195 嵐の予感
執務机に組んだ手を乗せ、目に鈍い光を宿らせたアークは、正面から睨むような眼光を向けていた。
「態々呼び出してしまってすまないね。ジャリック侯爵殿」
口元だけを僅かに歪ませるような微笑みに、目の前の男は一層縮こまるように震えを増した。
この部屋に来たときから・・いや、それ以前。
呼び出された時、牢にいる時・・・それよりもっと前、あの日、身の程も知らず、不興を買い拘束されてしまってから、恐怖に怯えている。
とりわけ、あの無邪気で屈託のない少年・・アランに対しての恐怖心は強く、悍ましさに震えが止まらないだけでなく、発狂したように正気を失う。
ジキルドの柩の前では、あれほど傲慢な態度を見せていたこの男は、現在、常に怯えたように挙動不審で弱々しい態度を見せていた。
「そろそろ、色々と聞きたいなと思ってね」
言葉だけを聞けば終始友好的なアークだが、傍から見てもそこにはそんな穏やかさなど欠片もない。
傍に控えるロバートも、男を連行してきた騎士も生唾を飲み込み背筋を伸ばす程に。
「その前に、体調はどうかな?」
「っ・・」
男の脳裏に蘇る悍ましい記憶・・トラウマと言ってもいい。
ゆっくりと削がれ徐々に短くなる四肢。最終的には四肢全てを失い芋虫のように蠢くことしかできなかった。
あらゆる苦痛に意識さえおぼろで、身体中から体液を漏らし、呻きを零すだけの肉塊でしかなかった記憶。
それを行ったのが、年端もいかぬ少年、アラン。
だが、今は、意識を保つだけでなく、身体も最初よりは痩せたとは言え五体満足の状態。擦り傷はおろか、痣や痕さえ残ってはいない。
「そんな怯えないでくれよ。素直に話してくれれば何もしないからさ」
笑顔でアークはそういうが、安心など何一つできず、寧ろ怯えから呼吸が荒くなる。
「まぁでも、エラルド公たちは帰ってしまったし・・・身体は大事にしたほうがいい」
失った手足すら繋げるような、規格外の癒し手がいない。
それはつまり、次、同じような目に遭っても、命の保証はないという事。
尋問や拷問など、手を煩わせるような事をさせるなという、ストレートな脅し。
だが、怯え切った男にはそもそも、そんな抵抗などするだけの気概は最早ない。
元々祖国の為に全てを賭すタイプの男ではなかったようだが、それにしても僅かな忠誠心や愛国心すら抱けぬ程に、その精神は疲弊していた。
「それに軍国からの抗議もないし、その手の期待もしないほうがいい。まぁ、あちらさんもそれどころではないだろうしな」
とはいえ、目の前の男はどうせ捨て駒でしかないだろう。
せいぜい戦端を開く為の人身御供程度の価値だろう。しかし、今はそれすら難しく、この男の価値は今や何の意味もない無駄なものでしかない。
「そもそもお前らの行動は軍国上層部の独断だろ。ミルからは、精々、『挨拶』程度にしておけと言われていたんじゃないか?」
その推測は正しく。ミルは今、レオンハートと事を構える事を嫌い、牽制程度で留めるよう忠言していた。
しかし、国の上層部はジキルドが隠れた事を好機と捉え、奇襲を目論んだ。
レオンハートの家族狂いは有名だ。獅子の尾を踏めば戦端は開かれる。それも奇襲という形で・・そんな妄想を抱いての作戦だった。
だが、ミルさえもそこを慊焉する意味を考えるべきだった。
レオンハートにとっての逆鱗は意表を突けるなどという生易しいものではない。
あわよくば程度の作戦では手を出した方が手酷い痛手を負う。
万全を期して、それでも多大な被害を覚悟しなければいけないものだった。
とはいえ、目の前のこの男は、それさえも知らない・・何一つ知らされてなどいない。
侯爵などという大きな地位を与えられてはいるが、所詮は捨て駒。
調べたところ貴族名鑑に記された侯爵位の中にジャリックなどという名はなかった。つまりは都合よく利用するため、用意された空手形の地位。
「まぁ、今頃、何に喧嘩を売ったのか身に染みて、後悔しているだろうがな」
男の国からの講義などは何もない。
それは切り捨てられたから、ということもあろうが、それよりも単純にそれどころではないのだろう。
男には、『軍国』の現状などは報せていない。
その為、アークの呆れたような呟きの意味もわからない。
だが、その意味を考える前に再び鋭い視線を向けたアークの雰囲気に飲まれ思考を止め、再び恐怖に身体を震わせた。
「で。早速だが、単刀直入に聞く。お前ら、『軍国』は何を企んでいる?」
穏やかでありながら淡々と、息もできないほどのプレッシャーを放つアークに、男は床に水溜りを作るほどの汗が噴き出す。
「いや、違うな。・・お前らは何を得た」
目の前の男がめぼしい情報など持ち得ていない事はわかっている。
それでも、どんな些細な情報でも、何気ないことでもいい。
「ミルを謀ってまで、『饗宴』の魔女共と組んで何をしようとしている」
レオンハートの前でその情報が小さいままだとは限らないだろう。
轟轟と唸るような風の壁が聳える。
横を見てもその終わりや切れ目は見えず永遠と続くような巨大な嵐の怪物。
しかし、不思議とその嵐は、周囲へ影響を及ぼす事などほぼなく。
程近い街にさえ、少し強めの風が時たま吹くだけで、被害と言えるだけの何かはない。
その証拠に、当初、阿鼻叫喚の混乱に満ちていた人々の様子も、たったひと月で日常の落ち着きを取り戻していた。
とはいえ、それも、取り繕ったものではあるだろう。
何せ、聳え立つ風壁、その先にあるのは、この国の首都なのだ。
断絶され、人の流れだけではなく、中と連絡を取ることさえできない。
薄暗い部屋の中、引いた手札に苦い顔を見せ男は酒を煽った。
それを、テーブルを挟んで向かい合うもう一人の男は誂うように笑った。
「やっぱり、お前はこういうゲーム向かないな。分り易過ぎる」
「うるせぇよ」
「・・こんなんが諜報員やれてるのが驚きだよ」
呆れたようにそうは言うが、嘘の付けない目の前の同僚が優秀なのを知った上での誂いだった。
「クソッ・・・ジキルド様には一度も負けたことないのに」
「ハハッ、そりゃそうだろうよ。あの方は、この手の遊びが好きなわりに、ずば抜けて弱いんだから」
「・・そういや、初心者にも手加減なしで挑んで負けてたな」
「俺は、子供相手にムキになって完封されたのを見たぞ」
誂い口調のまま、目の前の空いたグラスに酒を注ぎながら思い出す姿に、懐かしむように細めた目元に寂しさも滲んだ。
「一ヶ月か・・」
「あぁ・・」
ジキルドの葬儀から一ヶ月。
魔術師の葬儀は派手であるほどその者が優れた魔術師であった証であり、噂に聞くジキルドの葬儀は、その中でも特に派手なものだったと遠く離れたこの地にも伝わっていた。
「一周忌には部隊の皆で花を浮かべに行くか」
「「隊長!!」」
カードゲームに勤しんでいた二人は突如部屋に現れた声に立ち上がり背筋を伸ばした。
「おいおい、アジトだからと言って気を抜きすぎだぞ。その如何にも軍人という反応はやめろ。『隊長』ってのもな」
そういう男は一目で軍人とバレそうな体格と強面の人相。
二人も、自分たちの軽率さを悔やむと同時に、あんたにだけは言われたくないと互いに視線だけで頷きあった。
その隊長は、部屋に入るとそのまま二人の傍まで進み、テーブルの上のグラスに手を伸ばした。
カラン、という氷が鳴らす音を楽しむように、少し黄金色の酒を回すと、喉を潤すかのように一気に飲み下した。
「俺が親友と共にトゥールを教わったのはジキルド様からだったな」
「そうなのですか。私たちの世代はジキルド様がトゥールに乗るのを見たことがありませんが、早かったのですか?」
「いや、特別早いわけではなかったな。だが、上手かった。あの人ほど『手足のように』というのを体現した乗り手を見たことがないな」
「話では聞いたことがあります」
「・・元々お体もあまり丈夫ではなかったからな。大会などに出たのも一、二回程度だろう・・だが、今でも鮮明に思い出せる程にかっこよくてな。皆、こぞって真似たものだ」
飲み干したグラスをテーブルに置くと、ゆっくりと、そこにいない誰かに向けるように酒を注いだ。
「・・・ラルフ、ジキルド様の事、頼むな」
誰にも届かないような小さな呟き。
そんな語りかけに答えるよう、氷がグラスを鳴らした。
「それよりも、ついに『王子様』が動いたぞ」
切り替えるような難い声と共に振り向いた隊長に、二人は再び背筋を伸ばした。
「周辺の国や友好国にも救援を呼びかけてはいたが、あまり色好い返事はもらえなかったようだしな」
窓際に近づき、そこから眺めるように見つめる先にあるのは、見上げるほどに巨大な風壁。
「調査官たちの話では、解く事はおろか原理さえもわからず、そもそも何なのか・・全くの意味不明な代物らしいですから、当然と言えば当然でしょう」
「流石はうちの姫様・・と、言っていいものか」
乾いたような笑みを浮かべ嘆息を溢すのは、最早あの一族に仕える者たち共通の仕草。
「・・まぁ、とにかくそれでうちとあまり良好ではない国にも声をかけていたようだが」
「サタディアとかですね」
「魔導信奉国ではありますが、どうなのでしょう・・」
レオンハートが統治するファミリアは魔術師たちにとっての聖地として有名ではあるが、何も他の地で魔術が発展していない訳ではない。
頭一つ抜けた、最も有名な地ではあるのは事実だが、それと肩を並べるような地も当然ながら世界中にはいくつも存在している。
その中でも『サタディア』という国はファミリアに迫るだけの魔導先進国であり、魔導に対する陶酔も激しい国だ。
レオンハートとは価値観の違いからぶつかり合う事も多く、仮想敵国とされる程に過激で剣呑な関係性ではあるが、それでも認めざるを得ない程に魔導技術の優れた国でもある。
「無駄だろうな。うちの変態魔導師でさえも、姫様以外には無理だと断言してたしな」
「アート魔導師団総長ですよ。・・でも確かに、姫様以外であれば、それなりの時間と魔術師を準備するか、レオンハートの方々を最低でも二人以上お呼びしないと難しいとおっしゃられていましたね」
一人、美女と野獣の、色々な意味で特異な魔導師。
だが、その実力は折り紙つきで、世界屈指。
戦力としては云うもがなだが、当然、レオンハートが認めた魔導師。
あれでも専門家で、その考察の信憑性は疑う余地がない。
「それでだろうな。・・あの『王子様』は、『魔塔』へ向かうらしい」
「この時期にですか・・間の悪い」
「素直に、うちに詫びればいいものを、中途半端な意地を張って・・」
先程から『王子』などと呼んではいるが、この『軍国』は王政ではない。
政治家による合議制の政治・・だが、その実情は軍の将官たちが議席の大半を占める、まさに軍国。
そしてそれ故に、軍の将官たちは貴族の如く振る舞い。
その頂点に立つ、総統は王の如く鎮座する。
そうなれば、その子らもまた、同じ。
つまりは、『王子様』とは総統の子。
軍の階級である以上、血で受け継がれるものではないが、全くの皆無でもない。
事実、その臨時の国政の陣頭に立っている。
そんな在り方を揶揄して『王子様』などと呼ばれている。
しかもそれは、他国の人間だけではなく、自国の民にさえ陰口のように使われている。
「国政を担うガダンの上層部は、あの風壁の中に閉じ込められ、無事かどうかさえわからんとはいえ、実務などほとんどしたことのないような、総統の息子に指揮を取らせるとはな。・・そんなんだから『王子様』などと揶揄される程に助長するのだ」
「せっかくリーシャ様のお披露目だというのに・・」
「今のうちに殺っときますか」
「・・すまない。残念ながら、もうすでに釘を刺されてしまった」
「・・残念です」
「まぁ・・何事も無いことを祈ろう」




