205 知恵を喰らう禁忌
暖かなサンルーフの中、懈る湯気と香りに表情を綻ばせながら優雅な一時を楽しむ姉妹。
非の打ち所のない所作で美しく目を引くリーシャと、テーブルを挟んで向かい合い、リスのように頬を膨らませクッキーを頬張るフィリア。
「そもそも、精霊は食事などを必要としないわ。もちろん出来ない訳ではないけれど、あくまで娯楽のようなでしかないわね」
「ほふぁふ・・・」
・・一応、翻訳するとフィリアは「娯楽・・・」と呟き、噛み締めるクッキーの甘さに意識を向けた。
甘味もある意味『娯楽』。
無くても死ぬことはないが、無ければないで味気ない。
おそらく、リーシャのいう精霊の感覚とは全く異なるだろうが、フィリアはそれで「なるほど」と理解したような様子だ。
「でも、当然、精霊とて糧は必要よ。生物のそれとは違って身体の成長などではなく『格』・・・精霊としての力を強める為にね」
そう言ってリーシャは呪文を唱えると共に指を振るった。
すると、テーブルの上に白いクリオネのような姿が現れた。
湯気というより冷気を放っているような小さな雪の精。
リーシャがクッキーを一枚取り差し出すと、その短い両手で抱えるように受け取った。
「では精霊が何を糧にするのか・・それは『知識』よ」
ばくっ
「っ!?」
淡々と話しを続けるリーシャだが、フィリアはそれよりも、その小さく愛らしい雪の精の食事姿に目を剥いた。
――――まんま、クリオネじゃん・・
愛らしく、天使とも称されるクリオネの捕食。
前世では映像でしか見たことがなかったが、それでも中々に初見の時は衝撃憶えた。しかし、目の前で実際に同じ光景を見るとその衝撃は比ではない。
「この世の全て、森羅万象。自然現象の原理からスープの隠し味まで、何でも、『知識』として、多くを蓄えた精霊がより高い『格』を得るの」
そんなフィリアの驚きなど余所に、リーシャは平然と講義を続ける。
精霊のことを質問したのはフィリアなのだから、ちゃんと聞きなさいと言いたい所だが・・・こればかりは仕方ないと思える。
「それも・・広く知れた常識や古くから伝わる教えよりも、まだ誰も知らない未知こそ、大きな糧になるわ」
リーシャはそう言い終えて、今度はそっと顔をクッキーを一飲みにした雪の精へと近づけ、囁くように何かを呟いた。
その瞬間、雪の精は一瞬眩い光を放ちその姿を変えた。
大きな変化があった訳ではない。
元々のクリオネのような姿は変わらないが、短い手は小さな羽のような形へと変わり、頭の触覚のような角は伸びて垂れていた。
そして、白かった身体は透明感を増すと共に青みがかった色合いとなった。
「ちょっとした私の拙い研究内容でも、それが世に広まっていないものであれば、大きな糧となるわ。『格』の低い精霊であれば余計に、ね」
フィリアは捕食の衝撃から抜けきる前に、新たな衝撃を上乗せされ呆けた。
口に加えていたクッキーは両手からも支えを失いポロりと零れ落ち、それを手早くミミが回収した。
「・・だけど、精霊自身が知識を探求することはないわ。これは精霊に限らず多くの生き物もそうね・・大抵は何事もありのままに受け入れ、深く考える事もない・・人のように未知を詳らかにしたいという欲求を持つ存在のほうがよほど珍しいもの」
再びカップに口を付けたリーシャはゆっくりと味を楽しむようにして間を空け、フィリアの口周りや落としたクッキーの滓を綺麗に処理して整えるミミたちを待った。
しかし、待つというほどの間もなく、リーシャが一口喉を潤す間にフィリアは綺麗に整えられた。
「・・・だから基本、精霊は誰かとの『契約』よって新たな『知識』を得て、『格』を大きくするの。まぁ・・中にはトートのように捧げ物として知識を得ている精霊もいるけれど・・そういうのは特例ね」
リーシャの後ろに立っていたタヌスが窓際に寄り、隙間程度に窓を少しだけ開けた。
少し肌寒いような澄んだ空気が頬を掠める。
すると、雪の精はその空気に誘われるように意識を惹かれ、リーシャと窓の間をキョロキョロと視線を行き交わせている。
何処が目なのかはわからないが、おそらく間違いないだろう。
「お行き」
優しく微笑むリーシャの呟きに雪の精は昂ぶりに僅かに震え、弾けるようにリーシャの周りを飛び回ると、キスを落とすように頬に軽く触れ、誘われるがままに開かれた窓から外に飛び立って行く。
白銀の残滓だけが、名残りなって漂っている。
「魔法や魔術も元を辿れば、魔力と精霊・・正確には『微精霊』だけど・・その力を根幹としたもの」
フィリアとリーシャは揃って雪の精の後を追うように窓の外へと視線を向けた。
「だから、精霊術師だけでなく、魔術師や魔女も精霊と契約すれば大きな恩恵を賜われるわ。・・本来ならば自我の薄い存在が大半の微精霊が担っているものをその上位の存在が担えば、当然ね」
窓から吹き込む外気は暖かなサンルーフの中に澄んだ空気を送り込む。
寒々しいはずの空気も、一撫でする程度の空気の入れ替えは清々しいような心地よさがある。
「・・精霊は自然そのもの。それ故に自然の理から外れる事は出来ないわ。理から外れることは、つまり自身の存在すら壊すことになるもの・・・そして、その縛りは力が強くなるほどに大きくなる。・・自我が薄く、最も弱い微精霊でさえ、自然災害を引き起こすわ。であれば、意思を持ち指向性を定めた上位の精霊たちが引き起こす自然の驚異は、どれほどのものか・・・決して摂理や理の内に収まるものではないでしょうね。だからこそ、上位の精霊であればあるほどに、理から外れないよう、力のほとんどが封じられているわ」
自然の猛威、そこに意思が宿るなど・・もはや、それは神じゃないか。
精霊信仰・・・精霊という存在は信仰対象として崇めるに相応しい。
確かに存在し、言葉も交わせるが故に、身近過ぎてはいるが、その存在は遥か人知を超えたもの。
「・・ただ、そんな精霊の制限も解き放つ手段があるわ。それが契約。動植物とも出来るけれど、言うまでもなく人との契約が最も精霊の力を際限無く解き放てる。・・理すらも超える力。媒体となる契約者の身が保つかぎりそこに制限はなく、その上、糧となる知識を得る事もできる。だから、精霊側からしても人との契約が優良らしいわ」
「ですが、誰もが精霊と契約を交わせる訳ではありません」
「そうね・・マリアの言う通り、精霊にも旨みがあるとは言え、誰もが望んで契約が結べるわけではないわ。当然だけど、精霊にも相手を選ぶ権利があるでしょう?中には外見の好みで選ぶ精霊もいたりするけれど・・大体は相性。奴隷や道具のように扱おうなんていうのはそもそも問題外ではあるけれど、何の後ろめたい事もない、善人で、精霊をとても慈しむ人だとしても選ばれるとは限らないわね」
口を挟むことを控えていたマリアだが、リーシャの師として、そしてフィリアの侍女として言葉を添えた。
微精霊程度であれば契約も難しくは無いだろう。
だが、それで得られる恩恵は契約までして得る程のものではない。
微精霊との契約で得られる力など魔術などで得られる助力とさして変わらない。
理を外れる程の力を持つ、自我ある精霊だからこそ、契約することに意味や恩恵が生まれる。
その為、ほとんどは自我ある精霊・・つまり、上位の精霊との契約こそが精霊との契約とされる。
そして、当然ながら、自我があるということは、精霊にも意思があるということ。一方的に契約が結びたいからと迫ったところで難しくなるのは必然だろう。
「話が逸れたわね・・・微精霊が自我を持ち、精霊と呼ばれるまでに数百年から数千年。更に上の、上位精霊や大精霊に至るのであれば、それ以上の時間を契約者と共に過ごし、膨大な知識を得なければならないわ」
契約をせずとも数百年以上この世を漂っていれば、自然と知識は蓄えられる。
得られる知識のほとんどは特別でも何でもないものばかりであろうが、それだけの長い時間があれば、精霊となれるだけの糧とはなるだろう。
しかし、それよりも更なる『格』を得るには、どんなに時間をかけようとそれだけでは難しく、特別な知識が多く必要となる。
トートのような特例は本当に稀有な例であり、通常は『契約』によって多くの糧となる特別な知識を得る。
それも、人一人の人生では足りない程の時間と、数多の研究者が生み出す特別な知識。
「それ故に精霊は、知識を蓄えた存在・・『知恵の実』と呼ばれるわ」
「・・ちえのみ」
先ほどマーリンの講義にも出てきた不穏な言葉と共にあった単語。
「中でも、歴史上、大精霊以上の高位精霊と契約した者たちは、『知恵者』と尊ばれ、敬意を表して『賢者』と称されるわ。それは魔導師にとって憧れであり、目指すべき最高の誉れね」
賢者という響きに普段のフィリアであれば内心はしゃいでいただろうが、表情を難く変えたリーシャと、先ほどのマーリンからの話を思い出し、さすがのフィリアもそんな気持ちにはなれなかった。
「・・そして『契約』以外にも精霊の力、知識、それを・・奪う方法があるわ」
「・・せいれいを・・たべるのですか?」
「別にムシャムシャと食べるのとは違うわよ?・・でもそうね。存在を消し去るという意味では同じでしょうね。・・・『精霊喰らい』・・そう呼ばれる禁忌。魔導だけではなく人として・・いえ、この世に生きる者として、犯してはならない禁忌」
ギリっという軋む音が僅かにして、横目に見ればマリアの拳が白くなるほどに強く握られていた。
「契約とは比べ物にならないほどに効率は悪いけれど、精霊の意思に関係なく、精霊の力や知識を奪える・・・たとえ、世の理に反する禁忌を犯したとしても望むものはいるわ」
精霊が高位であればあるほど、条件などもあったりして、契約を結ぶことが一層難しくなる。
だが、人知を超えた精霊という存在はたとえ難しくとも多くの者が求めるだけの魅力がある。
たとえ・・外法に手を染め、道を外れようとも、それだけの需要がある。
「・・・雪」
リーシャの視線の先、眺めた窓の外に冬の訪れが白くチラついた。
「精霊を喰らった者たちは自然の理そのものを壊したも同然であるために、世界から嫌われるわ。・・その最期は特に悲惨で、魂が導かれる事もなく彷徨しかなく、この世のあらゆる苦しみ・・拷問、陵辱、飢餓・・それらを、悠久にも感じる時の中、叫び、身悶え、発狂し、自我を失うまで永遠と救いもなく繰り返され、赦される事なく、闇に溶けるように消滅する・・・『精霊喰らい』の禁忌を犯した者は『精霊の呪い』を受け、苦痛に塗れた一生を送ることになるけれど、死しても開放される事はないわ」
リーシャの視線を追って窓の外の空を眺めると、時偶、白い欠片がチラリチラリと舞う。
意識して見つめなければ気づけぬ程に、小さく、少ない雪の量だが、それが余計に光の中を舞う神々しい聖なる美しさを感じさせ、とても清らかなものに見えた。
「・・フィーは好奇心旺盛だから、もしかしたら興味を抱くかもしれないけれど・・・お願いだから私たちに家族を殺させないでほしい・・」
「・・・・・」
レオンハートを裁くのはレオンハート。
禁忌を犯すという事は、つまりそういう事。
リーシャだけでなく家族は皆、普段はフィリアの規格外や突飛な行動も最終的には寛容に受け止めてくれる。
だからこそ、面と向かって、警告のように言い含められたのは初めてだった。
フィリアが邪な考えをしている訳ではなく、リーシャから放たれる強い圧力にも似た重々しさにフィリアは口を噤んでいた。
別にリーシャ自身も脅しかける意図がないのもフィリアはわかっているが、こんなにもリーシャに恐れを抱いたことが初めてで戸惑いと共に唾を飲んだ。
ドッ・・・バシャー
雪を見ようと窓の外を眺めていた視界に間欠泉のように湖の水が打ち上がった。
吹き上がる飛沫。寒さのせいか蒸気のように白く立ち上り視界を遮る。
そのせいで湖上に居るはずの人影は見えないが、そこにはアランが騎士と魔術師を相手取って訓練をしているはず・・それも一対多の、アランにしては珍しい魔術戦。
「・・今日のアランは荒れているわね」
鬱憤を晴らすかのように魔力を発散するアラン。
その魔力の量は耐性の無いものであれば体調を崩すような濃度で撒き散らされている。
「いろいろとありまして・・」
「ニーナちゃんでしょ?聞いたわ。・・全く、だから早く口説けば良かったのに・・・、嫉妬する資格もないでしょうに」
「ちなみにまだ、アラン様の監視・・ではなく護衛は継続しております」
アランの指示によって今日もストーカー被害に合う罪なき少女。
だが犯人はレオンハート。
その罪を問う事は叶わない・・・身内以外は。
「・・・私たちが手を下します」
レオンハートを裁くのはレオンハート。
感情の消えた目でアランを見つめそう呟くリーシャ。
フリードに続き、リーシャからも有罪とされたアランは、その事を知らず、想い人を想い、業を深める。




