200 桜の商会主
「フィー!!」
ノックの音に入室を許すと同時に飛び込んできたリーシャは人目も憚らずフィリアに飛びついた。
まるで生き別れた姉妹の再会・・だが、この家では見慣れた日常の風景。
それ故に周囲も慣れたもの。
「リーシャ様、お客様の前ですよ」
「ぐえっ」
タヌスが襟元を引くとリーシャは令嬢らしからぬ呻きを漏らした。
それをタヌスが「はしたないですよ」と咎めるが、それを理不尽だと思えない不思議。
誰一人、リーシャの強襲に戸惑うこともなく見守る中、ドランは挨拶の為、立ち上がりリーシャからの声かけを待った。
リーシャもそれに気づき軽い咳払いと共に身なりと姿勢を整えて向かい合った。
「ドラン副会長。ごきげんよう」
柔らかな微笑みと見事なカテーシー。
だが、何処か嫌味の滲んだように感じる呼びかけ。
それを受けたドランも礼節に倣う挨拶を返すも、貼り付けた営業スマイルの目元が僅かに痙攣するように震えた。
「・・・リーシャ様。これでも私は商会を経営する商会長ですよ」
「商人組合の人事と混同してしまったわ・・ごめんなさいね」
謝罪を述べながらも何処か刺々しく、ツンとしたようなリーシャにドランは苦笑を漏らした。
ドランとて何となくその理由にも察しはついている。
「・・・中々に心を抉りますな」
「当然でしょう?私の可愛い可愛い妹に肖って地位を上げようなど・・フィーを利用されて穏やかなわけがないでしょう」
フィリア自身に何か言われてはいないからと、高をくくってしまったが、考えれば当たり前のこと。ドランのミスだ。
普段が普段の為、忘れがちだが、フィリアはまだ二歳の幼子。
利用したと言われても仕方ない。
しかも、そんなフィリアの威光に肖っておきながら、それを活かせず望んだ地位さえ逃した。
リーシャも利用したことを咎めてはいるが、それとは別に、フィリアを利用しておいてそれを生かしきれなかったドランの手腕にも憤っていた。
どうせなら、最良ではなく最高の結果を得ろと。
「不甲斐ない結果で、申し訳ありません」
「・・・本当よ」
こんな明け透けなリーシャは珍しくない。だが、それはあくまで近しい仲での話。
それ以外ではどんな時でも完璧な令嬢としての仮面を被り、綻ぶことも剥がれることもない。
それだけ、一商人でありながらドランも信頼されている証。
タヌスもそんなリーシャの態度を咎めることもなく、微笑むように見守っていたが、一息置いて本題に戻すよう手を叩いて空気を変えた。
「さあさあ、そんな事よりも・・姫様、お連れいたしました」
タヌスが視線を導くように身体を逸らすと、誘導された視線の先には一人の男が立っている。
何故リーシャが共に来たのかはわからないが、本来の待ち人である男はリーシャに先導されて来たのだろう。
男はこういう場にあまり慣れていないのか、装いはそれなりのものではあるが、どうにも着られているような違和感があり、所作も何処かぎこちなく固い。
一礼するだけでも、その不慣れさがあからさまだ。
「タヌス、ありがとうございます。シェリルもごくろうさま」
男のすぐ後ろに見えたモフモフの丸い耳。
マリアの姿がないことから、マリアはリリアに捕まっているのだろう。
であれば、ここまで案内する役目は本来シェリルが担うはずだった所をリーシャが先導した為に後ろに控えているのだろう。
シェリルはフィリアのねぎらいに一礼を返し、室内に入ると他の使用人たち同様、脇へと動き控えた。
「はじめまして。フィリア・ティア・レオンハートともうします。よく、きてくれました」
「は、はいっ、お初にお目にかかります!『ソメイヨシノ』会頭ロイ・カンディアと申します。本日はお招きいただき、誠にありがとうございますっ」
ロイと名乗った男は明らかな緊張が見え、こんな状態でリーシャやリリアの相手をしていたのかと心配になるほど。
だがそれ以上にフィリアの周囲はフィリアの放つ雰囲気に気を取られ、息を飲んだ。
普段から子供らしからぬ・・・いや、ある意味子供よりも子供らしいフィリアとは全く違う雰囲気。
凪いだような、また、張り詰めたような雰囲気は大人の、それも商談や社交で見せるような、到底子供らしからぬ雰囲気。
「『ソメイヨシノ』・・・すてきななまえですね」
「は、はい。桃色の花を咲かせる、『桜』という樹木の名から頂いたものです」
含みを持って微笑むフィリアの様子に、初対面ではあっても何か違うものを感じたロイは張り詰めた緊張を緩ませられずに、息子と変わらぬ幼子の言葉だけでなく僅かな仕草にさえ乾きを憶える程の圧を感じる。
「・・・『さまざまの、事思ひ出す、さくらかな・・・って芭蕉だったかな』」
「えぇと・・・?」
「フィリア様、それはどちらの言葉でしょうか?」
他国との交流も多いであろう御用商人のドランでさえ知らぬ言葉――――異世界の言語。
だがフィリアは、そんなドランの問いに答えることなく、ロイを注視していた。
――――言葉が通じない?・・それとも態と通じないふり?嘘をついてる?・・・いや、その必要はないな・・。『ソメイヨシノ』なんて大っぴらに語ってるんだ。今更、隠す意味なんてないか・・・
ソメイヨシノ――――日本人であれば誰でも知っている『桜』の名前。
そして同時にこの世界に在るはずがないと、誰もが知っている。
同じような言葉があったり、それが桜だったり、意味は違うが響きが似ていただけだったり・・・偶然・・有り得なくはない、無くはない、無くはないだろう、が、・・まぁ・・・無いだろう。
フィリアが手を上げると、トテトテとそこにある緊張とは無縁のようにティーファがフィリアの元に近づいた。
そして、腕に抱えた花瓶を差し出すとふわりとフィリアの魔法に浮かび上がりテーブルの真ん中に置かれた。
その花瓶は、僅かに桃色が差した白い小花が木の枝ごと活けられた、一輪挿し。
だが、それを見てもロイの反応は鈍い。
「あら、桜ね」
「これが、もしかして『ソメイヨシノ』ですか?」
「え?」
しかし、この国のものであれば、花に詳しいことは嗜み、況してやこの国を背負い商うものであれば余計に。
それ故、空中庭園の常連で見知ったリーシャだけでなく、ドランもひと目でその花瓶に挿されたものが『桜』だと気づいた。
だが、ロイはどうやら『桜』自体見たことがなかったようで二人の声を聞いてようやく目を見開いた。
「せいかくにはちがいます。・・いちおう、サクラではありますけれど、『ソメイヨシノ』ではないです」
「そうなのですか・・・とはいえ、流石はトリー家の方ですな。こんな冬先に春の花を咲かせるとは」
「・・・これが、『桜』・・・」
唸るようなドランの感心とは別にロイは食い入るように桜を見つめていた。
「・・みたこと、なかったのですか?」
「あっ、は、はい。お恥ずかしながら・・・実物の『桜』は見たことがありませんでした。・・『ソメイヨシノ』というのも息子が他人から聞いたものでして・・・遠い異国の、春の訪れを報せ、万人に親しまれる、そんな話の縁起に肖らせてもらえたら、と・・・」
――――ロイではない・・・手掛かりは、ロイの息子か・・・まぁだけど、知ったところでどうしたい訳でもないし・・・・・いっか
フィリアとて興味がない訳ではないが、執心する程の感情もない。
息を呑むような圧も霧散させ、興味を薄れさせたフィリアに、自然と息がしやすくなり小さく息を整えるように吐いたのはロイだけではなく、普段からのフィリアを知る面々もだった。
唯一、ティーファだけが桜を褒められたことに、満更でもない様子を見せ、いつも通りのティーファだった。
一応の名目上はマルスが全てを統括している、フィリア自慢の空中庭園。
だが、その中にはティーファに任された部分も多い。桜もまたその一つ。
フィリアの気まぐれはティーファも嬉々とすることもあり、そのほとんどをティーファが担当しているが、それを褒められればまるで最愛のフィリアに報いられたような気がして誇らしくなる。
「・・あの・・フィリア様のご注文は、本当によろしかったのでしょうか・・・」
「そうよ。フィー本当によかったの?」
緊張も緩んだことで、おずおずと尋ねるロイとリーシャ。
マダム・アルムの紹介と建前上は言っているが、本当に繋がりがあったのは、フィリアの元に来たばかりの新人。
リーシャやリリアの方が売り込むのに相応しくはあるが、本来ならばフィリアを優先するべき所、フィリア自身がそれを二人に譲るように断った。
そしてフィリアは、ロイの問いに頬を掻いて、気まずげに視線を逸らした。
「んー・・・ロイほんにんのまえで、いうべきではないのでしょうけれど・・・・・きょうみなくて・・」
言いづらそうに零すフィリアの言葉にロイはようやくフィリアに年相応のものを見て笑みを零した。
「確かに。フィリア様には少々お早かったかもしれませんね」
「・・・私どもとしては、少しでもいいので興味を持って欲しいところですが」
ドレスにも興味を示さず、人形遊びも何処か魔法訓練の色合いが強く物騒。
庶民であれば料理趣味も女性らしさの象徴だろうが、大公家の姫という立場上あまり褒められたものではない。
呆れを多分に含んだ溜息を零したミミに、苦笑を零したリーシャはそっとタヌスに目配せすると椅子にかけ寛ぐと同時に、ロイに近寄るよう促した。
タヌスがトレイを持ってフィリアの前に進み出て、差し出した。
それを見て、リーシャがロイに促し、ロイは思い出したように慌てて膝をつく。
「よ、宜しければ、こちらをお納め下さい」
「ロイからの献上品よ」
「まぁ、これは!」
その献上品にも良い反応を見せたのはフィリアではなくミミ。
「うちで扱っております化粧品類です。フィリア様のぐらいのお歳であれば肌に合わないものも多いかと・・余計なことでしたでしょうか」
「いえ。とても有難いです」
「『ソメイヨシノ』の物はどれも話題だし、フィーは身体も弱いから、こういうものも気遣うでしょう?」
きょとんとして、やはりあまり興味の薄そうなフィリアに不安を見せたロイだったが、それをミミは否定した。
まだ最初の取引で上限はあるものだが、シェリルとの繋がりで生まれた縁。
その主たるフィリアに手ぶらではと、一応の献上品を準備はしたが、フィリアの反応はやはりいまいち。
その分ミミが色好い反応を見せていた。
巷でも話題の『ソメイヨシノ』の商品。ミミの反応こそが普通のもの。
「今回はまだこれしかご用意出来ませんが、今後何か私がお力になれることがありましたら、いつでもおっしゃってください」
今回はまだ初めて城に上がったばかりの審査段階。
出来ることも限られている。それでも此度の縁を与えてくれたシェリルへ報いる為に最善を尽くそうとロイは尽力する。
そんなロイの言葉に、ドランとフィリアは目配せで頷きあった。
「では、これをみていただけますか?」
フィリアが差し出したのは、先ほどの模型飛行機。
ロイは一礼と共にフィリアに一歩近づきそれを仰々しく受け取ると、壊れ物を扱うかのように丁寧に、そして食い入るように眺めた。
そんな様子を覗き込むようにリーシャは身を乗り出した。
リーシャも見たことのないもの・・・フィリアが生み出したものだ。興味津々でしかない。
「何?それ?」
「魔石や術式も必要としない飛空艇だそうですよ」
「何それ!?面白そう!!」
「・・・確かに。そういったものはないようですね」
吟味するようなロイに断り、ドランはロイの手から模型飛行機を取ると、プロペラを回す――――そして、軽く押し出すように放ち、静かに宙を滑らせる。
「おお!!飛んだわ!!」
「・・・飛びましたね」
はしゃぐリーシャの姿に反してタヌスは苦い感情の声を漏らす。
所謂『空飛ぶ箒』のトラウマは、フィリアの従者よりも、被検体であるリーシャやフリードの従者の方が根深い。
新たな玩具・・楽しみに歓喜するリーシャと、そこに生まれそうな新たな心労に早くも目眩を憶えるタヌス。
そんな既視感のある後ろ姿を眺め、ミミは同情を覚え、声もなく励ます。
「はい。ですが、これはあくまで『もけい』です。いづれ、ヒトがのれるものをとおもっています」
「人が!?・・・」
息を呑むようなロイ。
それもそうだろう、魔導機構もなく空を飛ぶなど想像もできない。
魔導関連以外の動力などないこの世界では当然の反応。
「それで・・私に何を?」
「優れた技術者が必要です」
「優れた・・・私は雑貨屋ですよ?」
そうは言うものの、模型を眺めるその目は、商人というよりも技術者のそれだったようにも見えた。
「しかし、『ソメイヨシノ』の扱う商品を見れば、そういった技術者にも伝手が多いかと思いまして」
ドランのそんな無責任にも似た言葉と、期待の込められたフィリアの視線にロイはたじろぐように俯いて顔を歪めた。
「・・一箇所・・もしかしらお力になれるかも知れない者たちがおります。・・ただ、この国より離れた場所ですので、少々お時間を頂くことになりますが・・」
「ほんとうですか!!おねがいいたします!!」
「流石は飛ぶ鳥も落とすような新進気鋭の『ソメイヨシノ』ですな」
商人であれば抱える技術と技術者はトップシークレットの容易く明かせるものでは無いと知っていように・・・はやし立てるドランに恨みの篭った視線を向けるロイ。
こんな天上人とも言えるほどに隔絶した立場であるフィリアたちの前でシラを切り通すことなどこういう場に慣れてすらいないロイには無理だ。




