208 抱え隠す、もどかしさ
地下牢を出て、セバスは足早に石造りの廊下を進み、そのあとを追いかけるようにアークも牢を後にした。
「待て、セバス」
恐慌に染まり茫然自失のようになったサンドだけが鎖に繋がれたまま残され、無情な金属の錠は再び閉ざされた。
おそらくセバスが足を向けることは二度とないだろう・・・そう確信させるようなセバスの態度が、その錠の音と重なり、単なる牢としての施錠以上の意味を連想させた。
後の事は、牢番の兵に任せるようにロバートは視線を交わし、ロバートも二人の少し早い足並みに合わせて続いた。
その際に、一瞬だけサンドに視線を向けた。
そして、既にこの先の事を想像するだけで自失するような情けなさに、憐憫ではなく侮蔑の目を向け、ついには興味を失い何の感慨もないように背を向けた。
「優れた尋問官・・いえ、拷問官を選出しましょう」
・・・セバスを身内だと思っているのは、レオンハートの者たちだけではない。
寧ろ、同じ家臣という立場の同僚たち・・とりわけロバートなどは、言ってしまえば弟子のようにさえ思っている分、アークよりも情がある。
臣下は主人に似ると言われるが、身内に手を出す者への苛烈さもまた同様なのだろう。
自重がある分マシだとは思いたいが・・あまり期待は出来ないだろう。
「セバス」
「・・・刺青なども綺麗に消えたはずです。暗殺などを請け負う者ならば、情報を洩らさぬよう、言葉や記憶に作用する術式を刻んでいたでしょうが、最早その枷もないはずです」
「セバス」
「・・・魔術や魔法に対する術式が牢や錠には施されているのでしょうが、彼らのような者が身体に刻む術式は、効果がとても限られる代わりに、生体魔力だけでも発動が可能なものが主です。それまで封じるのは容易ではないでしょう」
「セバスっ」
セバスの耳にアークの声はちゃんと届いている。
その証拠にセバスの語りはアークに向けてたものだ。
しかし、その語りはアークの言葉を遮るよう紡ぎ続けているようでしかない。
アークがどんなに声をかけようともセバスの歩みは止まらず。
それどころか速度は少しずつ上がっているようにさえ感じる。
聞く耳を持たない・・・そんなセバスの態度は不敬でしかない。
だが、二人のすぐ後ろに続くロバートが口を挟むことはない。
寧ろ、そんなセバスの態度にアークの方が焦れ、セバスの肩を掴むと同時に語気を強めた。
それにはセバスも流石に無視できず、ようやく足を止めた。
「・・そうではない。セバス」
「・・・・」
「私が聞きたいのは・・そう言う話ではない」
歩みを止めはしたが、セバスは前を向いたまま振り向きはしない。
アークが語気を強めたのは一瞬だけ・・そのあとに続いた言葉は、同情に似た感情を纏った、優しく柔らかなものではあったが、苛立ちを覚えるようなものではなく、寧ろ、何処かアーク自身の方が傷を負っているような、嘲るにはあまりにも遠い感情があった。
そんなアークの感情を、振り向かずとも察せれる程度には、セバスもアークとそれなりに過ごしてきた。
そして、それはアークやロバートにとっても同じで、顔を見ずともセバスの背に滲んだ感情を正しく理解できてる。
とりわけ、ロバートなど執事としての教育も施した事もあって、セバスの感情を隠す術など全て熟知している。
「・・・・・妻には、確かに、サンドが言っていたような特徴があります」
「ならば」
「ですが、正しくもありません」
否定を口にしつつもセバスは白く拳を作った。
ルネージュではないが、セバスも元は貴族の出身だった。
それが、暗殺者・・それも捨て駒。そんな立場にまで落ちることになった。
セバスに付けられた『宵月』という名。
その『月』というのは、闇社会で『貴族』の暗喩として使われる。
そして、『宵』・・月と共に並べば違和感のない名ではあるが、そんな本来の意味として使われてなどいない。
『宵』・・・日没から間もない夜。
つまり、没落を揶揄したような名。
セバスが実際、何故、貴族ではなくなったのかはわからない。
だが、その名が、セバスにとって不名誉なものであったのは間違いないだろう。
・・・そして、何があったのかは分からないが、セバスの周囲・・特に近しい者たち、つまりは家族もまた同様に、望まぬ立場に堕とされた。
もしかしたら、セバスが望まぬ稼業に身を堕としたのも、それが原因だったのかもしれない。
その事をフィリアは主人ではあるが知らない。
しかし、アークやロバート、その他の大人たちはそんなセバスの事情を知っているのだろう。
それ故に、アークのセバスを問い詰めるような言葉には、刺々しさではなく、憂うような優しさがあった。
セバスもまた、だからこそ時間稼ぎ程度の誤魔化ししかせず、それ以上は隠すこともなく吐露した。
「サンドは三角形に黒子が並んでいたと言っていましたが・・・正確には、三角形の黒子が三角形に並んでいるのです」
「三角形の、黒子?」
「・・黒子というのも違いますね。そもそも黒子ではなく刺青ですから・・。妻の実家では、腿の付け根に印を付け、夫だけがそれを知る・・謂わば女性の貞淑さを表す為の慣習があります。一見、黒子のようにも見えますが、きちんと見れば違うとわかるものです。おそらくサンドは情報として聞いてはいたのでしょうが、実際に見たことはないのでしょう」
とは言え、それはサンドが、の話。
正確なものではないとは言え、その情報を持っているということは、誰かが『それ』を見たということ。
情報の緻密さに欠けるとは言え、まさかチラリと確認しただけなどということはないだろう。
貞淑さの証が、真逆の証明となった・・・セバスにとって腸が煮え返るような話。
だが、同時に、貴重で確かな手掛りでもあった。
セバスの複雑な心情は・・想像も出来ない。
アークとロバートとて、それを慮る事は出来ても、その身の内に巣喰う憤怒の業火どれほどのものか・・・想像することさえ躊躇われた。
「しかし、情報を持っているのならば繋がりがあるということだろう?他にも何か手掛かりを持っているかもしれないぞ?」
「だからこそです。・・その程度の情報しか持たない者から得られる情報など何処まで信用できるものかわかりません。無駄な精査で時間を取られるか、余計な情報で惑わされるだけという可能性の方が圧倒的に高いです」
それにはアークたちも同意で、確かにそうだと頷く。
闇に生きる者にとって、情報は地位・・もっと言えば強さの証。
正確性に乏しい情報しか持たない者など、その程度の力しかない証明だ。
そしてそれはセバスとて同じ。
情報さえ与えられなかったセバス。
誤情報ではあったが、きちんと情報を与えられていたサンド。
だが、その違いは、駒かトカゲの尻尾かの差しかない。
「今でこそ、姫様・・ひいてはレオンハート家の方々に仕えております私には利用価値もあるでしょうが・・・以前は、換えの効く駒の一つでしかなかったのです。一応の保険として情報を控えてはいたのかもしれませんが・・・・・五年です。・・・もうサンドの知るところに手掛かりはないでしょう」
「・・・ですが、幸いにも沈黙の術式も消え、吐かせやすくなりました。それが価値のあるものかどうか、余計な手間かもしれませんが、精査してからでも遅くはない筈です。・・お子さんの事も何か知っているかもしれませんよ?」
「・・・・・」
ロバートの言葉は正しい。
どんな情報であっても、あって困るものではない。
寧ろ、些細な情報が案外重要だったりもする。
真偽の精査に無駄な時間をかけるかも知れない。
しかし、霧の中を藻掻くのに比べればよほど効率的だろう。
そんな事、セバス自身が一番わかっている筈だ。
「・・・お前、何かに気づいたんだろう?」
「・・・・・」
その一瞬の沈黙こそが答えだった。
「・・・今のお前はフィーに忠誠を誓った我が家の家臣だ。・・悪いが勝手な行動を許可することは出来ないぞ」
「・・・・・心得ております」
セバスがフィリアに、レオンハートに背く事などない・・いや、正確には出来ない。
勿論、本意でない訳ではない。本心からのものだ。・・だが、不自由である事もまた事実だ。
それ故に、雁字搦めとまでは言わないまでも、勝手を出来ない歯痒さを抱え、どうしようもできない葛藤を胸に住まわせている。
マグマのようなドロドロとして煮え滾るような激情を胸にどうにか閉じ込めながら。
だが、そのレオンハートは、そんな雁字搦めを、甘んじろと言うような者たちではない。
だからだろう、セバスの口からは言葉が漏れる。・・・本人すら無意識に助けを求めるように。
「・・・アルフ連邦・・・訛り、と言える程ではありませんが、サンドの言葉には僅かな癖がありました。国や地域といった言語的な訛りではなく、耳に刷り込まれた語感での差異でしかありませんが・・・それ故、諜報を担うものであっても模倣は難しい筈です。・・・おそらく、サンドが謀っている可能性も少ないかと」
「アルフ連邦・・ですか」
セバスの話にロバートが思考を巡らせる。
国の情報、外交、要人・・様々な情報がロバートの頭の中で組まれていく。
「しかし、セバスはよくわかったな。模倣が難しいという事は、そもそも気づくこと自体が難しいということだろ?」
「・・私の両親は、アルフ連邦からの亡命者でしたから・・。・・・耳の良い両親であっても矯正は出来ませんでしたが、その分、私は物心着く前より厳しく躾けられました」
「セバスの耳が良いのは、その両親のおかげでもあるのだな」
セバスの耳の良さ。それは最初の頃からあった。
その中でも特に、多言語にセバスは精通していた。
両親が亡命していたというのも、もしかしたら外交的な立場にあった家の出身なのかもしれない。
「アルフ連邦・・・それは、こちらでも調べさせましょう」
「ああ、頼む。セバス。お前も持っている情報は全て教えろ。・・・探し出すぞ」
「し、しかしっ」
ロバートは思考をまとめた様子だが、何か思うことがあったのか、何処か難い表情になっていた。
だが同時に、アークと共に頼もしい目をセバスに向けた。
自身が自由に動けない以上出来る事など限られる。
しかし、だからと言ってそんな不自由に憤るような葛藤をレオンハートに押し付けるなど、あってはならない。
喉から手が出るほどにありがたい話であるのは違いない。
しかし、そこまで甘えてしまうのは・・・。
セバスは言い募ろうとするが、心が言葉を詰まらせた。
「今更遠慮するなよ?言ったろ。お前はもう家族なんだって」
「諦めなさい。レオンハート大公自らの宣言です。それに、遠慮出来るほどの余裕はないはずですよ。甘えておきなさい。世界最高の『家族狂い』、その好意に」
セバスは歯を食いしばり、溢れそうな物を堪えた。
そして、まるで愛しく触れるように、指に刻まれた向日葵の花弁を撫でた。
神への賛美を囁くように。




