つで十分すぎるほどに生活出来るスペースがある。
そんな感覚の違いが自ら足を運ぶことを避けていた理由の一つでもある。
しかし、それが故に知らぬ間に何かが起きている・・。
荷造りの為、自室もクローゼット代わりの衣装部屋も扉が開け放たれている。
そのおかげでフィリアは最高速のまま緩ませることなく廊下を飛行し衣装部屋に飛び込べた。
開け放たれた扉はノックも開閉も必要としないが、フィリアの訪れはわかりやすく、衝撃にも似た突風によって報らされた。
突然のフィリアの来襲に使用人たちも目を瞬き驚きを見せる。
だがフィリアにそれを気に留める余裕などない。
フィリアは部屋に入ると同時に部屋中を見渡す。
何か異常がないか、獰猛な視線を巡らせる。
天井は高く、二階建ての吹き抜けのような造り。
衣装部屋だからか窓は小さく少ないが、薄暗くない程度の明るさは確保されている。
そして何より壁一面に所狭しと並べられたドレスや宝飾品の数々。
それらが全て、まだ幼いフィリアの為に用意されたものであるが、毎日別のものを選んだとしても余るような量。
正直、目がくらむような想いもあるが、今のフィリアにはそれよりも確かめるべきことがある。
フィリアの訪れに驚きから思わず硬直してしまっていた使用人たち。
その中、唯一人、奥扉の前にいた使用人だけは反射からか辛うじての理性からか、その奥扉を隠すように背に庇った。
決して小柄な使用人の背に隠せる扉ではない。
そんな僅かな違和感。
「っ」
フィリアの獲物を見定めたかのような鋭い眼光に、その使用人は喉をヒクつかせ思わず息を飲んだ。
そして次の瞬間には背に庇っていた扉が吹き飛ぶと同時に横を風が通り抜けた。
「なっ!?」
その風を追うように振り向けば、そこにはフィリアが空中にではあるが茫然と立ち尽くし声を失っていた。
その理由をよく知る使用人たちはそっとその場から逃げるようにそそくさと立ち去った。
「・・・な、なんですか、これはぁっっ!!!!」
フィリアの叫びがこだました。
奥にまで続いていた衣装部屋。
中でも高価な装飾品やドレスが、そこには特別大事に保管されている。
その為、一層、陽の光を嫌うようにされ、何処か神秘ささえ生む一室。
フィリアはそこに足を踏み入れた瞬間絶望にうちひしがられた。
高い天井に相応しい、大きな絵画。
それが、部屋に踏み入った瞬間目に入るよう真正面に飾られている。
・・・ただそれだけ。
「うぅ・・・」
「ティー!!これってどういうことですか!?おきて!!せつめいして!!」
クッションに縋るように埋まっていたせいで、フィリアの高速移動に巻き込まれたティーファは意識さえ混濁したように目を回している。
だが、そんなティーファを気遣う余裕などないフィリアはクッションごとティーファを揺さぶり、取り乱していた。
薄暗くも僅かな陽光が神秘的に零れ漏れ。
煌びやかで、洗練された装飾品たちを燦めかせる。
神殿や聖域のような雰囲気を醸すその場。
しかし、最も大きな要因は、そこに飾られた大きな人物画だろう。
純白のドレスに身を包み、稲穂のような黄金の髪をたなびかせ。
陶磁器のような白い肌は、陽光解かすかのような儚さを持ち。
蒼い瞳は、空と海の境界を曖昧にしたような深く吸い込まれそう。
婀娜やかな躰つきは、淫靡な印象よりも、寧ろ清廉な美しさを醸し、この世のものとは思えない美しさを体現している。
そして、複数もの白い翼。
満開の向日葵畑の中、微笑むは――――女神。
フィリアver大人。
ただ一度の過ち。
フィリアの好奇心によって生まれたその姿が、より増しで神々しく描かれた絵画。
「いやーーーー・・・・」
それがあたかも信奉対象のように大々的に飾られていた。
「・・マ、マリアさまの、だんなさん、が・・・・」
「マリアぁぁぁーーーー」
あのマリアでさえ繕えなかった後ろめたさの正体はそれだった。
車酔いや船酔いに似たクッション酔いに目を回すティーファの傍ら、フィリアは羞恥に崩れ去った。




