16 冬のお引越し
この地。この国は島国で、更には北国でもある。
島国といっても大陸と呼ぶには小さく、島と呼ぶには大きな国土がある。
そしてこの国にも四季はあったが北緯に位置するため、春や夏は短く、秋もあっという間。春も肌寒く、夏も基本過ごしやすい。猛暑など数十年に一度にしか訪れない。
その分、冬は深く長い。
寒さは厳しいし、例年の豪雪。
国の最南端でもその例に漏れることはない。確かに雪は減るがその分冷たい雨や霙が多くなる。
この国の冬は厳しく、雪深かさから街の流通や人の流れが滞るなんてこともよくある。そしてそんな日はほとんどの国民が仕事を休み家にこもるのだ。
積雪が1階の窓に侵食し始め吹雪の勢いが増す。
こんな日は当然皆家に篭る。
筈なのだが・・。
「姫様―――――!!」
響き渡る大きな声は、勢いよく開かれた扉とともに矛先を違わずに向かった。
「またここにいたのですか!?本日は空も見えないでしょうに!!いい加減遅くに城を抜け出すのをお辞めください!!」
遅くとは言いつつも時刻はまだ夕方に差し掛かるかどうかという程度の時間。しかしこの時期の日の入りは早くもうすでに影を落とし始めている。
しかし彼女が言いたいのはそこではないだろう。
「まりあ。まだおそくないし、おしろもでていましぇん」
多少辿たどしさが抜け始めたフィリア。呆れたように嘆息を織り交ぜているが間違いなくフィリアが悪いと確証をもてる。
その証拠にいつもなら髪を引っ詰め隙のないマリアの髪は濡れ乱れてその顔は霜焼けで真っ赤。
大きく肩を上下させ息を乱し、睨む先では優雅に大きめのクッションに纏わりながら本を読むフィリアがフワフワと宙を漂っている。
其のそばには湯気の立つカップがあり、マリアに深く同情する。
「まぁ。まりあ。なんてかっこう。さむかったでしょう?あったかなすーぷをおのみなさい」
ちらりと視線を動かしたフィリアはマリアの不憫な姿に目を見開き驚くと、本を閉じ自身の近くで漂っていたカップをマリアの元に差し向けた。
当然のことながらその言葉、様子、反応。全てにおいてマリアを逆なでた。
いったい誰のせいだ、と言わんようにカッと目を見開くマリア。
それ見たフィリアは、やべっ、と頬を強ばらせた。よく知る表情。それは雷が落ちる瞬間の。
故に無意識に浮遊したまま後ずさりしてしまう。
スっと腰のあたりから杖を取り出したマリアは軽く振った。
『捕えよ』
「ぎゃっ」
問答無用の怒り。
マリアの怒りはフィリアを拘束する魔術となってフィリアに放たれた。
一瞬にして銀の帯で簀巻きにされたフィリア。
フィリアならば拘束を解くのは容易かったが本能がそれは危険だと訴えている。
故になすがまま。
簀巻きで浮いた状態のフィリア。そこから伸びた銀の帯はマリアの杖に繋がっている。
歩き出すマリアにドナドナされるフィリア。その光景はさながら風船を連想させる情けないものだった。
「・・ここもじょうないじゃない・・ひっ」
唇を尖らせてグチるが、その瞬間マリアの視線がフィリアを射抜いた。
決して逆らってはいけない怒りの視線。思わず悲鳴が漏れたがなんとか口を紡いだ。
「こちらは敷地内ではありますが城内というにはかなり離れています。普段でも褒められたものでないのに。本日は吹雪でしょうに・・全くどうやってここまで来たのか」
哀愁の漂ったため息を吐いたがそれは確実にフィリアの普段の素行からも連座しているのだろう。その証拠にフィリアは視線を明後日の方向に向け口笛を吹くような仕草をしている。
・・まぁ鳴ってはいないが。
この場所は敷地内ではあるが城からは少々離れたところに建てられている。
その理由は余計な光が届かないように。
湖に隣接され建てられたこの建物。その天頂は開閉式だが生憎本日は吹雪から固く閉じられている。しかし普段、晴れた日には開かれ、そこから大きな長筒が伸びる。
天体観測所。
それがこの建物の正体だ。
皆が知ることとなったフィリアの星好きに、ある日アークから連れてこられた。
今ではおじいちゃん学者とフリードしか足を運ばないと言われたこの観測所。
室内はドーム状で壁一面に本や資料、紙の束などが所狭しと収められていたため最初書庫か何かと勘違いしたが部屋の中心に鎮座する大きな望遠鏡を見た瞬間感動に涙した。
フィリアの知っているものとは違い、構造も単純で大きさも大きくはあったが知っているものに比べると華奢で小さい。
それでも嬉しく。飽くことなく毎日訪れるフィリアにマリアたちは苦い顔を隠せなくなっていった。
時折フリードも一緒だったがそれよりもここで働くおじいちゃん学者のミゲルとよく話すようになっていった。
まぁ流石にこんな吹雪の日には訪れることはないのだが。
ちなみにフィリアはどうやってきたかというと、なんてことはない。空を飛んできただけ。
吹雪の防風も極寒も魔法で力づく。マリアが悩むほどの不思議があるわけ無い。
いや、この非常識こそが規格外なだけか・・。
フィリアは問答無用で天体観測所から連行されていった。
もちろん帰りの吹雪バリアーはマリアも含めて。おかげでマリアは頭を抱えていたが。
「まりあ?あたまいたいのー?」
能天気問題児。
マリアが不憫である。
「・・ミミはどうしたのです」
頭を抱えたまま問うマリアにフィリアは不思議そうに小首をかしげた。
「ん?おへやでねてたよ?」
城内の一室。フィリアの自室。赤子用のベットに上半身だけを突っ伏すようにスヤスヤ眠るミミがとても幸せそうにはにかんでいた。
そして気のせいでなければマリアのこめかみに音を立て入った青筋はミミの遠くない未来を暗く暗示している。きっと目覚めてすぐに悪夢を見ることだろう。
しかし無邪気。いや能天気なフィリアは何も気づいてないようでキョトンとしている。
マリアは大公夫妻からの呼び出しで側を離れていた。それを終えフィリアの元へと帰ろうとしていた道中に嫌な目撃情報を聞いた。
フィリアの単独行動である。
これまでの経験則から部屋に戻るよりもその目撃情報を優先した。その結果この吹雪の中、外に出たとわかった時には心臓が止まるかと思ったほど。
しかし蓋を開ければそのフィリアは規格外から何ら平穏無事。寧ろ能天気なほどであるし、そんなフィリアを観る役目の者は優雅に居眠り。この能天気な主従。
やはりマリアが不憫でならない。ため息も漏れよう・・。
諦めたような溜息とともにマリアは雪の中を進んだ。
季節は流れ。あの食事会から三ヶ月経っていた。
季節は逸るようにように変わり。ここ最近は毎日の豪雪。
前世でもテレビでしか見たことのないような積雪量にフィリアのテンションは上がったが、こうも毎日では物珍しさもなくなる。
それどころか、北極圏にでも居るのかと錯覚させるような寒さにフィリアの興奮も早々に覚めてしまった。
「ぱ、おとーしゃまはなんのようじだったのでしゅか?」
部屋に戻ったフィリアは暖かな暖炉の前でフラワーティーを優雅に燻らせながら楽しんでいた。
その傍らではマリアがティーセットを音も立てず流れる所作で準備している。
そして更にその後ろでは殺人事件の現場よろしくの状態でミミがうつ伏せに倒れている。右人差し指の先にはダイイングメッセージで「マリア」と残されている。
時たまマリアが動く足元で呻きや悲鳴が漏れるがマリアの完璧な所作と仕事はあいも変らず乱れない。
強いて言えばさっきから呻きと共に足に力が加えられているように見えるくらいだ。
「閣下とリリア様は姫様のお部屋の準備をなさる様にとお申し付けでした」
「・・おへやでしゅか?」
そう言って視線で見渡すがフィリアの頭の上の疑問符は消えない。
「はい。このお部屋は幼いフィリア様に誂えております。ですが年を経てフィリア様に合わせた自室をというものです。このお部屋では少々手狭となりますので」
その言葉にフィリアはもう一度部屋を見渡し、疑問符よりも冷や汗が出る。
なにしろ、手狭にはとても見えない。
実際、今腰掛けてティータイムを楽しめるだけのテーブルとソファー。フィリアの為に誂えたそれは実寸のものより背丈や幅が子供向けに小さく作られてはいるが、正直一般家庭のダイニングほどのスペースを有している。
それでも部屋にはまだ余分があり、ベビーベットという名のダブルベットや窓辺に豪奢なロッキングチェアー。その他にも本棚や姿見などの小物もあるがそれでも閑散としたイメージを持てるほどスペースがあるこの部屋。
「・・ひろいでしゅ・・」
引きつった表情でマリアに呟くがゆるゆると首を振られた。
「いえ。ご令嬢。それもレオンハート大公家令嬢となると手狭となります」
マリアの足元から呻きが上がった。
「本来この部屋は乳幼児の内だけのお部屋です。貴族子息子女はそのような部屋から大体五歳までの間に、本来の自室へと移ります。この部屋も三歳ほどを予定していたためまだ物が少ないですが五歳の洗礼式の頃にはきっとこの部屋は物で溢れてしまいますよ?」
マリアはそんな事を言っていたがフィリアは絶対物があふれることなどないと確信を持って言えた。
「なんでいまなの?あたしまだいっしゃいだよ?」
何か準備に時間がかかるのか。お貴族様のことはわからないと思ったがそれにしたって早すぎる。ついこの間一歳を迎えたばかりだ。
それにマリアの口調から、それは今すぐのことに聞こえた。
「部屋を移る際に明確な時期やきっかけは決められていません。ですので人それぞれなのです。確かにこんな早くに自室を与えられるのは驚きましたが」
やはり部屋を動くのは近日中のようだ。
「しかし姫様には自室が必要となってしまったので」
フィリアは首を捻った。
「姫様の教育が近日中に始まるとのことでした」
「きょういく?おべんきょう?」
マリアはこくりと頷くとフィリアのカップにおかわりのフラワーティーを注いだ。
「はい。お勉強です」
条件反射だろうか。そのマリアの肯定と言葉にフィリアは顔を不快に歪めてしまった。
それを見て困ったように笑いながらマリアは元の立ち位置に戻り呻きが漏れる。
「ただいま家庭教師の方は選定中ですが、授業は自室にて行われますので急ぎお部屋の方を拵えなければなりません。この部屋は来客の想定はされておりませんので」
「だからおへやですか・・」
「もちろんそれだけではございませんが。そのような事情から早くに自室を準備させていただくことになりました」
「もうお勉強ですか!?早くないですか?姫さまはまだ1歳ですよ?ぐぇっ!!」
マリアの足元からの声にフィリアはマリアを見上げて答えを待った。
「そうですね。リーシャ様でさえ3歳になる少し前でしたしフリード様も3歳。アラン様に至っては5歳・・いや剣は2歳の頃からでしたか。でもやはり姫様は早いですね。ですがこれは閣下やリリア様だけではなくゼウス様やマーリン様の進言もあってのこととおっしゃられておりましたので、何か理由があるのでしょう。おそらくお夕飯のお席で詳しいお話があるのではないでしょうか。それに姫様にも早くの教養は大きな糧となると思いますので私も賛成でございます。特に魔法のことについては。意識を失って倒れられている姫様を見つける度心臓が止まる思いですので」
つーっと視線をそらしたフィリアだがその横顔にはヒリヒリと咎める視線が刺さる。
未だにフィリアの魔法訓練は自重を見せず寧ろエスカレートするばかり。
今では人目をはばかる事を忘れたフィリアはいたるところで魔法を使い魔力切れを起こす。自室はもちろん廊下、居間、時には庭で。死んだかのように四肢をだらりとして。その度にマリアの悲鳴は城中にこだまするのだ。
コクリと口をつけたフラワーティー。溶けた甘さが際立って舌を伝い芳醇な香りが鼻を抜ける。
「ね?姫様?」
マリアの一見穏やかさに包まれた声にフィリアの背筋を伝う悪寒は止まらない。
「・・あのー。私はいつまでこのままなのでしょうっがぁっ!?」
フィリアは素知らぬ顔で視線を逸らしていたが、マリアの踵が力を込めたのだとわかった。そしてその被害がこちらに向くことを恐れて見ぬふりもした。
尊い身代わり。彼女の人差し指は新たに『コーラル』のダイイングメッセージを足しフルネームを示唆しているのだろうとフィリアは見ずともわかった。
正確には『年増マリア・コーラル』と書かれていたため、その後マリアは極寒の吹雪の中へミミを投擲した。




