207 絶望への癒し
見据えるように見つめるセバス。
驚きを見せたようにも見えたが、それは本当にほんの一瞬だけ。
見知った者との再会とは思えぬ程に、セバスの感情は薄かった。
「私も、顔を合わせたのは一度か二度です。彼は主に裏のイロハを教える役割で・・・顔は変えれても眼を変えることは出来ないと教えられたのも彼からです」
「裏稼業の者が教師の真似事か?しかもその成果で素性が割れるとは本末転倒だな」
鼻で笑うようなアークの言葉に、サンドと呼ばれた男は眼光を強めた。
だが、睨む視線の先はアークではなく、その正体を看破したセバス。
怨嗟などではなく、明確な敵愾心を宿し鋭く睨みつけていた。
「・・宵、月・・・」
そして、絞り出すように呟かれた声に、セバスは少し驚いたように目を見開いた。
「ほう、私のような末端の者の事を憶えているとは思いませんでした。・・・いえ、そういえば、街ですれ違った程度の人間でも顔を憶えろと教えてくださったのは貴方でしたね。当時は単なる心構えかと思っておりましたので、忘れていました」
「お前の物覚えの良さは異常だと思っていたが、その下地は裏稼業での教えだったのか」
「いえいえ、私など」
「この際だから言っておくが、我が娘ながらフィーがあまりに規格外なだけで、お前らも大概だからな」
「何故か姫様の周りにはそういった者たちが集まっていますからね」
セバスの謙遜にアークとロバートは頭を堪えるように溜息を零した。
呑気な雰囲気は、そこが何処か忘れたように、その場にそぐわない和やかさを見せていた。
「それで?こいつは当たりなのか?」
「何とも・・、同じ組織ではあったと思いますが、依頼主にさえ繋がるかもわかりません。況してやその更に上となると・・・」
アークの疑問に眉を寄せ難しい顔で考察するセバス。
そんな様子に苛立ちを抱えながらもサンドは口元を意地悪く歪めた。
「・・・三つ星・・」
それは小さく掠れた声で呟かれた。
「それにしても、こいつまだ喋れたんだな」
「申し訳ありません。尋問の必要があるということで手心を加えすぎました」
「いや、責めているわけではない。寧ろ好都合だ。喋れる程度に回復させるのも手間だったからな」
牢番の悔やむような謝辞に、アークは気に病ませないよう軽い声で返す。
ロバートもそんな牢番に気にすることはないと肩を軽く労うように叩いた。
「どうしたセバス?」
しかしそんな和やかな空気を作る中、アークは違和感を覚え振り向いた。
考え事をするにもあまりに無言のセバス。
それも、アークを置き去りに思考に沈むなどセバスらしくない。
そう思い、アークは振り向いたのだが、そこにあったセバスの表情は想像していたものとは違い、驚愕に満ちたもの。それも端から憤怒が侵食するかのように顔色を変えていっている。
「・・足の付け根のあたり・・三つの黒子が三角形に並んだ女。・・かなり具合の良い、唆られる女だった、な・・・何処ぞの、貴族のご婦人だったららしいが・・・旦那と、子供の名前を泣き叫んで・・羞恥と屈辱に悶える・・・・・最高に興奮させてもらったよ」
嘲るような下卑た声と笑みを浮かべて吐き出すサンドの言葉は酷く異臭を漂わせる。
「・・何人もの男に廻されて・・・身体中をっ!?がっ!!」
耳障りな声は衝撃と吐血によって遮られた。
汚物を見るかのような蔑んだ目でロバートは杖をサンドに向けて立ち。・・・ロバートのその杖の先からは魔力を押し固めたような一閃の闇が、サンドの胸を貫いていた。
「・・不快だな」
吐き出したアークの言葉と態度から、ロバートの行動は衝動的な独断ではなく、主人の心を代弁したものなのだろう。
「がはっ」
それにしても過剰な閉口の為の行動。
さらりと解けるようにロバートの生み出した魔力が霧散していく。
それと同時に抉られた胸の穴から血が溢れ出し、向こう側が見えるような空洞に気管から漏れた空気が怪しく血を吐く。
即死ではないが、紛う事なき致命傷。
今この時も見る見るその目からは光が失われていく。
「セバス」
「・・・」
「頼む」
セバスは一度目を瞑り、深く息を吐いて心を落ち着けると、杖を抜き一歩進み出た。
『愛しき姫様の愛』
自身の杖に軽いキスを落とすと弾けるように光のオーブが舞い、杖に光を纏わせる。
そして、杖の先を向けると、光が溢れ出し、サンドの身体を覆っていく。
「・・姫様の癒しを、貴方ごときに施すなど・・・・・」
不本意だという気持ちを隠さずセバスは顔に出していたが、その気持ちを口にしようとして言い淀んだ。
その言葉は、そのまま自身に返ってくる物だと気づいてしまったからだ。
それもこの男とは違い、手にかけた暗殺者であった自分の方がよほどその資格が無い、そう思い至った。
「申し訳ありません、セバス。治癒魔術を使えるものを呼ぶにも時間がかかってしまいますので」
「全く・・うちのロバートは堪え性がなくて困る」
「・・・ここは地下牢ですから崩壊させられては困りますからね」
ロバートの睨むような横目にアークは口笛を吹きながら視線を逸らす。
レオンハートの者達が見せる仕草・・・後ろめたさを隠す、一応、誤魔化し。
つまり、この男。大公でありながら、自身の城を沈めかけていたらしい。
それもプリズンブレイクのおまけ付きで。
「セバス。お前はその男とは違うぞ。一度懐に入れた以上、使用人だろうがなんだろうが、この城で共に生活する『家族』だからな」
「過去は関係ないとは言いません。ですが、今の貴方に後暗い事などないでしょう。それにレオンハートの方に『家族』と認定されてしまったのです。覚悟を決めなさい、その意味は・・重いですよ?」
最初の頃は、当然の事ながら敵意を常に向けられていた。
一歩間違えば死んでいたかも知れない事など一度や二度ではない。
だがそれは当然のことで、フィリアの為ならば一生それでもいい・・・いや、その方が、苛まれなくていいと思っていた。
しかし、アークは家族と言った。
レオンハートにとってそれは絶対的味方であると告げたのと同様。
これから先は罪を甘えで誤魔化すのではなく、自分自身で抱え向き合って行かなければならない。
セバスは、感激と共に身を引き締める機会を与えられる事となった。
当然セバスはその意味を正しく受け取り、胸に手を当て深く頭を下げた。
「・・・・なんで・・生きて・・・・・」
セバスたちの、ちょっといい話的な脱線に関せず、光の治まり始めたサンドは唖然として呟いた。
消え入りかけていた命の灯は完璧に蘇り、身体中の傷や痣も、勿論、胸の中心に開けられた風穴も光が治まる頃には綺麗に無くなっていた。
「バレーヌフェザーが居ない今ならば死ねるとでも思ったか?」
「満身創痍だったとは言え、短絡的な賭けですね」
心より馬鹿にしたようなアークとセバスの声に、戸惑いを抱えつつも鋭い眼光を向ける。だが、戸惑いからは抜けきれず、勢いはまるでない。
「我が家は魔術師・・有色の魔力の持ち主ばかりで、治癒や回復の魔術を扱える者は稀少だからな。何の準備もなく、咄嗟の怪我には対応できないだろう。重症ならば余計に。それに、治癒や回復を扱えるとは言っても、うちにいるのは魔術師で、決して優れた技量ではないしな」
「・・宵月・・・お前が、何故、魔術を・・」
「セバスの魔力はそれほど多くはないですが、魔術に関しては、本人の努力もあってそれなりの技量ですよ」
ロバートは敢えてそれ以上は口にすることはないが、セバスの最も得意な魔術は、とあるお転婆幼女由来の未認定な魔術。
そもそも、この領出身ではないセバスが、ファミリアの者たちと同等に魔術を扱えるなど、並みの努力で成せる事ではない。
成長期も遠に過ぎた年齢でありながら、フィリアの恩恵で魔力は成長しているが、それでもこの地の民にすら及ばない、城内であれば言うまでもなく最も低い。
しかし、それでも魔術の技量に関しては、レオンハートに長く仕え、下手な学者などよりもよほど魔術に造詣が深いロバートからも、『それなり』と評されるだけの技量を身につけていた。
「・・・まぁ、魔力の方も時間の問題だと思うがな」
遠い目でアークは呟いた。
最近フィリアの周囲は異常な魔力成長を見せている。
セバスが例外であるはずがない・・というよりセバスが最もその影響を受けるはずだ。
「くっ・・」
サンドは悔しげに顔を歪める。
だが、焦りはない。次の一手を考えるだけ・・。
「ちなみに。バレーヌフェザーの方々が仰るには、人体への理解度が治癒の効果に直結するそうです。勿論、私もこの術を扱うにあたって敬意を欠く事などありえませんので、人体構造についてはきちんと学ばせていただきました」
「・・・何が言いたっ!?」
セバスの語りに得体の知れない不気味さと疑問を浮かべセバスを睨んだサンドだが、それを問う前にセバスの平手がサンドの頬を打った。
「・・・」
「ただ・・知識としてはあっても、まだまだ理解にまでは至っていない事も多いのですがね」
理解が追いつかず、思考が止まったようにサンドは頬の熱を感じていた。
「痛いですか?」
「・・・何を」
サンドは徐々に思考を取り戻すかのように、セバスを見つめた。
そこには最早、取り繕うこともできず、あからさまな恐れが浮かんでいた。
「ぐっ!?」
「私も元は貴方と同じ側の人間です。・・痛覚を鈍らせる程度の施術など基本中の基本。強化や鈍化、どの神経を弄ればいいのかなど嗜みですよ」
セバスはサンドの髪を引っつかみ、顔を無理矢理に上げると、自身の顔を近づけた。
「健全な感覚で、お過ごしください」
長らく感じたことのない頬の熱に恐れを抱いたサンド。
痛覚を完全に遮断してしまうことは不都合も多い。
その為、一定を超えた痛みは感じてしまうが、それでも耐えられないものではない筈だった・・・少なくとも平手一つに、ひりつく様な痛みを感じたことなどなかった。
それ故に、威勢も掻き消え、恐怖に表情を歪める。
「ちなみにですが、この魔術はどんな傷をも癒します」
セバスの手に更に力が篭もり、サンドは増した痛みに顔を引き攣らせた。
そして、何かを囁くようにセバスはサンドの耳元に口を寄せた。
「四肢の欠損、遥か昔に負った古傷・・・そして、刺青さえも」
術者次第ではあるが、その癒やしはやはり規格外。
そして、セバスもまたそんな規格外の中に身を置くもの。
それも、規格外と契った存在・・最早、呪いとさえいえるような絆を結んだ者。
とは言え、そんな事情を理解している訳ではないだろうが、サンドは恐怖を隠せず、怯えに支配されたような、声とも呼べないような悲鳴を上げた。
セバスは、そんなサンドを興味など無いかのように見下すと、サンドの頭から手を離した。
どれだけ力を篭めていたのか、手には髪の束が絡みつき、それを感情もなく手袋ごと外すと呪文を唱え焼却した。
そして、何事もなかったかのように振り向くとアークに向け深く頭を下げた。
「失礼いたしました。もう大丈夫でございます」
「・・・もういいのか?」
「はい。傷は全て癒されているかと思います」
「いや。そうではなくてだな・・」
言い出しにくそうなアークに反して、セバスは淡々とした様子で下がった。
最早、興味もなく振り向くことさえない。




