197 林檎と星
「ところで、そんな畏まったドレスなんか着て、何かあるの?」
「・・・」
マーリンの視線からそっと逃れるように視線を逸らしたリリア。
本当、似たもの親子。
「フィー以外への来客は聞いていないけれど?」
来客があればそれなりに身なりを整えるのは当たり前ではある。
だが、商人相手にしては畏まり過ぎた装い。
もし何か大事な来客があるのであれば、二人にも報告があるはずだ。でなければ、こんなふうに急な来訪などしない。
そんな畏まった装いをするような相手であれば、失礼なことはできない。
そもそも、本来ならば、使用人に確認を取った上で先触れを出すのが貴人としてのマナー、しかしその辺が非常に緩いレオンハート。
家族間にそんな他人行儀な隔たりなど必要ないというのがレオンハートの言い分だが・・正直あまり褒められた事ではない。
「本日、姫様がお約束していらっしゃるのはドルン様だけです。マダム・アルムもいらっしゃるようですが、そのお相手はリーシャ様の筈です」
「・・リーシャちゃんに?」
マダム・アルムといえば、レオンハートの服飾関係を一手に担う御用商人。
ついこの間も、リーシャのお披露目に合わせてドレスなどを大量発注したばかり。
新たに追加発注をお願いするのか、なにか変更点があるのか。
大量発注のせいで忙しいだろうが、呼ぶこと自体に不審なことはない。
だから堂々としていればいいのに、明らかに挙動不審のリリアの態度は何かを隠しているのがまるわかりだ。
「最近、巷で話題になっている商会があるのですが、姫様の所に新たに入ったシェリルがそこの常連らしく、話をお聞きになったリーシャ様が一度商品を見てみたいと御用商人のマダム・アルム経由でお招きしたと」
「・・それを、なんでリリアさんは隠したの?」
「・・・・・それって『ソメイヨシノ』っていうお店じゃない?」
「はい。ご存知でしたか」
その瞬間、マーリンは鋭く獰猛な視線をリリアへ向けた。
リリアは僅かな抵抗で、視線を逸らし下唇を噛んで誤魔化す。
「大公家に立ち入れる商人や卸される商品は厳正な審査と手続きが必要で、時間もかかるでしょ?況してや目新しいものなんかはウチの前に御用商人の審査と紹介も必須。元々そういう繋がりがある商会であれば、寧ろ優先的に商品を持ってきてもらえるけど、そういうもののない、本当に新興の商会だと逆に立場のせいで手元に届くまでかなり時間がかかってしまうわ」
「えー・・・つまり、どういう」
「ずっと待ってたの!!」
一息に何やら語りだしたマーリンにリリアはどんどん気配を消すように身体を小さくしていくが、マリアの戸惑いの滲んだ問いに噴火したマーリンの声に肩を跳ねさせた。
「ダメですよ!?まだ本格的な買い入れではなく、試供なんですから!今回は私とリーシャの分だけです!!」
「嫌よ!私も協力するわ!!」
「結構です!!只でさえ限りがあるのに・・減っちゃうじゃないですか!!」
元・王女のリリアと淑女の鏡と名高いマーリン。
そんな人々の憧憬を集めるような二人の、見る影もない幼稚な言い争い。
長く仕えるマリアは慣れたとはいえ、呆れた溜息が溢れる。
そんな中、グレースは淹れられた紅茶を飲みながらシレっと寛いでいた。
「・・グレースお義姉様?・・随分、優雅に寛いでおられますね」
「私も最近、外に出れなくて、自由にお買い物にも行けてないからね。噂にも聞いていたから気にはなっていたの。あ、おかわり貰えるかな」
「居座る気満々じゃないですか!!ダメです!!・・せっかく楽しみにしてたのに・・・」
マーリンのように喚くわけでもないグレースの方がよほど手ごわそうで、梃子でも動かなそうだ。
「お披露目に便乗して、私欲を満たそうなどとした報いね」
泣き崩れるように涙を流すリリアだが、それを慰める者は一人としていない。
名目上、リーシャのお披露目に際しての準備である以上、二人とてリーシャの取り分を減らすつもりは無いだろう。ともなれば、必然と分け合うのはリリアの分。
・・・何と平和な因果応報。
「・・・それで?マリアは?」
二人同様、下がる様子を見せないマリアに怯えたような疑念の目を向けるリリア。
まるで子供が宝物を取り上げられそうになっているような、縋るような警戒心。
長年信頼する親友であり忠臣の叛意に怯えたような・・・・大仰な茶番劇。
「・・・もう一つだけ、よろしいでしょうか」
そして、流石はマリア。
全く。これっぽっちも取り合うことなく話を戻す。
そして、リリアの様子に構うことなく、視線を彷徨わせたマリアは一点にその視線を止め、ゆっくりと近づく。
そこには飾るような食台があり、皮も剥かれていない数種類の果実が盛られている。
マリアは、その中から手のひらに収まる程に小ぶりな青林檎を一つ取り、再びリリアに向いた。
そして、リリアにもわかりやすく、見せるように、林檎を落とした。
「マリア?」
急なその行動の意味が分からずリリアは首を傾げた。
同時に気配を消し、いないものとしなければならない筈の使用人達も、思わずあんぐりと口を開けてマリアの行動に唖然と驚きを見せた。
マリアの行動はあまりに不敬なもの。
この部屋にあるものはすべからずリリアのもの。
手を付けるかもわからない飾りのような果実であっても。
それをマリアが知らぬわけがない。
だが、マリアはリリアの物を意図して地面に落とした。
背信行為だとされても仕方ない行動。
だが、マリアの親友を自称する程に、よく知るリリアは咎める視線を向けるのではなく、純粋な疑問を浮かべた視線をマリアに向ける。
「断りもなく申し訳ありません。・・ですが、これが姫様の説明でしたので」
マーリンもグレースも邪魔せぬように控え、そのマリアの唐突な行動に動きを止めた侍女にお茶を催促する。
「ちなみに、最初は赤い林檎を探されておりましたが、ちょうどお部屋には青い林檎しかなく、それでもいいということで、おそらく然したる問題ではないのでしょう」
理解のできない事。何が関係ないのかもわからない。
それ故、マリアはその時の状況を出来るだけ忠実に再現するしかなかった。
「・・林檎でないとダメなの?」
「そこは『譲れない』のだそうです」
「・・・そう。・・林檎でなくても良さそうね」
流石は母親。リリアの予測は正しい。
マリアもそう思ったが、自身の所感よりも、正確さを優先した。
そんなマリアの判断も正しい。
責めるべきは、知らぬことをいい事に、くだらないこだわりを押し通した元凶だろう。
「それで?その林檎が何かあるのかしら?」
「先程、お話いたしました・・最近、姫様が没頭しております論文。その内容をご説明してくださった際に、姫様が実演してくださったものです」
マリアの少し強ばったような表情に、リリアは先程までの締まらない雰囲気を霧散させ向き合った。
「・・・まず前提として、私も理解できているわけではございません。ですので、リリア様に問われたとしてもお答えできないと思います」
「・・・わかったわ」
そもそも、フィリアの自重は最初からないも同然だったが、そんなマリアも理解できないような論文内容を語るなど、少しはどうにかならないものか。
麒麟児だのなんだのの次元を超えている。
「では・・・リリア様。この林檎をどう思いますか?」
「・・どう、とは?・・・えっと・・落ちてはしまったけれど、皮を剥けば、まだ食べられる・・とか、かしら?」
当然、それが見当違いの答えだということくらいリリアにもわかっている。
だが、マリアが語ろうとしている帰結がわからず、的外れの冗談程度の内容しか返せない。
マリアもそんなリリアの戸惑いを汲んだのか、ふざけたようなリリアの言葉を咎めることもなく、表情を変えずリリアを見つめていた。
「リリア様はこの世界が丸いと知っておられますか?」
「え、えぇ・・それは。・・・学校でマリアも一緒に学んだ事じゃない」
一向にマリアの言いたい事が分からず首を傾げるリリア。
だが、ここまでしてまで話す内容なのだから・・と考えを巡らせる。
「最近では平面説を信じる者の方が少ないくらいよ?・・一応様々な観点からも立証されているし、私とてレオンハート大公妃として、論文などには毎日、目を通し、学んでいますから、間違いないわ」
魔導師(学者)の妻、それも世界一の。
無知では許されぬ立場にリリアはいる。
それも、知識だけ取り繕ったのでは許されず、きちんとした理解も求められる。
それが、レオンハート大公妃として担う、義務であり責務の一つ。
「・・・では、私たちが立つこの場所の、反対側で林檎を落としたらどうなると思いますか?」
「え?・・そんな話?」
リリアの目はマリアに向けるには珍しく棘のある訝しいものだった。
「・・・もしかして、逆さまなのだから空に落ちるとでも言って欲しいの?馬鹿にしているのかしら?・・何処であろうと林檎は地面に落ちるし、私たちも地面に立つわ。つまり、それはどんなものであろうと関係なく地面に――――」
「――――引き寄せる力・・・」
「え、えぇ、そ、そうよ・・?」
そんな当たり前の事を・・と一瞬不快に思ったリリアだが、マリアの話が行き着くのはそこではないようで、リリアはマリアが何を言いたいのかわからなかった。
「・・・姫様はそれを『重力』と呼ばれておりました」
「・・『重力』・・確かにそう称する者もいるけれどあまり一般的ではないわよ?寧ろ――――」
「――――『引力』。・・姫様はソウタイセイがどうのとご説明下さいましたが、私にはよく分からず・・」
リリアの言葉を先んじるように言葉を重ねるマリア。
そんなマリアにリリアは焦れるような疑問だけが増す。
「・・ただ、姫様は・・その力は月さえも引き寄せていると」
「それはありえないわね。・・宇宙では全く違う力が働いているというのが定説よ?そもそも、もしそうなら、月は何故落ちてこないのよ」
「申し訳ありません・・姫様はご説明くださったのですが、私には理解できす・・・ただ、姫様曰く、端的に言えば『速い』からだと」
「『速い』って・・・どういう事?」
フィリアがマリアに語ったのは前世の知識。
早口で披露した現代物理学。それを一度で理解など出来ようもない。
寧ろ、何となくでもリリアに説明できるマリアはさすがだ。
マリアもまた、この地に住まう魔術師の一人だという事だろう。
「・・・姫様がおっしゃられるには・・姫様がいつも使っている魔法が、その『重力』なのだそうです」
「・・・いつも浮かんでるやつ?」
「はい・・姫様がおっしゃるには、同じ力だと・・・」
つまりは、マリアが伝えようとしたのは、フィリアの『魔法』。
――――その正体。
「・・・月・・フィーは『星を謳う者』のような擬似的な星だけでなく、本物の星を操作できるということ?」
「わかりません・・・ですが、いずれは・・その可能性もあると、お二人はおっしゃられておりました」
ちらりと視線だけで示す先には、ソファーでカップを傾けるマーリンとグレース。
二人もこの話を聞いたのだろう。
「『星砕き』・・・」
「はい・・おそらくは・・・」
窓から入ってくのはそのままの陽光だけでなく、湖に反射した光も注がれる。
水面のように揺れる光に、水の中にいるような錯覚を覚える。
二人はそんな光を見つめるように目を向けた。
窓辺からも少し離れた場所からでは見えぬ、窓の外を。
「・・・『六花』・・・まぁ、今更ね」
リリアの呟きに、マーリンとグレースも静かに頷いた。
思い出すのは、光纏う巨大な岩塊。
あの日、空を覆った、山一つ浮かべたようなフィリアの魔法。
正確には、フィリアの魔法だけが作り出したものではないが、その元凶は言うまでもなくフィリアだ。
「ぷかぷかと浮かんで、可愛いだけだと思っていたのに・・・」
その感想はフィリアに向けたものというより、フィリアの魔法に向けたもの・・何処か羨むような、フィリアによく似た怠惰な感情を感じる。
それはマリアの予想した反応とは少し違うもの。
しかし、マーリンとグレースも同じように驚きは一瞬だけのものだった。
「ぷかぷかと、気持ちよさそうだったのに・・・・」
「リリア様?」
そして、遂には本音が漏れる。
似たもの親子・・前世の記憶があるフィリアに性格的な遺伝が何処まであるのかわからないが、少なくとも皆無では決して無いだろう。
貴婦人らしからぬ怠惰な姿などその代表例ですらある。
そして、そんな姿を二代続けて間近で見続けてきたマリアは誰よりもそこに親子の強い繋がりを感じている。




